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那田尚史の部屋ver.3(集団ストーカーを解決します)

「ロータス人づくり企画」コーディネーター。元早大講師、微笑禅の会代表、探偵業のいと可笑しきオールジャンルのコラム。
 

指導教授の話~補筆~

2020年10月17日 | 芸術・表現

集団ストーカーの被害者の方は次のurlを押してください。http://blog.goo.ne.jp/nadahisashi/e/21522a074264a7eb4afb4fd7df2e6531
http://w01.tp1.jp/~a920031141/haruna.html に最新の「春名先生を囲む会」の写真をアップロードしています。この会の趣旨と目的に賛同されるかたは毎月第三金曜日にの8時から誰でもOKですから夢庵西八王子店(平岡町)に来てください。正面を右に進むと座敷がありますからその座敷で待っています。手前のテーブルの場合もあります。なお、料金について変更があります。お酒の飲めない人は2千円にしましたので(現実には飲めても飲めなくても3千円になっています)。春名先生の講義を聞いたり、また積極的に講義をして下さい。医療だけでなく歴史や芸術についても講義できるようになりました。私は八王子五行歌会の代表です。賛同される方は私まで電話を下さい。042-634-9230。出ないときは留守電にメッセージを残して下さい。生死とは何か、善悪とは何か、魂や神仏は存在するか、等々本来は宗教者や科学者が総出で考えるべきことを、飲み食いしながら3千円で話し合えるのは「春名先生を囲む会」だけです。このブログ方も是非賛同者になって下さい。先月のテーマは「キューバと社会主義」でした。もしあるとすれば次のテーマは「死後の魂です」このブログをご覧の皆様も是非賛同者になって下さい。
私が微笑禅の会(非宗教)を作ったのは日本に10人の見性者が生まれ、10人が協力し合えば世直しが出来ると思ったからです。(ちょうど日本に10人の坂本龍馬が居たら世直しが出来るように)
今後、微笑禅の会(非宗教)のネット会報は中止し、年に5千円の護持会費と数度の紙媒体での会報を出すことにします(メールで済ますこともあります)。私がロックフェラーほどの資産家であれば年に5千円の会費は無料にしますが、五行歌の会の主宰・草壁先生の言われる通り、お金を出さないと文化は育たないからです。本当に悟ってみたい人は次のurlをクリックして「見性体験記」をご覧ください。
 http://w01.tp1.jp/~a920031141/zen.html  入会された方には「微笑禅入門―実践篇」(DVD)を差し上げます。もちろん会員から質問があれば答えますので私のメルアドまで質問を下さい。レジュメも作らず睡眠時間4時間で即興で語っています。DVDはボリュームを目一杯に上げて聞いて下さい。wasaburo@hb.tp1.jp (クリックしてもメールが開かないのでコピーして宛て先に入れて下さい)なお、微笑禅の会の口座番号に変更があります。入会手続き入会金なし。会費は年に5千円とし、ゆうちょの以下の振替口座 00130-7-447671 名称「微笑禅の会」に振り込んでください。その際は住所氏名他連絡先、男女の区別を明記してください。退会は自由ですので、私にメールか電話をください。

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昨日のブログだけ読まれた方は、私の指導教授がヒステリックで善悪が分からない人と思われたかもしれません。が、全くの間違いです。

元々私は文学青年で、早稲田でも一番人気のあった文芸専攻を選び、将来は詩人が小説家になるのが夢でした。しかし、ちょうど今の小説がラノベに堕落しているように、当時早稲田が芥川賞を輩出していてもJ文学はジャパニーズ文学ではなくジャンク文学に堕落していました。若い女性作家が審査員の気を引くために、女子大生が妻子ある男性や年上の男性の愛人になるというストーリーばかりで、昔はこういう小説を「あてこみ小説」と言われバカにされていました。私も文芸専攻を選んで、特に当時は三島由紀夫の親戚が早稲田の文学部を仕切っていたので、途中で馬鹿らしくなり、酒と女遊びばかりしていました。

 大学を出て就職する気が起きず、何か理由をつけて母親の仕送りで東京にいようと思ったときに思い浮かんだのは、大学院に入り、最新の「詩学」を勉強しようというアイデアでした。そこで最初は(受験が楽な)日大の大学院を受けようと日大まで行ったところ、そこの受験担当の職員が正直な人で「せっかく早稲田を出ながら、日大のような大学院に入っては勿体ないので早稲田を選びなさい」と教えてくれました。

 そこで、狭き門より入れ、という文句を思い出し、最初は早稲田大学院の日本文学を選ぼうと思いましたが、当時は(明治時代の文学までしか教えてない)と聞き、寺山修司の実験映画が好きだったので、新しくできた「演劇映像」に入れば映像の方面から最新の詩学を学べると思ったわけです。

 幸い20人ほど受け合格者は3人ほどの演劇映像に入りましたが、他の二人は映画青年で恐らく学部の時代から指導教授に大学院を受けるように言われていたのでしょう。私は、学部の時代は演劇映像の授業を取らす、面接試験で指導教授の顔を初めて知った全くの門外漢でした。

 当時の私は文章を書くにも、「一行目は神様が決める」と言うほど、インスピレーションがわかないと文章が書けないほどの詩人の血を持った典型的文学青年でした。そういう、私の創作者としての資質と、宗教的な性格を最初に発見して、溺愛してくれたのが指導教授でした。他の院生から見れば依怙贔屓されていると思われたでしょう。

 しばしば飲みに誘われ、プライベートな生活について相談を受けたことも再々あります。また、確かに指導教授にはライオンが子供を谷に落とすように、ハードルを上げて弟子を試す強い個性がありました。例えば修士論文を書くとき、それまで「月刊イメージフォーラム」等に書き溜めた実験映画批評が大量にあったので、それを纏めて「現代実験映画論」にしようと構想していたところ、直前なってから「戦前の小型映画にしてはどうか?」と言われました。さらに、その年に早稲田大学100周年記念と銘打って大きなイベントがありました。その中で私を抜擢し、学部の学生を数人選んでパフォーマンスをすること、出演するプロのアーティストとの連絡役になってアーティストの練習風景を見て早稲田の大隈庭園の場所を決めたり、(これが大きな仕事でしたが、教授が命令したのではなく、途中で私が自分で気づいたのですが、電源を計る役目を自分に課しました)。これは意味が分からないでしょうが、プロのシンセサイザーの演奏と、インスタレーションと、私が中心になるパフォーマンスで使う無線、またそのイベント全体を照らす光源等を計算すると、普段の大隈庭園では使っていない電力をその日だけ使わねばなりません。このイベントには大勢人間がかかわりましたが、私はその電源量が気になり、菓子折りや日本酒を自腹で買って、大隈講堂の電気を管理する担当の人たちに事情を告げ、時間外労働になりますが、この日は夜の○○時まではこの電撃量を使いますので働いてくださいと頼んで歩きました。(私がいい加減なようですが、以外に細かい計算をしますから)。ところがそのパフォーマンスの最高責任者だった知り合いが、最後のリハーサルをしないで本番を迎えるという無茶苦茶なスケジュールを組んでしまいました。

 そこで何が起こったかと言うと、全員が一斉にパフォーマンスを始めると電気量を使いすぎて、私がリーダーとして細かくスコアを作った映像パフォーマンスのために飛ばすワイヤレスマイクが使えなくなりました。つまり、一秒単位で私が指令を出して学生がスライドに画像を映す計画ができなくなり、全員がパニックになり、緻密な計算で作られたスコアが使えず、フリージャズのように出鱈目に映像が映りました。私が頭に来たり失望したり混乱しましたが、指導教授が「元のスコアが分からない人が見ているので、失敗かどうか分からない」と言って慰めてくれました。

 指導教授がハードルを高くしたのは、私を博士課程に入れるための下準備だったことが今になればわかります。

 更に、過去5年間博士課程に進んだ人はいないところ、私を呼び出して「私は浅く広い研究だが、君のように深い研究の仕方をする人間を尊敬している。また研究論文を読むと、トロール漁船のように片っぱしから資料を読みこなして引用しているので、是非とも博士課程に入って欲しいので論文を200枚以上書いてほしい」と耳打ちされました。その時の感動と葛藤はこの「ロータス人づくり企画」というHPの中にある執筆リストの「牧野さんの家の方へ」を読めばわかります。

 結果的に、運命の悪戯か無意識の願望か、修士論文を書いているときにワープロの操作一文字の間違いで計画が壊れてしまい、どうにか修了させてもらいましたが、博士課程には行けず、郷里愛媛に都落ちしました。(省略しますが、そこで自然発生的にできた学習塾が大当たりして、数千万の貯金ができました)。その時に、また指導教授から電話がかかり、「将来は必ず君を大学教授にするので、とりあえず早稲田の非常勤講師になってまた上京してみないか?」と声がかかりました。そこで、私の預金に母親の預金を合わせて今の第一那田ビルを買って、その家賃収集で生活し、自分も家族もこのマンションに住む」という計画を立てて上京したわけです。

 この時も指導教授は驚かれ「経済観念は私よりもはるかに上だ」と言われました。そして、前回書いた事情から絶縁状を出したわけですが、今なら別の行動をとったでしょう。

 指導教授は飲みに連れだしては自分の私生活の悩みなども平気で私に相談し、意見を求めてきました。

 私は恐らくですが、子供のころからの信仰体験と、剣道体験のせいで、あまりにも潔癖症的というか武士的倫理観が出来上がりすぎていたのでしょう。当時は事情を書かずにただ「絶縁状」を出しただけで終わり、またそうするのが潔く、同時に目上の師匠を批判せずに済む唯一の方法だと思いましたが、今思えばこの方法は間違いでした。

 今の私なら、指導教授に電話をかけて、一杯飲みながら話したいことがあります、といって、手紙に書いた内容を口で説明して、チクル方が悪いのではないでしょうか?しかも引用禁止ですから。さらに権威批判をするのが私たちの使命ではないでしょうか、等々酒の勢いを借りて本音で語ります。そうすれば指導教授は必ず理解を示してくれたでしょう。(集団ストーカーでないとすれば、誰がチクったのかはほぼ検討が付いています。私が指導教授に可愛がられて、必ず教授にすると公言されていたので、それを許せないと思った人間のジェラシーが生んだ行動でしょう。ちなみに大学院の学生と言っても、ただのオタクです。モラルがある人の方が珍しく、平気で他人足を引っ張り、論文実績もないのにコネだけでどこかの正教員になっています)。むしろ、私のように指導教授の言われた通り論文を書き、研究実績だけで正教員になるのを待つ人間の方が出世は遅れます。

 ですから、ブログだけを読むといかにも指導教授が悪い人だったかのように思われますが、何しても裏にはまたその裏があり、真相はなかなか見えません。当時そのような大人の(タヌキジジイのような)行動がとれていれば私はとっくにどこかの教授になっているでしょう。

 なお、私の創価批判は非常勤講師の頃から本格的に始まっていました。創価学会批判のバイブルと言われた「創価学会批判の要諦」も、本人訴訟で集団ストーカーを最高裁まで追い詰めたスタートもこの時切っていました。(高知の親友・故田辺浩三が私を評価したのは、アカデミズの中で正面から創価批判をしているのは、田辺が習った日大の北野教授と私だけだから、という理由があります)

 このよう活動をしていることも素直に打ち明けておくべきだったと思います。潔いと感じていても、年齢を経て、人経験を積むと、自分が短慮だったのではないか、とうとう世間知が付いてきます。処世術と言えばマキャベリストのようですが、亀の甲より年の功とはよく言ったものだとつくづく思います。

 今回のブログの文章は無断引用OKです。

 


指導教授の話~補筆~

2020年10月17日 | 芸術・表現

集団ストーカーの被害者の方は次のurlを押してください。http://blog.goo.ne.jp/nadahisashi/e/21522a074264a7eb4afb4fd7df2e6531
http://w01.tp1.jp/~a920031141/haruna.html に最新の「春名先生を囲む会」の写真をアップロードしています。この会の趣旨と目的に賛同されるかたは毎月第三金曜日にの8時から誰でもOKですから夢庵西八王子店(平岡町)に来てください。正面を右に進むと座敷がありますからその座敷で待っています。手前のテーブルの場合もあります。なお、料金について変更があります。お酒の飲めない人は2千円にしましたので(現実には飲めても飲めなくても3千円になっています)。春名先生の講義を聞いたり、また積極的に講義をして下さい。医療だけでなく歴史や芸術についても講義できるようになりました。私は八王子五行歌会の代表です。賛同される方は私まで電話を下さい。042-634-9230。出ないときは留守電にメッセージを残して下さい。生死とは何か、善悪とは何か、魂や神仏は存在するか、等々本来は宗教者や科学者が総出で考えるべきことを、飲み食いしながら3千円で話し合えるのは「春名先生を囲む会」だけです。このブログ方も是非賛同者になって下さい。先月のテーマは「キューバと社会主義」でした。もしあるとすれば次のテーマは「死後の魂です」このブログをご覧の皆様も是非賛同者になって下さい。
私が微笑禅の会(非宗教)を作ったのは日本に10人の見性者が生まれ、10人が協力し合えば世直しが出来ると思ったからです。(ちょうど日本に10人の坂本龍馬が居たら世直しが出来るように)
今後、微笑禅の会(非宗教)のネット会報は中止し、年に5千円の護持会費と数度の紙媒体での会報を出すことにします(メールで済ますこともあります)。私がロックフェラーほどの資産家であれば年に5千円の会費は無料にしますが、五行歌の会の主宰・草壁先生の言われる通り、お金を出さないと文化は育たないからです。本当に悟ってみたい人は次のurlをクリックして「見性体験記」をご覧ください。
 http://w01.tp1.jp/~a920031141/zen.html  入会された方には「微笑禅入門―実践篇」(DVD)を差し上げます。もちろん会員から質問があれば答えますので私のメルアドまで質問を下さい。レジュメも作らず睡眠時間4時間で即興で語っています。DVDはボリュームを目一杯に上げて聞いて下さい。wasaburo@hb.tp1.jp (クリックしてもメールが開かないのでコピーして宛て先に入れて下さい)なお、微笑禅の会の口座番号に変更があります。入会手続き入会金なし。会費は年に5千円とし、ゆうちょの以下の振替口座 00130-7-447671 名称「微笑禅の会」に振り込んでください。その際は住所氏名他連絡先、男女の区別を明記してください。退会は自由ですので、私にメールか電話をください。

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昨日のブログだけ読まれた方は、私の指導教授がヒステリックで善悪が分からない人と思われたかもしれません。が、全くの間違いです。

元々私は文学青年で、早稲田でも一番人気のあった文芸専攻を選び、将来は詩人が小説家になるのが夢でした。しかし、ちょうど今の小説がラノベに堕落しているように、当時早稲田が芥川賞を輩出していてもJ文学はジャパニーズ文学ではなくジャンク文学に堕落していました。若い女性作家が審査員の気を引くために、女子大生が妻子ある男性や年上の男性の愛人になるというストーリーばかりで、昔はこういう小説を「あてこみ小説」と言われバカにされていました。私も文芸専攻を選んで、特に当時は三島由紀夫の親戚が早稲田の文学部を仕切っていたので、途中で馬鹿らしくなり、酒と女遊びばかりしていました。

 大学を出て就職する気が起きず、何か理由をつけて母親の仕送りで東京にいようと思ったときに思い浮かんだのは、大学院に入り、最新の「詩学」を勉強しようというアイデアでした。そこで最初は(受験が楽な)日大の大学院を受けようと日大まで行ったところ、そこの受験担当の職員が正直な人で「せっかく早稲田を出ながら、日大のような大学院に入っては勿体ないので早稲田を選びなさい」と教えてくれました。

 そこで、狭き門より入れ、という文句を思い出し、最初は早稲田大学院の日本文学を選ぼうと思いましたが、当時は(明治時代の文学までしか教えてない)と聞き、寺山修司の実験映画が好きだったので、新しくできた「演劇映像」に入れば映像の方面から最新の詩学を学べると思ったわけです。

 幸い20人ほど受け合格者は3人ほどの演劇映像に入りましたが、他の二人は映画青年で恐らく学部の時代から指導教授に大学院を受けるように言われていたのでしょう。私は、学部の時代は演劇映像の授業を取らす、面接試験で指導教授の顔を初めて知った全くの門外漢でした。

 当時の私は文章を書くにも、「一行目は神様が決める」と言うほど、インスピレーションがわかないと文章が書けないほどの詩人の血を持った典型的文学青年でした。そういう、私の創作者としての資質と、宗教的な性格を最初に発見して、溺愛してくれたのが指導教授でした。他の院生から見れば依怙贔屓されていると思われたでしょう。

 しばしば飲みに誘われ、プライベートな生活について相談を受けたことも再々あります。また、確かに指導教授にはライオンが子供を谷に落とすように、ハードルを上げて弟子を試す強い個性がありました。例えば修士論文を書くとき、それまで「月刊イメージフォーラム」等に書き溜めた実験映画批評が大量にあったので、それを纏めて「現代実験映画論」にしようと構想していたところ、直前なってから「戦前の小型映画にしてはどうか?」と言われました。さらに、その年に早稲田大学100周年記念と銘打って大きなイベントがありました。その中で私を抜擢し、学部の学生を数人選んでパフォーマンスをすること、出演するプロのアーティストとの連絡役になってアーティストの練習風景を見て早稲田の大隈庭園の場所を決めたり、(これが大きな仕事でしたが、教授が命令したのではなく、途中で私が自分で気づいたのですが、電源を計る役目を自分に課しました)。これは意味が分からないでしょうが、プロのシンセサイザーの演奏と、インスタレーションと、私が中心になるパフォーマンスで使う無線、またそのイベント全体を照らす光源等を計算すると、普段の大隈庭園では使っていない電力をその日だけ使わねばなりません。このイベントには大勢人間がかかわりましたが、私はその電源量が気になり、菓子折りや日本酒を自腹で買って、大隈講堂の電気を管理する担当の人たちに事情を告げ、時間外労働になりますが、この日は夜の○○時まではこの電撃量を使いますので働いてくださいと頼んで歩きました。(私がいい加減なようですが、以外に細かい計算をしますから)。ところがそのパフォーマンスの最高責任者だった知り合いが、最後のリハーサルをしないで本番を迎えるという無茶苦茶なスケジュールを組んでしまいました。

 そこで何が起こったかと言うと、全員が一斉にパフォーマンスを始めると電気量を使いすぎて、私がリーダーとして細かくスコアを作った映像パフォーマンスのために飛ばすワイヤレスマイクが使えなくなりました。つまり、一秒単位で私が指令を出して学生がスライドに画像を映す計画ができなくなり、全員がパニックになり、緻密な計算で作られたスコアが使えず、フリージャズのように出鱈目に映像が映りました。私が頭に来たり失望したり混乱しましたが、指導教授が「元のスコアが分からない人が見ているので、失敗かどうか分からない」と言って慰めてくれました。

 指導教授がハードルを高くしたのは、私を博士課程に入れるための下準備だったことが今になればわかります。

 更に、過去5年間博士課程に進んだ人はいないところ、私を呼び出して「私は浅く広い研究だが、君のように深い研究の仕方をする人間を尊敬している。また研究論文を読むと、トロール漁船のように片っぱしから資料を読みこなして引用しているので、是非とも博士課程に入って欲しいので論文を200枚以上書いてほしい」と耳打ちされました。その時の感動と葛藤はこの「ロータス人づくり企画」というHPの中にある執筆リストの「牧野さんの家の方へ」を読めばわかります。

 結果的に、運命の悪戯か無意識の願望か、修士論文を書いているときにワープロの操作一文字の間違いで計画が壊れてしまい、どうにか修了させてもらいましたが、博士課程には行けず、郷里愛媛に都落ちしました。(省略しますが、そこで自然発生的にできた学習塾が大当たりして、数千万の貯金ができました)。その時に、また指導教授から電話がかかり、「将来は必ず君を大学教授にするので、とりあえず早稲田の非常勤講師になってまた上京してみないか?」と声がかかりました。そこで、私の預金に母親の預金を合わせて今の第一那田ビルを買って、その家賃収集で生活し、自分も家族もこのマンションに住む」という計画を立てて上京したわけです。

 この時も指導教授は驚かれ「経済観念は私よりもはるかに上だ」と言われました。そして、前回書いた事情から絶縁状を出したわけですが、今なら別の行動をとったでしょう。

 指導教授は飲みに連れだしては自分の私生活の悩みなども平気で私に相談し、意見を求めてきました。

 私は恐らくですが、子供のころからの信仰体験と、剣道体験のせいで、あまりにも潔癖症的というか武士的倫理観が出来上がりすぎていたのでしょう。当時は事情を書かずにただ「絶縁状」を出しただけで終わり、またそうするのが潔く、同時に目上の師匠を批判せずに済む唯一の方法だと思いましたが、今思えばこの方法は間違いでした。

 今の私なら、指導教授に電話をかけて、一杯飲みながら話したいことがあります、といって、手紙に書いた内容を口で説明して、チクル方が悪いのではないでしょうか?しかも引用禁止ですから。さらに権威批判をするのが私たちの使命ではないでしょうか、等々酒の勢いを借りて本音で語ります。そうすれば指導教授は必ず理解を示してくれたでしょう。(集団ストーカーでないとすれば、誰がチクったのかはほぼ検討が付いています。私が指導教授に可愛がられて、必ず教授にすると公言されていたので、それを許せないと思った人間のジェラシーが生んだ行動でしょう。ちなみに大学院の学生と言っても、ただのオタクです。モラルがある人の方が珍しく、平気で他人足を引っ張り、論文実績もないのにコネだけでどこかの正教員になっています)。むしろ、私のように指導教授の言われた通り論文を書き、研究実績だけで正教員になるのを待つ人間の方が出世は遅れます。

 ですから、ブログだけを読むといかにも指導教授が悪い人だったかのように思われますが、何しても裏にはまたその裏があり、真相はなかなか見えません。当時そのような大人の(タヌキジジイのような)行動がとれていれば私はとっくにどこかの教授になっているでしょう。

 なお、私の創価批判は非常勤講師の頃から本格的に始まっていました。創価学会批判のバイブルと言われた「創価学会批判の要諦」も、本人訴訟で集団ストーカーを最高裁まで追い詰めたスタートもこの時切っていました。(高知の親友・故田辺浩三が私を評価したのは、アカデミズの中で正面から創価批判をしているのは、田辺が習った日大の北野教授と私だけだから、という理由があります)

 このよう活動をしていることも素直に打ち明けておくべきだったと思います。潔いと感じていても、年齢を経て、人経験を積むと、自分が短慮だったのではないか、とうとう世間知が付いてきます。処世術と言えばマキャベリストのようですが、亀の甲より年の功とはよく言ったものだとつくづく思います。

 今回のブログの文章は無断引用OKです。

 


西条八十 ぼくの帽子、をめぐって(追記)

2018年03月26日 | 芸術・表現

集団ストーカー被害者の方は次のurlを押してください。 http://blog.goo.ne.jp/nadahisashi/e/21522a074264a7eb4afb4fd7df2e6531

 また「春名先生を囲む会」は私のHPに別途ページを作ったので次のURLをクリックしてお読みください。http://w01.tp1.jp/~a920031141/haruna.html に最新の「春名先生を囲む会」の写真をアップロードしています。この会の趣旨と目的に賛同されるかたは毎月第三金曜日の午後七時半から誰でもOKですから夢庵西八王子店(平岡町)に来てください。正面を右に進むと座敷がありますからその座敷で待っています。なお、料金について変更があります。お酒の飲めない人は2千円にしましたのでお酒の飲めない人もぜひ賛同者となって「春名先生を囲む会」で講義を聞いたり、また積極的に講義をして下さい。今後は二回目から講演者に5千円は差し上げます。医療だけでなく歴史や芸術についても講義できるようになりました。私は八王子五行歌会の代表です。賛同される方は私まで電話を下さい。042-634-9230。

私が微笑禅の会(非宗教)を作ったのは日本に10人の見性者が生まれ、10人が協力し合えば世直しが出来ると思ったからです。(ちょうど日本に10人の坂本龍馬が居たら世直しが出来るように)

後、微笑禅の会(非宗教)のネット会報は中止し、年に5千円の護持会費と数度の紙媒体での会報を出すことにします(メールで済ますこともあります)。私がロックフェラーほどの資産家であれば年に5千円の会費は無料にしますが、五行歌の会の主宰・草壁先生の言われる通り、お金を出さないと文化は育たないからです。本当に悟ってみたい人は次のurlをクリックして「見性体験記」をご覧ください。 http://w01.tp1.jp/~a920031141/zen.html             入会された方には「微笑禅入門―実践篇」(DVD)を差し上げます。もちろん会員から質問があれば答えますので私のメルアドまで質問を下さい。レジュメも作らず睡眠時間4時間で即興で語っています。DVDはボリュームを目一杯に上げて聞いて下さい。wasaburo@hb.tp1.jp (クリックしてもメールが開かないのでコピーして宛て先に入れて下さい)

なお、微笑禅の会の口座番号に変更があります。入会手続き入会金なし。会費は年に5千円とし、ゆうちょの以下の振替口座 00130-7-447671 名称「微笑禅の会」に振り込んでください。その際は住所氏名他連絡先、男女の区別を明記して下さい。以上、会員になりたい方はこの口座に会費を振り込りこんで下さい。

また、八王子4中を卒業して多分八王子東高校に進んだ黒澤千宝(旧姓・那田千宝、平成7年生まれ、男)の現況をご存じの方は左下のブックマークにある「ロータス人づくり企画」から入って一番下にあるメールはここへ、から情報をください。

___________________

昨日はこの詩歌に母への怨念のようなものを感じる、と書きましたが、おそらく、帽子とはいたいけな少年時代の純粋な心の象徴だと思います。風が帽子を吹き飛ばした瞬間に何かが起こって作者の少年が消えてしまったのでしょう。映画では、オーソン・ウェルズの「市民ケーン」がそれまでは娯楽だったハリウッド映画に文学のような複雑な内容を与えています。それは作者が最後に「薔薇の蕾」という謎の言葉を残すのですが、少年時代に使っていたソリの裏にあるおそらくメーカーの名前が「薔薇の蕾」でした。新聞王として一世を風靡した主人公が最後に少年時代を回想するという構成は、西城八十の「ぼくの帽子」に通じるものがあります。作詞家として童謡作家として有名な西城八十ですが、心の奥には人には言えないような深い闇を残していたのでしょう。彼は「トミの地獄」という次の詩歌を残しています。一読してみてください。何とも異常な暗さがあり、一説によれば、寺山修司はこの詩歌を読んだために死んだといわれています。

姉は血を吐く、妹(いもと)は火吐く、
可愛いトミノは宝玉(たま)を吐く。
ひとり地獄に落ちゆくトミノ、
地獄くらやみ花も無き。
鞭(むち)で叩くはトミノの姉か、
鞭の朱総(しゅぶさ)が気にかかる。
叩けや叩きやれ叩かずとても、
無間(むげん)地獄はひとつみち。
暗い地獄へ案内(あない)をたのむ、
金の羊に、鶯に。
皮の嚢(ふくろ)にやいくらほど入れよ、
無間地獄の旅支度。
春が来て候(そろ)林に谿(たに)に、
暗い地獄谷七曲り。
籠にや鶯、車にや羊、
可愛いトミノの眼にや涙。
啼けよ、鶯、林の雨に
妹恋しと声かぎり。
啼けば反響(こだま)が地獄にひびき、
狐牡丹の花がさく。
地獄七山七谿めぐる、
可愛いトミノのひとり旅。
地獄ござらばもて来てたもれ、
針の御山(おやま)の留針(とめばり)を。
赤い留針だてにはささぬ、
可愛いトミノのめじるしに。


私と実験映画

2017年11月02日 | 芸術・表現

集団ストーカー被害者の方は次のurlを押してください。 http://blog.goo.ne.jp/nadahisashi/e/21522a074264a7eb4afb4fd7df2e6531

 また「春名先生を囲む会」は私のHPに別途ページを作ったので次のURLをクリックしてお読みください。http://w01.tp1.jp/~a920031141/haruna.html に最新の「春名先生を囲む会」の写真をアップロードしています。この会の趣旨と目的に賛同されるかたは毎月第三金曜日の午後七時半から誰でもOKですから夢庵西八王子店(平岡町)に来てください。正面を右に進むと座敷がありますからその座敷で待っています。なお、料金について変更があります。お酒の飲めない人は2千円にしましたのでお酒の飲めない人もぜひ賛同者となって「春名先生を囲む会」で講義を聞いたり、また積極的に講義をして下さい。今後は二回目から講演者に5千円は差し上げます。医療だけでなく歴史や芸術についても講義できるようになりました。私は八王子五行歌会の代表です。賛同される方は私まで電話を下さい。042-634-9230。

私が微笑禅の会(非宗教)を作ったのは日本に10人の見性者が生まれ、10人が協力し合えば世直しが出来ると思ったからです。(ちょうど日本に10人の坂本龍馬が居たら世直しが出来るように)

今後、微笑禅の会(非宗教)のネット会報は中止し、年に5千円の護持会費と数度の紙媒体での会報を出すことにします(メールで済ますこともあります)。私がロックフェラーほどの資産家であれば年に5千円の会費は無料にしますが、五行歌の会の主宰・草壁先生の言われる通り、お金を出さないと文化は育たないからです。本当に悟ってみたい人は次のurlをクリックして「見性体験記」をご覧ください。 http://w01.tp1.jp/~a920031141/zen.html             入会された方には「微笑禅入門―実践篇」(DVD)を差し上げます。もちろん会員から質問があれば答えますので私のメルアドまで質問を下さい。レジュメも作らず睡眠時間4時間で即興で語っています。DVDはボリュームを目一杯に上げて聞いて下さい。wasaburo@hb.tp1.jp (クリックしてもメールが開かないのでコピーして宛て先に入れて下さい)

なお、微笑禅の会の口座番号に変更があります。入会手続き入会金なし。会費は年に5千円とし、ゆうちょの以下の振替口座 00130-7-447671 名称「微笑禅の会」に振り込んでください。その際は住所氏名他連絡先、男女の区別を明記して下さい。以上、会員になりたい方はこの口座に会費を振り込りこんで下さい。

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私が早稲田大学第一文学部を卒業した後、サラリーマンになるつもりは全く無かったので就職活動は一度もせず、田舎の親からの仕送りで生きる方法を考えた。そこで大学院に進もうと思ったのだが、私が学びたかった最新の詩学は早稲田大学文学部には無かった。今は知らないが当時は明治以前の文学しか教えていなかったからである。そこで、映像詩ならあるだろうと思って、当時の早稲田大学演劇映像専修を調べて見ると、毎年のように30人ほどが受験して合格者はせいぜい3人、合格者ゼロの時もあった。そこで、日大の事務所に行き、事情を話して過去の日大大学院の問題を見せて欲しいと話したところ、事務員が「せっかく早稲田大学を出たのに、日大の大学院に入るのは持ったないので、やはり早稲田の大学院を受験してはどうですか?」と助言を受けた。正論と言えば正論だが、日大の職員がそんなことを言っていいのだろうかと不思議な気分になった。

元々私は映画青年では無かったので、都内にある名画座を見て歩き、いわゆる古典的名画は全て見てメモを取った。そして大学院に合格したわけだが、この時も30人ほどが受験して3人しか合格者がいなかった。そこで私は映像詩を見て回ることになった。当時実験映画と言われる映画を上映するのは中野にあったプランBという地下室か、新宿3丁目にあったイメージフォーラムしかなかった。

そこで、私は両方の映画館を片っ端から見て回りメモを取ることにした。二つの映画館とも私一人かせいぜい2人の観客しかおらず、よく風邪を引いたものである。私が実験映画の本質を理解したのは、名前は忘れたが、プランBでアメリカのアンダーグラウンド映画を特集した時である。その中の一作品は、全く登場人物が出て来ず、家の周りの壁や、土や、蜘蛛や、埃などを露出もデタラメ、以上に速いパンニング(スラッシュパン)、画面のサイズも次から次に変わるという作品だった。おそらくスタン・ブラッケイジの作品だと思うが確信はない。この映画を見て、彼らがやろうとしているのは、通常の美的概念を破壊することだと分かった。私は卒論に「中古天台本覚思想と前衛芸術」というテーマで提出していたので、あらゆる人間が仏になれる凡夫即仏の思想と実験映画の美学が共通していることに気づいた。

大学院二年生になった時、常連になってイメージフォーラムに通っていた時、早稲田の先輩の池田さん(月刊イメージフォーラム誌の編集長)が、IFF(イメージフォーラムフィルムフェスティバル)を見た感想を原稿にしてみないかと声をかけてくれた。その原稿が私の文章が雑誌に載った最初である。それが認められて、自分の好きなタイトルで原稿が書けるようになり、私は「居田伊三雄の聖体示現ー影踏み論ー」という評論文を書かせてもらった。その作品は居田さんが構造映画から脱皮して本格的なシュルレアリスム作品に足を踏み入れた記念碑的作品で、私はイメージフォーラムで何度もこの作品をみて、鳥肌が立った。それほど感動した作品を分析するのは容易なことではない。感動は情動或いは左脳でするものだから、それを分析して右脳に移し翻訳する必要があるからである。

大雑把にその作品を解説すると、作者はカメラだけを持って近くの山の中に入り風景を撮影するのだが、砂が蟻と太陽と比較され、つまり極小のものと極大なものとがアナロジーで並んでいき、また構造映画を潜り抜けた人だけあり、影の構造主値的な分析が行われる。例えば崖に移った作者の影は、実写でも、壁の映像を自宅のスクリーンに映しそこに人影を二重に移して再撮影したものとでは一見同じに見える。

さらに騙し絵(トロンプ・ルイユ)が現れる。突然カエルが雲の上に載り、飛び跳ねるのである。これは土の中に鏡を置いてその上にカエルを探して来て置いて撮影したものである。お金のかかる道具は一切使わず、身近なものを使ってこのようなトリックが出来るとは何という才能だろうと思った。

さらにこの作品には有名な実験映画の場面が10カット以上現れるので、記号論でいうコノテーションの嵐に見舞われる。つまり他の作品の引用により、映像が多義性を獲得するのである。

ざっくりと言えばそのような内容の原稿を書いてイメージフォーラム誌に載せてもらった。これを読んだ藤井晴美氏が「日本の実験映画にやっと本格的な批評家が出てきた」と褒めてもらった。またその原稿をコピーして居田氏本人に送ったところ、13枚もの手紙が帰って来て、「私が左脳で作ったものを那田さんが右脳で分析してくれました」と書いてあった。但し、私が引用として指摘した場面については、3分の1は意識的な引用、3分の1は無意識の引用、3分の1は偶然と書いてあった。これは昔から言われるもので一流の芸術家は万物照応というか、時代と文化を隔てて同じ対象に感動する現象だと分かった。

また、アンダーグラウンド映画の巨匠と言われる金井勝氏の批評も何度も書いて、金井氏から「俺の批評が出来るのは那田ちゃんしかいない」とか「お前は俺のメインマン(レインマンのモジリ)」と言われた。当然居田氏もmixiに私を絶賛する推薦文を書いてくれた。

このようにして私の実験映画批評家としてのスタートは順風満帆に始まったのだが、現在ではイメージフォーラム誌も休刊になり、何よりも、実験映画そのものが成立しない時代になった。これは私が何かの雑誌か研究機関誌に書いたと記憶するが、前衛芸術が成立するには次の3つの構造的要素が必要となる。

1.好景気。2.革命思想。3.安価な機材。

ところが現代はこの3つともがかけている。平成の大不況は終わりそうも無いし、革命思想など地を払ってない、またビデオをパソコン編集するためにはかなりのお金がかかり、以前のように8ミリ映画のような大衆文化ではなくなってしまったからである。

また私は金井氏のHPに寄稿した「愛媛からの手紙」という評論文がある。そこに書いたことは、かなり重要な私の思想をパラダイムシフトしたものだ。まず、当時は軽蔑されていた小型映画から我々も学ぶべきところがある、と小型映画の意義を強調した点である。私は1990年の初頭から戦前の小型映画の研究を行っているが、20年以上遅れて2000年の初頭あたりから映画研究者がこの分野に論文を書き始めた。「映画学」という早稲田大学の雑誌に私は松谷容作氏の論文を徹底的に批判したことがあるように、近年の研究者は実証主義的な研究を徹底せず、自己主張のために事実をゆがめてしまっている。

その話はさておき、私が「愛媛からの手紙」に書いたことは前衛芸術研究、芸術研究のアポリアとして永遠に解けない問題である。というのは、日本で前衛映画が盛んになったのは、戦前の1920年代後半から30年一杯(40年初頭)までと、戦後の60年代から、70年初頭までだが、この当時は前衛映画が若者にとっての流行、メインストリームだった。メインストリームに乗った作品が果たして前衛精神を持っていると言えるだろうか、という難問である。また、もう一つは、一流の芸術家と田舎で釣りをしている老人と、どちらが精神性が高いかは全く分からないという難問である。

「愛媛からの手紙」のテーマは、結論に置いて芸術は過剰なもの(無くても人間は全く困らないもの)であり、趣味と娯楽は構造的に必要なもの、と言うものであった。私を批判するのが大好きな人は、それは当然ではないか、と言うが、これを発見し実証的に証明するのは、リンゴの実が落ちるのを見たニュートンが万有引力の存在を発見したのと同じような大変な発想の転換が必要なのである。

また話が飛ぶが、これらの私の批評と論文をまとめた「早すぎた研究ー戦前の小型映画から戦後の実験映画までー」という本は本来は2~3年前に出版されていた筈である。京都大学大学院の名誉教授が出版社を見つけているにも関わらず、未だに出版されていない。それはこの編集を引き受けた早稲田大学大学院の佐藤洋という人物が1~2年前から何度メールしても電話をしても姿を消してしまったからである。この出版には高価な資料とインタビューが必用なので、私が一人で編集し終わることは出来ない。私は本当に頭に来ながら毎日メールを出しているが全く反応がない。元々気の弱い人間なので、何に忖度しているのだろうと思うが、この人間一人のせいで私の長年の研究成果が未だに世に出ないでいる。本当にダメな人間に編集を頼んだものだと思う。私の研究成果だけでなく、戦前の小型映画作家、戦後の実験映画作家にも、彼のネグレクトは多いな損失であり、到底許すことは出来ない。


私のエッセーに対する講評を公開します。

2017年01月31日 | 芸術・表現

集団ストーカー被害者の方は次のurlを押してください。(決定版が出て既に増補改訂版を購入された方には無料で差し上げました) http://blog.goo.ne.jp/nadahisashi/e/21522a074264a7eb4afb4fd7df2e6531 電子出版される可能性もあることをお知らせします。

 

また「春名先生を囲む会」は私のHPに別途ページを作ったので次のURLをクリックしてお読みください。http://w01.tp1.jp/~a920031141/haruna.html に最新の「春名先生を囲む会」の写真をアップロードしています。この会の趣旨と目的に賛同されるかたは毎月第三金曜日の午後七時半から誰でもOKですから夢庵西八王子店(平岡町)に来てください。正面を右に進むと座敷がありますからその座敷で待っています。なお、料金について変更があります。お酒の飲めない人は2千円にしましたのでお酒の飲めない人もぜひ賛同者となって「春名先生を囲む会」で講義を聞いたり、また積極的に講義をして下さい。(今月の「春名先生を囲む会」は天候不良のために中止となりました)

 

今後、微笑禅の会のネット会報は中止し、年に5千円の護持会日と数度の紙媒体での会報を出すことにします(メールで済ますこともあります)。私がロックフェラーほどの資産家であれば年に5千円の会費は無料にしますが、五行歌の会の主宰・草壁先生の言われる通り、お金を出さないと文化は育たないからです。本当に悟ってみたい人は次のurlをクリックして「見性体験記」をご覧ください。  http://w01.tp1.jp/~a920031141/zen.html                                              入会された方には「微笑禅入門―実践篇」(DVD)を差し上げます。もちろん会員から質問があれば答えますので私のメルアドまで質問を下さい。レジュメも作らず睡眠時間4時間で即興で語っています。DVDはボリュームを目一杯に上げて聞いて下さい。wasaburo@hb.tp1.jp (クリックしてもメールが開かないのでコピーして宛て先に入れて下さい)

なお、微笑禅の会の口座番号に変更があります。入会手続き入会金なし。会費は年に5千円とし、ゆうちょの以下の振替口座 00130-7-447671 名称「微笑禅の会」に振り込むこと。その際は住所氏名他連絡先、男女の区別を明記すること。以上、会員になりたい方はこの口座に会費を振り込んでください。

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私のエッセーに次のような批評がありました。

那田様

お世話になっております。


本件、長らくお待たせしてしまい申し訳ございません。
「子猫に寄せる」拝読いたしました。
僭越ながら、感想をお伝えさせていただきます。


率直に申しますと、とても面白かったです。
スルスルと心に落ちていき、共感できましたのは勿論、
那田様と同じ視点に立っているような感覚に至り、自分でも驚きました。
これほど分かり易く、納得できた内容は久しくございません。

しかし本作は、ご自身を突き放した客観的な視点で書かれています。
特に4~5ページと、最後の
「私は何の感情も無く、突き放して見つめることが出来る」
「今はその非常さを手に入れたことを嬉しく思う」
という言葉には頷くばかりです。
これらが飼い猫のエピソードと共に語られ、非常に読みやすく納得のいく読後感でした。
那田様ご自身の話でありながら、ここまで読み手を意識して書かれているのは素晴らしい才能だと思います。

本作のようなエッセイはもちろん、批評などのジャンルも向いていらっしゃると思いますので、
ぜひ今後もチャレンジしてみてください。

 

よろしくお願いいたします。
 
 

梶井基次郎とは

2016年11月12日 | 芸術・表現

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 梶井 基次郎(かじい もとじろう、1901年明治34年)2月17日 - 1932年昭和7年)3月24日)は、日本の小説家感覚的なものと知的なものが融合した簡潔な描写と詩情豊かな澄明な文体で20篇余りの小品を残し、文壇に認められてまもなく、31歳の若さで肺結核で没した。

 死後次第に評価が高まり、今日では近代日本文学の古典のような位置を占めている。その作品群は心境小説に近く、散策で目にした風景や自らの身辺を題材にした作品が主であるが、日本的自然主義私小説の影響を受けながらも、感覚的詩人的な側面の強い独自の作品を創り出している

梶井基次郎は当時のごくふつうの文学青年の例に漏れず、夏目漱石森鴎外有島武郎志賀直哉などの白樺派大正デカダンス西欧の新しい芸術などの影響を受け、表立っては新しさを誇示するものではなかったが、それにもかかわらず、梶井の残した短編群は珠玉の名品と称され、世代や個性の違う数多くの作家たち(井伏鱒二埴谷雄高吉行淳之介伊藤整武田泰淳中村光夫吉田健一三島由紀夫中村真一郎福永武彦安岡章太郎小島信夫庄野潤三開高健など)から、その魅力を語られ賞讃されている。(wikipediaより)

梶井基次郎の作品は大抵詠んでいますが、先日のブログ「浪人時代、学生時代」に書いたようにとりわけ「檸檬」は彼の代表作でしょう。散文の中に詩的表現が入ることと、一人称の小説(私小説)であることと、貧困、知的、ブルジョア的なものへの反発と憧れがこの小説の中に読み取れます。

詩的表現というのは(私が梶井基次郎風に書けば)、A子は複雑な微笑み方をした、と普通はかくところを、秋になり花弁の端が黄ばんできたバラの花のような、あるいは庇が大きすぎたために日が当たらず育ちの悪い朝顔のような、山陰にありながら瑞々しさが消えてしまったリンドウのようなA子の微笑みがラセン状のキリとなって私の目を刺した。

と言ったような詩的ながらかなりしつこい直喩が見られます。檸檬は文学を目指す人間なら臨書すべき作品であり、彼の作品は一通り読むべきですが、wikipediaを見ても分かるように女性には高い評価をする人がいません。それは小沢一郎と同じで彼の要望が原因だと私は思います。

 

 


小説とは

2016年10月28日 | 芸術・表現

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・小説(novel)は,文学(literature)の一形式である

文学のジャンルには,詩(poetry)・劇(drama)・小説(novel)がある。


・小説には,作者(author)がいる。

初期の文学である,神話(myth)や詩(poetry)(特に,韻文詩)は口伝されていたものを誰かが書き留めたものであるため,作者不詳のものが少なからずある(ギリシャ神話,ホメロスの作品,聖書等)が,小説はその名が表すように(イタリア語 novella;新しい種類の物語)18世紀以降に現れた新しい文学形式であるため,作者不詳のものはほとんどない。


・小説には,語り手(narrator)がいる。

物語の視点(point of view)となる語り手には,「一人称の語り手(first person narrator)」と「三人称の語り手(third person narrator)」がいる。一人称の語り手は,「私は」「僕は」など一人称の代名詞(英語では"I")を地の文で使い,作中人物となる。一人称で書かかれている小説の語り手を,作者自身と混同した感想文などがよくあるが,あくまでも作者と語り手は別人格であり,語り手は作者によって創造された人格(persona)である。ただし,一人称の語り手と作者を限りなく同一視することができる日本の小説を,「私小説(private novel)」という。三人称の語り手には,「全知の語り手(omniscient narrator)」や「信頼できない語り手(unreliable narrator)」」などがいて,作中の出来事や人物の心理などについて全て知っている語り手を「全知の語り手」,何らかの事情で出来事や心理が脱落したり,非常に主観的に語る語り手を「信頼できない語り手」と呼ぶ。


・小説には設定(setting)がある。

設定とは,いわゆる5W1Hのようなことである。いつ,どこで,だれが,なにを,どうしたか,ということである。「いつ」は,小説の時代設定である。SFや歴史小説は,設定が現代ではないことがほとんどである。また,小説が出来事を時間順に提示するとは限らない。例えば,村上春樹の『ノルウェイの森』は,主人公がルフトハンザ航空の飛行機に乗っている場面から始まり,過去を回想する。時間順に提示するならば,主人公は最後に飛行機に乗らなければならない。小説が提示する順に並んだ出来事の連続を「プロット(plot)」といい,それを時間順に並べ替えたものを「ストーリー(story)」と呼ぶ。作者は,ストーリーを考え,それを効果的に読者に提示するためにプロット(plot: たくらみ)を考えるのである。「どこで」は,小説の出来事が起こる場所である。作者に馴染みのある場所であることが多いが,実在する場所に似せた架空の場所であることもある。「だれが」は,登場人物である。その中の,1人もしくは複数が主人公(main character; hero or heroin; protagonist)となる。主人公に対して敵対者(antagonist)が設定されていることが多い。敵対者は,社会的な悪を体現していることが多く,読者は主人公が敵対者を打ち破り,小説の結末(ending, denouement)が社会的な善や幸福に導かれることを期待する。そこで,主人公や主要人物が死なないものを喜劇(comedy),主人公や主要人物が死んで終わるものを悲劇(tragedy)という。シェイクスピアの劇では,喜劇は結婚で終わることが多い。


・小説には読者(readers)がいる。

文学(literature)は,文字(letter)という記号(sign)により作られたテクスト(text:織ったもの)からなる。意味とは,テクストが読者に読まれて初めて生成されるものである。つまり,読者がいなければ小説も存在しないと言ってよい。(物理的には存在するが)しかし,作者が小説を書く時点で,自分の小説がどのように読まれるかを想定するはずである。そして,その通りに読んでくれる読者を「意図された読者(intended reader)」や「理想的読者(ideal reader)」という。しかし,記号の意味は,文化的背景や解釈者によって異なり,1つに定めることはできない。例えば,日本語の「公園」により,街中の小さい公園をイメージする人もいる一方,カナダにあるような広い自然公園も公園である。"Park"という英単語により,日本の四角く,住宅に囲まれた狭い公園を想像する英語話者は少ないかもしれない。つまり,記号の意味は,別の記号に左右され永遠に定めることができない。これをポスト構造主義者(post-structuralist)は「差延(differance)」と呼ぶ。作品を一つの記号と見なす場合,作品の意味は「差延」され1つに定めることはできないということになる。作品が「めでたし,めでたし(happy ending)」で終り,読者に明らかな意味を提示するテクストを「閉ざされたテクスト(closed text)」という。それに対し,読者に明らかな意味を提示せず,作品の意図を曖昧なまま読者に提示し,読者に意味を見出させるテクストを「開かれたテクスト(open text)」という。

http://tutankhame.exblog.jp/11352278/ より 従って詩歌の場合、敢えて意味を一つに絞られないように差延の方法を使います。記号論ではコノテーションと呼ばれます。


詩的とは?

2016年08月07日 | 芸術・表現

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日本の詩とは限らずもっと一般的に、詩とは言葉と言葉の連鎖による新しい世界の構築だと私は思っております。ホーマーの「牛の目をしたヘーレー」や、西脇順三郎の「校長が木に登った」などの例のように、常人には常識的には繋がらない「牛の目」と「ヘーレー」や「校長」と「木登り」のような二つの異質な名詞を羅列してみると、突然目の前に今まで存在しなかった新しい世界が生き生きと顕われてきます。

私は若い頃、このような行為を詩人の想像力の豊かさという形で捉えようとしていました。今では、その捉え方が如何に未熟で非生産的な捉え方だと思うようになって居ります。そうではなく、詩的表現の豊かな方には、抽象化能力があるのだと捉えた方が、的を射ていると思えるようになってきたのです。この世の中に、同じ現象は決してありません。量子力学でよく知られている電子の非区別性にしても、その事象が今起こっているのか、昨日起こったかの区別があります。ですから、ある事象と別は事象の間に存在する違いを指摘することは、誰にでも簡単に出来ることです。ところが我々は、ある価値観に基づいて本質的でない部分を切り落とすという抽象化と呼ばれる行為によって、一件何の脈絡のない二つの事象の間に共通な物や、強い相関を見つけ出すことができます。その抽象化能力の優れている者ほど、一件無関係と見える物の間に、意表を突いた強い相関を見い出し、そして、それを目の前に並べて提示することによって、新しい世界を産み出すことが出来るのです。これを詩人達はやっているのだ、そして、それが詩的表現として感覚されるのだという気に私はなって来たのです。私は自然科学者ですが、今まで何人かの優れて生産的な科学者に巡り会えた経験から、その人達の生産性の高さは、まさにここで言う抽象化をいとも容易くやってのける能力にあるのだと言うことを理解しました。詩人にしても、科学者にしても、その生産的な営みの底に在る物は「抽象化」という鍵言葉で括ることことができる思えるようになったのです。

以上が、私の拙い経験から得た「詩的表現」に対する私の私的な理解です。http://okwave.jp/qa/q4543302.html

尚、これは私の持論ですが、詩的表現を歩くことに例えて見ましょう。仮に近くのスーパーまで歩いていくとすれば、これは単に買い物をするための手段に過ぎませんが、歩くプロ、例えばウォーキングの教師や、舞踏家がスーパーまで彼らの独自の動き方をしたとすれば、単なる手段ではなくそれ自体が独立した芸術表現になります。もっとも私が「愛媛からの手紙」http://w01.tp1.jp/~a920031141/ehimekaranotegami.html で考察したように芸術とは人間が生きる上では過剰なものであり、娯楽や道楽趣味は必須(構造的と言い換えても構いません)で、これがないと人間は重い神経症になってしまいます。

勝海舟は「芸術は国家の飾りである」と言っているように、国が戦争や不況などで余裕がないときには芸術や詩歌が必要ありません。あくまでも国家が平和で芸術を楽しむ余裕が出来た時にこそ意味がある行為になるのでしょう。


「ベオグラード1999」の批評と私とK

2016年07月23日 | 芸術・表現

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Kが私の投稿を6つも停止にしたので、以下の文章が名誉棄損かどうかもう一度書くことにします。

Kの撮った「ベオグラード1999」への辛口批評を以下に紹介します。

加瀬修一(プランナー/ライター)

 初めて『ベオグラード1999』を観た時、これはナショナリズムへの拒絶反応や権力志向への嫌悪、右翼思想に対する批評的なドキュメンタリーというよりも、私小説というか映像詩というか、金子遊という1人の青年の10年間の魂の放浪と総括だと思った。自分史をかつて存在した国家と亡くなった元交際相手を対比して描こうとしながら、上手く噛み合わずギクシャクした感じ、決して器用ではない監督の人柄をよく表していると思う。上映後打ち上げの席で、感想を伝えつつ気になっていたことを聞いた。「ご遺族に許可は取っているんですか?」と。それに対して監督は「まだなんですよ」と答え、僕は「公開を考えているなら、出来るだけ早くきちんとお話をした方がいいですよ。一番大事なことなので」といった。その後宣伝協力として何度もお誘いを頂いたが、僕は性根を据えてやるといえなかった。それは本作が右翼を扱っている作品だからではない。監督がこの作品を通して何を感じ、考え、何を伝えたいのか。ご遺族への対応も含め、その為に具体的に何をしなければならないと思うのか。そこが最後まで聞けなかったからだ。僕は宣伝協力を降りることを選んだ。それから時間も経ち、『ベオグラード1999』は劇場公開されることになった。自主配給・宣伝で公開にこぎつけることがどれだけ大変だったか想像に難くない。そのことは素直に嬉しく思う。今回レビューを書くにあたって久しぶりに観たのだけれど、以前とは編集が随分と変わっていた。このバージョンに落ち着くまでの経緯は色々と聞いている。しかしそれは考え方なので良いとか悪いとかいう問題ではない。選択があるのみだ。彼女の死が大きなきっかけとなって始まった10年の記憶の旅と映画作り。語るべきは大きなことではなく小さなこと。その答えに辿りついたなら、「東京地方裁判所民事第9部にて、「上映禁止」仮処分の取り下げを勝ちとりました」はないんじゃないだろうか。何故争わなければならなかったのか。もちろん手を尽くしてもそうなってしまうこともあるだろう。ただ未だ悲しみの底に沈んでいるご遺族に、監督の意思と制作の意図を説明しきれなかったのだろうか。もっと時間を掛けるという選択肢もあったのではないだろうか。裁判になってしまったことが残念でならない。「東京地方裁判所の検閲により、一部の音声がカットされています」という大仰な文言も、個の問題を公の問題に拡大解釈しているような違和感があった。「彼女は世に出たい人だった。だから彼女は喜んでくれているはずだ。ご遺族もいつかわかってくれると思う」監督はそういった。確かにそうかも知れない。でもね、こうも思う。いまわかってもらうことが大事なんじゃないかって。わかってもらおうとすることが大事なんじゃないかって。音声(彼女の名前と亡くなった理由)が削除され、ピーっと音が入る度になんともいえない気持ちになった。監督に覚悟がないなんて間違ってもいえない。思ってもいない。ただ、僕とは考え方が違う。ご遺族に一日も早く監督の真意が伝わることを切に願う。

http://eigageijutsu.com/article/169458798.html

平澤竹識(「映画芸術」編集部)

 (前略) だが、この作品の中で特に重要な位置を占めている、亡くなった元恋人のあつかい方には疑問を感じた。金子は本作において、「死の原因が自分にもあったのではないか」という問いかけから、十年前の記憶/映像をひもとく構成を採っている。そして、彼女が一水会の職員として働き始めたことが木村を撮影するきっかけになったと語られた後、木村を通して国家や政治の問題に迂回する展開は、それら大きな物語に圧殺される個の問題、政治権力の傍らで命を絶った者たちの追憶へと収斂していく。つまり、彼女のエピソードは起承転結の起と結を担うべく周到に配置されているとともに、体制と対をなす個の象徴としてあつかわれているのだが、そのような構造であるからこそ、ふたりの関係性の不透明さが余計に際立つのである。画面に映し出される元恋人はいつも、カメラの向こうの不特定多数に向けて公の顔を見せており、カメラを持つ金子に対して個の顔をさらけだすことがない。彼女の個が見えなければ当然、彼女に思いを馳せる金子の個を見出すことも難しくなる。本作が個人映画の体裁をまとい、体制と個を対置する構造を持つ以上、被写体と撮影者が結んだ個の関係が映像に記録されていないことは瑕疵となる。ラストで金子が語る言葉が切実な響きをもって聞こえてこないのは、そこに原因があるのだと思う。

http://eigageijutsu.com/article/169458798.html

これだけ見ても「ベオグラード1999」が非人道的な映画だと言うことが分かります。

Kは私がロータス文化学院を構想しているときにスタッフの一人のインテリアコーディネーターのMさんが連れてきました。そして私を主人公にして映画を撮りたいというのでOKを出しました。今は無き三崎町の「金太郎 村」でカメラの前で妻子の失踪に創価学会が関係していることを話すと、義憤に駆られた様子を見せて自ら微笑禅の会に入る、と言いました。

MさんとKと私との3人で田辺浩三が創価学会のスパイという東京工芸大の女の子が撮った私の養神館(合気道の一派です)の基本動作を見たところ、私の頭の部分が切れているので、Kはスパイに違いないと言い、Mさんは私の足の動きに焦点を当てたかったからではないか、と言いました。更に二人の前で、モーツアルトのピアノコンツェルトを一弦琴で演奏したところ二人が拍手したことも覚えていますし、その様子も撮影しています。

ところが暫くして撮影を中断し、微笑禅の会の会費も納めないので電話をしたところ、軽い調子で「お金がないんですよ~」と言いましたがその一方で『フィルムメーカーズ 個人映画のつくり方』を刊行し実験映像作家や研究者たちに原稿を書かせていました。そこでKの変節振りが分かったので、微笑禅の会を除名したわけです。Kは山崎幹夫とも連絡を取りたいというので山崎幹夫のHPを教えたところ、彼はKのメールにうさん臭さを感じて相手にしなかったと聞いています。さすがは微笑禅の会の名誉会員だけあると思ったものです。

「ベオグラード1999」は主義主張の違う相手を主人公にして相手を茶化すとともに、自分の恋人が自殺するまでを冷酷に撮影した映画です。これは「神様の愛い奴」とセルフドキュメンタリーの悪い部分をミックスした映画と言えるでしょう。

更にKは『逸脱の映像 拡張・変容・実験精神』 松本俊夫著 月曜社 2013年の編集者になっていますが、松本先生を囲む勉強会が月に1度あるので、私の研究本の編集を手伝っている佐藤洋に聞いたところでは、松本先生が「逸脱の映像 拡張・変容・実験精神」がKの編集で出版されると言ったときに、顔を曇らせた研究者がいたと聞きました。

Kは松本俊夫や金井勝など大物実験映像作家に近づいてインタビューを行っていますが、私の貢献については、言うまでもなく一言も触れていません。

これらは全て私が体験した事実であり、Kを誹謗中傷する目的で書いているのではありません。Kのような人間が実験映像、自主映画のオピニオンリーダーやオルガナイザーになっている現在は、私が月刊イメージフォーラムの常連執筆者になっていた時代を比べると、地に落ちたとの感慨を抱かざるを得ません。当時ならKのような人間は自然淘汰されたでしょう。今後はKは身を粉にして実験映像、自主映像の向上に向かって努力すべきです。

私は常々言うのですが、日本の実験映像には松本俊夫という理論的な支柱はいたが倫理的な支柱が居なかった、ポストモダニズムは権威主義とハグラカシに終わりました。

呉竹会の事務局長・廣瀬さんのスマホから名刺を交わしたことがある一水会の会長・木村三浩氏に電話をして「ベオグラード1999」に出演した感想を聞いたところ、「一言で言えば腋が甘かった」と言われました。

木村三浩・一水会会長

これらは第三者の批評の引用であり、私が実際に体験した事実であり、映像評論家の先輩としてのKに対する助言です。これらは真実性、公共性、公益性という3要件を満たしているので名誉棄損には当たりません。この記事のどこが名誉棄損になるのでしょうか?愛読者の皆さんはgoo事務局に講義をして下さい!   info@goo.ne.jp (クリックしてもメールは開かないので宛て先にペーストをお願いします)

なお、映画批評を引用したり本当の出来事をブログに書くだけで停止や非表示になるのなら全国のブロガーは何も書けなくなります。またK自身が映画評論家ですからKがgoo事務局を通して行った行為は自縄自縛に他なりません。私は直接Kに次のようなメールを出しましたが未だに返事がありません。そのメールを最後に挙げておきます。

 

Kへ

 

 何度も何度も何度も何度もgoo事務局を使って私のブログの記事に難癖をつけるな。

 

自分の名前や私の批評や他人の批評を隠したいのは、後ろめたい証拠でである。

 

 どうしてもブログの記事を消したければ、何故、私を主人公にして映画を撮りたいと言いながら途中で撮影を中止したのが理由を説明して謝罪せよ。

 

それを読んで納得すればその謝罪文をブログに公表して、お前の名前を全てKに変えてやる。

 

 192-0061
東京都八王子市平岡町20-2
第一那田ビル202
電話:042-634-9230
那田尚史

 

 

 

 


真空の中を鳩は飛ばない

2016年06月07日 | 芸術・表現

集団ストーカー被害者の方は次のurlを押してください。(遂に決定版が出ました。既に増補改訂版を購入された方には無料で差し上げました) http://blog.goo.ne.jp/nadahisashi/e/21522a074264a7eb4afb4fd7df2e6531

決定版は出版される可能性もあることをお知らせします(あまり期待しないでください)。

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また「春名先生を囲む会」は私のHPに別途ページを作ったので次のURLをクリックしてお読みください。(写真を一部入れ替えています)http://w01.tp1.jp/~a920031141/haruna.html 一回目の「春名先生を囲む会」の写真をアップロードしています。この会の趣旨と目的に賛同されるかたは毎月第三金曜日の午後七時半から誰でもOKですから夢庵西八王子店(平岡町)に来てください。正面を右に進むと座敷がありますからその座敷で待っています。なお、料金について変更があります。お酒の飲めない人は2千円にしましたのでお酒の飲めない人もぜひ賛同者となって「春名先生を囲む会」で講義を聞いたり、また積極的に講義をして下さい。

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 今後、微笑禅の会のネット会報は中止し、年に数度の紙媒体での会報を出すことにします。私が小野洋子ほどの資産家であれば年に5千円の会費は無料にしますが、五行歌の会の主宰・草壁先生の言われる通り、お金を出さないと文化は育たないからです。本当に悟ってみたい人は次のurlをクリックして「見性体験記」をご覧ください。http://w01.tp1.jp/~a920031141/zen.html 入会された方には「微笑禅入門―実践篇」(DVD)を差し上げます。もちろん会員から質問があれば答えますので私のメルアドまで質問を下さい。レジュメも作らず睡眠時間4時間で即興で語っています。DVDはボリュームを目一杯に上げて聞いて下さい。wasaburo@hb.tp1.jp(クリックしてもメールが開かないのでコピーして宛て先に入れて下さい)

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「真空の中を鳩は飛ばない」とは私が早稲田大学の学生の時にフランス文学を教えてくれた饗庭孝男教授の言葉である。その意味は抵抗するものがあるからこそ鳩は飛べるのであって、真空のように何もなければ鳩は飛ぶことが出来ない、という意味である。ちなみに饗庭教授はこのようにダンディな風貌をしているために、教室の最前列には女子大生が並んで教授の講義の内容は無視して顔ばかり見ていた。私がノートを覗きこんでみると似顔絵を描いているバカがいた。もう一つ思い出がある。饗庭教授の出したレポートで私が相対性理論のある一部を突き詰めていくと未来が過去に戻ってしまうという不思議な理論について書いたところ、二学期になって突然私に講義をするように言われたことだ。私は宗教というものは死への恐怖から生まれたもので奇跡などありえない、といったようなことを喋ると、饗庭教授は「君の理論は決定論だね。キリスト教でもカソリックのように聖母マリアへの信仰の方が強い。その意味を考えたことがあるのかい」と言われた記憶がある。また出席名簿を取る時の声が小さすぎてよく聞き取れず授業の後に確認に行った思い出もある。饗庭教授が病弱だったのかそれとも小さい声で話すことがダンディだと思っていたのかは分からない。

 

例えばヘアヌードが禁止されていた時には女性の裸を見たいと思うが、禁止が解かれて自由にヌード写真が見られるようになった時には女性に裸に興味を失うということである。

山田詠美の小説を私は読んだことは無いが、人の話によれば黒人との大胆なセックス描写がモチネタの作家のようだ。この人が現れてから女性による性描写が盛んになった。ところが一方で草食系男子と肉食系女子という現象が起こるようになる。これは当たり前のことで、女性は性に対して臆病だと思うからこそ男は女性を口説きたくなるのであり、女性が性欲に飢えていると分かれば男性は女性に関心が無くなってしまうのである。

つまり時代の風潮に逆らうことで優れた学問や芸術、そして生き方が生まれるのである。私が東京工芸大学で「実験映像論」を教えていたときにこのように言って学生を笑わせた記憶がある。つまり現代は性の解放が進み過ぎているので映像の中でも飽きるほど性描写が満ち溢れている。だから前衛芸術を目指そうと思えば、逆に、男は一カ月ほどマスターベーションを我慢するとか、女は結婚するまで処女を貫く、というのが現代における前衛的な生き方だと講義したわけである。

また、戦前で1920年代の後半から30年代にかけて前衛映画が盛んになり、戦後では1960年代から70年代の初頭まで前衛映画が盛んになる。つまり当時は前衛がメインストリームであり反社会的な表現行為では無かった、という逆説的な結論になるのである。大半の人がやっていることに追随するわけだから前衛的要素はゼロということになる(形式的には前衛でも精神的には前衛とは言えないという問題は前衛芸術を研究する上では永遠のテーマ=アポリアになる)

饗庭教授に関しては別の面からも深い思い出がある。それは微笑禅の会の会員の一人が創価学会の幹部が携帯している「文化手帳」を送ってくれたことに発する。その中には文化人の氏名と住所が書かれてあったが、本人は一切公表していないものが含まれていたからである。それを知った私は、饗庭教授、佐藤愛子、津村陽、そして当時二つあった作家協会の会長に電話を掛けて集団訴訟するように持ちかけた。ところがことごとく言い訳をして集団訴訟を断って来たのだった。津村陽とは面白い会話をした。坂本竜馬と中岡慎太郎を斬るのに一秒もかからなかったという意見で合意したのである。つまり私は郷里愛媛にいた時に「竜馬研究会」に所属していて竜馬を斬ったのは今井信郎だと確信していた。今井は京都見回り組の一人で剣、とくに小太刀の達人だった。(彼の生み出した「片手打ち」という技は師匠から禁止されている)。今井は二人の隠れ家を探し当てると見回り組の仲間たちとそのアジトを訪ねて、戸津川村の郷士の名刺を差し出し、「竜馬先生お久しぶり」と名乗ると(今井は竜馬を見たことが無い)、竜馬がチラリと今井の方を見た、その瞬間に後ろ手に持っていた小太刀で竜馬の額を鉢巻斬りにして返す刀で中岡に致命傷を与えたのである。津村陽は居合道の達人だったのでこの話に合意して、全くその通り、一秒もかかっていません、と答えたのであった。

いずれにせよ、文壇で名前を成した人物たちは創価学会の文化手帳がプライバシーの侵害に当たると知っていても集団訴訟に踏み切ることは出来なかったのである。つくづく人間はエスタブリシュメントの中に入ると、本来持っていた虎の牙を抜かれるものだな、と実感したのだった。一人ぐらいは名を成しても体制に反抗する西郷隆盛のような豪傑がいてもいいのではないか、と思う昨今である。


演劇と映像のコンパの違い

2016年05月25日 | 芸術・表現

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また「春名先生を囲む会」は私のHPに別途ページを作ったので次のURLをクリックしてお読みください。http://w01.tp1.jp/~a920031141/haruna.html 一回目の「春名先生を囲む会」の写真をアップロードしています。この会の趣旨と目的に賛同されるかたは毎月第三金曜日の午後七時半から誰でもOKですから夢庵西八王子店(平岡町)に来てください。正面を右に進むと座敷がありますからその座敷で待っています。なお、料金について変更があります。お酒の飲めない人は2千円にしましたのでお酒の飲めない人もぜひ賛同者となって「春名先生を囲む会」で講義を聞いたり、また積極的に講義をして下さい。

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 今後、微笑禅の会のネット会報は中止し、年に数度の紙媒体での会報を出すことにします。私が小野洋子ほどの資産家であれば年に5千円の会費は無料にしますが、五行歌の会の主宰・草壁先生の言われる通り、お金を出さないと文化は育たないからです。本当に悟ってみたい人は次のurlをクリックして「見性体験記」をご覧ください。愛媛の有馬さんもクリックをお願いします。http://w01.tp1.jp/~a920031141/zen.html 入会された方には「微笑禅入門―実践篇」(DVD)を差し上げます。もちろん会員から質問があれば答えますので私のメルアドまで質問を下さい。レジュメも作らず睡眠時間4時間で即興で語っています。DVDはボリュームを目一杯に上げて聞いて下さい。wasaburo@hb.tp1.jp(クリックしてもメールが開かないのでコピーして宛て先に入れて下さい)

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現在はそれぞれが独立しているようだが、私が大学院に入った時は「演劇映像専修」という名前で映画研究を志す人間も必ず演劇の授業を受けねばならなかった。私は中学三年の時に演劇部を作って脚本を書いたり自分で芝居をした経験があるので演劇の授業は面白く聞いたものである。特に歌舞伎研究の第一人者である河竹登志夫先生の授業を受けたのは一生の宝物だと思っている。河竹先生はお酒が飲めるようになり健康になったため酒の摘みや料理に関するエッセーを出している。(『酒は道づれ』南窓社 1983)

大学院生の時も非常勤講師の時も演劇専修の人たちと一緒にコンパに出たが両者には大きな違いがあることに気が付いた。映像専修の人たちはコンパの時間が終わると直ぐに帰ってしまうが、演劇専修の人たちはいつまでも演劇論を戦わせて最後には教授の家まで出かけて朝まで飲み明かすこともあったのである。

映像専修の人間には非常にクールな人が多い。それは映画や映像が所詮は光と影の戯れに過ぎないと思っているからだろう。また、映像研究をしようと思うと膨大な知識が必要なる。映像史や映像理論史だけでなく、カメラやプロジェクターやフィルムの構造まで知らないと(特に構造映画を研究するには)話にならない。今、私の研究本の編集を手伝ってくれている佐藤洋君は、私が小型映画の機材を手元に置いて論文を書いていると思ったらしいが、実は小型映画の資料を片っ端から手書きで映している内に機材の構造が頭の中に入っていたのである。その典型的な論文が映像学に掲載された「小型映画の技術と美的規範について(1929-1932)」である。

また、映像の中身の研究になると、その時代背景はもちろん映画独自の演劇論や音楽論、構図や脚本等々、膨大な知識が必要になる。映画が第八芸術とか第九芸術と呼ばれる所以である。

一方、演劇専修の人たちは「肉体言語」に興味があるので非常に人間臭い人たちが多い。60年代に活躍した大島渚や唐十郎たちが何かあるたびに殴り合いの喧嘩になるのはこのような事情があるからだと思う。

私は崔洋一(日本監督協会理事長)は全く才能のない監督だと思っている。つい先日「刑務所の中」という映画をテレビで放映していたので「レアフィルム批評アーカイブ」に感想を書こうと思って観ていたが途中で消してしまった。カメラワークや構図などは上手くなっているがこれは崔洋一の力ではなくスタッフの力に依るものだろう。やたらに猥褻な言葉を繰り返しテーマも下らないものだった。この反日思想を抱く在日韓国人が日本監督協会の理事長になったのことが不思議でならない。

 


稲垣足穂の話&パチンコ廃止通信

2016年03月31日 | 芸術・表現

集団ストーカー被害者の方は次のurlを押してください。(あと一カ月ほどで決定版が出ます。既に増補改訂版を購入された方には無料で差し上げます。いまのうちに増補改訂版を購入すると非常にお得です。決定版は3千円ですから)http://blog.goo.ne.jp/nadahisashi/e/21522a074264a7eb4afb4fd7df2e6531

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また「春名先生を囲む会」は私のHPに別途ページを作ったので次のURLをクリックしてお読みください。http://w01.tp1.jp/~a920031141/haruna.html 一回目の「春名先生を囲む会」の写真をアップロードしています。

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 今後、微笑禅の会のネット会報は中止し、年に数度の紙媒体での会報を出すことにします。私が小野洋子ほどの資産家であれば5千円の会費は無料にしますが、五行歌の会の主宰・草壁先生の言われる通り、お金を出さないと文化は育たないからです。本当に悟ってみたい人は次のurlをクリックして「見性体験記」をご覧ください。http://w01.tp1.jp/~a920031141/zen.html 入会された方には「微笑禅入門―実践篇」(DVD)を差し上げます。もちろん会員から質問があれば答えますので私のメルアドまで質問を下さい。レジュメも作らず睡眠時間4時間で即興で語っています。DVDはボリュームを目一杯に上げて聞いて下さい。wasaburo@hb.tp1.jp

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昨日集団ストーカーの被害者の方と近くのファミレスで相談を受けました。非常に聡明な美形の方で、話を聞くと大変な被害に会っておられるようです。私は創価学会批判の有名人でもあり創価学会が第一の標的にしていると言われたことのある人間ですから、私には集団ストーカーは危害を加えることはありませんが、むしろ昨日会った被害者のような方への犯罪的行為のほうが多いのでしょう。相談を受けながら考えさせられることが多く有りました。その人の相談を受けている時に、私に向かってガンを飛ばす爺さんがいたのでそのことを彼女に話したら日常茶飯事との答えでした。遠くから会いに来られたのですが大変な毎日を過ごしていることが察せられます。

稲垣足穂についてもう一つ語るべきエピソードがあります。それは来客があった時に、彼は蒲団の中にいて、その布団に入って一緒に横になりなさい、というものです。私は今は軽くなりましたが以前は重いアルコール性肝炎だった時代があります。この病気に罹ると体がだるいためにほとんど横になった状態になってしまいます。稲垣足穂もそのような状態だったのでしょう。

彼の作品について少し述べることにしましょう。これから先は完全に記憶だけで書くので一部間違いがあるかもしれないことを先に述べておきます。

「星を売る店」という作品があったと記憶します。それは主人公が道を歩いていると「星を売る店」と書かれた看板があり、入っていくと小さな蒸気機関車が走っているのですがその燃料が石炭ではなく空に輝く星だった、という物語です。店主にどうやって星を取って来るのかと聞いたところ、非常に長い虫取り網で夜空から星を採っているが、最近はいい星が中々採れなくなった、と答えます。主人公がその星(金平糖のようなもの)を一口食べてみると非常に香ばし香りがした、と書かれてあった筈です。この作品はイマジネーションが極端に強く、その発想は詩人でないと書けません。今時の文学にはこのような詩的小説は全くないと言っていいでしょう。要するに稲垣足穂は天才であったと断言できます。

それから第一回目の日本文学大賞に選ばれた「少年愛の美学」は哲学と散文詩をミックスしたような文章でとても一度読んだだけでは理解できません。私は一時期この作品に憧れて同じような文章を書いていました。大学院に入ってもその癖が残っていたために、何度も書き直しをさせられました。大学院2年目から月刊イメージフォーラムの常連執筆者になった時に、当時編集長だった大学の先輩の池田さんから中学生の女の子に書く手紙だと思って批評を書いて欲しいと言われたことを思い出します。いまは意味さえ分かればいいと思って文章を書いていますがあの頃のような文章を書きたいものだと思います。

稲垣足穂は少年愛の性癖を持っていたようですが実際はバイセクシャルでした。「男は別嬪さんに惚れられるようでないといけない」と言っています。それから彼の言う「宇宙的郷愁」の意図するところは私はよく理解できます。例えば橋の欄干に肘をついて川の流れを見ている半ズボンの少年が目の前にいると想像してください。何となく物悲しく、その時間が永久に続いて欲しいような気分になります。

彼は文学者ながら理系にも強く、非常な抽象癖がありました。抽象化すればストローも土管も同じチューブになります。以前、私が読んだ五行歌に

オムツをした 柔らかいチューブから オムツをした 硬いチューブになって燃やされる 哺乳類ヒト科の一生

というものがありますが、これも抽象化を狙って詠んだものです。また彼は最新の宇宙論を駆使した作品も書いており、またもともと飛行機乗りになりたかったけれど近視でその試験に合格しなかったために、飛行機の話をいくつも書いていますが、何故飛行機が魅力的なのかと言えば、当時の飛行機は墜落するのが当然と思われていたからです。このあたりは彼が死というものに憧れていた傾向を示しています。最後にアル中になって狂死したことは偶然ではありません。

では稲垣足穂の話はこの辺にして、パチンコ廃止通信をご覧ください。

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パチンコ廃止通信 第61号  平成28年3月31日発行   

パチ廃通信 〜パチンコが無い健全な社会へ〜    

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『今こそ在り方を問うべきだ!』
生活保護受給者のパチンコ問題を再考する
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 前号でも記事でも取り扱った大分市の生活保護を巡るパチンコの問題は、世論と逆行し
国と大分県が大分市の対応を取りやめさせるという事態になっている。
これを受け、大分市はこれまでの対応を撤回したという。

【生活保護給付のパチンコで一部停止、大分2市が撤回】
産経新聞 3月17日
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160317-00000073-san-soci

 上記の報道を受け、パチンコ問題に詳しいライターの若宮健氏はFacebookを通じ
『自由なことをするなと言っているのではない。生活保護費で、博打は止めろと言っているのだ。
1日10万円負けるのが、普通になっているパチンコはまさしく博打に違いない。
自殺者から、一家心中まである。この実態を知らないとはい言わせない。』と批判した。
また、この問題をパチンコ業界側の人間の如く擁護したタレント・テリー伊藤氏に対しても
強く批判した。

 世間的には問うまでもない問題であるが、換金を伴うぱちんこ遊技は賭博である。
いくら生活保護者の「文化的生活の一部」だと言っても、景品を換金せず手元に
残すプレーヤーは皆無であろう。

 生活保護受給者は収入が発生した場合、雑所得として申告する義務がある。
この金額がある程度の水準であるとみなされれば、当然生活保護は打ち切られる。

 そして今回の厚生労働省の対応は、賭博行為を黙認するどころか雑所得の申告の受理を怠っている
「証拠隠ぺい」を図っていると言ってもよいくらいである。FXや株では雑所得の申告が必要で、パチンコは
必要ない…そんな都合の良い話は存在しないはずだ。

 賭博及び富くじに関する罪(賭博罪)の保護法益は「勤労の美風」である。
判例については 昭和25年11月22日判決 賭場開張図利の主文を
( http://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/521/054521_hanrei.pdf )参照して頂きたいのだが
主文には『勤労その他正当な原因に因るのでなく、単なる偶然の事情に因り財物の獲得を僥倖せんと
相争うがごときは、国民をして怠惰浪費の弊風を生ぜしめ、健康で文化的な社会の基礎を成す勤労の美風
(憲法二七条一項参照)を害するばかりでなく、甚だしきは暴行、脅迫、殺傷、強窃盗その他の副次的犯罪を
誘発し又は国民経済の機能に重大な障害を与える恐れすらあるのである。』と記載されている。

…すなわち賭博行為は怠惰であり浪費行為でもあり、健康で文化的な社会も勤労の美徳も乱すとしているのである。

 一方で弁護士を含む市民グループが大分市に対し、憲法第25条1項の「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」を
根拠とし、処分を取りやめるように申し入れを行っているという。上記の判例では明確に「健康で文化的な社会の基礎を
成す勤労の美風(憲法二七条一項参照)を害する」と述べているのにも関わらず、である。憲法第25条1項の定義する
「健康で文化的な最低限度の生活」も否定する行為ではなかろうか。
 
 勤労があるからこそ、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利が発生する。

 勤労とは憲法第27条1項によれば「すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負う」とされている。
義務があるからこそ、権利が発生するのである。その義務をやむを得ない事情により果たせない者に対し、救済措置として
生活保護制度が存在するのだ。生活保護法第60条では下記のとおり規定されている。
『被保護者は、常に、能力に応じて勤労に励み、自ら、健康の保持及び増進に努め、収入、支出その他生計の状況を適切に
把握するとともに支出の節約を図り、その他生活の維持及び向上に努めなければならない。』
つまり、受給中は浪費することなく節約に励み生活を維持することを務めよというわけである。

 また、生活保護法第62条に規定される指示等に従う義務においては、最低生活の保障と生活の向上や自立のために必要な
指導・指示をしたときは、これに従わなければならないとされる。
パチンコ依存脱却のケアや措置は、生活保護受給中であれば公の力で強制的に行うことができるのである。
寧ろこの期間を上手く利用しなければ、依存からの脱却は永遠に不可能だ。

以上のこれらの根拠を以て、早急な法改正が必要であると言えるであろう。
答えは単純明快だ。
他に正当性を持った根拠があれば、是非とも反論してもらいたい。

(メルマガ編集部)

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【お知らせ】
『謎の円卓UFO』に当会事務局長・渡邊昇が出演しました。
http://ameblo.jp/free-and-obligation/entry-12137244122.html

パチンコ廃止を求める会発足までのエピソードから、パチンコを取り巻く現在の状況まで幅広く
解説しています。わかりやすく楽しいトーク映像です。是非ご視聴を。

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このアドレスに返信して頂いても返信できなかったり、対応が遅くなる場合がございます。 
メールは編集委員宛でこちらへお願いいたします。 
mary@pachinko-abolition.net 
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皆様へのお願いです【ご家族、ご友人に当会をご紹介ください】 

 下記URLより簡単に入会できます。 
http://www.pachinko-abolition.net/admision/postmail.html 

 twitter向け拡散テンプレート(適宜ご利用下さい) 

 社会の悪害・パチンコを廃絶しましょう!【パチンコ廃止を求める会】 
 無料で登録できます(HN可)【入会がパチンコ廃絶への第一歩!】 
http://www.pachinko-abolition.net/admision/postmail.html 


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【探しております】 
 パチンコ廃止を求める会は、廃止に向けた定義や政策提言を 
作成するため、法曹関係者の会員様を探しております。 
法曹関係者の方は、是非ご協力をお願い致します。 


稲垣足穂について

2016年03月28日 | 芸術・表現

集団ストーカー被害者の方は次のurlを押してください。(あと一カ月ほどで決定版が出ます。既に増補改訂版を購入された方には無料で差し上げます。いまのうちに増補改訂版を購入すると非常にお得です。決定版は3千円ですから)http://blog.goo.ne.jp/nadahisashi/e/21522a074264a7eb4afb4fd7df2e6531

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また「春名先生を囲む会」は私のHPに別途ページを作ったので次のURLをクリックしてお読みください。http://w01.tp1.jp/~a920031141/haruna.html 一回目の「春名先生を囲む会」の写真をアップロードしています。

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 今後、微笑禅の会のネット会報は中止し、年に数度の紙媒体での会報を出すことにします。私が小野洋子ほどの資産家であれば5千円の会費は無料にしますが、五行歌の会の主宰・草壁先生の言われる通り、お金を出さないと文化は育たないからです。本当に悟ってみたい人は次のurlをクリックして「見性体験記」をご覧ください。http://w01.tp1.jp/~a920031141/zen.html 入会された方には「微笑禅入門―実践篇」(DVD)を差し上げます。もちろん会員から質問があれば答えますので私のメルアドまで質問を下さい。レジュメも作らず睡眠時間4時間で即興で語っています。DVDはボリュームを目一杯に上げて聞いて下さい。wasaburo@hb.tp1.jp

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私は小説を読んでいて涙を流したことが確か3回あると思います。一度目は宮澤賢治の「セロ弾きのゴーシュ」、二度目は太宰治の「津軽」のラストシーン、三度目は稲垣足穂の「弥勒」です。弥勒は相当昔に読んだので思い出すことは出来ませんが、貧乏のどん底にある作者が自分こそ次のブッダである弥勒だと気付く精神的にもまた技術的にも壮大なスケールの小説だったと記憶しています。

太宰治や宮沢賢治は有名なので誰でも知っているでしょうが、稲垣足穂は余り知っている人がいないと思うのでここで紹介することにします。彼は三島由紀夫が推薦して1969年『少年愛の美学』 で第1回日本文学大賞を受賞しましたが、テレ隠しでしょう、受賞のパーティには出席せず家の中で大はしゃぎしていました。(これから書くことは全て記憶なので多少の間違いがあるかもしれないことを断っておきます) そして「何故三島は私のところに挨拶に来ないのだ。偽物と見破られるのが怖いのだろう」などと毒づきました。

彼は極貧生活を続けていたので面白いエピソードが幾つかあります。

原稿用紙が無かったので、出版社でボツになった原稿用紙をもらって来て、それを裏返しにして原稿を書いていた。

お金が無くなった時は原稿を書くインクに水を足して質屋に預けた。

鉛筆で原稿を書く時は小学校の周りにあるドブさらいをして短い鉛筆を集め、それをゴムで閉じていた。

風呂に入ってもバスタオルが無いので飼っているネコをそのバスタオルの代わりにして体を拭いた。

井戸の底に猫が落ちて鳴いているときに、稲垣足穂はロープを作って救い出したので周りの人が褒めた時に「以前ネコを殺めて食べたことがあるので、その罪滅ぼしです」と答えた。

最後にはアル中になって狂死したと言われていますが、彼はほとんど資料を用意せず、全て記憶だけで小説やエッセーを書いていました。映画批評も残しています。彼の机には広辞苑が一冊あっただけだと言われています。つまり彼も天才だったというわけです。

私は浪人時代に稲垣足穂の初版本を何冊か持っていましたが転居を繰り返している内に全て無くしてしまいました。今ならヤフオクに出せば相当の値打ちが付いたと思うととても残念です。


シュルレアリスムとは

2016年02月22日 | 芸術・表現

ブログを読む前に集団ストーカー被害者の方は次のurlを押してください。http://blog.goo.ne.jp/nadahisashi/e/21522a074264a7eb4afb4fd7df2e6531

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 また「春名先生を囲む会」は私のHPに別途ページを作ったので次のURLをクリックしてお読みください。http://w01.tp1.jp/~a920031141/haruna.html 

来月の春名先生を囲む会では私が講師となって五行歌の歌会を行いますので、参加される人は http://blog.goo.ne.jp/nadahisashi/e/f4c47ab144a03aef2fe22d51d9c8ddc3 を参考にして五行歌を作って私のメルアドまで送って下さい。題詠(テーマ)は「炎」ですが、この言葉を作品の中に入れても入れなくても構いません。

また一般の人は http://gogyoka.bbs.fc2.com/ この掲示板に投稿をお願いします。

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今後、微笑禅の会のネット会報は中止し、年に数度の紙媒体での会報を出すことにします。私が小野洋子ほどの資産家であれば5千円の会費は無料にしますが、五行歌の会の主宰・草壁先生の言われる通り、お金を出さないと文化は育たないからです。微笑禅の会に興味のある人は次のurlをクリックして「見性体験記」をご覧ください。http://w01.tp1.jp/~a920031141/zen.html 入会された方には「微笑禅入門―実践篇」(DVD)を差し上げます。もちろん会員から質問があれば答えますので私のメルアドまで質問を下さい。DVDはボリュームを目一杯に上げて聞いて下さい。

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「春名先生を囲む会」のレジュメの代わりに以下の文章を残すことにします。

ダダイズムやシュルレアリスムが生まれた要素には三つの原因がある。一つは第一次世界大戦により人類史上初の大殺戮が行われたことによるキリスト教への反発である。つまり人間はいかに生きいかに死ぬかという実存的問題の立脚点が崩壊したことと関係する(タビアーニ兄弟の『サン・ロレンツォの夜』を参照のこと)。もう一つはこれに関して反理性主義、反知性主義の立場に立ったことである。三つめはそれまで尊敬されていた芸術への反発であり、才能や訓練というものに対する不信感である。

徹底的な反芸術の立場に立つのがダダイズムだとすれば、シュルレアリスムはいささか芸術主義的な要素が残っている。

ここでシュルレアリスムの技法を解説する。

*オートマティスム(自動筆記) 一種の「お筆さき」であり、意識せずにものすごいスピードで文章を書くこと(反知性主義の典型と言える)

*ディカルコマニー 例えば紙にインクを垂らしそれを二つ折りにしたり他の紙になすりつけること(偶然性という意味では一種のオートマティスムである。ロールシャッハテストに影響を受けたと言われる)

*フロッタージュ 例えば輪切りにした木の木目の上に紙を置いてそれを鉛筆でなぞる方法(特別な訓練なしに誰にでもリアリズムの絵画を描くことが出来る)

*レディメイド 傘立てなど既に作られ日常品になったものを作品と称するもので徹底的な反芸術主義である。マルセル・デュシャンが便器をさかさまにして展覧会に出したことで知られる。(写真を参照のこと)

*コラージュ 絵具以外の新聞、布、ピン、などなどを貼り付けることで偶然の産物である。

*ディペイズマン(転置) 意外なところに意外なものを置くこと。寺山修司の映画に出て来るように途轍もなく大きなマッチ箱やクギもこの技法の応用である。私は大学で教えていた時に、机の上に椅子を乗せて説明した。つまり、机の下に椅子があるのは意味論的に一貫性があるが、机の上に椅子があるとその一貫性が壊れて不気味な存在に見える。これが不気味に見えるかどうかにより、観客の感受性が問われる。

*オブジェ 英語ではobjectに当たる言葉であり物体と訳されるように、とにかくデタラメなものを集めて「作品」と称すること。

*騙し絵(トロンプ・ルイユ) 要するに錯視図形のことである。ルネ・マグリットの次の絵画を参照のこと。

*優雅な死体(優美な死骸)ゲーム 複数の人間が共同で作品を作ることで個人の知性を超えた、つまり反知性主義の作品が出来る。具体的には4人が、①誰が、②どこで、③何を、④どうした、と文章を作り、それを番号ごとにシャッフルして並べ替えることで、偶然に(優美な屍骸は新しい葡萄酒を飲むだろう)という詩歌が生まれたことに由来する。これは処刑されたキリストが蘇生して新たな教義を説き始める、という暗示にもなっている。

「春名先生を囲む会」ではいずれ、この「優雅な死体ゲーム」を行います。


五行歌とは

2016年02月18日 | 芸術・表現

ブログを読む前に集団ストーカー被害者の方は次のurlを押してください。http://blog.goo.ne.jp/nadahisashi/e/21522a074264a7eb4afb4fd7df2e6531

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 また「春名先生を囲む会」への提案に共鳴される方は私のメルアド wasaburo@hb.tp1.jp までメールを送ってください。特にアイム南の元職員の峯尾さん、殿塚さん(チャーミングな看護婦さんです)(この二人は囲む会に賛同されていました)畑さんはもしこのブログを読んでいたらメールを下さい。ぜひ八王子五行歌会の掲示板に投稿してください。

また上記3名をご存じのかたもメールをお願いします。いよいよ最初の「春名先生を囲む会」の前日になりました。明日は午後7時から平岡町にある夢庵(西八王子店)で一回目の囲む会が開催されます。当日は名刺を交換して自己紹介などを行いましょう。また領収書を用意しますので諸会費として使ってください。

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今後、微笑禅の会のネット会報は中止し、年に数度の紙媒体での会報を出すことにします。私が小野洋子ほどの資産家であれば5千円の会費は無料にしますが、五行歌の会の主宰・草壁先生の言われる通り、お金を出さないと文化は育たないからです。微笑禅の会に興味のある人は次のurlをクリックして「見性体験記」をご覧ください。http://w01.tp1.jp/~a920031141/zen.html 入会された方には「微笑禅入門―実践篇」(DVD)を差し上げます。もちろん会員から質問があれば答えますので私のメルアドまで質問を下さい。

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これから書くことは「春名先生を囲む会」の二回目に私が講師となって五行歌の歌会を開くためのレジュメの代わりです。まだ私の方にはメールで作品が送られていませんから、ぜひこの文章を参考にして下さい。また囲む会に入られてない人も題詠「炎」で作品が出来たら八王子五行歌会の掲示板 http://gogyoka.bbs.fc2.com/ に投稿をお願いします。

五行歌は主宰の草壁先生が発見した新しい詩歌の形式です。世界中に50万人の愛好者がいると言われ、短歌や俳句が滅んでも五行歌だけが生き残ると言われています。また読売新聞の地方版や夕刊フジには五行歌欄が設けられ、必須科目になっている中学校もあるそうです。草壁主宰はよくテレビに出演されるのでご存じ方も多いかと思います。

聖徳太子が遣隋使を派遣してから漢詩が流行しました。特に五言律詩に強い影響を受け、現在の57調が生まれ現在に至っています。例えば李白の漢詩(七言絶句)に

「山中與幽人對酌」

兩人對酌山花開
一杯一杯復一杯
我醉欲眠卿且去
明朝有意抱琴來

というものがあり意味は、山で花を見ながら酒を飲んだ。一杯一杯ぐいぐいと。ちょっと酔ったから、あんたはちょっと席をはずしてくれ。明日の朝気が向いたら琴を持ってきてくれ、といったようなものですが、

「一杯一杯再一杯」の部分を読み下し文にすると「いっぱいいっぱいもういっぱい」となりますが、中国語だと漢字一文字は一音なので「イーペェイーペェツァイイーペぇー」となって7音になります。

57調は単にリズムだけでなく日本人の情緒や思想にも影響を与え続けてきました。しかし聖徳太子以前の古代歌謡は遥かに自由律だったことを証明したのが草壁主宰の書いた「飛鳥の断崖 五行歌の発見です」(草壁主宰と初めてお会いした時にサイン入りのこの本を頂きました)。

聖徳太子以前の古代歌謡(五行歌)として有名なものに日本武尊が詠んだ

大和は国のまほろば たたなずく青垣 山籠れる 大和し麗し

があります。このように古代歌謡は自由律が圧倒的に多く、その原点に回帰しようとするのが五行歌です。

私の好きな草壁主宰の作品は以下の三首です。

息子を                死ぬんなら            枯れ庭の
精神病院に              息子よ              石蕗(つわぶき)の花
入れてきた              殺す気で             人
自分の裏側を               教えたいことも          一人
見捨てるように            あったのだ            佇むほどの明るさ
   

また五行歌の名作として知られているものに

 



















 

 

 

 

脳病






渡辺

 昇
 
などがあり、ご覧のように一行一文字のものがあります。
 
五行歌は五行以外にルールはありませんが、一行が余りにも長いものは見たことはありません。というのは行分けは「呼吸のリズムで」とされているからです。また五行歌は基本的に添削をしません。それはその人にとってその歌は人生の中で必然的に生まれたものであるというヒューマニズムの精神があるからです。
 
また、五行歌は散文ではなく詩歌ですから作品の中に何らかの「詩的なもの」が必要とされます。
問題は「詩的なもの」とそうでないものとの区別です。
 
これは私の持論でもあり、詩学をかじったことのある人なら知っている筈ですが、散文は「死んだ比喩」詩歌は「生きた比喩」と言われます。
 例えば「傘の花が開いた」というのは元々は生きた比喩でした。傘と花との関係は連想のモンタージュですから。しかし余りにも多用されたために死んだ比喩になったわけです。「嬉しい悲鳴」も本来「悲鳴」は恐怖の時に使う表現ですから元々は生きた比喩だったわけです。極端な話、「机の脚」という言葉も最初は机に「足」が生えているような衝撃感を与えていたはずですが、今はその迫力が消えて死んだ比喩になっています。
 
手前みそになりますが、この詩学を応用して作ったのが次の自作です。
 
蝶々が舞い降りて
泣いている二人を
翅でそっと
抱き寄せたまま
蝶番になったよ
 
これは自分が小学校高学年ぐらいの年齢になったつもりで、尚且つ蝶番という死んだ比喩を生きた比喩に蘇えらせようとして作ったものです。こういうのをメタ詩歌といいます。それ以外の理由もありますが割愛しましょう。
 
そこで詩歌には独特の技巧が埋まることになります。
①比喩 比喩(ひゆ)の中で代表的なものが直喩と隠喩です。比喩を直喩(ちょくゆ)と隠喩(いんゆ)というように分けて考えます。2つの区別は簡単で、「~のような」「~のように」「~のようだ」「~のごとく」「~のごとし」などを使ったたとえが直喩で、それらを使わないたとえが隠喩です。直喩とは、「~のような」といった語句を使った直接のたとえであり、隠喩とは「~のような」といった語句を使わない隠されたたとえなのです。
直喩の例
子犬のように甘える・・・甘えている様子を子犬にたとえています。
ひまわりのような太陽・・・太陽をひまわりにたとえています。
竜のごとく暴れる・・・暴れる様子を竜にたとえています。
隠喩の例
ガラスの心・・・壊れやすい繊細な心をガラスのもろさにたとえています。「ガラスのような心」から「ような」を省いて隠喩氏にしています。
小鹿の瞳をした女の子・・・女の子の美しい瞳を、小鹿の黒い瞳でたとえています。これも小鹿の瞳のような女の子と直喩表現で表すことができます。
 
②体言止め 名詞止めとも言われます。文や語句の終わりを、名詞や代名詞といった体言でとめる表現技法です。詩、短歌、俳句で多く用いられます。
体言止めの例
子ども達があこがれる英雄・・・英雄という名詞(体言)で文が終わっているので体言止めです。
さびれた街を吹き抜けていく凍てついた風・・・風という名詞で終わっているので体言止めです。
 
③倒置法 普通の言い方での語句の順番をひっくり返した言い方が倒置法です。
普通の言い方・・・この村にもようやく平和な日々が訪れたのだった。
倒置法での言い方・・・この村にもようやく訪れたのだった、平和な日々が。
普通の言い方だと、「平和な日々が訪れたのだった」となりますが、語句の順番を入れ替えて「訪れたのだった、平和な日々が」としています。主語と述語がひっくり返っていますね。こうした表現が倒置法です。倒置法は、強調したい語句を文の最後に持ってくる表現技法です。
倒置法の例
世界遺産の名に恥ずかしくない眺めですね、秋晴れの日の富士山は。
いったい何をしたというんだ、この少年が。
 
④擬人法 人間でないものを人間にたとえて表しているのが擬人法です。擬人法は比喩の一種です。人間にたとえているのが特徴です。
擬人法の例
風が優しく僕に話しかける・・・人間ではない風が、僕に話しかけるというように、人間にたとえているので、擬人法です。山が眠っている・・・人間ではない山を、眠っているという表現を使って擬人法にたとえています。
 
⑤対句法 対立した意味の語句、反対の意味の語句、類似した意味の語句、対照的な意味の語句を並べることによって、文章に味わいを持たせる表現技法です。
対句法の例
高くそびえ立つ山 低くうずくまる大地・・・「高く」と「低く」、「そびえ立つ」と「うずくまる」、「山」と「大地」という言葉がそれぞれ対(つい)になっていて「高くそびえ立つ山」と「低くうずくまる大地」が対句法になっています。
瞳には希望が満ち、口元には喜びが宿っている・・・「瞳」と「口元」、「希望」と「喜び」、「満ち」と「宿っている」がそれぞれ対になっていて「瞳には希望が満ち」と「口元には喜びが宿っている」が対句法になっています。
 
⑥反復法 同じ語句を繰り返す表現技法です。反復法やリフレインなどとも言います。強調する効果を表します。
繰り返しの例
吹け、吹け、真冬の風よ・・・「吹け、吹け」の部分が繰り返しです。
ドシ、ドシ、歩く ドシ、ドシ、歩く 僕は怒れる巨人だ・・・「ドシ、ドシ、歩く ドシ、ドシ、歩く」が繰り返しです。
 
ほぼ以上ですが、これは中学生レベルの基本的な詩歌の技法でより難解な撞着語法や以前このブログでも紹介した「折句」などもあります。折句とはある単語を五行の頭に置くもので、「はひふへほ」であれば
 
 初めて会ったときから
ひ 引き寄せられていた
ふ 振られても諦めないの
へ 平凡だった毎日が
ほ 炎のように燃えだしてしまったから
 
や、手前みそになりますが、「初日の出」なら
 
は 歯を食いしばるほど
つ 辛いことでも
ひ 日々の努力で
の 乗り越えられる
で 出来上がった時の喜び
 
などがあります。「春名先生を囲む会」に参加されるからはこのブログを参考にしてぜひ来月の歌会までに私までメールで投稿をお願いします。