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よくわかる福音派、ファンダメンタリズム、聖書無誤説

『聖書信仰《上》』(著:藤本満)を読み終わった。福音派やファンダメンタリズムの歴史が丁重に解説されていたので、自分の勉強がてらおおざっぱにまとめておきます。参考にした箇所には Kindle での位置を「位置 + 数字」の形式で書きました。

用語の意味

福音派

福音派と一口に言ってもかなりの幅がある。注意すべきは、ルター派や改革派とならんで「福音派」という教派があるわけではない。むしろ福音派はプロテスタント諸派の中にあって、ルター派や改革派を包括しつつゆるやかな特徴でまとめられるものだ。

ベビントンは福音主義の特色を次のようにまとめている(位置65)。

  1. 回心 ・新生主義
  2. 行動主義 (伝道と慈善)
  3. 聖書主義
  4. 十字架と信仰

回心主義と行動主義は、18世紀の敬虔主義や信仰復興運動から引き継いだ。聖書主義は16世紀の宗教改革のスローガン「聖書のみ」と無関係ではない。とはいえ、宗教改革でルターが言った「聖書のみ」は教会の権威に対立するものとしての問題意識があったが、聖書主義が硬化するにつれて聖書無誤説が生まれていった。

聖書主義は福音派の特徴のひとつだが、福音派内の聖書主義にも揺れや幅がある。新福音主義なんかは聖書無誤説をとらないし、高等批評を受け入れている場合もある。

ところで、福音派を強く批判する人がネットにはいるが、そういう人はたいてい福音派というよりは「ファンダメンタリズム」や「聖書無誤説」を批判している。個人的には「福音派」というと主語が大きすぎると感じる。大鉈振り回して無関係な人までも不要に傷つけたくないなら、批判する対象を明確にしたほうがいいと思う。

高等批評学

聖書の各文書が、いつ、どこで、誰によって書かれたかを決定しようとする学問。要するに聖書を「人間の書」として文献学的に研究する。しばしば伝統的な理解とは異なる結論を出す。パウロの手による手紙とされてきたテモテへの手紙の著者はパウロではなく、無名の誰かがパウロの名を冠して書いただとか。

ファンダメンタリズム

特にアメリカの福音派内での過激な主義。進化論を公教育で教えるべきではないとして裁判を起こしたりする。教理的な主な特徴は以下。

  1. 聖書無誤説
  2. ディスペンセーション主義

19世紀の進化論と高等批評の研究が進むにつれて、それに対する危機感から、態度が硬化していった。ファンダメンタリズムとしては「高等批評に対する反動」と言われるのは嫌なようで、高等批評と無関係に聖書無誤説を支持しているわけではないとされている。が、実のところ19世紀までは現代のファンダメンタリズムほど強固に「字義通りの聖書解釈」をしてはいなかった。天地創造の6日間における1日が文字通り24時間であると考えられるようになったのは、20世紀以降らしい。

聖書無誤説

逐語霊感説ともいう。「聖書は神学的誤りのみならず、歴史的 、地理的 、科学的誤りからも完全にまぬかれている」(位置1932)という考え方。

ファンダメンタリズムの形成

福音派形成の歴史をみると、中心となるのはアメリカだ。19世紀のアメリカ、プリンストン神学校の影響が大きかったようだ。プリンストン神学はカルヴァン派神学の「理性主義的神学的手法とア ・プリオリな聖書信仰」(位置472)の影響を受けて、聖書無誤説をとなえるようになった。はじめは現存する聖書の写本も神の霊感を受けて守られ保存されてきたと考えられてきたが、高等批評学が無視できないほど進むようになると、「原典において」誤りがないと言われるようになった。

あと出しじゃんけんじゃん。

と思った。まあ、ある意味で、高等批評学の成果を取り入れて、聖書の具体的にどの部分が神の霊感を受けているのか範囲を明確にしたとも言える。

1920年代以降になると、聖書無誤説はプリンストン神学からファンダメンタリズムへと道をゆずるようになる(位置520)。そのあと新福音主義とかが出てきて聖書無誤説ではなくもっと柔軟に聖書を読もうよという動きも出てきたが、ファンダメンタリズムはもう引き返せないほど態度硬化して、「聖書無誤説を受け入れない者は福音派と名乗るべきでない」と主張する人まで出てきた。

聖書無誤説の問題点

1. 演繹法

聖書無誤説は簡単な演繹で導かれる。

  1. 神は真理であって 、神の言葉には誤りがない。
  2. 聖書は真理の神の言葉である。
  3. したがって 、聖書(神の言葉)には誤りがない」(以上、位置2004)

演繹から導かれるものである以上、そこから先の論理は聖書を読まなくてもわかる。互いに食い違っている聖書箇所があればそれが調和するように解釈する。どうしても調和できなければ問題を先送りして、原典研究が進めばうまく解釈できるようになると希望をもつ。

だけど、信仰には多分に経験的なところがあるから、経験を無視してはいけないよね。

2. 命題的な読み方

教理を命題として表現する。そこで、いかにして矛盾なく命題を取り出すかという聖書の読み方を重視するようになる。

だけど、聖書はもっと多様な書かれ方をしている。物語的な読み方を見落としてはいけないよね。

3. 理性主義

客観的に、理性をもって聖書を読む。それ自体は良いことだ。個人の感情で好きなように解釈したら変な方向に行くこともあるから。

だけど、人が信仰に入るのってそもそも個人的な恵みの体験から始まるじゃん。体験を軽視してはいけないよね。

4. 排他性

これは聖書無誤説というかファンダメンタリズムの問題点だが、「自分たちの信仰こそが聖書信仰であって 、他のものは凡て自由主義であるという感覚」(位置1941)がある。聖書無誤説が自分たちのグループの正当性を裏付ける決定的な論になるとき、キリストの十字架や復活よりも聖書無誤説を重視することになるまいか。

5. 社会問題からの逃避

演繹的推論と命題的な読み方を組み合わせた結果、現実に社会で起きる問題に対して硬直した原則からしか答えを語れなくなっている。新福音主義はこの辺に問題意識を感じて、現代社会にも通用する神学を提供しようとした。

感想

福音派もファンダメンタリズムもアメリカの歴史的文脈の中で育ってきたものだから、日本で広まるとは限らない。日本は日本の問題意識の中で神学を育てていけたらいいんではないかと漠然と思う。

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