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「西村賢太殺人事件」感想(3、ラスト)

最後に西村賢太を理解するうえでこの書物がいかなる意味を持ちうるのかを考えてみる。

西村賢太の著者についての思いは、唯一言及されている「蝙蝠か燕か」における描写から推し量るしかない。

 その女性とは、同居と云ってもこれは彼の虚室で経てていたわけではない。先方の、きる地方都市に所有する二LDK のマンションの一室で送っていたのである。

 その部屋は彼女の親が所有するものであり、半生は彼女の方も同じ市内にある実家で両親と共に起居し、毎月買多の方から出ばって十日間前後を件の室にて共に過ごすと云うかたちをとっていた。

 当然、貫多の側のみに、甚だ都合の良い同居スタイルである。それを約七年に亘って繰り返していた。

 貫多は公開目的の日記を、所載媒体を転々としながらかれこれ十年程続けているが、元よりそこに自身の生活のすべて本音を詳述するつもりはさらさらないので、先方宅へ急いたときは「帰宅」と記し、自らの住居に帰った際は「帰室」 として寡黙に明確化するにとどめ、いずれこの生活も自分の私小説の題材にしようとの考えを持っていた。件の事実について、打ち合わせと称して飲食を共にする特定少放の編集者にのみその現状を告げていたのは、将来の創作化に備えての布石の意味合いでもある。

 それが、まさかに彼のこのさもしい了見を相手に読まれた為でもあるまいが(そもそも彼女とは、「貫多の創作の愛読者」との触れ込みで知り合って内縁の関係にもなったのだから、いずれ自分が小説のモデルとされることも充分に承知の上のはずだった)、多分に、いくつになっても矯正の利かぬ彼の暴言癖と暴力癖がまたぞろの―実際、性懲りもなくのまたぞろのきっかけとなって、昨年の十月の初めに先方の宅から送り出されて帰京したのちには、全く連絡が取れなくなった。

 いきなりそうなったのではなく、あれで長いこと、互いに修復を探り合いながらの冷戦状態を経てた挙句の仕打ちであった。が、正直その頃には、貫多の方でもかの相手の複雑な精神面にほとほと愛想が尽きており、ラーメン一杯奢るのも癪にさわるような態たらくとなっていた。

 で、こうなっては永きに亘ったかようなママゴト遊びも、もうすっかり片付けねばならぬ頃合となる。

この記述は「西村賢太殺人事件」における事実関係とほとんど完全に符合することから、事実とみなして問題ないと思われる。

そしてこの短い記述の中に、彼女との関係の本質が簡潔かつ的確に纏められている。中でも、「永きに亘ったかようなママゴト遊び」という一言にすべてが凝縮されている気がする。自己を俯瞰して見つめる透徹した眼差しを突き詰めたところからしか生まれ得ない言葉である。一読者として素直に感嘆する。

西村がこの生活をどう私小説の題材にするつもりだったのかを知る縁となるのは、著者が書いている、「痴者の食卓」が二人の生活におけるエピソードを基にしているという事実である(個人的には同タイトルの単行本収録の作品は〈秋恵もの〉の中でも若干弛緩した感じがあり西村作品の中ではそれほど好きではない)。

西村が慢性的な腰痛に悩まされていたことは私小説中にも頻繁に記されており読者には周知の事実だが、この本においても日常生活に支障をきたす様子がさまざまに描写されている。そして毎日湿布を貼り替えたり全身を丁寧にマッサージしたりという著者の献身的な行為は誇張のない事実であろうと思う。

彼女の居宅に滞在している間の食生活も栄養の行き届いたものであったことが窺われ、不健康な食生活に傾きがちな西村の健康面にプラスに寄与していたことは疑いない。

著者と別れて以降、西村の健康が下り坂を転げ落ちるように損なわれていった様子がありありと想像できる。そこからは五四歳での突然死は決して早すぎるとは思われない。

翻って、この著書から西村の作家としての内面を窺うことは困難である。というのも著者は西村の創作活動の邪魔にならないよう常に気を遣い、そのことについてはなるべく触れないよう過ごしていたからであり、それは生活上のパートナーとして賢明なことでもあったろう。

西村は小説の題材は日常から取り入れても外的な他者との対話を通じてアイディアを膨らませるタイプの作家ではなく、孤独な読書と思索による過去の作家との内的な対話を糧に作品世界を構築していたことが再確認できる。

私は著者の手記を読むまでは、西村は彼女との生活は主に創作活動の合間の息抜きに当てているものと思っていたのだが、彼女の居宅でも「布団に腹這い」スタイルで日々執筆に励んでいたと記されている(確かに月の半分近くを岡山で過ごしていたらそっちでも仕事しないと追いつかなかっただろう)。

この本を読むまであまり意識したことがなかったのだが、著者と別れて以降、西村の作品数は激減している。主なものは「雨滴は続く」(「文學界」)の連載だけで、他にはいくつかの短編と中編(「蝙蝠か燕か」)があるのみ。文庫や藤澤清造のアンソロジーを除けば、生前に出た単行本は『瓦礫の死角』(講談社)しかない。

やはり健康面の衰え、創作意欲の減退(単に「干されていた」との話もあるようだが)は著者との生活が完全に破綻し、完全に独り身になったことに起因しているような気がする。「日乗」でも、自分で髪を切ったり、湿布を貼るのに難儀したり、独り身の不便と辛さを嘆いていると思しき表現が散見される。

著者との同棲生活を「永きに亘ったママゴト遊び」と自嘲気味に総括した賢太だが、著者を失った晩年はしみじみと孤独の寂寥を噛み締めていたのではないか。そのあたりの心境を、そして彼女との日々の幸福と諍いを、やはり私小説家自身の筆で記してほしかったとの詮なき思いに囚われざるを得ないのである。