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ふくらく通信

東北人が記す、東北の良さや震災の事、日々のなんだりかんだり。
他所で見る東北の足跡や繋がり、町の今昔や輝きを発信。

南三陸町から石巻市・その1(志津川湾沿い):2012年7月2日の記録

2017-09-18 14:18:11 | 東北被災地の歩み:南三陸・石巻

2012年7月、志津川から海沿いの道を通って、雄勝や女川を回った。

志津川病院前を行き、南へと湾に沿って進む。

昨年には、傷みが激しくて海水が入り込んでいる箇所もあり、通ることが出来なかった道であった。


だが、今年の7月には、その道も片付いていたし、工事に当たる人々の他、交通整理に当たる方もいて通ることが出来た。

土木工事や交通整理にと働く方々に、頭を下げて通る。本当にありがたい。


湾の縁は崩れ、水際が道に迫りやすい。

湾内や周辺の片づけにも、港の整備工事にも時間がかかるから、今は湾岸各地に大型土嚢が積まれている状態だ。

湾岸には、町の欠片が築山のようになって、所々に積まれている。


その向こうにある穏やかな海は、青く澄んで輝き美しい。

普段なら、こんなに素晴らしい海なのだ。


志津川湾には小さな漁港がたくさんある。


今は、養殖用の浮きが並ぶ穏やかな光景が津波の傷跡を和らげるが、あの日は、まるで違う光景があった。


激しく岬にぶつかり迫る波、何とか上った家の屋根ごと志津川湾に流され、駄目かも知れぬと思いながら懸命に耐えて漂い、沖に出して戻ってきた漁船に助けられたという証言もある。


志津川湾は、北側の奥に志津川の市街地があって、南側が「戸倉地区」であった。

陸地は、戸倉の小学校の辺りから東へと張り出す形になり、志津川市街地の対岸辺りに「波伝谷(はでんや)」という地域がある。


そこには、戸倉神社や戸倉漁協があった。


階段の上にある神社の社殿は残っていたが、下は建物の流された跡が見え、漁協もがらんどうになっていて、津波の凄さを思い知る。



海は時に姿を変え、うねりながら陸に乗りあがってしまえば、重くのしかかって町を崩していく。

これから先は、そんな時の海も理解し、命を守れる暮らし方や町づくりが必要だ。

これからも海と人が、良い関係であるように。


石巻線万石浦沿い復旧工事:2012年7月4日の記録

2017-09-16 23:22:04 | 東北被災地の歩み:南三陸・石巻

石巻の東、渡波から女川へと通る道に沿って、湖のように穏やかな内海が広がる。

これが、万石浦である。

渡波港から、川のように狭まって海が繋がっていて、奥で広くなっているのだ。


その万石浦に沿って、線路が見える。 

石巻線だ。

 

震災による津波で壊れたが、万石浦駅の東隣に沢田駅があり、さらに東へ進んで女川に入ると浦宿駅となっていた。

万石浦沿いの線路は、震災後も残っていたが、護岸を強化しながら修復せねば使えない。


線路の復旧は、町の復興計画とも連動し、被害によっては線路の移動も考えられる。

万石浦沿いの復旧は、直ぐには実行できなかった。


ようやく今年(2012年)の3月に復旧計画が出され、渡波から浦宿まで、現状の路線で敷き直しする方針となった。

そして今、線路の修復工事が進められている。 


折立踏切のところで、途切れた線路が見えた。


途切れた線路の先で、土を均して復旧作業に励む様子が見える。

線路はまるで、

「さあ、これからこれから」と、気合の声をかけているみたいだ。



南三陸町:2012年6月の記録(ダンゴウオとクチバシカジカ)

2017-09-16 10:55:40 | 東北被災地の歩み:南三陸・石巻

海の町で生きてきた人々。

今、浜の暮らしを取り戻すため奮闘中。

海の仕事を取り戻すまでに、「色々と、とにかくできることを」と、尽力している。

手仕事で、様々な小間物や雑貨なども作っている。

それを生業にも、励みにもしているのだ。


(伊里前「復幸商店街」の中にある、「うたちゃんショップ」の様子) 


その中に、めんこい飾りがあった。

南三陸町の仮設商店街で売られているものだ。

「ぷにぷに まめだんご」と、名前がついている。


つぶらな瞳と、福々しい姿が、なんともめんこい。

実はこれ、「ダンゴウオ」という、志津川湾に生息する小さな珍しい魚を模したものだ。


もうひとつ、「カラフル クウちゃん」というのもある。

これは、「クチバシカジカ」という、やはり志津川湾に生息する魚だ。


そもそも、小さくて希少種とのことだが、津波の後もダンゴウオの姿が見られたらしい。

さらに、津波で一時は見当たらなかったが、今年になって産卵したクチバシカジカが発見されたという。


今回は、「ダンゴウオ」の福々しさが気に入って、こちらの飾りを買った我が連れ合いは、まるで子どもみたいに嬉しそうにして、直ぐに携帯電話につけていた。


次に行った時は、ちゃんと戻ってきて卵を抱いていたというクチバシカジカを敬い、「クウちゃん」を買おうと思っている。

(「ふくらく通信」手書き版原稿より)


南三陸町 歌津伊里前:2012年6月の記録

2017-09-16 10:13:09 | 東北被災地の歩み:南三陸・石巻

歌津、伊里前の復幸商店街は、暮らしに寄り添う空気がある。

(2012/6/6)

もちろん土産物もあるが、地元の人が、日頃足を運ぶような場所でもある。


マルアラ及川商店さんは、土産物となる加工品だけでなく、 鮮魚も惣菜も用意してあったし、気軽に楽しめる鯛焼きやソフトクリームの売り場も備えていた。


丁度、社長さんがおられ、大変親切に時間を割いて会話に付き合ってくださった。

ふくらく通信 (東北の輝きを発信) 


ここの人々は力強く、浜の暮らしを取り戻そうと早々に立ち上がった。

だが、震災直後は、本当に皆がっくりと力を落とし、初めは漁師さんたちも船に乗りたがらなかったという。


陸で片づけをしていたが、力が入らない。

そろそろ船に乗せたいと思い、及川さんは口にしたという。

「海の片付け」ということで、漁師さんたちに頼み、残った船を出してもらったそうだ。


初めはしぶしぶ乗った人々が、海に出るたびに目に力が甦り、表情が輝いてきたという。

やっぱり、海で育った人々は、海に出て働くのが一番なのだろう。

 

この話が最も心に残り、思い出すたびに涙が滲む。


今、本当に力強く奮闘している人々の輝きを知るだけに、失意に打ち勝つのに、どれほど内にある力を振り絞り、歯を食いしばってきたかを思うと、胸が熱くなるのだ。


そして、その方々の踏ん張りを思うと、こちらも容易でない物事に立ち向かう意気を取り戻す。



輝きを分かち合えば、爽やかで愉快になるものだ。

きっと、明日が今日より良いものになるだろう。


南三陸町さんさん商店街:2012年6月の記録

2017-09-15 22:22:33 | 東北被災地の歩み:南三陸・石巻

だいぶん片付いてはきたが、まだ解体していない建物が残っていて、

壊れた物の破片や廃車なども分別されて積まれていた。(2016/6/6)



そんな中で、海から少し離れた場所に、仮設の商店街が出来ている。


志津川には「南三陸さんさん商店街」が、歌津には「伊里前復幸商店街」がある。


丁度、昼時に志津川に着いた。

ウニたっぷりの「キラキラ丼」が売り出し中だったけれども、ウニも魚もめかぶも乗った海鮮丼を昼餉にした。

 

確かに、新鮮な魚の真ん中で黄金色のウニがよく映え、きらびやかだ。満足。


食後に、一通り廻って土産を買う。

志津川のマダコ、リアスの秘伝笹かまぼこ、わかめロールケーキと、地場の産物を十分に活かした品が手に入った。


マダコは弾力があり、味が濃い。

貝を食べているタコだけに、貝の旨味がその身に染みているようだ。


山内鮮魚店さんでは、秘伝の汁で塩茹でするという。これが、タコの旨味を活かす、絶妙の塩加減だった。

そのまま切って刺身にするが、3分の一は、ぶつ切りにして甘辛く煮てご飯に混ぜ、タコ飯にしてみた。


香り良く、タコの旨味が十分に染みて旨い。

我が連れ合いが、大層喜んだ。


「さんさん商店街」を廻った後、隣の歌津に向かい、「伊里前復幸商店街」に入った。

歌津の伊里前は、かつての集落の背後に田束山(たつがねさん)がある。


流された町の跡で、田束山への道を標す下の斜面に、たくさんの折鶴が飾られているのを見た。

「感謝」がいっぱいに表れ、復興への思いを強くするような光景だった。