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ふくらく通信

東北人が記す、東北の良さや震災の事、日々のなんだりかんだり。
他所で見る東北の足跡や繋がり、町の今昔や輝きを発信。

空き地と再建と:石巻市渡波周辺(2013年2月の記録)

2017-09-28 12:26:12 | 東北被災地の歩み:南三陸・石巻

石巻中心部から、中瀬のすぐ脇の内海橋を渡って女川方面へと進んだ。

八幡、湊、渡波と通っていく。

被災住宅の解体が進んで、空き地も多くなったが、再建された家もある。

工事している所が度々見られ、動きがあって、どことなく活気があるように思える。


所々に屋台のような店が出来ている。

渡波の手前で、そば屋を見かけた。


次に、ツルハ薬局手前で、少し大きな棟になっている商店が建築中なのを見かける。

まだ表の大看板は真っ白だったが、店舗の部分を見ると、「銀だこ」の看板があった。

「銀だこ」の隣は、窓の貼り紙からしてラーメン屋らしい。


近くのヤマト屋書店は、壊れたままで解体を待つ。


空き地と再建住宅とが入り混じる渡波。


道沿いに、小さな食堂が出来ていた。


商いは、人と人との関わりである。

物と人とが、商いによって繫がれていく。


被災地の人々も、他所から仕事に来た人も、現地に再建された店で同じひと時を過ごす。

何気ないやりとりが、誰かを楽しませることもある。

そうやって、町に活気や笑顔が増えていくかもしれない。


被災地に出来た小さな店は、そんな力の一つだと思う。

だから、被災で一つまた一つと店を見つけると、心地よく風が吹き抜けるように、心の中を嬉しさが通っていくのであった。


残されたものの記憶:石巻市八幡~湊(2013年2月の記録)

2017-09-28 12:10:45 | 東北被災地の歩み:南三陸・石巻

石巻の中心部から、石ノ森萬画館を右手に見て橋を渡る。

内海橋沿いの遊歩道は、まだ壊れたままだ。

「満潮時には冠水するため立ち入り禁止」という札が立っている。



橋を渡った先は八幡地区。

歩道橋に差し掛かると、階段の途中に付いている信号のすぐ脇に、「東日本大震災 津波浸水ここまで」の表示があった。

(↓八幡町歩道橋:奥の階段で信号機脇に表示がある)

 

もう少し進むと湊地区となる。

湊歩道橋の脇には湊小学校がある。

建物や校庭を見ると、津波被害を受けたことが察せられる様子で残っている。

(↓湊歩道橋と、左脇に湊小学校)


校舎は1階天井まで浸水し、体育館も床上3メートル津波到達と記録されていた。

(調査:日本建築学会 記載文書:教育委員会学校復旧計画)


震災当時、湊小学校は避難所として使われた。

震災直後には1400人ほど避難し、津波が来るからと2階へ移動を指示したため、逃げおおせたという証言がある。(大阪市コミュニティ協会の現地調査)


その後も避難所として人々が宿泊し、市の調査では470名ほどが滞在していたという。

そこでは、様々な人々の思いと人生が交錯した数ヶ月の暮らしが撮影され、記録映画として残されているそうだ。


あの日から明日で2年。


今も残されている物は、あの日から始まった苦難と、助け合い、踏ん張って輝く人々と共にあった。

そして、通りかかる人々に、その記憶を伝えているように思える。


静と動:石巻中心部(2013年2月19日の記録)

2017-09-28 11:31:58 | 東北被災地の歩み:南三陸・石巻

震災後に、あらかた片付いた商店街は、一見、今もあまり変わりは無い。

なぜかというと、実は再開発に向けて準備中なのである。

(2011年10月:立町2丁目大通り↓)

 

(2013年2月↓)


(2011年10月:西内海橋前↓)


 (2013年2月↓)



計画を立てて動き出しているところや、修繕して再開した店舗もあり、石ノ森萬画館も再開している。


町の中で、ひと際目を引く美しい古い洋館風の建物は、「旧観かん慶けい丸まる商店」だ。

昭和5年に建てられたという観慶丸は、震災と津波で被害を受けたものの倒壊せず、文化財として保存する活動が進められている。


(↓2011年10月:中央3丁目「旧観慶丸商店」)

1階部分が浸水したため、窓や扉が覆われふさがれていた。

 (2013年2月↓)現在、1階部分が「復興ステーション」として使われている。 


石ノ森萬画館のある中瀬は、2011年10月には水浸しになっていた所もあった。

 

(2011年10月↑)

ある程度の整備はされているが、今も満潮や天候による冠水の心配が解消したわけでなく、地盤沈下の対策が必要らしい。


中瀬は、石ノ森萬画館を主軸にして整備される「中瀬公園計画」が出ており、それに伴い調査や設計が行われているようだ。


中瀬には石ノ森萬画館だけでなく、もう一つ保存活動が進められている文化財がある。

漫画館の向かいにある、国内最古の木造教会というハリストス教会だ。

これも今、保護のために覆いがかけられている。


(↓2011年萬画館とハリストス教会)


(2013年2月↓)


(↓2013年2月覆いのかけられたハリストス教会)


(↓2011年10月:ハリストス教会)


***明治13年建築で、1978年の宮城県沖地震で損傷したが、その後に中瀬公園に移築された建築物。

窓は割れ、白壁が所々剥がれて正面の扉が失われているが、かろうじて外観は残っていた。

2度の震災にも、この美しい建築物は、傷みながらも耐えて残った。***


また、中瀬は震災前に、北日本海事社(現在はNOMCO&COMPANY:松島の干支記念館を作った会社)が、町の活性化のために公園と施設を配した開発計画を立てていた。

色々あって変更となったが、計画の一つとして作られた自由の女神像が残っている。


(↓2011年10月中瀬の女神像:凛と立つその横腹に穴が開いていた)


(↓2013年2月中瀬の中央にまだ立っている)



中央から中瀬へと渡る橋の手前に、川沿いに細い通りがある。そこを進むと、新たな堤防が設けられ、反対側には「石巻まちなか復興マルシェ」が出来ている。

(2013年2月↓)


飲食や土産物販売、催しなどを行い、憩いの場にしたいと作られた市場だ。


仮設の商店街は立町大通りにもあり、少しずつ中心部にも人の集える場が戻りつつある。


静かに残っている建物も、これから大きな変化があるだろう。

今の石巻市街地は、再開発という大きな動きを前に静かに待っている所と、動き始めている所とが混在している。

 

繋がった線路、新しい踏切(石巻線):2013年2月19日の記録

2017-09-24 17:26:54 | 東北被災地の歩み:南三陸・石巻

石巻の沿岸を通る石巻線は、渡波駅を出て沢田駅あたりから万石浦に沿って進む。

渡波から浦宿までの区間で、ずっと運行再開に向けて復旧の努力がなされてきたが、いよいよ再開予定の2013年3月16日まで1ヶ月をきった。


前年は、折立踏み切りで線路を取り外して工事しているのを見たが、今は、もっと明るさを増した光景がそこにある。

(↓2012年7月折立踏切:線路が切れている)

 

新しい砂利が盛られ、新たに線路や踏み切りが設置されていた。

(↓2013年2月:沢田側から見た折立踏切)


なんだか、新しい命が吹き込まれたみたいだ。


(2012年7月折立↓)

(2013年2月↓)

 

折立辺りでは、道から所々で万石浦が見えるが、その銀色の水面を背後に、線路の脇には土嚢が積まれている。

今後は、海面基準から2.6メートル高い堤防が作られる予定だ。


寒風の中、線路内で作業員の方々が働いている。

きっと、日々の暮らしや仕事や旅など、いろんな人生の一場面を乗せて走る列車と、乗客を思いながら尽力しているのだろう。

いろんな努力が集まってできる鉄道。

再開が楽しみだ。


少しずつ変わる石巻市街:2013年2月19日の記録

2017-09-24 15:13:04 | 東北被災地の歩み:南三陸・石巻

かつて、葛西清経が城を構えたという石巻の日和山。

如月の風はさすがに冷たく、市街地にあれども海と川を眼下にした山であることを思い知った。

日和山公園の展望場所に立ち、かじかむ手で写真機を構える。

昨年は、桜の頃にここから海と町を眺めた。


昨年4月と比べて、大きく変わったわけではなく、やはり傷んだ海岸沿いの寒々しい風景が広がる。

(2012年4月日和大橋付近↓:右端の白い建物は石巻私立病院)


(2013年2月↓)


それでも、町全体を一つ一つ良く見ると、少し違っているのが分る。

北上川方面を見ると、対岸の川口町は、工場や魚類冷凍冷蔵庫などの間にいくつか残っていた住宅が無くなっていた。解体が進んだのだ。

(2012年4月:川口町鈴木造船所辺り↓)


(2013年2月19日↓)

 

鈴木造船所の近く、青い囲いと川ふちにある「震災廃棄物仮置き場」だが、前年はまるで造成地のように積まれていたものが、その10か月後には随分減っている。

(2012年4月↓)


(2013年2月19日↓)

 

 

川を左手に右側へ目を移すと、石巻湾に沿った南浜町が見える。今では空き地だらけだ。

昨年残っていた茶色い屋根の2階建てと、青い屋根の3階建ての集合住宅も解体されていた。

(2012年4月↓)


(2013年2月↓)

 

に沿って、長く堤防のように積まれていた町の破片が、今は片付いている。

変わって、護岸のために白い土嚢が積まれているのが見えた。

(2012年4月石巻湾沿い↓)

 

(2013年2月↓)


少しずつ、少しずつ、新たな町へと向かって動いている。