本当に悪だと思うこと
「成長」とか「自己改善」とかいう言葉が本当に嫌い。
タイプ論にはそんな概念が付きもので、本当にうんざりする。どう使うか、活かすか否かはその人次第なのに。
私はその言葉に散々苦しめられた。トラウマでしかないし、このままそれを使い続ければ同じように誰かを苦しめることになるだろう。
下の兄弟と比べられて、「〇〇はきちんとしてるのに莉乃は〜」という事はいつも言われる。親は私を悪いものと見なしたいから、その歪んだレンズで見れば逆は決して見つけられないんだよね。
比べられて良かった事なんてないし、性格面で褒められた事もない。
だから私は自分の内面という汚いものを極力見たくないし、極力隠そうとする。
消してしまえば、何もない。不純物を埋め込められるより余程マシ。
なんで、自分が誰かのための理想にならないといけないのかが分からない。
前もこんな話したけど、誰かにコントロールとか内面を “改造” させられるのが一番無理。
「成長して」と言うことは
「今のままのあなたには魅力がない」と言っているのと同じ。
だから私は「人を良くする」と称して誰かを悪く言う人々が嫌い。
「もっと良くなりなさい」って「思い通りになりなさい」と同じ。
それが「自分の思い通り」でも「世間の思い通り」でも、人数が違うだけで何かを強制しようとしているのには変わりない。
こんな事言ったら変かもしれないけど、
なんで良くならなきゃいけないの?
なんで「悪い」ままだといけないの?
誰かにとっての「悪い」は私にとって「良い」ことである時もあるし、その自分の価値観をわざわざ変えなきゃいけない必要性が分からない。
どう思うも自由だろ。統一を無駄に求めようとしなくて良い。そんなこと絶対に無理だから。
人々が批判し合う世界は本当に疲れる。
どうして人は誰かを悪く言うことで自分は悪くないと思おうとするの?
みんな、それぞれの考え方があって当たり前なのに、人はどれが理想的でどれが堕落しているかという概念を作り出そうとする。そのみんなが考えた善悪の善側に立つだけで、とにかく自分は大丈夫だと思おうとする。誰かが「悪い」と呼ばれることをしていたら、それを直せと説教する事でその人は立派だと言われる。本当にわけが分からない。
私には本当の悪は人を変えようとする側だと思うよ。独善的、というか。
もちろん、人に危害を加えたり嫌がらせするのは悪い事だけど、自分自身が「こうやって生きていこう」と決めた事に「それは間違ってる。あなたはこう思うべきじゃない?」って言うのは本当に煩い。
規範を作って、それに従えない誰かを皆で非難のターゲットにして、それのどこが良いことなんだろう?
私には理解できない。理解したくもない。
ただの酷いやつだ。
私は従わない。集団で愚かなことをやる一員にはならない。
自分で本当に良いものを見つける、それが人生の使命だと思ってるから。合わなくて当然。


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