男と女――金子と森の場合(Ⅺ)
この場面より前、家のなかではどんなやりとりがあったのか。「青春の放浪」では――
「部屋を出ていく時、隅っこに放り出してある赤い日傘に気がついて、それを小脇にかかえた。狭い廊下を降りたところに、厠があった。半開きになった扉から、いきなり定一の声がとんできた。
「喧嘩しちゃえよ」
「ええ」
一寸立止まってためらってから、私は、駒下駄に素足を下した。
いつもの黒縁眼鏡の奥で人なつっこそうな目をしばたたいている心平が、借りもののような分別顔をして、裏口の羽目にもたれながら、刺すように私を見た。
「会う? そのほうがいいよ」
「金子は、どこにいるの」
私は、その辺を見回した。
「石の橋の袂に待たしてあるんだ」」
森三千代が土方定一と最初に会ったのは、先に述べたように、彼が金子に会いに草野心平と訪ねてきたときだった。それから顔を合わせる機会はなく、処女詩集を出してから、詩人の集まりに出席するようになり、新宿の紀伊国屋の二階であった会合で、土方と再会した。金子が上海に出かけてしばらく経ったときだった。社会主義思想が日本の若者の心情を揺さぶっていた時代であり、森も真実を追求したいという熱意にかられていた。そんな自分の勉強を助け、何かを教えてくれる者を欲していた。だが金子は一つの主義にかぶれることを極端に嫌っており、意識して彼らの議論からは遠ざかっていた。それが森には不満だった。そんな心境ああるとき土方と再会したのである。土方はクロポトキンなどの本をよく読んでおり、若い労働者とも交流があり、サンディカリズムを信じているようだった。彼女は土方に再会した二日後に、過去と決別するつもりで、丸の内の美容院で髪を切って断髪になった。土方は彼女にとって、新たな思想への導き手と同時に恋人になった。
「青春の放浪」の文章はこう続く。
「五月はじめの日盛りは、じとじとと汗ばむほどだった。私は日傘をひらいて、ほこりっぽい道を歩き出した。空地をへだてて三軒、五軒としか家の建っていない、そこは盛り場から遠い場末の郊外の、うらぶれた一画であった。麦畑がひらけたところに小さな石橋があった。待ちくたびれているらしい金子の姿を、私はすぐに見つけた。私は、肩にのせた日傘の柄をくるくるまわし、舞台でも踏むような気組で、わざとのろのろと近づいていった。会えばどうという目算はなにもなかったが、さしあたりせめられるのが怖かった。急に動悸が打ちはじめた。私は、無理に笑顔をつくった。金子も眩しそうな笑顔をうかべ橋のそばをはなれて、二足ばかり前に出た。
「どうしたい」
彼の口癖の舌のねばったような言いかただった。
金子は、床屋へ行って来たばかりの、めずらしくさっぱりした頭をして、窮屈な位きっちりしたモーニングに縞ズボンをはき、葬式にでも参列するような恰好をしていた。二人は並んで歩き出した。
「いつ、帰ったの?」
「東京へ着いたのは三日前だ」
「この居どころ、心平さんが知らせに行ったの?」
「いや、いないから方々さがしたんだよ。心平が知っているらしいときいて、今朝起きぬけをおそって、無理に連れて来てもらったんだ。心平さん、大分、迷惑だったらしい」
「みんな知ってるのね?」
金子は、答えをしぶって、もみ苦茶な顔をしたが、「きいたよ。それで、つまり、幸福なんだね?」と、ふれるのがこわごわなしどろな言いかたをした。
「幸福?」
考えてもいなかったことなので、私はどぎまぎした。――やはり、幸福なんてことが問題なんだ、金子でも。幸福でないとは言いたくなかったが、つい、
「さあ。幸福でもないわね」
迎合する調子で言ってしまった。
「一度帰らないか。そんなら」
私の心を金子は濡れた手でさぐった。
「一度?」と私は問い返した。一度という意味がはっきりしなかった。
「坊やも淋しがってるしな」
彼がひとりごとのようにつぶやくのを、私は聞き咎めて、
「連れて来たのね」
ほとんど殺気立ってたずねた。
「うん、上海からの帰りに長崎の家へ寄ったから、当然つけてよこしたわけさ」
金子は、悪いことでもしたかのように気を兼ねた。(中略)
・・・子供をつれて来るとははじめからわかっていたが、無理にそれを考えまいと努め、考えなければそれですむようにさえ思ってきた。だが一度考えがそこへゆけば、つけた紐でたぐられて、ばたばたと崩れるように引き寄せられてしまう。子供の肌のやわらかい、しめっぽい触感、つかんではなさない小さな手の手ごたえ、眠りこけた頭のぐらりとなった重たさ、折角忘れていたそれらの感覚が、なつかしさが、一時に堰を切って奔騰して私の記憶にかえって来た。」(「青春の放浪」)(続)