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トゥ・リアへの道 (HP準備用暫定ブログ)

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金剛乗とは?

2007-10-26 14:48:21 | Weblog
密教とは?

実を言うと、インド仏教・チベット仏教には「密教」という言葉はありません。
相当するのは、ヴァジュラヤーナ(金剛乗)・マハーヤーナ(大乗)等ですが、厳密には意味が違います。
では、密教とは何なのかというと「教理と行に呪術的、具象的表現を伴う仏教」とでも言うのが正しいでしょうか。
顕教・密教の違いを、空海は「顕教は人の世界の理性的な原因の世界
密教は仏の世界の不思議な結果の世界(因分可、因分不可)」と定義しています。
したがって、大乗に対する小乗的な扱いとは異なり、密教では、総じて顕教を重んじています。
某三下師の言われるような「顕教の定義で密教を語ることはできない」は完全に間違い。
また先日書いた「勝義諦と世俗諦 はまったく別のものか?」で書いたように、究極の真理である勝義諦(仮にこれを密教と当てはめるなら)と真実である世俗諦(これを顕教)はお互いがなければ存在しえないもの。と言えます(だいいち、密教は顕教の中から生まれてきている)

ちなみに

チベットへの仏教伝来は日本よりも少し遅れて(数世紀)、である。
その意味ではチベット仏教はまだまだ未整理の仏教でもあり混沌とした部分がある(麻原はそこに目をつけて利用したように思う)
遅れて導入されたからこそまだまだパワーを残した仏教でもあると思う。
(ここも麻原がチベット仏教を教義に取り込んだ理由であろう。しかしながら邪心あるものはそのパワーに振り回される。結果そうなっている)
パワーはある意味無くてもいいのだ。

さらに言えば、

まだまだ混沌としているが故に悪用しやすいチベット密教は正しいラマについて修されるべきものです。
少なくても今の段階で元や現役オウム関係者でチベット仏教の正しい理解、この基礎さえ出来てる人は絶無です。