九十九里浜です!80年前、米軍の上陸地点と予想され迎撃体制を整えたかつての場所はいま、平和な海水浴場になった。
実は、本土決戦は「ソ連を信頼して計画」された。馬鹿な話じゃろ!対ソ戦の人員兵器を日本に持ってきたんだから。終戦はソ連参戦で起き原爆投下は無関係だという真実を話したい!
アメリカ軍は、沖縄を占領したあと、1945年秋に鹿児島県に上陸し、1946年春に千葉県に上陸する作戦を立てていた。
日本もこれを予想し、根こそぎ動員といい、迎撃体制を整えていた。
じゃあ、あの戦争末期にどこから軍隊や兵器を持ってくるのか?
関東軍、つまり対ソ戦のための兵力を日本本土に移動させていた。
日本はアメリカと戦争をしていたが、
全力でやったわけではなく、中国、ソ連、アメリカイギリスと三分割して戦っていたわけだ。
さて、1945年春から数ヶ月かけて、対ソ戦の兵力が移動していることはソ連に筒抜けだった。
にもかかわらず、日本の軍部はソ連を信頼していたんだな。
「中立条約を締結しているから裏切らない」と。
馬鹿丸出し。
どんなに勉強ができても、発達障害だとすぐ他人を信用するからな。
条約に書いてあるから約束が守られる、と本気で信じて、防衛力をせっせと無くしたわけだな。
馬鹿丸出し!
まあ歴史的に武家公家は発達障害が生まれてなんかやらかすと、
どんな些細なことでも、すぐに白装束を着せたから遺伝的に発達はいないんだが、
農村だと発達だろうとなんだろうと労働力になるからな。
そんな農村から勉強ができるというだけで軍の幹部に昇進できる民主的システムだったのが大日本帝国陸海軍だ。
全員無邪気にソ連を信じて誰も疑わなかった背景がここにあると思う。
(石破・岸田にも通じる話だな)
こうして、1945年8月8日23時に駐ソ大使の佐藤尚武が、
ソ連側から宣戦布告を受け取り、8月9日午前0時前後から総攻撃が始まった。
すると翌朝10時にはもう終戦の会議をしろ、ということになる。
長崎原爆の1時間前だった。
ところが8月6日朝に広島原爆が投下されても、
終戦という動きは全く出てこない。
あの爆弾が一体なにか、写真フィルムが感光したことから核兵器を疑い、
京大からガイガーカウンターを持ってきて調べ、
軍部は国民に向けて、核攻撃されたときの防備方法などの伝達に勤しんだ。
当然だよな。
当時の原爆は戦術核であり戦争に影響をあまり与えない理由は明白だった。
①山岳部に原爆を落としても効果はあまりない。あくまで平野の都市だけに有効
②高度を落として投下するため迎撃可能。実際に小倉への攻撃は防空戦隊で迎撃し、高射砲部隊がボックスカー(原爆投下機)の四つあるうちのエンジンの一つを破壊。
③そもそも連発できない。
これらの理由から広島原爆は戦争終結に影響しなかったが、ソ連参戦は話が違う。
本土決戦の計画そのものが瓦解したわけだ。
こうして終戦になる。
そもそも2発の原爆は約30万人を殺したが、ソ連参戦は約40万人の日本人を殺している(未帰還人数)
にもかかわらず、なぜ原爆が戦争を終わらせたというデマが流れたのか?
それは「共産主義に手柄をたてさせない」という占領政策だった。
ソ連のおかげで日本を倒せたならば、北海道が戦後処理でソ連領になっていたかもしれん。
やむを得ず原爆を過大評価せざるを得なかった。
だがな!
1番頭に来るのは長崎原爆よ。
すでにポツダム宣言を受諾する意思を持った日本に対してなぜ落としたか。
広島はガンバレル式ウラニウム原爆といい、ナチスドイツが研究していた種類と同型のもの。
長崎はインプルージョン式プルトニウム原爆といい、アメリカが核実験に成功していたもの。
ちゃんと使い分けて威力を人体実験したわけだ。
日本はな、韓国とは違い、条約で解決したものについてグダグダ言わない。
だがな!南京だの慰安婦だのいまだ言うなら、こちらも言わざるを得なくなることを忘れるな!
戦争は80年前に終わった?
いいや!まだ終わってないからこんなことになって石破茂が80年談話を出すとかいいう話しになっている。
物理的な交戦だけが終わったに過ぎず、精神の戦いはこれからだ!
私の書いた『新大東亜戦争肯定論』(¥1870)は真実を提供します!
amzn.to/3TuNoSJ
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