5-9 州軍出撃
きりの良い所までようやく書けました。
――妖怪の街
乾き切った世界にあって、生物の生存に適した環境を維持できている土地は限られる。その数少ない例外が妖怪の街。妖術によって人工的に環境を調整し、鳥や動物が住む森や湖さえ残した八卦に広がる街である。
街の中央には巨大な五重塔が聳えている。州官が務める行政施設であり、州軍に指令を発する軍事施設でもあった。
「――徒人共め、これまでの我等の温情と統治を忘れて反乱など起こしおってッ。州官長が戻らぬ中、州の存続がかかっている時だ。もたもたしていては、他の州が併合に動きかねん!」
五重塔の最上階では、文官らしき翠の服に黒い幞頭を被ったミミズクの妖怪が唸っていた。日々のままならない行政に忙殺されているというのに、反乱騒ぎで圧死されたとなればキョンシーとて不満を言うだろう。
クルっと首を三六十度回転させながら、ミミズク妖怪は言う。
「内患を知られる前に即時鎮圧だ。かかわった壁村をすべて潰してもかまわんし、この際だから肉にしてしまえ。州軍にそう命じよ」
現在の州軍は妖怪約三百で構成されている――人口千人の街から三百人を招集しているとなれば努力している方ではある。とはいえ、ほとんどが民兵であり正規兵は二桁もいない。必要性のなかった州軍は予算が減らされ続けている。弱軍甚だしいが、地方ではそう珍しい事ではない。
たかが徒人を制圧するくらい造作もないだろうが、ミミズクの妖怪は首を回し戻して一計を案じた。
「州司馬、野狗子をここに呼べ」
州軍を預けている州司馬を呼びつける。
ここの州の州司馬は雑鬼とは違い固有種族の妖怪であり、実戦経験もある頼れる妖怪だ。壁村で摘み食いをしているという報告もあるが、その程度の不正であれば目を瞑れる地方では稀有な人材だった。
伝令が出て行ってしばらく、階段を上ってくる足音に先行して臭気が昇ってくる。
……抹香。お香の臭いだ。
黄昏世界でも冠婚葬祭で使われるお香の臭いが、歩いて現れる。過剰な臭気に、文官達は一斉に鼻を袖で覆う。
「くくくっ、俺をおよ、およ、びかな。くくくっ」
臭いの発生源は遅れて現れた。
パグ顔の妖怪が、燻した太い線香を手にしながら階段を上っている。妖怪としては一般的な獣の頭に人間の体を有するタイプであるが、雑鬼にはない不気味さがある。目は内側に陥没しており眼球が見えず、頬も片側に穴が開いてしまっており歯茎が剥き出しだ。
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▼野狗子
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“妖怪の一種。
死肉を好み、特に脳みそを好んで食す妖怪。ゆえに徒人は殺してから食べるが、時々、生でも食べる。食べ物の影響か体が一部腐乱している。
犬の顔は細長く、手はかぎ爪で足には蹄がある”
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「来たか、野狗子。今回の出陣について一つ懸念がある」
「徒人ごときに、ごと、きに、どのような懸念が。くくくっ」
「反乱を起こした壁村の周辺で巨大な妖怪の姿が観測された。既に他の州の妖怪が入り込んでいるやもしれぬ。そこでお前に宝貝『脳幹信管・爆雷符』を授ける。徒人共々、始末するのだ」
宝物庫より運ばれてきたのは、血管のような、あるいは、神経のようなものが張られた札である。
ミミズクの妖怪の指示で渡された札に、野狗子は声を震わせた。寂れた州ではあるが、それでも州だ。レプリカではない貴重な宝貝を所有していて当然であるし、妖怪ならば一度は使ってみたいと思わせる無慈悲としか言い難い効果を発揮する呪いも秘蔵している。
『脳幹信管・爆雷符』などは特に無慈悲極まった宝貝だろう。強力ゆえに州司馬であろうとも平時に下賜されるものではない。
「くくくっ、承知、ちちち、した。徒人と妖怪、どちらにも作用するように設定しなければ、れば、な。どうするべきかな、くくくっ」
宝貝を自由に使える事を喜んでいるのか、徒人を虐殺しても良い状況を楽しんでいるのかはっきりしない下品な笑い声を残して、州司馬、野狗子は街の外へと出陣する。
ミミズクの妖怪は事態が収束する事を願い、嘆息しながら美しい街の風景を見下ろした。
巨大カエルの登場で村人達の反乱は中断されたものの、一度振り上げた拳はそう簡単に下ろせない。賢明とは言えないが妖怪に歯向かったのであれば最後までやり切るしかないのだ。
そういう訳で、集まった村人二百が狭苦しく一つの壁村で一夜を明かしている。出身村ごとに集まって議論のような事を行っているが、妖怪に勝つための算段はあまり考えられていない。ノンアルコールの水を飲んで騒いでいるだけだ。
村人達が大人しく騒ぐのであれば、その間に街を単身偵察しよう。こう考えて動いていたのだが、村人達は俺が壁村から離れるのを極端に嫌がった。村の防衛が疎かになるからというのが理由らしい。
それは大丈夫だとユウタロウを紹介すると、より一層、残って守って欲しいと懇願されたのは何故だろう。
「カエルの妖怪を退けた。やはり彼の庇護により、我々は救われるのです」
一番大きな集団の内側で僧職のギョクスが、都合の良い事ばかり言っている。期待されようと、防衛戦となれば全員を守れる自信はないのだが。
井戸の簡易宝貝で無駄に生成されている水をもらっておく。村の中心から回れ右をして、壁村の外れへと離れていった。
村外れの壁の近くには誰もいないと思ったが、巨漢が壁の上で胡坐を組んでいる。
あのシルエットは間違いない、ユウタロウだ。彼は深夜の稜線の赤い山脈を睨んでいた。
「こんなところで一人か、ユウタロウ」
「……下手な監視をしている小娘を外せば、一人になるな」
「小娘言ってやるなって。クゥはお前とそう年齢は変わらないぞ」
「俺の何も知らん癖に、馴れ馴れしく隣に座ってくるな」
壁の近くにある民家の戸が少し開いている。中からは、ストーカーのごとくジッとユウタロウを見ている金目が二つ。クゥの奴はまだユウタロウを妖怪だと疑っているらしい。
「ほらよ。自販機はないがおごりだ」
「酒は生涯もう飲めん」
「そんな上等な物があるかよ。水だ。冷えていなくて生ぬるいぞ」
ユウタロウは折れた三叉槍を足元に置いて、俺が持ってきた土器のコップを受け取りチビチビと飲み始める。
「どうしてこんな場所で一人でいたんだ?」
「人間族とかかわるつもりは一切ない。集団でいるなど自殺行為だが、俺から何かするつもりも一切ない」
「仕方がないだろう。全員、やる気だけはあるから」
俺が全員と言った時、ユウタロウは鼻で笑って村の外を顎で指す。
その方向にいたのはコソコソと壁村から去っていく村人達だった。
「……帰っているな」
「正しい行動だ。ここに残っていても街から州軍は必ずやってくる。助かりたいのなら逃げるのが一番正しい。このタイミングで逃げたところで逃げ切れるかは別だがな」
「やる気だけはありそうに見えたのに意外な」
「本当にやる気があるのなら安心感を得るためだけに、お前を村に引き留めるものか」
ユウタロウはまた目線を山脈に戻す。岩山以外に何も見えないが、違うのだろうか。
俺もユウタロウを見習って遠くを見る。
「――ん?? あそこで動いているのも逃げた村人か?」
カエル救世主が帰ってから六時間は経過しただろうか。深夜と呼べる時間帯に、ふと、風でなびく物を目撃してしまう。
画数の多い一文字と鮮やかな黄色。
それが旗だと気付いた頃には、革鎧を着込んだ妖怪の軍勢の姿も確認できた。
「規格の揃った鎧に、軍旗か。懲罰のために派遣された州兵だろうな」
ユウタロウも見えているようだから見間違いではない。
「もう来たのかよ! クゥっ、鐘を鳴らしてきてくれ。州軍がやって来たぞ!」
陽光を避けなければならない黄昏世界では夜間行軍が常識なのかもしれないが、アフターイレブンにご苦労な事である。
あまり揃っていない隊列でゾロゾロと近づいてくる妖怪の兵団は、壁村まで目算三百メートルで停止した。すぐに突撃してくるつもりはないようだ。何故か、キャンプファイヤーを数個組み上げて点火している。
どう甘くカウントしても壁村に集まっている村人よりも数が多い。一斉攻撃が始まれば薄い壁しかない村など小一時間で廃墟となるだろう。
村の中央で金属をぶつける音が響く。頼んだ通りクゥが危機を知らせたのだろう。背中側が騒がしくなっていく。
はっきり言って浮足立っており攻撃するなら好機なのだが、それでも州軍は停止したままで不気味だった。
「鳴らしてきたっ。そっちはどう?!」
梯子を使い、息荒くクゥが現れた。如意棒を片手に持っており、彼女も戦うつもりだ。
「まだ動き出していない。最後通告に手間取っているのか」
「妖怪があんなにいるの。すご」
「数はどうとでもなるが問題は兵士の質だ。黄風怪みたいな妖怪ばかりだと厳しい――」
焚き木に赤く照らされる州軍の多くは、これまで遭遇した雑鬼とあまり変わらない実力だろう。そんなに強そうな気配を感じない。
ただし、州軍の中央部からは不気味な臭気が漂っている。
「――なんだ、この臭い??」
嗅ぎ取ったのは香の臭い。蚊取り線香を思い起こさせる独特の臭いである。
特に体に不調が出てはいないので毒はなく臭いだけではある。『耐毒』スキルを持たないクゥも鼻を鳴らしているだけだ。州軍が焚き火をし始めてから臭い始めたものが体に良いとは思えないが。
「遅効性の毒かもしれない。あまり嗅がず、布で口と鼻を覆っておいた方がいい。呪術的なものかもしれないから、今から俺とユウタロウで妨害してくる」
「俺を当然のように含めるな」
文句を言いながらもユウタロウは槍を手に立ち上がった。
とりあえず、数か所あるキャンプファイヤーを潰す。そのために壁から跳んで出撃する……つもりだったのだが、州軍と壁村の間で爆発音が響き、その場に留まった。
「攻撃か!」
「数人近づいてきている。あそこだ」
武器を構えた俺とユウタロウは、壁村へと近づく気配に対して警戒を大にする。
だが、見えた姿は妖怪ではなく、顔を恐怖に染めた人間だった。
「た、助けてくれぇっ。殺される!」
「ひぃぃッ」
こっそりと村から逃げていた村人がUターンしてきたらしい。
一人二人ではない人数が駆けてきて門や壁へと擦り寄っている。一度逃げたからといって見捨てる訳にもいかないため、門からは保護が開始されたようだ。
「……本当に徒人かな。妖怪が化けていたり」
クゥがボソっと言った。妖怪が母親の皮を被っていた体験をしている彼女が真っ先に危険性を感じ取る。
「ありえるな。ユウタロウは州軍を見張っていてくれ。クゥは俺と一緒に来てくれ」
カンの良いクゥは妖怪を見分けてくれるかもしれない。彼女を引き連れて、壁を伝って門の方角へと走る。
門を見下ろせる場所に到着するまではほんの一分程度の道のりだったものの、その間に人の良い村人達は、外の村人達のほとんどを壁の中に招き入れてしまっていた。
「爆発したッ。オラの目の前で爆発したんだ!」
「お、おい。錯乱してんじゃねえ。しっかりしろって」
肩をガタガタ震わせている男が保護された村人だろう。妖怪の名演だとすれば迫真だ。
「爆発したんだッ。オラの目の前で! あれは確か、急にお香の臭いがしてから突然――」
――保護された村人が喋っている最中に、門の傍で光が走った。
何かが爆発した。そうとしか分からない。
突発的な事で不明確だ。が、今度は偶然、俺の目線の先でも爆発が起きる。酷く顔色の悪い村人がいるな、と思い監視していたところ……その村人の頭が炸裂したのだ。
「――そうだ。臭いがし始めてから爆発が――ッ?!」
三度目の爆発は喋っている村人の頭で発生した。彼を落ち着かせようとしていた周囲の人間も巻き込まれた結果、ほんの一瞬で複数の命が脳漿塗れで不可逆な形へと変貌していく。