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渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

バイクではなくオートバイ。それに乗れる日本で稀有な女優さん

2025年06月12日 | open



バイクではなくオートバイ。
私が子どもの頃の1960年代
はモーターサイクルを指す
日本語のバイクという造語
は存在しなかった。
オートバイ、単車という、
これまた日本語の造語が一
般的だった。

しかし、1970年大阪万博以
降、バイクという造語がモ
ーターサイクルを指すもの
としてじわりと普及し始め
た。
大人気劇画『ワイルド7』
(1969~1979)でも、最初は
オートバイと呼んでいたの
が1970年以降はバイクと
いう新語を使い始めたのも
社会的な影響が強かったと
思う。
そして、日本人がバイクと

いう単語をモーターサイク
ルの事として使い続けたの
で、1980年代に入り、世界
グランプリライダーたちも
モーターサイクルという英
語から日本語の造語略語の
「バイク」を使い始めた。
嚆矢はケニー・ロバーツだ
った。
モーター・バイクという米
語はあったが、バイクとい
ったら単に自転車の事を指
すのが英国語/米国語/豪州
語であったのに、ケニーは
あえてバイクバイクと呼称
し始めた。
モーターサイクル=オート
バイの事をバイクと日本で
呼び始めたのは、主として
1970年代の若年層の不良少
年たちからだった。
それを払拭するように、ヤ
マハが1977年に原付に対し
て「ファミリーバイク」と
いう単語を設えてPRし、そ
の後原付は世間一般でも「ミ
ニバイク」と呼ばれるよう
になって市民権を得た。
1970年代の二輪乗りの意識
としては、バイク=反抗的
な心根、オートバイ=体制
派の「正当派」という印象
だった。
この「正当派」という単語
も1970年代に大流行したが、
単車乗りのティーンたちは
それを体制側の分別顔で、
バイクに乗る若者を差別排
除するくそダサむかつきオ
ヤジ連中、として捉えてい
た。
二輪に乗っている連中も、
成人以降の高齢者たちは
「自分らは正当派」と言を
放ってはばかりなく、「暴
走族のような非行少年たち
と一緒にするな」とフツー
に言っていた。
特にオヤジやかんタンクの
ハーレーに乗る中年以上が
その代表格だった。
ハーレー乗りたちは二輪少
年たちには蛇蝎のように毛
嫌いされていた。鼻もちな
らない金持ち風、ブルジョ
ア風味を振りまいて嫌味の
塊だったという歴史事実が
あったからだ。
それを知らない角川春樹な
どは1982年の映画『汚れた
英雄』で決勝レースの前に
やかんタンクおやじハーレ
ー軍団のパレードをサーキ
ット上で登場させ、これは
劇場で観た観客(ほぼ全員が
二輪乗り)たちの失笑を買っ
た。現実のタイムリーな世
相を知らなすぎるからだ。
ハーレーについては、現在
でもその1970年代~80年代
の精神背景は残っており、
芸人や芸能人たちが小金を
持つとハーレー、ハーレー
と言うのは、それは富の象
徴であり、二輪でいえばベ
ンツやロールスのような位
置で捉えている事の現出だ。
本当にハーレー・デイビット
ソンの良さを理解してあえ
てハーレーを選択する芸人、
芸能人がどれほどいるのか。
なぜ、トライアンフやノー
トン、ドゥカティではなく
軒並みハーレーと言い出す
のか。
それは敗戦国日本の日本人
の歪んだアメリカへの垂涎
と羨望と卑屈な根性の裏返
しとして、「金持ちになった
らハーレー」という図式が
心根の根っこにあるからだ。
ハーレーというならばと、
世界グランプリでチャンピ
オンを連続でダッシュした
ハーレーの2ストマシン(イ
タリアのメーカーを買収し
ての世界王者奪取戦略)にな
どは興味は持たない。
別段ハーレー自体が好きで
もなんでもないのだ。
金持ちの象徴、アメリカの
象徴だからハーレーを中味
も知らずに良い良いと言っ
てるだけ、というのが包み
隠さぬ本当のところなのだ。
本物のハーレー通のマニア
で真のハーレー好きは、そ
れらの有象無象の芸人、芸
能人たちとは別物だ。
ハーレー乗りたちは言う。
「バイクが好きなのではな
い。ハーレーが好きなのだ」
と。これには真のハーレー
乗りの真髄が詰まっている。

そのバイクという単語は、日
本造語だが、1960年代には存
在しなかった。
なので、1968年の三億円事件
を扱った映画『初恋』(2006)
で、新宿の古いバイク屋の店
先に「バイク」という文字の
看板があるのは時代考証とし
ては間違いだ。
さらに大きな間違いがある。
それは、三億円事件の実行犯
は女子高生のみすず(宮﨑あお
い)なのだが、白バイ警官の
コスチュームの時にけん銃を
携帯しているのだ。
白バイ警官がけん銃を携帯す
るのは21世紀になってからで
あり、1968年時点でこれはあ
り得ない。
折角、細かい所まで描いた作
品なのに惜しい。
もっと突っ込むと、1968年当
時存在しなかった二輪が出て
来たりもするが、それはマニ
アック過ぎる指摘だろう。
ただ、バイクという単語を街
の単車屋が使う事は1968年時
点では無かったし、白バイ警
官がけん銃を携帯して白バイ
に乗る事も通常は無かった。
かなりリアルに犯行に使われ
たヤマハ2ストまで使用した
撮影であり、逃走四輪車も同
じ物を使っての撮影なのに、
実に惜しい。

 

しかし、特筆すべき点がある。
それは、主人公みすずを演じ
た宮﨑あおいさんのバイクの
運転の演技だ。
最初はおぼつかないギクシャ
クした乗り方から、練習して
どんどん運転が上手になる描
写を見事に演じきっている。
最初から二輪の運転が巧い人
でないと、これはできない。
最後はホンダの大型バイクで
綺麗な乗り方で快走するシー
ンも作品に登場する。
しかも「乗れている乗り方」
のフォームで。
宮﨑あおいさんはプロ中の
プロの役者だ。

私はこの映画の制作秘話を
知るまで、宮﨑あおいさん
がプライベートで普通二輪
(旧自動二輪中型)免許を持っ
ている人だとは知らなかった。
宮﨑さん自身も世間に明かし
ていなかった。
監督もそれを知らずに、出演
の演技のために普通二輪免許
を取りに行ってもらおうとし
たら、ご本人が「中型二輪
免許は持ってます」と答えて
監督はじめスタッフ仰天だっ
たそうだ。
たぶん、普段から乗っている
人だったのだろう。乗り方は
頗る上手い。
別な映画作品やドラマなどで
吹き替え無しシーンのために
女優さんたちに二輪免許を取
得してもらって撮影に臨む作
品がかなり多い。
だが、それらは、やはり超ド
初心者であるので、乗り方は
見るに堪えない。バイクにず
っと乗っていた人、という設
定であるのに。
大抵は、走行シーンはトレー
ラーに二輪車体を載せて、そ
れに俳優を跨らせて牽引車か
ら撮影されているのだが、宮
﨑さんの場合は全く違った。
上手すぎる。小泉今日子さん
も原付乗り回しでは上手かっ
たが、1980年代に原宿交差点
でこちとら
に「トロトロして
んじゃねー
よ!早く行けよ!」
と顔くし
ゃくしゃにして怒鳴
ってただけあ
る(笑
(その時、免停中で私のバイ
クの後ろ
に乗っていたのは、
先日亡くなった都内の友人だ
った)


オートバイに乗るのが非常に
上手な俳優の男女というのは、
結構少ない。
剣術、剣道、居合術と同じで、
俳優さんが剣を構えたりさば
いたり、抜刀納刀をしたら、
即腕前の程度が判る。
これはビリヤードでもそうで、
構えた瞬間に「本当に玉撞き
ができる人か否か」というの
は即座に判明する。
オートバイも同じで、実際に
乗って走らせる映像を見ると、
「乗れる人か、そうでない人
か」というのは詳らかに、即
ってしまうのだ。
現実世界でもそれは同様。
バイクに跨って信号で停止し
ている姿を見ただけで即腕前
が知れてしまう。2メートル
走ったらもう確定的に判る。

オートバイとは、剣や撞球と
同じく、そういうものだ。
宮﨑あおいさん、できる人。
映画『初恋』(2006)は、宮﨑
あおいさんのバイク乗車シー
ンを観るだけでも、二輪好き
には涙ものの作品といえる
ろう。

物語はかなり日本の闇を描い
た作品となっているが。
三億円事件に関与した者たち
は、マル対として面が割れて
いない女子高生みすずを残し
て全員が
国家組織によって消
されて行
く。
現実の事件も実行真犯人は消
されたから迷宮入りに「され
た」のだろう。
最後、年が明けて大学に合格

したみすずは、岸が残してく
れたアパートで、独り帰らぬ
岸をずっと待ち続けるのだっ
た。

「単車が好きか?」と聞くT大
生の岸に対し、黙って笑顔で
頷くみすず。
これ、最高のシーンだった。
以下、私の過去記事のレビュー
から。


1968年、東京。
新宿のJAZZ喫茶「B」から出
て来たT大生の岸は、店の向
かいに停めてあったオートバイ
を抱きしめるようにしゃがみ
込む女子高生のみすずを見た。


みすずはオートバイをいとお
しむように頬を寄せる。

そして呟く。
「冷た・・・」
だが、さらに頬を寄せて抱き
寄せる。







それを見守っていた岸は、
みすずに声をかける。

驚くみすず。


だが、岸はぶっきらぼうな
口調でみすずに言う。

「単車好きか?
乗りたいなら教えてやろうか」

その時、みすずの表情に光が
差す。





黙ってこくんと頷くみすず。
映画『初恋』(2006)の中で
最高珠玉の名シーンだ。
突き抜けたシーン。

指の先まで宮﨑あおいは演技
して
いる。
そして、このシーンこそが、
二人の関係と、岸と共に時代
を変えようとした女子高生み
すずの魂の根源がある。

作品では、台詞無しの無言な
がらもコンマ秒単位で表情の
演技をする宮﨑あおいの女優
としての演技力が静かな閃光
のように光り抜ける。

この映画作品は、このシーン
こそが最高のシーンであり、
ドラマの構成の中心を成す。

きめ細かい原作と脚本の深淵。
それがこのシーンに凝縮され
ている。


 


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