今回はブログのトップにいきなり壱岐島の島前の魔天涯の写真を出しました。全国一の宮とは何の関係もないのですが、景色のよいところです。牛や馬が放牧されていて牛馬の糞だらけの中なのですが、牛や馬の糞は臭くなく、ほとんどが乾燥状態なのでその中を歩いていていも汚いという気が起きません。実に自然おおらかと言えます。右側にも左側にも海が見えています。
祝詞本に記載される壱岐国の一の宮と言いますと「由良比女」神社なのですが、インターネットなどで一の宮を検索しますと「水若酢」神社となっています。要する神社本庁に所属しているか所属していないかです。私から言わせれば神社本庁に従うよりも祝詞本に記載される方を取りたいところです。
それならば両島とも回ればいいわけですが、壱岐は島前(どうぜん)と島後(どうご)に分けられます。水若酢神社は道後にあります。由良比女神社は島前の西ノ島(西ノ島町)に存在します。
その島前と島後の間に橋でも架かっていればいいのですが、フェリーか高速船を利用しなければなりません。その本数も少ない為に同じ隠岐と言っても、交通の便が悪いとなります。
渡る前に調べたところ、由良比女神社は島内バスが走っており2時間ほどで往復して回れるようですが、水若酢神社はバスはあるようですが本数が解りません。行って解りましたがバスはあっても旅人には無いのに等しい本数なのです。両島でタクシーを使えば一日で回れないこともないようですが、隠岐で一泊することにしました。
最初の日は島後に行きレンタカーで水若酢神社に参拝し、島後の西郷港付近で一泊して島前の別府港に渡り、島前でもレンタカーを借りたのですが、由良比女神社はレンタカー無しの徒歩でも充分なところでした。
私が驚いたのは、島後は町として大きいのですが観光バスらしきものが走っていませんでした。島前で時間があるので魔天涯に行ったのですが、車一車線の山道を大型観光バスが来るではありませんか。山道をバスにバックさせるは出来ませんのでこちらが待避出来る場所までバックしたのですが、一度ならずとも二度も観光バスに遭遇してバックすることになりました。観光名所なのでしょう。
で、ブログの先頭に魔天涯の写真を出しました。レンタカーは両島とも軽4輪が多いのはいいのですが、島前のレンタカーはカーナビは無し。こんな島なので道はさほどありませんからと言われて地図を渡されましたが、帰りに迷った交差点がありました。案内標識の問題でしたが。
全国一の宮会の隠岐一の宮。水若酢神社鳥居。
水若酢神社拝殿。
隠岐は黒曜石の産出場所でした。日本では黒曜石と言いますと石器時代の矢尻石程度としか見ていませんが、霊的には意味がある石なのです。
この水若酢神社の横は古墳です。神社と古墳はつきもと言えます。
隠岐と言いますと、私達は日本歴史の中で「後醍醐天皇」が隠岐に流された話を知ります。その後醍醐天皇が流されていたとされる移住地跡。この地は後で隠岐国分寺となって、今もお寺さんがこの地を所有されており拝観料がいります。敷石から推察して流されたとしても天皇としては我慢できない広さだったと思われます。
その説明書。文部省認定です。
その近辺に水若酢ではなくて「玉若酢」神社があります。その鳥居。
玉若酢神社の本殿。
この玉若酢神社の「八百杉」は国の特別天然記念物に指定されています。
島前に渡って祝詞本に記載される隠岐一の宮。由良比女神社です。
由良比女神社の鳥居。
由良比女神社の由緒書。
この由良比女神社は他にない特徴があります。それは欄間に彫られたイカ(烏賊)の図柄です。この地は烏賊が押し寄せて来るなのです。
隠岐の島前で観光名所とされるのが「魔天涯」です。写真の左側に黒い小さなものが多数写っています。それはその次の写真の隠岐牛が放牧されている光景です。
島前の黒木御所跡。後醍醐天皇が隠岐に流されて居た場所として前段の島後と島前の別府港近くの黒木御所の2説があります。ここは尋ねてみたところ、その住居跡は極小住宅が一軒建つかどうかの敷地面積でした。家を建てたとすれば、台所や厠などを考えれば居室は一部屋程度のものになります。
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