人に内在する良心神(神言会)

神は言葉なりき。言葉は言霊で構成され、その言霊による神の仕組みを解説する神言会(kamikotokai.com)のプログです。
神言会では人に内在する良心神(この世の閻魔)とは何かを説明しています。

みろく世に【甦る】。更生するには金に勝つが要【金勝要】の便所神 

ここ最近、私は変な夢を数回見ていました。それは和式の旧来型のくみ取り式便所で、床板に長方形の大きな穴が空けられているものです。便所の床下に汚物を溜める方式です。
その呼び方は各地で違いますが、私の地方では「ポッチャン便所」等と呼ばれていました。大きい方をすると、たまにはポチャンと汚水が跳ね返って来てお尻を濡らすところからポッチャン便所です。都会の子供はこうした便所を知らず、その穴から便溜に落下したなどの話もありました。私も祖父の家がこれで、子供心に正直厭でした。
同じくみ取り式でも浄化槽タイプと呼ばれるものは側方に便槽を置くので、跳ね返りはさほど気にするほどのこともなかったのです。
さすがに最近はくみ取り式方式のトイレでも簡易水洗型が普及して、工事現場の仮設トイレでも簡易水洗などになっています。よほど古い田舎の家でないと便が見える便所は今では見受けられません。

夢の中で私はその便所の下を覗いて、首をかしげてしまいました。どこにも汚物が見当たらないのです。水が透き通っています。夢の中の私は思わずままよとそのトイレの穴からその汚物溜の中に降りて見ました。が、完全に便溜は清水状態なのです。
大本教の出口王仁三郎聖師さんが漢字の研究をされていると、出口なお開祖派の信徒の方達が開祖のお筆先の「ひらかな」でなく、中国から来た「漢字」を研究していると王仁三郎聖師さんの襲撃に走り、出口聖師は逃げ場を失って、当時は和式のくみ取り式便所ですが、その便溜の中に入り便溜の出し口から逃げた話があります。
それは本当に臭かったでしょう。しかし、私の夢の中に出て来た便溜の中の水は清水そのものだったのです。下に固形物が沈殿しているかと見ましたがそれもありません。その夢が三度も出て来ると、これは霊界で大きな変動があったと思わなくてはなりません。

と言うのも、私に言葉の発想飛びが起き出してから、私は幾度となく便所の夢が出て来ました。20数年に渡ってトイレの夢が幾度も出て来るのですから、かなりの回数トイレの夢を見て来たのです。それらのトイレは汚くて汚くて、どれもこれも使えるようなトイレではありませんでした。これは綺麗だと思えたトイレが出て来たのは数回だけでした。
そしてそれは私だけでなく、昨年この世を去った私の母も同様にトイレの夢を幾度も幾度も見ていました。ひとつもまともなトイレが無いでした。ただ、母はその中で一度だけ肥桶を両天秤で担いだ白髪の老人が出て来て、あれは神様を見たのだと思うと言っていました。神様が便所の汚き物を運んでおられるです

私が修業の最初にお世話になった伏見稲荷講では、夏祭り時は伏見稲荷山の御膳谷の清明舎に宿泊して、夜に滝行をしていました。私が初めて清明舎に着くと、その師匠はまず女性信徒さん達と一緒に清明舎の便所掃除にかかられます。で、私も手伝おうとすると、その師匠は「貴方は男だから便所掃除をしなくていい。これは女(師匠は女性)の仕事です。女性信徒さん達の修業ですと言われます。
その師匠が語るには、師匠が修業に入った時、あるお不動様から修業の第一歩は「便所掃除」からであり、修業場のお便所を使わせて貰うにあたって、まずお便所を最初に綺麗にしなさいと言われたと言います。今は清明舎も水洗トイレになっていますので、掃除でも意味合いもかなり違って来ているとは思います。

鼻をつまむような臭い場所を掃除する。清める。綺麗にする。それが神の仕事の一つだからです。この日本で私が知る範囲では二つの高校で、生徒に素手で便器の掃除をさせておられます。便器が汚いと思っては行けないです。どちらも全寮制の高校です。汚いと思う物を出しているのは私達なのです。
自分は霊能者でございと手の指に宝石をちらばめて神の元に来たならば、この大馬鹿者。裸になって便所掃除をしてこいなのです。それは大本教開祖出口なおさんの前に金勝要の女神が現れた時、着物を脱いで裸になって便所掃除してこいと一喝された話の意味合いなのです。

余談ですが、私がその清明舎で泊まっていた時、夜中に滝音の中で祝詞や般若心経を唱えている声が聞こえて来ました。それらの声は男性ばかりでしたが、男の霊達が滝受けをしているのです。生前、お経さえ唱えていればとか、滝を受けていればと思っていた行者霊修業者の死後霊です。死後も同じことをしているのです。
行者の末路は哀れと言われるのも、生前は行によって何らかの法力を得たとしても、そうした法力では本来の霊界には渡れないなのです。その師匠に聞くとそうだとの答えでしたが、だからと言ってその霊達を救う気はさらさらなかったようです。好き勝手にやっておりなさいなのでしょう。

みろく世と呼ばれる世界は聖書に書かれる「蘇る」ではありません。蘇るは蘇生の意味で今の状態での復活です。それならば最後の審判の意義すら存在しないのです。何かと日月神示を持ち出す方がありますが、霊的映像として万物の動体は全てエネルギーが停止するがあります。その状態だけだと「仮死」であって蘇るが言えます。だが、それだと「審判」による「捌き」の意味が出て来ないのです。
大本教の出口王仁三郎聖師は自分は「更生主」だと言われました。この場合は蘇るでなくて「甦る(更生)」であって、今現在保有している肉体のままで「甦る」ではないのです。更たる「新しい物に入れ替え」るの意味だからです。甦るを見て「更生」が理解出来ないでは、いくら教えても理解しないでしょう。すなわち魂は同じでも、その容器(肉体)は更(新)となるのです。

今の私達が来ている魂の服たる肉体は、長期間着ることが出来ない物質体で構成されています。今の肉体は60歳で還暦と言いますが、その倍の120年位が魂の着用の限界なのです。その魂の服の寿命を千年とか万年の世にするのが立替の一つの側面でもあるのです。
この人を更にする場所が「便所」なのです。そして、そこに溜める場所を「浄化槽」と言います。つまり、魂の汚れを「浄化」させるです。人の魂を浄化させて更の状態にして差し上げる場所の意が「便所」なのです。

私は最初の頃、通常の霊だと浄化させることはさほど難しいことではありませんでした。だが、神霊の浄化ともなればそうも行きませんでした。神霊を浄化させるともなれば、トイレに往復でした。自分の便と一緒にその神霊の汚れを便槽に落とすでした。そうした中には便槽に落とした女神が美し姿になられたがあります。
便所と呼ばれる「言葉」一つ取ってしても、そこには創造神の言葉の仕組みがあり教えが存在しているのです。

大本教から【金勝要神(きんかつかねのかみ)】が出されました。便所の神様は女神であるとは言われて来ましたが、それまではこの「金勝要神」は言われていなかったと思われます。単に厠(かわや)の神です。大本教の霊界物語によれば、この「金勝要神」とは五柱の女神の総称となっています。

だが、私は五柱の女神がどうのこうの詮索ではなくて【金勝要】の言葉に引っかかっていました。「金に勝つことが要」かです。今は金が物を言う世の中です。言葉を創られた神とは、諸々の神の段階ではないのです。何故に「金に勝つが要」となっているかなのです。

つまり、人々が新しい世に「更生(甦)」するには、金の世で金に勝つことが要となるなのです。そうした金に執着することは「蛇に成った長者」でも語られて来ましたが、肥溜が清水のように澄み切った意味は、もうそうした金が物を言う金、金、金の世は済んだと言うことでしょう。

この世の立替そのものは、【汚き物の浄化】さえ終えれば、何時でも踏み切ることが可能となります。

言葉を創った神とは、霊感者霊能者の段階ではその存在を知ることはないのです。


神は、(言葉で)示し申す

信仰は、人は言葉を仰ぎみよ

大本教から、便所神、更生主、金勝要と出されても、意味を理解しないはうつけ者



 
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