私が神霊界修業に入って間もない頃、一つの夢を見ていました。その夢の中で二人の女子中学生が出て来て会話をしています。その会話を横で聞いていた私は思わず?をしました。その夢の中の女子中学生達は、【かんとうだけには行きたくはない】と言っています。私はそれを「関東」の意味と思い、この子達は「関東」には行きたくないのだろうかと不思議に思ったのです。
だが、この「かんとうだけには行きたくない」は「関頭だけには行きたく無い」だったのです。この【関頭】とは【生死の瀬戸際】に立つ意味です。人は誰でも肉体は必ず死の時を迎えます。そうした時の「生死の瀬戸際」に対して「関頭」の言葉は使いません。天下分け目の戦争など自分が生きる国家が存続出来るかなどの重大時の局面に使われる生死の瀬戸際が関頭です。
その後、ある言葉の夢を見ていました。それは【下の関より、山の口に向かえ】です。下関市は山口県にあり、山口県で一番大きな町は下関市ですが、県庁所在地は山口市です。しかし、どう考えても山口県下関市や山口市に意味があるとは思われません。
これは終わりの時の関を意味するのが「下の関」で、その時には「山の口」に向かえです。それは超えなければならない「関門(関所・突破しなければならない難所)」であり、「山に向かう」はイエスが説いた「その時は山に上がれ」です。
ただ、その当時はどこの「山の口」どころか、その登るべき山すら解りませんでした。もしかすると「位牌山」のことなどかと考えた時期もあります。
終わりの時の下関の反対側は「門司」であり、九州です。するとこの下の関の門の司として「文字」があり、「九州に渡る」です。
大本教神諭予告、「九つ花に咲く一輪の言霊の経綸」。それを誠で紐解くお方がただ一人出る。大本教の出口王仁三郎聖師は「九つ花」でス(州)神を出された。だが出口王仁三郎聖師さんの九曜紋では「弥勒も56億7千万も主の神35万年前に御引退も高山」も出て来ないのです。その根拠が示されなかったのです。
「米」型となる本当の「九つ花」を紐解いた時、「弥勒も56億7千万も主の神35万年前に御引退も高山も美濃か尾張の国も」すべて「米」で解けたわけでした。
つまり、そうした仕組みを長年に渡って仕組んで来られた神があるなのです。私が子供の頃に臨んだ声。【この国は私の教えが満ち溢れた世界で唯一つの国、私の仕組みを見せよう】でした。
世間には、自分は凄いのだ。高い神の魂だ式のことを言われる方が多々見られます。ではその人達にこれだけの仕組みが出来るのだろうかとなると、こんな仕組みが出来るはずなどないのです。私はそこに「主」と呼ばれる神の存在を見ているのです。私は私を見るのではなく、崇めるのではなく、この言葉による仕組みをされた神の存在を知りなさいと言っているのです。
私はその神の下ではただの「一兵卒」にしか過ぎないのです。そしてこの「米」の仕組みを広げる者達もまた私同様にその神の「一兵卒」なのです。
私は長州一の宮の住吉神社に行く前、壇ノ浦で知られる「赤間神宮」に参って来ました。その赤間神宮の駐車場から見る「関門海峡を渡る大橋」です。
安徳天皇を祭った赤間神宮の水天門。安徳天皇を水天皇大神と称する。
赤間神宮の本殿。
赤間神宮境内にある「耳なし芳一堂」。
その芳一堂の横にある平家一門の墓。自分なりにお経を唱えて供養させていただきました。
その赤間神宮に「八咫鏡」が発掘されて赤間神宮に奉納されたと書かれています。
赤間神宮から望む関門海峡。
長門国一の宮「住吉神社鳥居」。
住吉神社由緒書。
住吉神社は五座なので、五つの屋根が見えます。
住吉神社の拝殿。