日月神示に「九十九」パーセントは邪神との内容があります。そうなりますと、今の世に出ておられる神々は1パーセントを除いて全て邪神かとなります。また霊能者としていかにも真理を説いているように思わせている人も、その多くは邪神の部類と言うことになります。
この内容自体はよく言われる「一厘」との兼ね合いの意味があるかと考えられます。なお、ここで言う邪神とは別に神霊だけを意味しません。この世に関わって出て来る霊や生きている私達を含めて全てです。
これ自体はトドメのフミと呼ばれるものに書かれる一厘の入った「米」。一厘が入っていない「米」の違い的なことです。
いくら世根(米)と成っていても一厘が入っていないと、その場を「空く間」にしている意味の邪神であって、善悪で言うところの悪神とは言えないのです。これは「悪」の字を理解していれば意味が解ることです。「悪」の「亞」は、主を墓に葬った意味があるからです。主たる存在を葬っている意味が「一厘」が入っていないとなるのです。
私はこの世で善人といえども「天国の門」は必ずしも開いていない。しかし、その人の行為が悪的なことであっても、創造神の為に命を捧げた人に「天国の門」が開けられる。その違いは何かという疑問にぶつかっていた時期があるのです。それまでは
単純に「善=正神」の図式を考えていたからです。単に善神だけでダメで、そこに一厘が入った意味があったのです。
創造神からすると、善悪よりも、その人がどれだけ創造神に向かっているかがあるのです。だからと言って悪が善より上ではないのです。私は自分のHPに書いておりますが、①が創造神を信じて善なる者。②が創造神を信じても悪なる者。③が創造神を見ようとしない善なる者。④が創造神を見ようとしない悪なる者。の順になると記載させていただいています。
この②の創造神を信じる悪なる者が、③の創造神を信じない善なる者より上位であるということが、一般感覚としては理解しづらいところなのです。それは悪を非難するだけであって、主と呼ばれる神を見ていないとなるからです。
私が出した「米」はその中点に「主と呼ばれる神を置く」理論を説いて来たのです。ですから「一輪(一厘)」なのです。
私が子供の頃に臨まれた声は言われました。神の舞台、善役もあれば悪役もある。善を引き立たせるのが本当の悪役である。大根役者の善役を拍手喝采の善役に見事に引き立たせるほどの悪役ならば、次の舞台では悪役から善役にもある。この私が神の世界の舞台演出者であることが解らないといけない。
よく、善も悪もないのだとしたり顔で言われる方がありますが、そこに深い意味があることを理解されておられないようです。日月神示にある善も悪も抱きまいらせそうろうには、悪が無ければ善が解らない意味があるのであって、神は何をしても悪を許しておられるという論理とは違うのです。それならば地獄界の存在説明がつかないのです。
九十九パーセントは邪神とは、別にその神が極悪非道とか凶党の部類ということではないのです。善といういう意味だけで言えば善神であっても、「一厘」を理解出来ていない神ということになります。
そこに正神界と見なされる神であっても、その「一厘」を理解していなければ「よこしま(邪)」から逃げ切れずに、何時悪神になるのか解らないからです。そこに「巳(み)帰る・身変える(狼がくれたまつげ)」現象が発生します。
よく言われる最初は純粋な正しい人だったのに、地位や名誉を得ると人がまるで変わったと言われるように、地位とか大金とか名誉を得ると善から悪へと変化しかねないからです。地位や大金や権力の誘惑に惑わされて道を誤るは人の常なのです。
イエスの教えに「幸いなるかな貧乏人」がありますが、貧乏であることが幸いでもなければ、貧乏であるから天国門が開くわけではないのです。
なまじ地位や名声や大金を得ることで、自分が持っていた良心的なことを忘れて地獄への道を選んでしまう。それならば最初から地位や名声や大金を得るよりも、貧乏であった方がそうした誤りを起こさないことを告げているのです。だから、そうでない人達は悔い改めなさいなのです。
大本教の出口王仁三郎聖師がその著書に「天国に案内すると言って地獄に案内する取次ばかり」と記述されていますが、そこにあることがあります。
私は東京の著名な霊能者の方に自分の霊査を頼んだのですが、その著名な霊能者の方が私に言われた言葉が記憶として残っています。
それは「
仏の声が聞こえる者は千人に一人は出て、神の声が聞こえる者は万人に一人は出る。そうした者が万人修業して、やっと本物と言える者が一人出る。そのほとんどは途中で潰されたり魔界に入ることになる。見えるとか聞こえるだけでは本物に成る前につぶされてしまう」でした
。その比率が正しいかどうかは別として、本物の霊能者に成るのは非常に困難な道とは言えます。
私には、貴方はサラリーマンなので年金生活者と成られてから霊的活動をされたどうでしょうか。そうすればお金を貰わなくても活動できるでしょうと言われます。その方の相談料は一件としては、当時の易者料金より少し高い程度でさほど法外な料金とは言えませんでした。だが予約が取れないほど相談者が多く、一人で何件も相談されるので、年収としては一流会社の重役程度はあると言っておられました。
しかし、霊能力とはいつ消えるか知れません。そうなると自分の生活の基盤を霊能力に頼っていれば、霊能力が消えた時、生活をするが為に嘘を言うことになります。その為には常に生活が出来る基盤が必要だから、年金生活に入られてからの方がいいと言われたわけです。と言って私は年金生活者になったからといって、霊能者をしているわけではありません。
霊感者は優れた霊能者の指導を受けないと、そこに「魔・邪神」が入って来る危険を知らず、見えたとか聞こえたからと言って、それを頭から信じるを起こしてしまうのです。無論、魔・邪神といえども最初から嘘を言うのではないのです。低次元世界のことほど魔も邪神も低い霊も知る力は強いのです。病気治しも出来ますし、占い的なことも出来ます。その霊より弱い悪霊は剥がすことも出来ます。この世で霊能者をするならば低次元界に強い者ほど優秀だと言われるのも、この世に関わる霊の段階が低いからです。
私の最初の師匠は当時は稲荷神社の神主をしていましたので、神霊相談料としては無料でしたが、神社なので御祈祷の初穂料として二千円からでした。それはその
神社の御祭神であった豊受様が金儲けを戒めておられたからです。稲荷講員さんだと、お賽銭でもかまわなかったのです。
その師匠も、これはという人を見つけても修業の段階で魔界につぶされてしまう。その段階を突破するのが難しいと嘆いていました。
多額の相談料を取ることは、神を金儲けの道具にすることで自分が邪神界に入ることになりますと言われます。
実は、正神界であろうと邪神界であろうと、これはという霊能力を秘めた存在の方を見つけると、自分の陣営に入らせようとします。正神界がそうした人材を見つけて育てていても、横から邪神がその人材を奪って行くがあります。
霊的世界の見聞を広めている方ならば知っておられることに「霊界マッチポンプ」があります。この霊界マッチポンプには各種あるのですが、
未だ成長過程の霊能力がある人を落とし込むには、まず最初に悪を演じる霊が出て、そこから助けた霊が正しい霊の振りをして、それが本当は悪霊だということを解らせないようにする仕組みがあります。
言うなれば「劇場型振り込み詐欺」の様に、いろんな役を演じる霊を決めて、その人を信じ込ませるなのです。すると、本人はそれが正しい神だと疑わなくなってしまいます。
某自分が創造神だと自称されている方は、かなりの数の霊がいろんな役を演じていました。そこには龍神や白狐と呼ばれる存在もあり、その人の元に来た霊媒質者まで、その傘下に入るのです。だがその方の背後に居る霊数は創造神だと称するにはあまりにも少数で話にもならない状態でした。その霊数が多ければ、それなりの宗教家にはなれるでしょう。しかしその宗教家を神の如く信じさせる崇めるでは、導かれて連れられて行く世界は本当の天国とは言えないのです。
最初は正しくても、そうした魔界や邪神が入り込んで来ると、やがてボロが出ます。それは法外な相談料や高額料金のセミナーを言い出したりするからです。
正神ならばそれを強く戒めます。
高額の料金にすれば貧しい者はそこに参加できません。相談も出来ません。貧しい者を見捨てるは、その段階でもう正神界の神とは言えなくなるのです。
例えば神社によって違いますが、初穂料(祈願料)は三千から数万円段階があっても、その金額の差で御神霊が差別されるはありません。仮に千円の神札だけを買ったのに、その神札に神霊が宿ってその神社を出られるもあります。仏教における戒名にしても高額な戒名料の院殿居士でなく、安い信士であっても霊界の地位に何の関係もないのです。
霊界は金銭の額では決まらない世界です。院殿居士をぶら下げて地獄界に行くのですか?。ともなるのです。
寄進にしても多額の寄進だから霊界で特別有利になるのではないのです。
お釈迦様の教えに【貧者の一灯】がありますが、大金持ちの多額の金銭の寄進よりも貧者が灯してくれた明かりの尊さです。その貧者にとってはその油代はとても高いものだったからです。寄進者の心の問題なのです。そこを知る必要があったのです。
高額セミナーを催すなどは、そこに集まるスピは邪霊達の餌となり、霊能者は自分が知らず知らずに邪神の手先と化して行くわけです。そうしたことは霊的に無名の段階では誰しも言っているのですが、少し自分が売れて来ると、邪神に狙われて自分がそうした者になる。金儲け主義のスピを批判していて、自分が金儲けに入る。それではお釈迦様の「貧者の一灯」の教えすら理解していないことになります。
某霊能者は最初は言うことがよく当たり評判が良かったのですが、名声が上がり人が集まると、言うことがまるで当たっていないが起き出しました。その原因は「金」儲けに走ったことです。また、本人が偉ぶりはじめたのです。
その方は名声が上がる前は、相談料に関しては高くなかったのです。初期は無料だったようです。ところが名声が上がり、大勢の人が集まり出すとその相談料は跳ね上がりました。金持ちだけを相手にする。そうなると正神はそこから去ります。代わりにそれまでの正神に化けた邪神が出るようになったのです。だが本人は神霊が正神界から邪神界に代わったが解らないわけです。この方は最終的には警察が介入する詐欺事件を起こされました。
霊能者をしていて、名声が上がった後、金がらみの事件で犯罪者となって刑務所に行く霊能者はそうしたケースなのです。
最初は良い霊能者だった。だが、名声が上がると僅かしか相談料を貰えない煩わしい一般相談を断り、金持ちだけを相手にするようになる。一度に大金を得るために何万円もの高額セミナーを催すようになる。
天国への道の案内者と思ってしていたことが、逆に地獄への道の案内者に自分自身が変わってしまうのです。
私の最初の師匠が言っておりました。霊能者など成りたくなかった。霊能力が無い普通の人の方がどれだけ幸せだっただろうか。
私は子供の頃に臨んだ声から、そなたには今日迄誰一人として歩いたことがない道を歩かせる。その道はそなたが最初の者であり、そなたが最後の者となる。為に、今日迄の道を歩こうとする者はそなたの道を解ろうとしないであろう。
私はそれが言葉で「九つ花」を紐解く道とは思いませんでした。が、ほとんどの神々や人も聞く耳を持たれない。そんなお役に使われるのではなくて、凡人で普通の生活をしたかったが本当です。
私は霊能者と言える者ではありませんが、
本来霊能者とは辛い立場であることを理解しています。自己の幸せを横に置いて、多くの人を助ける仕事だからです。だが、それは金儲けをする為の道ではないのです。
神や霊を金儲けの道具として使う道を選べば、行き先は邪神界に行くとか地獄界となるのです。
創造神は私達に太陽の光や雨による水や空気等、生きる為の物を与え下さっている。それに対して金を払えと言われていないのです。
自分は金持ちに成りたい為に、こんな辛い道を歩いたのだろうか?。例え最初は霊界から強制された道であったとしても、そこには人を助ける喜びがあったはずです。私は肉体のある人を助ける霊能力は持ちません。しかし、霊に関しては助けて感謝もされました。一銭にもならない道でしたが、それはお金では買えないものなのです。
そうした感謝を頂くが、本来の天国への道と言えるでしょう。
他(田)を救(鋤く)いて世根(米)となれ。主の教えは「パン」のみにあらず。
にほんブログ村
この内容がよければ、応援のクリックをお願いします。