「法治国家」に関する誤解を解こう。「法治≠司法の支配」というお話。
突然ですが「法治国家」について私なりの考えを語っておこうと思いました。2025年2月にXで書いたことに、ちょっと補足いれてまとめています。
「法治国家」の4要素
①「国民が「法全体」というものをそれなりに信頼している」
ということが必要なんだと思う。
そのうえで
②「しっかりした審議プロセスを踏む立法機関」
③「法と事実と証拠に基いて裁定する司法機関」
④「法を遵守する行政」
があって初めてなりたつ。
重要なのは「法治国家」は決して「司法が支配する国家」ではない、ということ。立法と司法と行政、このすべてが関わります。
①国民の法への信頼
ざっくりいえば「それなりに納得のいく法律があって概ね、それを遵守するということのメリットが国民にある状態」である。
これは、信頼できる「法体系の整備」っていう面に関して言えば立法組織だけでなく法学者の役割もありますね。
「原則」があり「矛盾」がすくないことが、必要です。
法律と法律の間の矛盾は少なくしておくべきなんです。
あっちの法律で見たときと、こっちの法律で見たときで出る結論が異なるようでは、どっちを「遵守していいか」困りますから。
(ちなみにこの「原則」というのは、日本の法律ではあまり成文化されていない部分です)
「法への信頼性」には関係者及び関係者集団(弁護士含む)の言動・行動が影響を与える。司法・立法・行政関係者の品行問題が重いのは当たり前っすよ。
②しっかりした審議プロセスを踏む立法機関
この信頼が薄れると、これまた①に悪影響を及ぼす。
超党派の議員立法で、審議時間激短~ゼロで…採決まで行っちゃう案件もいくつかばれてきているし、そうなると「立法機関」として国民に信用されないよね。
例)困難女性支援法
ほかにも、法案を外部組織と官僚が手を組んで作る…ということは結構あるようだ。
与党も与党だが、一部のジャンルだけ「審議時間が不十分」とか騒ぎ立てる野党も野党もたいがいだろう。
立憲民主党の執行役員様↓ なーにが「未来への責任を」よ!と思う。
③法と事実と証拠に基いて裁定する司法
これは裁判官だけではありません。検察官、弁護士もこの要素の一部分です。
この信用が最近揺らいでいるように思います。
無理筋の解釈論議にうつつを抜かしたり弁護士も多いし、オキモチ優位の謎判決も多発している。
これが揺らぐとあたりまえに①に悪影響を及ぼします。
「法の下で平等」という原則(これは憲法に明記されている)に対する信頼が揺らいでしまうのです。
やたらと弁護士が立法の領域に口を出すってのも、法への信頼性を微妙に損ないます。「司法による立法の侵食」への道筋を開くものでしょう。
弁護士会の会長とかが、政治的な謎声明を出せば出すほど①は損なわれていくように思います。
「司法の独立」を叫びながら、立法や行政に食い込もうとするのは、大いなる矛盾ではないでしょうか?
④「法を遵守する行政」
法の運用というのは「信義」と「誠実」を基礎とします。
法に基づいているはずの「行政」及び「行政職員」は、職務にあたって国民に信頼されるよう努めることを求められます。
ですので、官僚や公務員の汚職とか腐敗とかが非難されるのは当然です。
法の隙をついての「違法とは言えない」といった範囲での天下りなども、行き過ぎれば「信義」「誠実」が疑われることになります。
「公への信頼」と「法治への信頼」は、近しい関係にありますので問題ですね。民間との癒着で「天下り先の創造」をしてしまうのも、論外でしょう。
民間との癒着で「天下り先の創造」をしてしまうのも、論外でしょう。
官僚機構による民間機関への補助金の恣意的な配分(とそれが生じるようなシステムの創造と維持)。
これは血税を横流しするようなものです。
本来「民意」に基いて配分されるべきところを、行政職員の思想でむやみに動かしてしまうのは、国民が行政を信頼できなくなる原因となるでしょう。
立法府、政治家が無能だと起こりやすい部分ですが「行政」の問題です。
行政の最終責任は「内閣総理大臣」にあるにせよ、行政官がその信頼を損なうような動きをするケースも散見されます。
行き過ぎれば 租税制度への信頼が揺らぎます。 それはすなわち法治への不信につながります。
なぜ私がこんなこと書いているのか?
特に法学の専門家でない私が、これを書くのはちょっと勇気がいりましたが、今回勢いで書いてしまったので、そのいいわけを書いておきます。
こーいうことは、なかなか法学者が書かない領域で、ただそれが悪意とも思いません。
まともな法学者にとっては、あまりにも当たり前すぎて、言語化する必要があるということに気づきにくいという話なのではと思います。
ふとそう思ったので書いてみました。
ネタ…ですが、世紀末の放送大学の面接授業(スクーリングのようなものっす)での、星野英一先生の際の民法の講義(の際の余談?嘆き?暴言?)を、私なりにまとめたといったところです。
星野先生の嘆き…
①政治家の無能っぷりに対する嘆き、
②官僚の倫理観の薄さに関する嘆き
③弁護士や検察の法運用の姿勢に関する嘆き
④リアルの大学の学生の理解力に関する嘆き
正直なまでこれを聞いたときは、「マジかよ」でした。
もうちょっと説明しましょう。
①政治家の無能っぷりに対する嘆き
立法府を支えるべき政治家が、立法というのがどういう営みかわかっていない。法体系の整備・維持も考えずに場当たり的な行政法ばっかり作ろうとする、とお嘆きでした。
②官僚の倫理観の薄さに関する嘆き
政治家の言われるままに、法体系無視した法案を書く上に、妙な抜け穴を作ろうとする、とお嘆きでした。
③弁護士の法運用の姿勢に関する嘆き
ほぼ「論外」扱いでした。
解釈で抜け穴作って有利に運ぶことしか考えていない奴が多すぎ!とおなげきでした。
④リアルの大学の学生の理解力に関する嘆き
ありていに「学生が馬鹿すぎ」ということでした。
これに至っては、星野先生が講義しとった学生って、ほぼ東大生よねえ、どううにも理解力欠如している学生が若干混じるにしろ…そこまでひどいって、ありえるのか?と思ってましたし、入試もやらない放送大学でそれを嘆いても、仕方がないだろうに…と腹の中でツッコミいれてました。
四半世紀の時を経て
四半世紀経過した今になって思えば、星野先生ですら「普通の大学の外」に、問題をもち出すしかなかったのかなあ…とも思います。
国会の学級会化は、かなりうんざりします。
「ブランディング」や「運動戦術」と思われるような、訴訟も沢山ありますし、それを無理やり支える弁護士も少なくありませんし、裁判所の謎の判決も少なくありません。検察にしても「不起訴」になるのが不可思議な案件も多発しています。
最近に至っては、有名大学の研究者たちが、詭弁を弄し法治を破壊しかねないようなキャンセルカルチャーにうつつを抜かし、あるいは法治空間を劣化させようというような運動をするということも珍しくなくなりました。
ウルトラC詭弁を発見したので解体した1ケース↓
う一つ「当事者」という概念を無限拡張しようという動きの解体↓
立法府で議論できる立場にあるので、基本デモのような示威行為に参加する必要はないはずの「政治家」がデモをしたりもします。
非常に残念ながら、星野先生の、罵詈雑言にかなり近い「嘆き」に含まれていたものが、まざまざと感じられる世の中になってしまいました。
星野先生の、若干口の悪い話は「真実だった」のですね。
「まさか…」と思ってしまった若き日の自分の不明を恥じる次第です。
日本に「法治空間」を取り戻そう
「赤信号、みんなで渡ればこわくない」
これは「ツービート」という漫才コンビ(ビートきよし、ビートたけし)のネタでしたが、その時期から「悪ノリでも通ってしまえば何でもあり」といった風潮が社会にも広がってきたようにも思います。
ちょっと「ギャグで済むのか?」とうのは、当時から感じていました。
そういう「悪ノリ」の延長線上に今の本邦の「法治国家の破壊」ともいえる動きがあるようにも思います。
ですが、嘆いてばかりもいられません。
とりあえず「法治国家」というもの、そして「法」、そして「立法」というものを皆さんも考えてみませんか?
これを言いたくて、浅学の身であることに逡巡しながらも、できるだけ簡単な言葉で、法治空間について語ってみたわけです。
生きている限り私も考えて続けていきたいと私は思っています。
お読みいただきありがとうございます。
あ、お勧めの本一冊あげときます。
法律の条文読むのが楽しくなる(かもしれない)本です。
ここから先は
¥ 200
猫又BBAを応援してもいい…という方は、サポートをよろしく! いただいたサポートは妖力アップに使わせていただきます。



購入者のコメント