スイス郊外の介護・看護施設で働くリッチャー美津子さん(59歳)。看護学生時代に出合った高齢者医療の現実に衝撃を受け、訪問看護に携わり、デイサービス管理者として理想のケアを模索しました。再婚を機に46歳でスイスに移住。スイス人義父母のみとりや仕事を通して、人生観や死生観はどのように変化したのでしょう。

(上)看護・介護で25年…再婚とスイス移住を決意させた運命の出会い
(下)日本人の安楽死に付き添って…46歳でスイス移住、義父母をみとり ←今回はココ

ドイツ語を学んでも、電車内の会話が理解できない!

編集部(以下、略) 看護師を皮切りに、訪問看護、デイサービス事業所の管理者など医療の世界で25年以上のキャリアを積んできたリッチャーさん。46歳でスイス人の男性と再婚し、2011年にスイスに移住しましたが、一番大変だったことは?

リッチャー美津子さん(以下、リッチャー) 言葉をゼロから勉強したことですね。スイスは、ドイツ語、フランス語、イタリア語、ロマンシュ語の4つを公用語としており、私が住む地域はドイツ語圏。すぐにドイツ語学校に入り、家では英語も禁止。恥をかきまくって、若者と机を並べて必死に勉強しました。でも、半年たっても、登下校する電車の中で聞こえてくる会話が理解できませんでした。夫に相談すると、「それはそうだよ、私たちが使うのはスイスドイツ語だから」

 もう、「えーっ!」ですよ。スイスドイツ語は方言の1つで、ドイツ人でも聞き取れないことがあるそう。だから、いくら学校で標準ドイツ語を勉強しても電車内の会話を理解できなかったのです。そして、この問題には今でも苦労しています。

 それでも少しずつ話せるようになり、「何かしたい」「もっと誰かと話したい」という気持ちが芽生えました。スイスで仕事ができるとは考えていなかったので、近所の介護看護施設に電子辞書片手に乗り込み(笑)、「ボランティアをさせてください」とお願いしました。夫も「社会とつながるのはいいことだ」とすごく喜び、応援してくれました。この施設には今、二十数カ国のスタッフが在籍しています。

―― やはり行動力があります!

入居者のケアをするリッチャー美津子さん。スイスで外国人として学んだことと、日本での経験を融合した介護・看護のあり方を「フレーゲ Pfege」と名付けて実践し、広くシェアしている
入居者のケアをするリッチャー美津子さん。スイスで外国人として学んだことと、日本での経験を融合した介護・看護のあり方を「フレーゲ Pfege」と名付けて実践し、広くシェアしている

リッチャー 15歳の看護学生の時も、募集も出ていないのに「高齢者看護を経験させてください」と、病院に乗り込みましたからね。

 スイスの介護看護施設では入居者の話し相手などのボランティアを想定していたのですが、日本で看護と介護をしていたと話すとすぐに「清拭(せいしき。入浴が難しい高齢者や病弱者などの体をタオルで拭いて清潔にすること)をしてください」と言われました。本当にうれしかったです! 外国人で言葉もまだまだの私が、入居者の体に触れる仕事を任せてもらえるなんて。このために、日本でいろいろ学び、経験を積んできたのだと思いました。

 早速ボランティア契約を結び、まずは週2日午前中だけ出勤。3~4カ月後、施設側から時間給勤務の提案を受け、その後月給制の職員になり現在に至ります。

―― スイスの施設でも、丁寧な働きぶりが評価されたのですね。現在は、どのような業務に関わっていますか?

リッチャー 日本の看護師資格をスイスで働ける資格に切り替えましたが、制度が異なるため、分野によってできること、できないことがあります。例えば、私は医療ホスピスのリーダーにはなれませんが、この処置まではOKと細かく分かれています。施設からは、「治療計画について利用者のご家族と話し合う業務もやってみたら?」と言われますが、スイスドイツ語に自信がないので断っています。今は看護師としてではなく、もっと広く、介護メインで働いています。