第95話 マリンスノー
サラは、水中を自在に泳ぎ回り、斬っては退避を繰り返していた。クラーケンは、触手を操りサラを追撃するも、サラは難なく回避。これはアイリスが巧みに水流を操り、触手の動きを邪魔していることも大きく貢献していた。
アイリスのサポートを受けつつ、サラは慎重に触手の奥深くに入り込んでいく。いくら触手を攻撃しても、クラーケンに致命的なダメージは与えられないからだ。それは、戦闘開始時に付けた傷が既に回復している様子からも明らかだった。そのため、触手に守られた頭や胴を目指し、サラは斬撃を重ねていく。
一撃、一撃と鯱が獲物を徐々に弱らせるように、少しずつクラーケンを削っていった。そうして、体半分ほど深く入り込んだ時だった。
突然サラの視界が暗転し、
(――気絶? いや、意識はある。まさか、墨か!?)
頭上に輝く『光輪』により、常闇の深海は月夜程の明るさがある。その視界が突然暗転した。視界が無ければ嗅覚に優れるクラーケンに分がある。そのため、アイリスは、すかさず水流を放ち墨を押し流す。
しかし、それこそがクラーケンの狙いだった。
「――がっ!!」
サラの体に電撃が流れたような痛みが走った。いや、電撃なら『雷神』で経験済だ。
「これは違う、この痛みは……がああアアアーーーッ!!」
サラは咆哮とともに、身体に纏わりつく透明な触手をブチブチと引き千切った。体に纏わりつき、海中に溶け込むように同化していたそれは、クラゲの触手だった。
クラーケンは、太い触手に紛れさせ、抜け目なく不可視の触手も放っていたのだ。しかも、この触手には即死性の毒が仕込まれている。
「ド、どうダァ!?痛いかぁ?苦チぃいかぁ?」
見上げなくても分かる。下衆な目がこちらを見ていると。その耐え難い不快感が、サラの闘志に火をつけた。
「――――『雷神』【轟雷】」
サラの体から紫電が走ると、まとわりついていた触手が一気に焼け焦げた。次の瞬間、海中に凄まじい閃光が明滅し、次いで爆音が鳴り響いた。サラを中心に四方に走る電撃が、バリバリと音を立てながらクラーケンの巨木のように太い触手に電撃傷を刻んでいった。
「――――!!」
サラの体に走る紫電をみた瞬間、状況を悟ったリゥビアがアイリスに覆いかぶさると、手にしていた槍を放り投げた。直後、海中を走って来た雷撃が槍に当たり周囲の水がボコボコと音を立て水蒸気へと変わる。
それは、事前に打ち合わせていたことだった。そういう事もありうると。
初めサラからその話を聞かされた時、「そんな自殺行為出来るわけない。なんの冗談だ」と思った。しかし、それを告げたサラの瞳に、嘘や偽りの影が全く無かった。そのため、リゥビアは「起こり得ること」と信じることが出来、即座にレジストできたのだ。こうして槍は、見事に避雷針の役割を果たし、巻き込まれずに済んでいた。しかし、
「サラ殿――!?」
アイリスの無事を確認すると、リゥビアは槍を手に、即座にサラの元へ急いだ。赤く熱を帯びた槍がリゥビアの手を焼いた。とはいえ、既に生者でないリゥビアにとっては生前の感覚が反映されるだけの事であり、実際のダメージは無かった。
アイリスの水流に誘導され、ダラリと力なく垂れ下がる触手の中に埋もれていたサラを抱き抱えると、即座に離脱。
「―― 一旦、引くぞアイリス!!」
意識の無いサラを見るや、リゥビアの判断は早かった。しかし、判断が速いのは敵も同じで、
「ニ、逃がスと思うかぁ???」
周囲の海水がクラーケンに吸い寄せられていく。イカやタコは、触手だけで泳ぐわけではない。実際には漏斗と呼ばれる器官から水を吐き出すことで高速に移動しているのだ。山のような巨体のクラーケンが行うそれは当然、水量、威力とも桁違いであり、直撃すれば必死の攻撃力を有していることは明らかだった。
「――良いのか?クラーケンよ。そんなに勢いよく海水を取り込んで?」
絶体絶命ともとれる死地の中、リゥビアの声音には恐れの色は微塵もない。それどころか、強者の風格すらあった。その気配に、そこはかとない違和感を感じ、外套膜をぱんぱんに膨らませたクラーケンの動きが止まった。
(コイツのこの態度、過去にも……)
それは過去の苦い記憶であり、自らに戒めとして刻んだつもりだった。
「――まさか!!がふーー」
「よっぽど好きらしいなぁ。某が調合した茶が」
リゥビアは、サラを救出した際に、クラーケンが海水を取り込むことを見越して、かつてクラーケンの動きを止めた茶を仕込んでおいたのだ。
「抜けてる様は、いつまで経っても変わらぬな!」
怒りに震え、深紅に変わるクラーケンを相手にせずリゥビア達は珊瑚の中に姿を消した。
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「サラ殿の体が緑色に輝いておる。この鎧、もしや治癒の効果が付与されているのか!?なんと見事な……」
「ちょっと、リゥビアどこ見て、なに言ってるの?」
「いや、某にそのような意図は……それに、アイリス一筋で」
「ふーーーん」
珊瑚礁の奥に隠れた海底洞窟内に身を潜めた三人。サラが纏うビキニアーマー『白磁の鎧』が翡翠の輝きを放ち、傷を癒している。その傍らでリゥビアの言動に嫉妬したアイリスがむくれていた。
「それよりも、アイリスこれをサラ殿に」
「これは?」
「解毒剤だ。飲ませてやってくれ」
「――自分でやったらいいんじゃない?」
「いや、それは流石に……」
リゥビアが差し出した小瓶を手に、意図を察したアイリスが「ふん」と横を向いた。その反応に情けなさそうに眉をへの字に曲げたリゥビアをみて、「うそよ!」と意地悪な笑みを浮かべてアイリスが小瓶の蓋を開け口に含むと、サラの紫色に変色した唇に自らの唇を重ねた。
「――ぐっ!」
僅かにサラの喉が動いた直後、「ダン!」という音が響き、胸が大きく跳ねた。が、なんとか薬は体内へと落ちていく。
「よし。これで一先ずは大丈夫であろう」
胸を撫でおろし安堵したリゥビアをアイリスがじっと見ていた。
「どうかしたか?愛しき人よ」
一切の恥ずかし気もなく、愛を伝えるリゥビアを前にアイリスは押し黙った。
しかし、顔を上げ真っすぐにリゥビアを見つめ返して、
「ねぇ、リゥビア教えて。あなたが最初にクラーケンと沈んでいった後、私はウルザに行ったの」
「そ、そうであったか。村の人は皆、親切であったであろう」
「ええ、そうね。人族ではない私にとっても優しくしてくれたわ。一緒に漁をする仲になったの」
「そうか、そうかそれは良かった」
アイリスはリゥビアを見つめ、後日談を語り始めた。それは、思い出を埋めるようでもあり、そうでなくもあった。
リゥビアは、アイリスの言葉を一言も漏らすまいとじっと耳を傾ける。と同時に、何かを考えるように上を見上げていた。そのまま、長い沈黙が訪れた。
決して重ならない視線。お互いが何を確かめたいのか察していた。
先に沈黙を破ったのはアイリスだ。
「――村の人は誰一人として、貴方のことを知らなかったわ」
「――――――」
「リゥビアあなたは、本当は何者なの?」
「――――――」
再び沈黙が二人の間に流れる。
海底にゆっくりと降り積もるマリンスノーのように時間が流れていく。そのほとんど制止した時の中で、家の中に隠していた捨て犬を母親に見つかってしまった幼子のような顔をして、リゥビアは俯いていた。