大学に入るまで住んでいた東京都武蔵村山市の、家のリビングにはおまけみたいな二畳が取り付けられてて、車とバイクの修理業をしていた父の赤い大きな工具入れボックスとプリンターやら生活に付随する細々とした書類が積もるワイヤーラックが置かれ、その間に小さい体を横たえるとキャパは満杯になった。
広い場所と繋がっている狭い場所が好きだ。リビングを海に見立てて、二畳のスペースは深海、学研のきょうりゅう図鑑で知った中世代の海中肉食生物モササウルスというMy Favorite Dinosaurになりきって息を潜めていると、人類の毛布に包まれているような気分になって安心した。
そこには窓があり、午前中は太陽の光がばら撒かれるのでお昼ご飯をたらふく食べたあとの日向ぼっこには最適だった。板敷が涼しく、白いレースのカーテンの毛羽立ちを口に含むと眠気がやってきたが、寝るにはいたらない。
そのあわいに包まれていると、やがて何かを見たり昨日したことを覚えている「僕」と言われる、「これ」が不思議でたまらなくなって、木の板のニスにピトッ、と肌が張りつく質感だとか唾を飲み込む喉の感触とかのいちいちが何であるか、なぜ「これ」は「これたち」を感じているのかが訳わからなくなって、深い穴に落っこちていくような重力の圧と共に膀胱の辺りがふわり、と浮く快感も混ぜこぜになった当たりでもう戻れなくなる気がして、父の名を呼び、母の名を呼び、午後に遊ぶ約束をした友だちの名を呼び、ジジやババの名を呼んでいくと、かれらは僕を「ひろや」と呼ばれていた(る)、から、僕はいるんだ、と存在の下地が生まれ、着地し、安堵する。
この一連の感覚は中学、高校生くらいまではしようと思えば陥れる感覚だった気がするが、一旦やってしまえばもう「ひろや」と呼ばれている世界に戻れなくなってしまう危険を毎度感じるので滅多にやれるものではなかった、と同時に非日常への冒険としてたまにやってみたくなるものでもあった。気づいた頃にはできなくなっていた。なぜできなくなったか、はわからない。あの感覚が何だったのかもわからない。
岸政彦の『断片的なものの社会学』は、沖縄や大阪のドヤ街で暮らし続ける人々へのインタビュー、インターネットに転がっていた無名の人のブログなど本来ならばカットされたり、正史にはとりこぼされてしまう人々なりの言葉を掬い上げたルポとも学術書ともエッセイとも言えないジャンル分けの難しい本なのだが、イントロダクションでこういうことが書かれている。
私には幼稚園ぐらいのときに奇妙な癖があった。路上に転がっている無数の小石のうち、どれでもいいから適当にひとつ拾い上げて、何十分かうっとりとそれを眺めていたのだ。広い地球で、「この」瞬間に「この」場所で「この」私によって拾われた「この」石。そのかけがえなさと無意味さに、いつまでも震えるほど感動していた。
この記述は、僕の「あの感覚」をネタ化しようと試みたある休日のことを思い出させた。(こんなことがあるから読書はありがたい)
小学一、二年ぐらいの時だろうか。今でもたまにテレビでかかってるらしいが、「エンタの神様」というお笑い番組が土曜の夜十時から放映されていて、毎週楽しみにしていた。五分ほどのペースでいろいろな(異色の)芸人が登場する一時間。
一時期、看板として一世を風靡してたのが波田陽区扮するギター侍だった。アコースティックギターを爪弾きながら、流行りの芸能人の言いそうなことや、世間の反応に「でも、あなた◯◯ですからー!残念!」とツッコんでいく。
ギター侍が流行っていた頃、一ヵ月に一度か二度、老人ホームへ父方のおじいちゃんに家族で会いにいっていた。
老人ホームは芋を蒸した匂いや薄口の醤油の匂いが薬の甘苦い匂いと混ぜこぜになって漂っていた。毎回「名前はなんて言うの」と聞かれたりびちゃびちゃに潤った目玉でじっと見つめるおばあさんや、突然握手を求めてきて長話を始める赤ら顔のおじいさんがいた。ほぼ一日がつぶれるので、行きたくないという不満は、友達でもない同世代と看護師に囲まれて一人で暮しているおじいちゃんを想うと口にできない。
ひと通りの挨拶がすむと、話すことはなくなった。笑っていいとも増刊号は早々に終わり、テレビ番組はどの局もニュース番組になる。やせ細って皮膚がたるみ、産まれたてのひよこみたいなおじいちゃんの顔は見たくなかった。窓から見える郊外の風景、ベランダ、鉢植え、ジョウロみたいなおじいちゃんのお茶飲み。しびん。そういったものに見飽きると、床の角に溜まったホコリが吹いてるのを感じられない極小の風で転がる様子を眺め始める。
夏休みになれば毎週顔を出した。ある時着くと、おじいちゃんがベッドで眠っていたのだったろうか、父はノートパソコンを取り出してヤフオクで車のパーツを漁りはじめた。僕は防音加工をした小さい穴だらけの天井を見上げて、穴をいくつ数えた頃に帰れるだろうか、と考えたりしていた。
数えるのに疲れて、ケータイを貸してとせがむとメール作成のページを開いて、件のギター侍のフォーマットを借りてネタを作った。確かこんなネタだ。
「でも、今あなたがゴミ箱に捨てたホコリはオークションに出したら5万円で売れるものでしたから!残念!」
おそるおそる、その文面を父に見せると、苦笑いしながら「何これ」とリアクションに困惑していた。
いま、岸さんの奇妙な癖と照らし合わせて考えるなら、このおじいちゃんの部屋の床で転がるホコリは、形や組成物、色の具合を世界中のホコリと比較しても全く同じものはないはずで、ここにしかないものだ、ということ言いたかったのだろう、言いたかったんだ!と、リアクションに困っていた父に言いたい。けれど、あの時、僕も黙り込んでスベった……と思った。
「冬のソナタ」という韓流ドラマが同時期くらいに流行っていて、主演を務めたペ・ヨンジュンのモノマネをすると、クラスメイトから先生の間にもウケ、朝の会やお楽しみ会でみんなの前で芸をするお笑い係なるものに所属していたのだけど、二学期になってからはもっと地味な保険係や生活係に転じよう、と決意したことは言うまでもない。
ちびまる子ちゃんみたいなオチをつけてしまった。「……言うまでもないまる子であった」と、キートン山田の声が聞こえてくるようだ。