「3権からの撤退を積極的に促す、奇妙な「市民社会」言説」を言っている人は見たことがないし、そんなことを言う人は今後も出てこないと思いますよ?
村田さんの言う「奇妙な『市民社会』言説」とは、おそらく、私のこの投稿を指していると思うのですが、
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社会運動内で起きた性暴力の事実認定について、社会運動が司法判断や法執行機関による捜査に委ねることに「重きを置く」こと、あるいは、そのような線で押してゆくことの「通りやすさ」について懸念を述べた理由をもう少し詳しく述べます。
私が小学生くらいのとき、私の家には、DVや性暴力の被害を受けた母子が「かくまってほしい」と時々避難していました。2組の親子がそれぞれ別の時期にしばらくの間、私の家で暮らしていたのをよく覚えています。
その時は私は子どもだったので、その女性たちが暴力から逃れて家にきたことは知りませんでしたが、最近になって母と、社会運動内における性暴力の問題について話をしたきっかけで教えてもらいました。
家に避難してきたその女性は社会運動の活動家で、全国的に有名な社会運動団体の幹部の男性からひどい暴力を受けていたそうです。それで、母はそのとき女性に、「こんなん黙ってたらあかん、警察に行こう」と説得を試みたそうですが、女性は、「このことは絶対に誰にも言わないでほしい」と母に強く求めたと言います。
母は、友人の活動家女性が同じ団体の活動家男性からひどい暴力を振るわれたこと知りながら、「黙っててほしい」とお願いされたことで、長らく苦しんだそうです。絶対にあってはならない暴力の問題を、なかったこととして、知らなかったこととして、誰にも言うことができず一生抱えて生きていくことが、暴力を受けた女性だけでなく、それを知った母にとっても、どんなに辛くしんどかったことか、私は近くにいながら、最近までそれを知らず、胸が痛みました。
「女性が、暴力を受けたことを内緒にしてほしいと言ったのは、運動を守るためだったのかな?」と、母に聞いたら、母は、そうだと思うと言って、「運動に組み込まれてしまっていたんだと思う」と言っていました。
(あくまでその女性と母との活動関係や何十年にも渡る長い付き合いでのやりとりに基づく個別の話で、社会運動内の性暴力被害が隠される背景は実際は人によって様々でしょう。)
そのような母とのやりとりで、私は、やはり暴力に反対するような社会運動をしていても、警察に行けない被害者は多いのだろうということを改めて確信しました。
母が言っていた「運動に組み込まれてしまっている」とは、どういうことかは、様々に言えると思いますが、これは深い話であり、具体的に書いていくとすごくたくさんあると思います。
例えば、暴力や差別と闘う運動の理念や理論と、実際暴力が起きている運動の現場や現実の対応との凄まじいギャップ、凄まじい乖離の問題。被害者はそれをどう考えたらいいのか、どう向き合えばいいのかわからないという混乱。運動が訴えてきたことが素晴らしくて運動を信じてきたため、自分の中でなかなか整理・整合性がつかない。運動が自分のアイデンティティになってしまっている場合、余計に運動を否定しづらい。
被害女性がこれからもその運動のコミュニティで活動することを望んでいる場合、被害を告発したら、「運動破壊者」とレッテルを貼られて、コミュニティにいられなくなるんじゃないかと、肩身の狭い思いをするだろうという不安。今までの居場所を失う怖さ。つまり後に述べる、普段からの運動のあり方の問題。
被害女性が運動の中枢や内部で関わってきた場合、運動(の他の問題がある場合)への加担の自身の歴史と向き合うことへの覚悟と勇気が求められる場合もある。それにも時間と精神的な負担がかかることなどなど、運動の中の暴力の問題を、中の人が告発するのはすごく大変で簡単ではないだろうことは、想像がつきます。
社会運動関係者でなくとも、一般的なことで言えば、被害者であっても警察に行きづらい人は普通にたくさんいるのは周知の事実。これまでの加害者との関係やコミュニケーションのやりとりを、加害者によって明らかにされ、説明を求められるとなると、普通に考えてしんどいし嫌なものです。
そこで、社会運動としては、警察に被害届を出しづらいかもしれないことを前提とした被害者支援を普段から考えなければいけないし、上述したような、被害者が運動のために被害を受けたことを内緒にするしかないと考えなくていいようにしていかなくてはいけません。
そのためには、普段から、運動にとって不名誉なことであっても、面倒臭がらずに批判に答える態度を一貫して提示し続けることです。丁寧なコミュニケーションや民主的な手続き、説明責任を大事にする態度でいれば、まわりのみんなも中の人も、違和感や意見や問題を言いやすくなります。
異議申し立てがあった場合の、議論への参加保障と透明性の確保など、フェアな運動ができれば、あらゆる被害者は声を上げやすくなります。その真逆をゆく運動では、暴力は起きやすくなり、隠蔽と加担も起きやすくなると思います。当然運動関係者らのそれらの内面化も起きるでしょう。
したがって、性暴力やハラスメント等の様々な暴力被害については、安易にすぐに「警察に頼れ」では、救われない被害者が運動内外にたくさんいるし、加害者の活動家がコミュニティに居座って加害を繰り返さないように反省を促したり、場合によっては加害者カウンセリングや適切な支援や治療に繋げないといけないし、社会運動としてもっと、警察や裁判以外の救済策・暴力を事前に防ぐ体制づくりも考えないといけない、ということを言いたかっただけです。だから、様々な社会問題全般について、社会運動に対して「3権からの撤退を積極的に促す」ことを言いたかったわけではまったくありません。
(もちろん、加害に遭ったら、記憶が薄れないうちに警察に相談に行ったりして、忘れないように記録を残したり第三者に相談記録を残してもらったりするなどは今後訴えたいと思ったときのために大事なことです。今回は、それを知っていてもなお告発するのは難しいと考える被害者がたくさんいるということについて書いています。)
同性婚や、性別変更における手術要件の撤廃等、その他、多様な性を生きる人々の権利を勝ち取るために司法、立法、行政に働きかけ、要求し、変えていくことが社会運動、市民社会の役目であることは自明すぎることで、私も私の仲間も総力上げて取り組んできていますし、これからもその立場、姿勢に変わりありません。誤解なきようお願いします。
Quote
村田しゅんいち
TGJP

@Shunichi_Murata
今週末はいよいよ #東京トランスマーチ2023 
We claim, we resist, we demand というのは、ITF(インターナショナルトランスファンド)に日本の状況や、TGJPの方針を伝える見出しとして用いた表現です。「存在を主張し、困難に抵抗し、法制度を要求する」という意味です。 x.com/TransgenderJP/…
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