*サ ン ク チ ュ ア リ..10*



「……全然、入れたことなかったんだ~?」
 スコールの頭を胸に抱いて、亜麻色がかった栗色の髪を指先で弄びながらセルフィが囁いた。
 お互いベッドに潜り込む前に、ちゃんと髪は乾かしていたので、さらりとした滑らかな感触が指に心地よい。
「おじょ~さまのこと。このお部屋に」
 いつもスコールの身体に残っていた、サシュリナの香水の残り香。
 本当は、この部屋にもあの香りが移ってしまっていても不思議はないとセルフィは思っていた。
 けれど実際にこうして部屋の中にいても、スコールが使っているシャンプー類の香りがかすかにする程度で、サシュリナの香水の香りはまったく感じない。
「……入れる訳ないだろ」
 冬だというのに散々冷水シャワーを浴びまくったおかげで、少々身体が冷えてしまったスコールが、不機嫌そうにぼそりと答えを返した。
「入るのだって嫌だったんだ」
 憮然とした声で語られる言葉に主語は抜けていたが、それがサシュリナの部屋を指していることは明らかだった。
 部屋に香りがまったく残っていないということは、さっきのように部屋に戻ってすぐにシャワーを浴びてしまって、身体から香りを全部落としてしまっているということを示している。
 スコール自身があの香りを好んでいないというのもあるだろうが、それが八割方自分のためなのだろうことも、なんとなくセルフィにはわかって、それが少し嬉しかった。
 大事な大事な聖域を、守っていてくれたみたいで。
「……うん」
 淡く微笑んで、セルフィは軽くスコールの髪を撫でた。
 今こうしていることで、なにがしかの問題が明日発生することになるかも知れないが、そういうことは一切考えないようにしようとセルフィは決めていたし、それは恐らくスコールも同じだった。
「SeeDの仕事じゃないよね~」
 呟くと、ふと昨日自分に向かって問いかけてきた元SeeDの狂信者の声がよみがえる。

 ――――君がSeeDにこだわる理由なんてあるのか。

 ――――俺達はガーデンの道具たれと育ってきたが……あの夫妻の玩具なんかじゃ絶対にないはずだ。

 戦闘することは嫌いじゃない。
 セルフィは元々好戦的な性格だし、自分の力を解放して戦い、勝利を得る快感は何にも代え難いものだとも思う。
 でも……今の自分たちは?
 ディアルの言うとおり、シドやその他の大人たちに、まるでゲームの駒のように遊ばれていないと、どうしてそう言い切れるだろう?
 ガーデンの道具となり、手足となって戦うのはいい。けれど、今のこの状況は、果たして本当に自分たちが望んだ未来の一部なんだろうか。
「……なんとか、しないとな」
 スコールの呟きにもう一度うんと頷いて、セルフィはかすかに唇を噛んだ。
 何か大きな岐路が、恐らくすぐ眼の前に、現れるような気がする。
 ひとつ間違えば自分にとってもスコールにとっても取り返しのつかなくなる、とてもとても大きな選択が待っている。
「明日考えればい~よ、そんなの。今日はとにかくぐっすり寝るの~」
 ディアルが残した情報についても、スコールにいつかは話さなくてはならないことだ。けれど、こんなに頭が混乱した状態では何の答えも出せなくて、今はまだ何も言えそうになかった。
「えへへ、眠れなかったら、子守歌でも歌ってあげようか~?」
 からかうようにそう言うと、スコールはセルフィの胸に頬を埋めたまま、ちらりと視線だけ上げて軽く笑った。
「……ハイリに歌ったあの歌か?」
「……え……」
 トラビアに帰郷していた時、真夜中眼を覚ましたハイリに請われて、誰もいない玄関で子守歌を歌ってやったことを思いだし、セルフィの頬がぼぼぼぼと火を噴いた。
「え……え……えぇっ!?」
 誰もいないと思っていたのに。
「き、き、聴いてたの~っ!?」
 確かに思い返してみれば、ハイリが寝入ったすぐ後にスコールが捜しに来てくれたわけで、タイミングは良すぎといえば良すぎなわけだが……しかし。
「……下手じゃないんだから別にいいだろ」
「やだも~、スコール悪趣味~!!」
 恥ずかしさのあまりスコールの頭を放り出したセルフィに、スコールがくすくす笑いながら肘をついて身を起こし、真下からセルフィの顔をのぞき込んだ。
「そう怒るな」
「……怒ってるんじゃなくて恥ずかしいの~!!」
 む~っとふくれっつらになって、セルフィが唇をとがらせた。
「ママ先生みたいに上手くないもん。だから聴かれたくなかったのに~」
「……ママ先生?」
 唐突に出た名前に、スコールが訝しげに眉を寄せる。きょとん、とセルフィもスコールの反応に眼をまるくした。
「え? なに? ……覚えてないの~?」
 スコールが知っていて当然といったその反応に、スコールは懸命に記憶を探る。
 なぜかひどく懐かしい感じがした、胸がしめつけられそうな思いに囚われた、あの歌。
 真剣に考え込んでいると、やがてセルフィが呆れたように笑って、スコールの頭をまた胸に引き寄せて抱きながら言った。
「もお、信じらんないな~。ママ先生がよく歌ってくれた歌じゃない~」
 ホントに忘れたの~? 問いかけられて、スコールもおぼろげな記憶を何とか引っ張り出す。
 そう言われてみれば、あの時代に聴いた歌だったような、気はする。
「なんか、セントラに伝わる歌だとかで、歌詞もちょっと今の言語と違ってるんだよね~。ママ先生が歌ってた通りに覚えちゃっただけだから、あたしも歌の意味ちゃんとはわかんないんだけど~」
 あぁ、違うな。セルフィの声を聞きながら、スコールはふと思い出していた。
 自分が覚えているこの歌の歌い主は、イデアではなくてエルオーネだった。
 ひどい人見知りで、イデアにさえろくに懐きはしなかったスコールだから、昼寝をする時も夜眠る時もエルオーネが傍にいてくれて、イデアの代わりに歌を歌ってくれたのも彼女だった。
 エルオーネがいなくなってからは、その歌を聴くのが苦痛で、イデアが歌う時はいつもその場にいなかった。――幼いスコールにとって、あの歌を歌うのはいつだって、エルオーネでなくてはいけなかったから。
「でもスコールには恥ずかしいから歌ったげないんだから~。心臓の音でも聞いてなさい~」
 きゅっと頭を抱く腕に力がこもる。
 なんで心臓なんだよと軽く笑い出したスコールに、ふわふわ笑ってセルフィが囁くように答えた。
「だって、誰かの心臓の音って聞いてると安心するでしょ? よく言うじゃない、赤ちゃんにお母さんの心臓の音聞かせると安心して泣きやむ~って。あたし達はお母さんなんていないけど、そういう赤ちゃんの記憶って絶対どっかに残ってるもんじゃない?」
 それで先ほどセルフィが、いきなり左胸にスコールの手を押し当ててきた訳がわかった。
 セルフィはセルフィなりの考えで、スコールを安心させようとしているだけなのだ。行動は確かに突飛だが。
「だからあたしスコールの心臓の音聞いたら安心するもん。ね、スコールは? 安心する?」
 昔リノアに同じようなことを言われたなと、ふと思った。
 誰かにくっついていると安心する、人との接触を避けてきたスコールはとても損をしていると、そんなふうに。
 途中父親と断絶はしたものの、幼い頃には両親の愛情を湯水のように浴びて育ったリノアと、スコール同様親の顔すら知らずに生きてきたセルフィと。
 育った環境はあまりに違うのに、なぜ彼女たちは口をそろえて同じ言葉を言えるのか、それがスコールには不思議だった。
 無言のままのスコールに、セルフィは一度何かを言いかけて、結局何も言わなかった。
 沈黙が落ちても、負担には思わなかった。眼を閉じて言われたとおりに鼓動音に耳を傾ける。
 今ここで、間違いなく彼女が生きているのだと証明するその音に安堵を覚えるのは確かだが、それは彼女の言う安心とはまた少し質を違えているような気もした。けれどどうでもかまわなかった。
 触れているのが彼女である、その事実があれば、それでいい。
 親しくもない人間と接触し続けなければならなかった、ここ数日の苦痛を癒したい一心で、スコールは柔らかな温もりに埋もれ、眼を閉じた。

 甘えさせてくれることはあっても、スコールが甘えてくることはほとんどない。
 その彼が、セルフィの腕の中で身じろぎもしないでいる事実が、彼女に不思議な感覚をもたらしていた。
 恋をした相手に対する感情とは、ほんの少し異なっているその気持ちは、とても優しいものに思える。
 小さな子供にするように、黙って癖のない髪を撫でていると、ふいにその頭がぐっと重みを増した。
 胸が圧迫されて呼吸が少し苦しくなり、セルフィはそっとスコールの顔をのぞき込んで、それから彼を起こさないように注意しながら、腕に力を込めてその頭を枕の上に戻してあげた。
 いつも眠りの浅いスコールだったが、注意を払った甲斐があって眼は覚まさなかった。どこか無防備で日頃の頑なさを脱ぎ捨てたその寝顔に、セルフィは少しの間見入ったように動かなかった。
 大好きだと思ったことは何度もあった。
 けれど、愛しい、と思ったのは、もしかしたらこの時が初めてだったのかもしれなかった。
(スコール……)
 無防備になった一瞬を狙うように、すとんと言葉が胸に落ちてきた。
(……あたしと一緒にいてたら、スコール死んでまうかもしれんね……)
 心の中で呟いた言葉を認識した瞬間、ずきりと胸が痛くなってセルフィは顔をしかめた。
 止まりかけた息を無理矢理深呼吸して復活させて、起こさないように慎重に慎重に、スコールの前髪をかきわけるようにして額に触れた。
 ただ力を封印している、その鍵を持っているというだけで敵視されて、命を狙われて。
 任務に名を借りた卑怯な方法ですでにその手はスコールに伸びつつあって。
(あんな思いは、もうしとうない……)
 きっと次は耐えられないだろう。また喪うのは。置いていかれてしまうのは。
 ぞくりと背が震えて、ぎゅっと強く奥歯を噛みしめた。
 額に触れている指が小刻みに震えて止まらない。
 セルフィは彼を起こしてしまわないように、胸元に手を引き寄せきつく拳に握った。

***

 雨が降っている。
 スコールはそれを眺めながら、いつでもいつまでも帰りを待っている。
『……おねえちゃん』
 誰にからかわれても、イデアにどう諭されても、必死で求めずにいられなかったたったひとつの温もり。
 けれどどんなに頑張っても頑張っても、結局自分はこの石の家から一歩も出ることができなかった。
『スコール、またここにいたのね』
 優しいイデアの声が背中で聞こえても、スコールが振り向いたことは一度もない。
 頑なに最愛の姉を待ち続けるスコールのすぐ脇に同じように座って、イデアが静かに言った。
『エルオーネを捜しに行きたい?』
 びく、とスコールは肩を震わせてイデアを振り返る。
 変わらず穏やかに微笑んで、イデアが言った。
『もう少し大人になって、あなたが今よりずっと強くなったら、きっとエルオーネを捜しに行けるわ』
『……強く?』
 えぇ、とイデアが頷き、スコールの瞳の奥をのぞき込むようにして言葉を続けた。
『強くおなりなさい、スコール。大切なものを誰からも奪われないほどに。そうすれば――』


 自分は今、あの時のイデアが言ったような強い人間になっているだろうか。
 大切なものを奪われることのないように、守りきれるだけの強さを手に入れているんだろうか。


『……ママ先生、もし……』

 雨の中に吸い込まれて消えそうな、小さな自分の声。

『もし、ぼくが強くなれなかったら……?』


 あの時立ち上がりかけていたイデアは、自分の問いになんと答えたのだったか――


『……もし、あなたが強くなれなかったら……』


 ――――強くなれなかったら――……?



「――――ッ!」
 びくん、と大きく震えてスコールは眼を開いた。
 数秒間呼吸も忘れて硬直し、それからゆるゆると全身の力を解いて大きく息をつく。
「……ごめん、起こした~?」
 ふいに鈴の音のような声と共に、熱い手が額に触れた。ぎし、と音を立ててベッドの上に腰を下ろす気配がする。どこかに行っていたらしい。
 眼から額にかけて触れているので、驚き顔を向けたが少女の姿は見えなかった。
「うわぁ、すごい汗だねぇ~。怖い夢……みた?」
 問いかけられて、スコールはそのままの体勢で少し考える。
(怖い、夢……)
 なにか悪夢でも見ていたのか。
 そう考えて記憶を探っても、もう何の夢を見ていたのか、断片すら思い出すことはできなかった。
「……さあな」
 最近はいつもこうだ。眠りがひどく浅い。元から熟睡しづらい体質ではあったけれど――。
「覚えてないの~? ……まぁ、その方がいいかもね~」
 いつもよりさらにほわほわっとした喋り方のセルフィの声を聞きながら、スコールは小さく息をついた。
(あぁ……そうか……)
 そうだった。今日はセルフィより先に眠ってしまったのだ。
 だから抱いて眠ることができなかった。
 腕の中にセルフィがいる時は、眠りが深くなることこそないが、少なくとも嫌な夢は見ないですむ。眠り自体は浅いので、セルフィが身動きすると眼が覚めるが、彼女がちゃんといることを確認できればまたすぐ眠ることができる。
 せっかくセルフィがいるのにもったいないことをしたと、スコールはかすかに苦笑しながら、額の汗を拭ってくれる小さな手に軽く触れ、違和感にふと顔をしかめた。
(……熱い?)
 確かにセルフィは子供体温で、スコールよりは確実に手は熱いに決まっているが、それにしたって熱すぎる。
 寝ぼけていた頭がまともに回転をはじめ、つい最近も、セルフィがこんな熱い手をしていたことを思い出す。
 トラビアからバラムに帰ってきた日の夜――
「!」
 突然跳ね起きたスコールに、半身を起こして座っていたセルフィがびっくりしたように顔を上げた。
 潤んだ翠の瞳。
 上気した頬に手を押し当てると、驚くほど熱かった。
「……だいじょぶだよ」
 慌てたようにセルフィがスコールの手をはずそうと身をよじる。
 瞬間ぐらりとその身体がバランスを崩すのを、スコールは慌てて抱き支えた。
「あれ……」
「あれ、じゃないだろ」
 華奢なその身体も、やはり熱を帯びている。
 額に当てた手を、頬から首筋に滑らせてから小さく舌打ちしたスコールに、セルフィが力なく笑った。
「……ホントに、だいじょぶ……平気だよ。今薬も飲んだし……」
「薬?」
 安心させようとセルフィは言ったのだが、言ってから逆効果だったと気がついた。
 何しろセルフィは、薬がとんでもなく苦手なのだ。そのセルフィが、自分で夜中に薬を飲もうなどと考えること自体がすでに異常なわけで。
「何の薬だ?」
 表情自体は変わっていないが、ものすごく不機嫌オーラを醸し出したスコールに内心あちゃ~と思いつつ、セルフィは先ほど飲んだ解熱鎮痛剤の名前を口にする。
「ね、だから……だいじょぶだから、心配しないで」
 何が大丈夫なのかと、スコールは溜息をつきながらセルフィを寝かせて毛布を肩までかけてやって、セルフィの頬や首筋に触れながら必死に考える。確かに今はさほど熱は高くないが、年始の時はセルフィの「大丈夫」をうっかり信用して朝まで様子を見て、結果熱が上がるだけ上がって大変なことになったのだ。
 あんな思いはもう二度としたくない。
 確かあの時に体温計をもらったのがどこかにあったはずと、スコールは記憶を探る。体温を測って、薬は飲んだと言っていたが一応カドワキに診せなくてはならない。
 カドワキはもう寝ている時間だが、できたら彼女に診てもらいたかった。夜間に子供が急病になった時の為に、バラムの国立病院と提携が結ばれており、保健室には医師がひとりは待機しているが、セルフィが熱を出すのはいつでも精神的に何かがあった時だということを考慮すると、以前PTSD関係で相談を持ちかけたカドワキに診察を頼む方が確実に違いない。
 カドワキの内線を直接鳴らして呼び出すか、それとも保健室にセルフィを連れて行ってカドワキを呼ぶか。
 ともかく体温計だ、とスコールはセルフィに背を向けてベッドから降りた。
「いや」
 突然背中で、切迫した声が上がった。
 びっくりして振り返ると、潤んだ翠の瞳が必死でスコールを見上げていた。
「いかないで……」
 それは思わずスコールが呆気にとられるほど、心細そうで頼りない、弱々しい姿で。
「大丈夫だから……ここにいて」
 置いていかないでと、翠の瞳が訴えていた。
 突然様子を変えたセルフィに、スコールは少し当惑して、そんなセルフィを見つめ返す。
 年末年始のトラビアで、不安に怯えて泣いたセルフィなら何度も見たが、それでもあの時はどこかで気を張りつめていた分、今のセルフィの方がひどく弱々しく見える。
 熱を出しているから不安になっている? ――確かにそうとも言えるかも知れない。
 けれど、それだけでもないような気がした。
(そうだ……そもそも、なんでセルフィはここにいたんだ?)
 サシュリナがガーデンにいることを知っていたのに、それでもこの部屋の前でスコールを待っていたセルフィ。
 本当は、セルフィも何かひどく不安になることがあって、救いを求めてあそこにいたんじゃないだろうか。
 けれどセルフィよりスコールの方が精神的に逼迫した状態にあったから、それを敏感にセルフィは察知してしまったから、だから彼女はスコールを優先せざるを得なかったのではないだろうか。
 突然弱気になったわけではなく、もしあの時からずっと必死で耐えていただけだとしたら――
「……セルフィ」
 床に膝をついて視線の高さを同じにし、ひどく何かに怯えたような表情をしているセルフィをのぞき込む。
 セルフィはいつだってそうだ。
 自己犠牲、なんて偽善的な概念も何もなく、ただただ無意識に、どこまでも素のままで、当たり前に自分の好きな誰かを自分より優先してしまう。
 自分自身すら騙してしまうから、スコールも、そして当のセルフィ自身さえも、そのことに気づけない。
「わかってる。どこにも行かない」
 過去二回、セルフィが熱を出したのは、どちらも精神負担が大きくかかった時だった。
 何かがあったのだろうことは、多分確実だった。スコールにその内容を知るすべはなかったが、こんな状態で何を聞き出せるはずもないことも、わかっていた。
「……今夜は一緒にいてくれる約束だろ?」
 こつんと熱い額に自分の額を押し当てて囁くと、ようやくセルフィがかすかに笑ってくれた。
 ほんの数時間前までは母親みたいな顔でスコールを抱いていたくせに、今はまるで小さな子供みたいな顔で。
 とにかく不安がっているようなので、カドワキには申し訳ないが来てもらうしかないだろう。
 そう考えて、スコールはセルフィの手を握ってやると、片手を枕元に置いてある携帯に伸ばした。
 内線電話までは届かないので、とりあえず外線経由でカドワキを起こすしかない。

 カドワキは思ったより早く電話に出てくれた。
 スコールの部屋にカドワキが来る前に、薬が効いたのかセルフィは眠ってしまっていた。

***

「過労とストレスだね」
 体温計を見ながらカドワキがあっさりとした口調でそう言った。
「過労……」
 スコールはかすかに眉をひそめる。
 確かにここ数日のセルフィの疲れ方は、普通ではないと思ってはいたが……。
「……解熱剤は飲んだって言ってたんだね?」
 体温計から眼を上げて、カドワキはスコールに問いかけた。
 頷いたスコールに安心させるように、穏やかに笑いかける。
「じゃあ、もうすぐ効果も出るだろ。熱もそんなに高くないし、心配ないよ」
 とにかく年始の際の一件があるので、ある意味セルフィ本人よりもスコールの過剰反応の方がカドワキは心配だったりする。表情こそ無表情鉄仮面だったが、あの時のスコールの動揺ぶりは今でも印象に残っている。
「あの薬は……」
 表情は変わらぬままスコールが呟くように訊ねてくる。
 任務時に支給される薬品類の中にはない、少し強めの解熱鎮痛剤。スコールがその不自然に気づかないはずはないかとカドワキは嘆息し、仕方なく答えた。
「頭痛がするって言うから処方してやったんだよ。つい最近ね」
 セルフィからは口止めされていたのだが、この状況では仕方あるまい。
 薬嫌いで有名な少女なだけに、スコールは無表情ながらやはり驚いているようだった。
 毛布を直してやりながら、ベッドの端に腰を下ろしているスコールの方を向いてカドワキは言葉を続けた。
「SeeDってのは何だかんだで心身共に壊す子が多いけど、不健康な商売だね」
 十代の、まだ身体がきちんと出来上がってもいない少年少女が大人の中に放り出されて、戦闘して帰ってくるのだ――体力、精神力どちらも成長途上だというのに。
 孤児を引き取り育てるという理念は素晴らしいものだろうが、前ガーデンマスターのノーグが考えた商売は、やはりちょっと非常識な物であるとカドワキは思う。
 それはシドも薄々感づいてはいるだろうし、恐らく今後ガーデンもSeeDもその形を変えていくことにはなるはずだ。
 だが、急な変革が突如訪れるはずもないというのもまた真理。
 しばらくはどの子も同じように使用され、摩耗していくばかりなのだろうとカドワキはちょっと溜息をついた。
「……カウンセラー泣かせの子だね、この子は」
 黙ってカドワキの話を聞いているスコールに、世間話でもするように淡々とカドワキはそう告げた。
「あんまり鋭すぎて、カウンセラーが何を聞こうとしていて、どんな答えを期待しているのか、そういうのが全部わかってしまうんだろうね。そして、こういう子は期待に応えずにいられないから、本心をねじ曲げてもカウンセラーが期待する答えを口にしてしまう」
 年始に相談をした、セルフィのPTSDの件。
 軽度から中度のPTSD――それがその時カドワキが下した診断だ。
「だからこういう子には、医者より身内の方が案外効果があるんじゃないかと思っていたんだよ」
 スコールに勧められて椅子に腰かけながら、カドワキが笑った。
「実際、ずっと安定して元気だったろう?」
「……えぇ」
 スコールは静かに頷いた。
 そう、確かにサシュリナが来てこの部屋をセルフィが出ていくまで、ずっとセルフィは元気で明るくて、安定していた。
 あれからほんの二十日少しだ。
 それだけの日数で、まるでトラビアに滞在していた頃に逆戻りしてしまったように不安定になってしまった。
「まぁ過労もあるだろうけど……要するにね、甘えたいんだと思うんだよ」
 高熱の原因を、カドワキはあっさりと一言で説明してみせる。
「子供なんかでもよくある話でね、仕事がちの両親が、子供抜きで外出でもしようかなんて仕事の休みを取ったりすると、とたんに子供が熱を出して全部おじゃんになったりする――まだ小さくて、甘え方もうまくわからない子供が何とかして甘えようと取る手段のひとつ、みたいなもんだろうね」
 セルフィがずっと、自分の奥深くにこっそり隠してきた、子供のままの幼いセルフィ。
 スコールが見つけだして、表に出してやることでようやく成長を始めた彼女が、そうやって熱を出しているのだと。
「まったく、庭育ちの子はどの子も甘え下手でいけないね」
 くすくすとカドワキが笑ってそんなふうに言った。
「なんにせよ……今の状態が続くのは、この子にとっては良くないね」
 今の状態、というのはもちろん、サシュリナがガーデンに居座って、セルフィがスコールと引き離されているという現状のことだ。
「この子はずっと、心の中にある土台が変な形で安定してしまっていたんだろう? それをあんたが一緒になって取っ払ってやって、一から土台を造り直してやったんだ。
 でも、まだ造り途中の土台は安定していない。この子自身の心が強くても、それを支えるものがなければ簡単に揺らいで不安定になってしまう」
 わかるかい? 問いかけられて、スコールは無言で小さく頷いた。
 たとえ多少偏りがあろうとなんだろうと、以前の状態はそれなりに安定してしまっていた。だから今の状態がより不安定に見えるのは当たり前のことだった。
 別にセルフィが弱くなってしまったとか、そういうわけではないのだ。
 年始からずっと、セルフィにとって失われてしまった支えの代わりになっていたのが、スコールだった。スコールがいたから、セルフィは安定した状態で、一から自分自身を築き上げようと懸命になっていたのだ。
 それなのに、周囲の環境がセルフィからスコールを引き離してしまった。
 今のセルフィは、不安定で未成熟な土台の上で、危うい均衡を必死で保っているようなものだった。
「この子のPTSDの原因は、確かトラビアの爆撃だったね」
 ふいに問いかけられて、スコールは慌てて頷いた。
 突然何かと視線を向けると、カドワキは難しそうな顔で眠るセルフィを見つめていた。
「思うに、これは私の見解なんだけどね……この子のトラウマは、要するに親しい人間が死ぬ、いなくなるってことに対する恐怖にあるわけだろう?」
 故郷の存亡。それに伴う家族に近い友人の死。カドワキの言葉に間違いはない。
 頷いたスコールに、カドワキはまた言葉を続けた。
「それで、まがりなりにもあんたの傍で、ちゃんと安定していたこの子が、たった二十日あまりで不安定になった理由を考えてみるとね……このトラウマに抵触する何かが、この子に起きたと考えるのが自然じゃないかと思うんだよ」
 スコールは、首を傾げた。
 今回連続して任務を受け続けたセルフィだったが、同行したSeeDに死者が出たという報告は受けていない。
 また、トラビア関連でもセルフィに親しい人間が新たに死んだという話も聞いていない。
 そう告げると、カドワキは思い切り呆れたような顔になって肩をすくめた。
「誰がそんな話をしているんだい、私が言ってるのはあんたのことだよ」
 一瞬スコールは自分が宇宙語を聞かされている気分になった。
「……俺は生きていますが?」
 大真面目に返答したスコールに、今度はカドワキが肩を落として脱力した。話が噛み合っていない。
「誰があんたが死んだなんて言ったんだい! 可能性の話だよ、可能性!」
「可能性……」
 眉根を寄せたスコールに、カドワキはふう、と溜息をついた。
「つまり、今のこの子にとって最も家族に近いあんたとか、あんたの姉さんとか父さんとか、そういう人間を喪うかもしれないという可能性をこの子が感じて、それがストレスになったんじゃないかって言いたいんだよ」
 それでようやくスコールにも、カドワキの言わんとしていることが理解出来た。
 任務に出た際の生還率がどうこうといった漠然としたものではなく、もっと具体的な形で喪失の恐怖を覚えるような何かがセルフィにあったとすれば、今の情緒不安定の理由は説明がつく。
 だが、その何かがスコールにはぴんとこない。
 グランディディエリの森で起きたミッショントラブルのことが脳裏をかすめたが、あれから随分日が経っているし、何よりセルフィが自分の手でスコールを救ったのだ。ここまで不安定になる理由には、ならない気がする。
 つまりスコールの知らない場所で、スコールに関係する何かがあった、ということだ。
 恐らくそれがセルフィを真夜中にスコールの部屋の前で、ひとりスコールを待たせていた理由でもあるのだろう。
 それにしても、それならそれで、何で肝心の自分には何も言おうとしないのか、スコールはやや苛立った気分で溜息をつく。
(……いや、そもそも、悪いのは俺か……)
 先ほどの廊下のやりとりを思い出し、スコールは肩をちょっと落とした。どう考えても余裕のないスコールを前にして、気にもとめずに自分優先で不安を吐露するような少女だったら、そもそもスコールはセルフィに惚れていないし、過度に頼られるだけの器が自分にないことは、つい先ほど自覚したばかりではないか。
 思わず額に手を当てて自己嫌悪に陥っていると、カドワキが見かねたように口を開いた。
「……あのね、あんたもそうやって、ぐるぐる悩んだり考え込んだりすんじゃないよ」
 眼を向けると、カドワキは呆れたようにスコールとセルフィを交互に見て、言葉を続けた。
「この子もそうだけど、相手に自分が相応しいかどうかとか、そういうせせこましいことを真面目に考えすぎるとね、どんどんドツボにハマっていくんだよ。まだ若いんだし、もっとあんた達は思い切り突っ走ったっていいと思うけどね」
「…………」
 スコールは視線を落として、少し苦い気持ちでその言葉を聞いた。
 何も知らないから、と思う。
 本当は自分がどんなことを考えているのか、セルフィに何をしたがっているのか、もし知ったらカドワキだって、こんな無責任なことは言えないに違いないのだ。
 素直に人を愛せるような、リノアみたいな人間だったらそれでもいいと思う。
 けれど自分は。ただどうしようもなく相手に固執することしかできない、こんな自分がそんなふうにしたら。
「あんたは何というか……完璧主義者なとこがあるのかねぇ。何もかもが上手くいかないと、他人との付き合いをいきなり断ち切ったりとか、そういうタイプだろ?」
 呆れたようにカドワキが息をついて静かに言った。
「自分を本当に好きな相手としか接触したくないとか思っているんじゃないのかい? 拒絶されるくらいなら人間関係なんて必要ないって思っているんだろ?」
「俺の話は」
 ふいに声を尖らせて、スコールはカドワキの言葉を無理矢理遮った。
「……俺のことは聞いていません」
 聞いているのは、聞きたいのは、セルフィのことだけだ。
 自分のことなんて、自分がもう一番良く知っている。
 第三者に今更自分のことで教えてもらうようなことなど、何もない。
「だけど見つかったんだろ?」
 スコールの反応など知らぬげに、にこりと笑んでカドワキが言った。
「あんたが相応しかろうと相応しくなかろうと、なんにも気にしないで好きでいてくれる子をさ」
 唖然として思わずカドワキを見つめたスコールに、くすくすと楽しげにカドワキが笑った。
「いや、少し前にこの子が愚痴ってたことがあってね。男ってのはなんだってああもカッコつけなんだろう、自分は全然気にしないんだから、たまにはどっか~んと爆発するなり盛大に愚痴るなりした方が人生楽なのにってさ。あんたのことなんだろうなって思って、聞いてたんだよ」
「…………」
 この少女は一体何をこの養護教諭に語っているのだか。思わず頭を抱えたスコールに、カドワキはますますおかしそうに声を殺して笑った。
「……よかったね」
 憮然とそっぽを向いていたスコールは、ふいにかけられた言葉に視線を戻した。
 意外なほど優しい笑顔がすぐそこにあって、そのまま何も言えなくなる。
「今までのさ、色んなことがあって、色んな経験を積み重ねて、そうしてできた今のあんただから、今のこの子を見つけられて、この子もあんたを選んだんだろ?」
 スコールはカドワキの膝上で組まれたふくよかな両手を見つめたまま、黙って聞いていた。

 ――――カッコいいスコールも、弱音吐いてるスコールも、どんなスコールだって――……

「……全部が必要十分条件だったんだろうね。あんた達がそれぞれに経験してきた哀しいことも、なくしてきた思い出も含めて何もかも全部が、あんた達がお互いを手に入れるのに必要なことだった。私はそう思うよ」
 ふいに視線の先にあった手が動いて、ぐしゃりと乱暴に、子供にするように頭を撫でられた。
「あんたは自分を不完全な人間だと思っているかも知れないけどね、そもそもこの子は完全無欠のあんたなんて好きじゃないんだよ。お互いに欠けてる部分がぴったり合うから好きなんじゃないか。
 そういうのって、幸せなことじゃないのかい? 出会えてよかっただろ?」

 ――――あたしはぜ~んぶ、大好きだよ?

「…………」
 眼を伏せてかすかに苦笑したスコールに、カドワキはもう一度頭を撫でてやった。

***

 ハインの遺産を受け取ったことを、セルフィは一度も後悔したことはない。
 兵士としての教育を受けて育った分、力は彼女にとって忌むべきものではなかったし、怖いと思ったこともない。
 第一この力がなかったら、そもそも今セルフィは目覚めているかどうかもわからない。あのまま永遠に植物状態になった可能性だって充分あったのだから。
 だからオダイン博士に告げられて、この力を持ったことによる危惧と持ち続けるリスクを知ったあの時さえも、セルフィは何ひとつ後悔せずに、ただ自分の胸の内にしまっておこうと決心できたのだ。
 ただひとつだけ、そのことにスコールを巻き込んでしまったことが、辛かった。
 そんなことを言えば彼は怒るだろうけれど。

 けれどセルフィはやっぱり後悔はしていなかった。

 あの時夢の世界より、スコールのいる現実を選んだことを。
 巻き込むことがわかっていて、巻き込まれるのを承知で自分にバングルを嵌めた彼を、受け入れたことを。

 後悔はしない。
 たとえどれほど少ない選択肢しかなかったのだとしても、自分で選んだと常に信じていたいから。

 ――――なんなら今から逃避行でもかまわないが?

 もし望んだら本当に、スコールは自分の手をとってここから逃げ出してもくれるんだろう。
 一年半前、リノアを背負ってひっそりとガーデンを出奔してしまったあの時みたいに。
 真実運命から逃げられるはずなんてなく、ガーデンを出たところで新しい戦いが待っているだけだとわかっていても、それでも。
(スコールはそれで、ハッピーになれるんかなあ……)
 ガーデンの手足として戦いの中に身を投じるにしろ、ガーデンを相手に回すような戦いに身を投じるにしろ、セルフィはどっちでも本当はかまわなかった。――スコールの傍にいられるのであれば。
 けれどスコールはどうなのだろう。
 彼にとって、ガーデンや、SeeDというのはどういう存在なのだろう。
 ただSeeDにすがるしかなかったセルフィは、もうすでにそんな段階を超えてしまっている。
 SeeDであること、それ自体より、今のセルフィにとって大事なのは、自分がSeeDを目指して努力し、そして目標を果たすことができたという事実なのだ。名前より何より、積み重ねた努力とそれが創り上げた今の自分自身がセルフィの一番の誇りだ。
 けれどスコールは……?

「……どうした?」

 ふいに耳元で艶やかな声がした。
 低く耳に心地よい、セルフィの大好きな声。
 それで意識が現実に戻って、自分が眠っていたことに気がついた。
 ぼんやりとセルフィは眼を開き、自分の隣でいつも通りに自分に腕枕をしながら抱いているスコールを見る。
「今、呼ばなかったか?」
 問いかけられて、セルフィは首を横に振る。
 スコールは手を動かしてセルフィの頬に触れ、それからこつんと額と額を重ねると、青灰の瞳を少し優しくしてセルフィを抱きしめて、からかうように言った。
「過労とストレスのせいだと言われたぞ。……だから普段から気をつけろって言ったんだ」
 セルフィは小さく笑った。
 頭痛も悪寒も、不快な症状はもうなかった。ただひどく眠いだけで。
 セルフィは自分からもスコールに身を寄せて、そっと広い胸に頬を押し当てた。
「……スコールの音がする~」
 直接響いてくる鼓動に満足して笑うと、スコールはくすっと笑ってセルフィの頭を撫でてくれた。
「ねぇ……」
 スコールの鼓動を聞いていると安心して、ますます眠くなってしまう。
 けれどひとつだけ、どうしても今聞いておきたくて、セルフィは一生懸命意識を保つよう心がけながら囁くように言った。
「スコールは、なんで、SeeDになりたいって思ったの?」
 少し意外そうに瞳をまたたかせ、スコールが沈黙した。
 セルフィは彼の胸に頬を埋めたまま、眼だけを上げて、根気よく答えを待った。
「……うまく、言えそうにないな……」
 長い長い沈黙があって、ゆっくりとスコールが、まるで独白のように言った。
「理由、か……」
 そのまま、また考え込んでしまう。
 セルフィはいくつか呼吸を数えていて、やがて静かに訊ねた。
「……目指すのが当たり前で、自然だった~?」
 返事が来るまでに、また数秒かかった。
「あぁ……そうだな」
 セルフィの言葉に何かを思いだしたように、どこか懐かしそうに眼を細めて、スコールが呟いた。
「……『ガーデンで育ったから』……」
「……うん」
 いつか自分がラグナとの思い出話をスコールにしたことを、ちゃんと彼が覚えていたことにセルフィは少し驚き、少し嬉しい気持ちになって、ふわりと微笑んだ。
「やっぱり……そうだよね~」
 そう、ガーデンで育った者にとって、それはあまりに当たり前のことなのだ。
 上昇志向を持つようにガーデン生は育てられ、そしてガーデン生の頂点に君臨するのがSeeDなのだから。
 幼少時から刷り込まれるSeeDという名の持つ価値。羨望を煽るために彼らに与えられた数々の特権。
(そうなるように、仕組まれてたんやもん……)
 誰もがSeeDに憧れ、目指したいと思えるように。
 セルフィは小さく息をつくと、眼を閉じる。あの狂信者の言葉が、ぐるぐると頭の中を巡っていた。


 突然セルフィが問いかけてきたことに、スコールも少なからず動揺していた。
 まさかシドが話してくれた計画のことを、セルフィも知っているということなのだろうか。
 ありえないことではない。自分がグランディディエリの森で行方不明になった際、完全な情報封鎖を物ともせずにその情報を得て、エスタまで来た少女だ。
 訊ねてみたい衝動にかられたが、しかし万一、セルフィが何も知らなかったら、と考える。
 彼女の質問が何の意図も持たない、ちょっとした気まぐれからきたものだったりしたら、今の彼女の精神状態からいって、ここであの話をするにはあまりにも不適当だ。
 結局、スコールはなるべくリスクは避ける方向を選択した。
「……今日は、もう寝ろ」
 ぐっと腕に少し力をこめて、細い身体を抱きしめる。
「全部落ち着いたら……ちゃんと話そう」
 お互いに語られねばならないことが、語られずにいることはスコールにもわかったが、今ここで忙しくあれこれ難しい話をする必要はないはずだ。
 今互いが必要としていたのは、言葉でも真実でもなく、ただ相手の温度を感じることだけだった。

***

 腕の中でセルフィが眠りに落ちるのに、さほどの時間はかからなかった。
 まだほんの少し熱い身体を抱いたまま、スコールは自分も眠ろうとして、しかし思考が冴えて眠れなかった。
(過労……)
 いくら体力が落ちていたにしろ、いくら無茶なスケジュールだったにしろ、やはりセルフィの疲れ方は少し尋常ではないような気がしてならない。
 そう、身体を酷使して疲れているというよりむしろ、あのエスタパニックの時、後に『エスタの奇跡』と呼ばれたエスタ国民全員の治癒を行った時のセルフィをどこか彷彿とさせるのだ。
 違うのは、熱の有無。あの時のセルフィは熱すら出せないほど消耗していたが、今回は高熱を出してダウンした。
 だが思い返してみれば、十日間の任務から帰ってきた時にエルオーネから聞いたセルフィの様子はエスタの時と酷似している。――体重の減少、衰弱による体温低下、貧血症状。
 今回はたまたまストレスを抱えて熱を出しただけで、根底にあるものは同じような気がしてならず、スコールは自分の内にわき上がる疑念をだんだんどうにもできなくなってきた。
 起こさないよう注意して、そっと毛布の中の細い左腕を掴み寄せる。

 もちろんその左手首には、透明に輝くオダインバングルが嵌っていた。