*サ ン ク チ ュ ア リ..02*



「……なんですって?」
 教員採用試験対策講義を受けて戻ってきたキスティスは、ガーデン中でセンセーショナルに飛び交う噂話を耳にして仰天し、まっすぐ食堂に向かってセルフィを捕まえると詳細に事実を説明するように命令し、話が進むに従い秀麗な美貌に怒りとも疲れともつかない微妙な表情を浮かべながら震える声で呟いた。
「だから~、そのおじょ~さまが、しばらくガーデンに居候することになったんだって~」
 スプーンの先でバニラアイスをつつきながら、セルフィが肩をすくめて答えた。
 要するに、こういうことである。
 スコールに一目惚れし、思い込みの激しさから一方的に運命の恋人と決めつけてしまったサシュリナ嬢は、本人こそ『駆け落ち』の気でいるが実際のところはもちろん父親のクートリーゼ氏『公認』の家出であり、令嬢がガーデンに到着した時にはすでに、手を回したクートリーゼ氏からシド学園長に連絡が行っていたのだ。
 数日もすれば熱も冷めるだろうし、しばらく預かってくれないかと持ちかけられたシドは、本来であれば当然断るべきところであったが、ここで問題となったのが、ガルバディアガーデンとクートリーゼ家の関係だった。
 ガルバディアガーデンは、バラムガーデンと違いSeeDがいない。ゆえに運営費の大部分をガルバディア軍が出しているわけなのだが、その寄付金を多く出している内のひとつがこのクートリーゼ家なのである。
 バラムガーデンが令嬢を放り出したことで、クートリーゼ家からの寄付金が減額などしようものなら、今度はバラムガーデンとガルバディアガーデンの関係に罅が入る。
 そしてクートリーゼ氏にとっては、あわよくばスコールを娘の婿にという思惑が少なからずある。初代バラムガーデン指揮官にして、最強のSeeDと誉れ高い『伝説のSeeD』と目される――SeeDの名前は公表されない原則になっているからだ――見目麗しい青年、加えて公にはされていないものの出自もエスタ現大統領の実子となれば、望むべくもない縁談になるに違いない。周辺属国に灯る独立運動の気炎衰えず緊張状態を強いられるガルバディア国からとっても、歓迎すべき話ではあるのだった。
 さらに付け加えるとするなら、スコール側の事情としても、クートリーゼ家の令嬢に対し、
「自分には恋人がいるから、迷惑だ」
 と一蹴したくとも一蹴できない訳があった。
 というのも、現ガルバディア大統領フューリー・カーウェイから直々に、リノアと別れてしまったこと、及び現在リノア以外の女性と交際をしていることの明言を外部に対してすることは避けるように依頼されてしまっているせいだ。
 もちろんガーデンに一歩入ってみれば、しっかりスコールに恋人がいることなど誰の眼にも明らかな訳だが、ガーデンに一般人が立ち入ることはまずないし、一応ガーデン生もその辺の複雑な事情は知っているので、「スコールに現在恋人はいるか」と外部の人間に聞かれても「いる」とは絶対に答えない。同じ質問をたとえばスコールやセルフィ、リノアやカーウェイにしたところで、彼らも決して否定も肯定もしない。曖昧に言葉を濁すだけだ。
 理由はもちろんただひとつ、リノアが魔女だからだ。
 魔女になった女に対し、世間はそれほど温かな眼を向けてはくれない。野心溢れる者は利用しようと近づいてくるだろうし、魔女の二文字にアレルギー反応を起こす者は危険分子としていつでも戦いを挑んでくる用意を見せているし、ハインに対し畏怖と尊敬を抱く『ハイン教教徒』とでも呼ぶべき宗教団体は教祖として担ぎ上げようと虎視眈々と狙っているしで、なるほど歴代の魔女が恐怖の象徴として君臨するか人目を逃れてひっそり生きるかの両極端の人生を歩んだのも納得がいくという有様で、カーウェイ大統領としては娘を守るためにも、最強のSeeDが『魔女の騎士』であることは世間にアピールしなくてはならない。SeeD、ひいてはガーデンが後ろ盾にある魔女ともなれば、さすがに多種多方面の人間も手を出しづらいというわけだ。
 カーウェイから直々に依頼され、セルフィが率先して理解を示してしまった以上、別に憎み合ってリノアと別れた訳でもないスコールに断る理由はない。結果として、恋人ではないけれど魔女の騎士、という、よくわからない状態は現在も継続されている。
 もちろんクートリーゼ氏がそんな事情を知らないとは思いがたく、いつ恋人に戻ってもおかしくない、という曖昧な状況を逆手に取られ、恋人がいると明言できないスコールはまんまとそこに付け入られてしまったということになる。
 そんなこんなで様々な事態が入り乱れ、結果クートリーゼ令嬢のガーデン滞在は誰の反論も受け付けることなく決定し、スコールは当然のようにその『お守り』を仰せつかったというわけである。
「まったく……なんて事……!」
 どっと疲れの増した顔で、キスティスはぶんぶんと首を振った。
 しかし元を正せば、クートリーゼ将軍に直接今回の話を学園長へねじこまれてしまったのは、スコール行方不明の際にキスティスが将軍の電文を思い切り無視してしまったからなのだ。あの段階でキスティスがきちんと内容を読んでさえいれば、いくらか違った対応も取れたに違いない。なまじ令嬢のスコールに対する熱の入れようを聞いていたせいで先入観が生まれてしまった事実は否めない。キスティスにすれば最大の失態というべきか。
「……まったく、娘も娘だけど親も親だわ……」
 それから長い吐息をひとつつくと、きっと顔を上げ、アイスを食べているセルフィの手をぐっと握る。
「セルフィ、負けちゃだめよ。私も出来る限り協力するから、絶対そんな女追い出すのよ!」
「え?」
「え、じゃないわよ。あなたのことでしょう。みすみすそんな下らない事情でスコールを婿になんて差し出したら、女がすたるってものよ!」
 何やら美しい眼差しの奥に闘志の炎を燃やしているキスティスに、セルフィはぽかんとした顔で小首を傾げる。
「……ええと……いくらなんでも、無理矢理結婚式~なんてことには、ならないと思うよ~? スコールもバカじゃないんだし……」
「甘いわよセルフィ! あなた、スコールが誰より押しに弱いことくらい、一番わかってるはずでしょう!?」
 熱を帯びた声で畳みかけられ、そうだねぇとセルフィは曖昧な微笑と共に頷かずにいられなかった。サイファーといい、リノアといい、シドといい、押しの強い人間に呆気なく押し切られてきたことが、あの青年のこれまでの人生でどれほどあったことか。
 あのご令嬢自体は単なる我の強い典型的金持ち娘だからいいとしても。
「めんどくさいなぁ……」
 服の下に隠してある銀鎖のペンダントを、布の上から指でそっと触れながら、セルフィは小さく呟いた。
 果たしてガルバディア制服軍人とガーデンの古狸を相手取って、あの不器用な青年はどこまで善戦できるだろうか。

***

 令嬢に用意されたゲストルームは、リノアがガーデンで暮らしていた頃使用していた部屋をそのまま提供された。
「どうしてレオン様と同じ部屋ではないのかしら」
 とサシュリナは一瞬考え、考えてから自分の破廉恥な発想に何てはしたない、と赤面した。
 あまり優雅さの感じられない案内人に連れられ――ガーデン生は小姓ではなく軍人なので当然なのだが――部屋に入った途端、サシュリナはあまりの部屋の狭さに絶句した。
「……私は歓迎されていないのでしょうか」
 スーツケースを身体の両側に引きずってきたボディガードに振り返ったサシュリナは、ここにも恋の障害がと憂いに満ちた眼差しと、その割りには妙に期待に満ちた声でそっと訊ねる。
 黒髪黒服黒サングラスと三拍子揃ったボディガードの男は、日に焼けた精悍な頬をそれでもぴくりとも動かさないまま、ごく平坦な声で答えた。
「歓迎されていないなら、部屋を用意したりはしないと思われます」
「……そう? そうかしら」
 サシュリナは複雑な溜息をついた。
 ちなみにこのゲストルームは、ガーデンの中でもかなり広い部類の部屋であり、言ってしまえばSeeDに与えられる個室などよりよほど広かったりするのだが、サシュリナが生まれ育った自室の広さからすれば、確かにそれは1/5以下という、驚天動地の狭さなのだった。

***

 突然現れたサシュリナのおかげで、当然のことながらリージュとの約束は延期になってしまった。
 スコールとセルフィが二人揃ってガーデンにいて、なおかつリージュもオフの日と来れば、次は一体いつのことになるのやら見当もつかない。謝罪したスコールに、リージュは反対に同情までしてくれた。――あんまり嬉しくない。
「うわ。すごい匂い~」
 一番反応が心配だったセルフィはというと、心身共に疲れ果てて帰ってきたスコールに対し、デスクに向かって座ったままあっけらかんと笑ってこんな感想を口にした。
「これってあのおじょ~さまの香水だよね~? 香り強いな~と思ってたけどずいぶん移るね~。あ、あたしのコロンって匂い移る? 自分でつけちゃってるからわかんないんだけど、もし移っちゃってたらごめんね?」
 くん、と自分の手首に鼻を近づけて小首を傾げる。
 その愛くるしい仕種に、思わず抱き寄せようと手を伸ばした途端、ぴしゃりと拒絶された。
「スト~ップ! まずはシャワー浴びて匂い落としてきて~!」
 どうやらセルフィの苦手な種類の匂いだったらしい。
 それもそうだろうとスコールも納得する。――というより、こう強いとどんな種類の香りであれ辛いものがある。
 スコールは大人しくバスルームに向かった。


 シャワーを浴びて部屋に戻ると、セルフィは相変わらずデスクに向かって何やらペンを走らせていた。デスクワークは苦手なはずなのだが、何やら大量の書類に埋没している。
 デスクの上をのぞき込み、ざっと書類に視線を走らせると、スコールも見たことのあるマトリクスが書かれていた。
「……あぁ、懐かしいな」
 昔やった授業を思い出し苦笑する。セルフィも顔を上げ、くすくすと笑って頷いた。
「でしょ~? あたしも教えながら、あ~これ退屈だったな~って思ったよ~」
 得た断片的な情報を寄り集め、マトリクスにしてひとつひとつ細かく検証を重ねていくという分析手法。間違ってもセルフィ向きの仕事ではないのは確かである。
「……あんただったら情報工作関係の講師やった方が向いてるだろ」
 デスクに背を預けながら、手を伸ばしてセルフィの髪に触れる。くるりと相変わらず楽しげにカーブを描いている髪は、耳の上で邪魔にならないように大きなピンで押さえられていた。
「あ~、わかる~? あたしもちょっとそう思う~」
 きゃらきゃらとセルフィは声を上げて笑った。
 以前マルストに語ったとおり、情報収集工作系の授業でも『女性』を武器にするような手法の演習はえらく成績が悪かったが、それ以外の分野に関してはなかなかの好成績を残していたセルフィなのだ。
 特にヒューミントと呼ばれる人的情報収集活動、つまるところ情報提供者を獲得する能力は、ガーデンの上層部からも定評があったりする。見た目の幼さあどけなさに加えて、相手に警戒心を抱かせない独特の人懐っこさは、誰にも真似できない彼女の天性の才能だ。任務のたびに誰かしらと仲良くなってきてしまうので、セルフィのコネクションがどれくらい広いものなのか、実のところスコールも把握しきれていない。
「スコールそう言えば情報分析の成績いつも良かったよね~。レポートとかもいっつもAだったし」
 ふむ、と唇に人差し指を押し当ててセルフィが思い出したように付け加えた。
 対象者に近づいて情報を入手するヒューミント演習の成績は最悪に近かったが、得られた情報を分析し煮詰める作業はけっこうスコールの得意とする分野だったりする。
 シドもどうやらその辺のスコールの才能は買っているらしく、日々世界中から入ってくる機密情報に対して意見を求められることは少なくない。以前はそれらの情報を執務室から持ち出すことはしなかったのだが、最近は自室でセルフィにも眼を通してもらう機会が増えている。一度何かのきっかけで知ったのだが、セルフィはスコールとかなり近い価値観を持っていながら、着眼点や発想がスコールと180度違って独創性に富んでいるので、煮詰まった時などに意見を聞くと意外な道が開けたりするのだ。――もちろん、この辺りはシドには秘密にしてあるが。
「……っと、よし、終わり~!」
 採点を終え、セルフィが勢いよくペンを放り出した。
 う~んと思い切り伸びをして、ついでにぐるぐると首を回す。
「ふにゃ~、こんなのあと一週間も続くんだよ~! もう疲れたよ~」
 この場合の『疲れた』は、間違いなく頭脳労働による疲労だろう。
「……断れば良かったじゃないか」
「ううう、だって~」
 頼まれれば嫌とは言わない――言えない、ではないあたりがセルフィだ――性格ゆえ、何でもかんでも引き受けてしまう少女はいつでも、ガーデン内で一番いっぱいいっぱいといった感じだ。
 そこで潰れずに全部やりとげてしまう、バイタリティにはつくづく頭の下がる思いだが。
「も~疲れた! 動けない~! 運んで!」
 ぐい、と両腕を突き出しながらセルフィに命じられ、スコールは数秒間呆れたように翠の瞳を見返した。
 ベッドとデスクの間は、歩いて三歩もない近距離である。
 しかも体力的には絶対に消耗していないのも明白だ。
 つまりこれは。
「…………了解」
 言われるままに抱き上げながら、やっぱり機嫌は損ねていたのだろうかとスコールはちょっと考える。
 傍目にはまったく平常時と変わりはなかったが、セルフィも一応女なわけだし。
「わ~い、高い高い~! えへへ、視点高いと気持ちいいよね~」
 スコールの腕の中で、すっかりご機嫌な笑顔で部屋を見回しているセルフィの眩暈がするほどの無邪気さに、いや待てよ、とまた思う。
 やっぱり一般女子の枠から少々はずれ気味のこの少女は、あんまり気にしていないような気も……かなりする。
 それも何だかちょっと張り合いがない気がして、スコールとしては少し複雑な心境だ。
「スコール?」
 まじまじと顔を眺めて動きを止めているスコールに、にっこりと小首を傾げてセルフィが声をかけた。
 機嫌良く笑ってくれているこの時に、わざわざ「令嬢のことは気にしていないのか」などと話題を持ち出すのも藪蛇な気がして、スコールは結局意味もなくその場で一回転なんてサービスして誤魔化してしまう。
「きゃ~! もっとやってもっとやって~」
 当然セルフィは大喜びの大はしゃぎだ。

 結局、お互い言わねばならないことは全然言い出せないまま、くだらないスキンシップで一夜は過ぎていくのだった。

***

 ベッドのスプリングが固すぎるとか、料理があまりにも粗末だとか、シャワールームが狭すぎるだとか、あらゆる苦難と屈辱に満ちた一夜をサシュリナはその部屋で過ごし、それでもしっかり睡眠をとっていつも通りの時間に眼を覚まし、一時間を費やして身支度を整えると、清楚だが上質のワンピースに身を包み、サシュリナはボディガードに向かって訊ねた。
「レオン様はまだ迎えにいらしてはおりませんの?」
 黒髪のボディガードは、やっぱり今日も全身黒ずくめの格好で屹立していたが、サシュリナのこの言葉には数秒間絶句するという常ならぬ醜態を演じた。
「……私が呼びに参りましょうか」
 それでも伸ばした背筋にいささかの揺らぎもなく、穏やかに応じたボディガードに、サシュリナはきっと柳眉を逆立てた。
「それではまるで、私がレオン様を呼び立てているみたいではありませんか」
 まるでも何もその通りなのだが、健気な一少女を目指すサシュリナには、その様はあまり理想的には思えなかった。
 そうだ。サシュリナはひとりの恋する少女としてスコールの元へと来ているのだ。わがままは良くないことだ。それをスコールは、無言のまま教え諭してくれているのかもしれない。
 だとすると、サシュリナはこの部屋で、スコールの訪れを待っていてはならないということだ。
 自らの足でスコールに会いに行き、サシュリナの決意がいかに固いかを思い知ってもらわなくては。
 考えて、サシュリナはすっくと立ち上がり、黒髪の男を見すえて傲然と言い放った。
「レオン様の部屋まで参ります。案内なさい」
 好きな男の部屋の場所すら、サシュリナは今のこの瞬間まで知ろうとしていなかった。

***

 常々から不思議に思ってやまないのだが、揃って寝るとどうして自分の頭は彼の腕の上にあるのだろう。
 絶対に相手が寝入った後、ちゃんと腕枕を外してあげている記憶があるはずなのに、朝になれば決まって元通りに腕枕されているのがすっかり慣習となってしまっていて、セルフィはそのたび真剣に悩んでしまっていたりする。
 それにしても外した腕枕をまた差し入れられて、この自分が眼を覚まさないというのもやっぱり不思議だ。夜中にスコールに起こされてしまうことは何度となくあったけれど、腕枕をし直される時に眼を覚ましたことは一度もない。
 痺れたりはしないと教えてはもらったが、やっぱり重いんじゃないのかなぁとセルフィは思う。いくら寝相が良くたって、寝返りのひとつも打とうという気にはならないんだろうか。
 でもって片腕を腕枕にすると、必然的に相手の体勢はセルフィ向きになるわけで、もう片方の腕はしっかり自分の上に来ることになる。要は自分を抱いたまま眠っているという訳なのだが、この腕がまた、けっこう重い。――まぁ、重いのは半分嬉しかったりするのでそれは別に良いのだけれど。
(とりあえず……シャワー浴びよ……)
 パジャマがわりにしているスコールのシャツの袖で眼をこすり、重たい腕を外して起きあがろうとした途端、力の抜けていたはずの腕が素早く動いて強引に引きずり寄せられる。びっくりしたあまり声も出せずに抱きすくめられて、視線を向けるとスコールが眼を開けてにやりと笑った。
「……ひど~い、寝たふりしてたんだ~!」
 でもって寝顔の観察でもされていたに違いない。朝から悪趣味なと怒るセルフィに、スコールはくすくす笑う。
「寝たふりじゃない。昼まで部屋にいる算段を考えてたんだ」
「……大変だねぇ……」
 ありゃりゃとセルフィはちょっと肩をすくめた。
「でもさ、スコールの『任務』って、あのおじょ~さまとボディガードさんがガーデンのあっちゃこっちゃに入ったりしないように、見はらなくちゃいけないっていうのもあるんでしょ~?」
 何しろSeeD稼業を行うバラムガーデンには、各国の機密情報がいくつも存在する。
 昨年システムの総入れ替えが行われ、セキュリティはかなり強化されてはいるものの、完璧なシステムなんてものはこの世に存在するはずがなく、プロであれば穴なんていくらでも見つけることはできるものなのだ。
 あの令嬢にそこまでの頭があるとは思えないが、周囲のボディガードはそうもいかない。彼らは、ガルバディアという国の中央司令官をつとめる、クートリーゼ将軍の部下なのだ。
 やっぱり昼まで放置は良くないよと大真面目な顔をしているセルフィに、スコールはふと昨夜言い損ねていたことを思い出し、物も言わずに半身を起こした。
「う? どした~? ……って、こら~! 重い~!!」
 スコールの方が壁際に寝ていたので、ベッドから降りるにはセルフィの上を通ることになる。いきなりのしかかられて怒るセルフィの声を聞き流しながら、スコールは立ち上がりデスク脇に積まれているモバイルを取り上げた。
「……朝っぱらから悪いんだが、見て欲しいものがある」
「見てほしいもの?」
 枕に頬を埋めたままの体勢で、セルフィはスコールをきょとんと見上げている。手早く操作して目的の画面を表示させると、スコールは無言のままそれをセルフィに差し出した。
「?」
 また何かの生情報に関する意見でも求められるのだろうかと思いながら、セルフィはゆっくり身を起こしてそれを受け取り、何気なく視線を落として、そのままぴたりと凝固した。
 一瞬瞠られた瞳がすばやく視線を動かし、表示された画面上部を確認しているのをスコールは静かに観察する。
 見間違いではないかと何度も見直して、それから呆然とセルフィは顔を上げ、スコールを見た。
「スコール、これ……」
「……見覚えのあるメールだろう?」
 ゆっくりベッドの上に腰を下ろし、ついでに少女を壁際に追いやって中へと入り込む。まだ春も遠い今の時期、スコールには朝の室温が少々寒い。
「え? ……えぇ?? じゃあ、えっと、あの……」
 寝起きの頭ではまだ上手く回転してこない。セルフィは混乱したような表情になって、形の良い眉をひそめた。
「……これ、もらってるのって……」
「俺とエルオーネ、それからサイファーは確実に受け取っている。リノアとアーヴァインについては確認中だ。……ちなみにエルオーネの場合は、メールではなく書簡だったが」
 これほどはっきりと顔色を変えるセルフィというのも、なかなか見られることはないだろう。
 ただただ愕然とスコールの顔を見つめたまま、続く言葉が何も出てこないセルフィに、スコールは小さく溜息をつくと、腕を伸ばして華奢な身体を抱き寄せて、もう片方の手でセルフィからモバイルを静かに取り上げた。
「トラビアであんたのメールボックスを偶然見た」
 言いながら手早く操作する。お互いのメールボックスは登録ずみだ。
 もちろん、それで相手のメールを覗き見するなんてことは絶対にしない。ことプライバシー保護に関しては互いに絶対的な信頼を置いているので、セルフィもそこでスコールが中を読んだ可能性など考えもしない。
「俺に届いていたメアドとドメインが同じだったんだ。……さすがにアカウントは違ってたけれど」
 ほら、と見せられた自分のメールボックスを、セルフィは無言で見つめている。今日ももちろん届いていた。
 内容も、見なくてもわかる。

 ――――ハインの遺産を継ぐ者に対する協力依頼。

 もちろん表だってそう書いてあるわけではない。だが読む者が読めば、それが『遺産継承者』に対し送られたものであると理解出来るような言い回しでメールの文面は綴られている。
 落ち着きを取り戻すことのない世界情勢に憂えているらしい『彼ら』は、その『遺産』を必要としているらしい。
 なぜセルフィに眼をつけたのか、エスタの上層部――恐らくセルフィを陣営に引き込みたいと望むラグナの政敵である誰かが情報を流したのだろうとセルフィは推測しているが、実際当事者であるがために、よもや自分以外に似たようなメールが届いているとは思わなかった。
「……それでもしかしたらと思って、あの時エスタで事件に関わった人間全員に、似たようなメールが来ていないか確認してみた。アーヴァインも言葉を濁してはいたが、多分あれは受け取っているんだろう。リノアに関してはメールは届いていないらしいが、元々あいつのアドレスはトップシークレットだから、エルオーネみたいに手紙で届く可能性もある。手紙の場合父親の監視があるから、リノアの手に届かない可能性が高い。だから確認中だと言ったんだが……」
 恐らくリノアにも手紙が出されている可能性は高いだろう。
 あの時あの場にいて、ハインの遺産を受け取る確率の高い人間。
 それが事件に関わったガーデン生であろうことは、少し情報を集めれば簡単にわかることだ。
「あの事件の関係者が俺たちであることを突き止めて、なおかつ『エスタの奇跡』を行ったのがハインの遺産によるものだという情報を掴める人間がいるんだ。
 でも、まだセルフィには到達していない。だからこそこうやって、俺たちの反応を窺おうと下らないメールを送りつけてきているんだろうし……そいつはまた俺たちの反応を窺える位置にいる人物でもある、ということだ」
 エスタの奇跡、とはもちろん、セルフィが行ったエスタ全土の怪我人を治癒したあの出来事のことである。
 こうなると先日、スコールを助けるついでにうっかりICUの患者を治癒してしまったのは大失敗だった。病院関係者にセルフィの名は伏せてあるが、ある程度の情報網があれば糸の先は簡単にセルフィに繋がってしまう。
「……早くなんとかしなくちゃ……! ラグナ様に連絡とって……」
 そこで動揺せずに打開策を考えるあたりがSeeDたる彼女らしい。スコールはかすかに笑んでセルフィを抱く腕に力をこめた。
「心配ない。今ごろエスタの情報工作員があの病院に入り込んで、うまくやってくれてるはずだ」
「……え?」
 ぱちくりと眼をまるくしたセルフィに、スコールはもう一度笑みを浮かべた。
「ちゃんと信頼できる奴を動かすようにラグナには頼んである。大丈夫だろ」
「…………」
 頭の中で、言われた言葉の意味を取り込むのに時間がかかった。
(なんとかしてくれてたんや……)
 信じられない思いでスコールの顔をしげしげと眺めてしまう。
 セルフィが何も知らずにいる間、あんなに忙しくて仕事以外のことなんて何もできないような日々の中で、きっちりセルフィ周辺の動向を見定めて、確実に守ってくれていたのだ。
 自分のことは自分で守る。待っていても誰も何もしてくれない。そんな環境が当たり前だったのに、だからこそ尚更、こんなふうに気を配ってくれる存在がどれほど貴重なのか思い知る。
 胸の奥がふいに熱くなり、頬が上気する。視界がぼやけるのに気が付いて、慌ててぎゅっとスコールにしがみつき、広い胸に頬を押し当てた。
「ど~しよう、スコール今超カッコいいよ~」
「……今ごろ気づいたのか?」
「違います~! 前から気づいてたけど改めて思ったのです~!」
 言いながらごしごし眼をこする仕種が可愛らしくて、スコールはくすくす笑ってしまった。
 トラビアから帰って以来、セルフィの感情を制御するリミッターはすっかり外れっぱなしになっているらしく、本当にどうでもいいことで喜怒哀楽の振り子が大きく揺れてしまう。
 そしてその影響なのか、よく泣くようになった。
 今みたいに嬉しくても泣くし、喧嘩をすれば悔しがって泣くし、哀しい夢を見ては泣く。
 子供と同じだ。
 が、どうやらその場にスコールがいなければ、いつも通りに笑顔だけ見せるセルフィに戻るらしい。
 それが良い影響なのか悪い影響なのか、スコールには良くわからなかったが、カドワキの言うとおり、セルフィの中でずっと止まり続けていた時間が動き出したのは確かなのだろう、と思う。
 トラビア爆撃の日から止まっていた時間だけではなく、恐らくセルフィが子供の頃から止まり続けていた、時間が。
 セルフィが持つ極端な二面性、恐ろしく大人びた面と信じがたいほど幼い面は恐らくこの止まっていた時間が影響している。セルフィの中の一部が時を止め、一部だけが成長してしまったからこそのアンバランス。
 その止まっていた時間が動き出したというのは、要するに未成長の部分が成長をはじめたということなわけで――子供と同じなのは当然とも言うべきだった。
「……それで」
 涙が止まるまでスコールはしばらく待って、それからゆっくりとまた口を開いた。
 自分がいなければ泣けないような相手に、泣くななどとは口が裂けても言えるはずがない。
「現状問題にすべきなのは、昨日来たガルバディアの令嬢だ。……正確にはその、取り巻きだが」
「……陸軍大将がメールの送り主ってこと?」
 スコールの胸から顔を上げ、小首を傾げるセルフィに、スコールはちょっと肩をすくめてそっけなく答えた。
「直接送ったってことはないだろうが……その辺はあんたの方が詳しいだろ?」
「…………」
 見透かされた一言に、今度はセルフィが肩をすくめる番だった。
 確かに、この『勧誘メール』が一番最初に届いた時点で、送り主のトレースは試みている。
 そして、スコールがクートリーゼを疑うのも、少しだけ納得のいく材料もセルフィは手にしている。
「このメールはね~、い~っぱいいくつもの通信施設を経由して届いてるものなんだよ~。普通のやり方じゃ追跡は多分できないと思う。衛星まで経由してたし~、通信施設も公的なものじゃなくて、ちょっと怪しいものだったし」
「怪しい?」
「……たぶん民間企業がこっそり作った施設じゃないかな~って思うんだけど~、それにしてはすごく防御堅くてあたしでも突破するのに二時間くらいかかったし~、かといって軍事施設ってわけでもなさそうだったし~、あ~これ送ってるの、お金持ちさんなんだな~ってのは良くわかったな~」
 お金持ち。
 クートリーゼは間違いなくそれに該当するだろう。なんといっても、ガルバディアの中央司令官だ。
「……で、出所は?」
 結論を促すと、セルフィはそこでちょっと言いよどんだ。
 しばらく無言で視線を落としていて、それからまたスコールの胸に頬を埋めてぽつんと答える。
「地域で言うなら、セントラ」
「……セントラ?」
 スコールはかすかに眉をひそめた。
 あの地域は過去の月の涙で著しく荒れ果てているが、うち捨てられた地下遺跡がかなりの規模で存在しているのが有名で、そこがテロリスト組織などの格好の隠れ蓑になっていると問題視されていたりもする。
 そこが発信源ということは……
「情報が足りないね~」
 溜息をついてセルフィが困ったように微笑んだ。
「……今あるピースは、ばらばらだよね~。なにかあともう少し、ピースがあればパズルの絵が見えてくると思うんだけどな~」
 セルフィが持つ生情報の重要度を見極める能力を、スコールは高く評価している。彼女が「情報不足」というのであれば、それは確かに見落としでなく、情報自体が足りないのだと判断出来る。
「……ごめんね」
 ちょっと身体を浮かせて、セルフィがぽつんと呟くように言った。
 自分のことは自分で、が信条であるはずなのに、最近のセルフィときたら何から何までスコールに寄りかかりっぱなしの甘えっぱなしだ。
 セルフィは、スコールに大事に護ってもらいたくて傍にいるわけではない。
 恋はしているけれど、以前と同じに対等な友人でありたいとも思っている。
 今までのように、意固地にひとりで立とうと気負う必要性がないことは理解しているが、それは絶対にただ頼るだけ、寄りかかるだけというものではないとセルフィは思う。
 辛い時に時々背中を預けられる、預ける相手がいると常に心の片隅が認識する、そういう支え合える関係がベストだとセルフィは思っているし、多分、それはスコールも同じのはずだ。
 ところが現実はセルフィがひたすら寄りかかったまま、大事に護られているままなわけで、どう考えてもセルフィの理想とする関係からは遠ざかっていくばかりなのだ。これではセルフィは自分に納得がいかない。
 まるで自分の中で懸命につくりあげていた、固い一本の芯がぐにゃぐにゃに溶け崩れてしまったようだった。それをいちから自分の内に芯を育てるにはどれほどの時間がかかるのだろう。その間中、自分はただ護られるばかりの存在でいなくてはならないのだろうか。
 トラビアから帰ってきてからずっと考えては、結論の出ない悩みにセルフィはちょっと溜息をついた。
 どうせこんな時のセルフィには何を言っても意味がないのはスコールも熟知しているので、セルフィの謝罪には特別何をコメントすることもなく、ただセルフィの髪をさらりと撫でて、こつんと額に額を合わせ、そのまま顔をずらして頬と頬を触れ合わせた。
 とたんに憂い顔だったセルフィが、くすぐったそうに笑い出す。たったこれだけのサインで、色々なことを伝えてしまえるスコールは不思議な人だとセルフィは思う。
「……まぁ、とにかく」
 セルフィの笑顔に誘われたようにかすかに笑んで、スコールが静かな声で囁いた。
「そう言うわけだから……しばらくは周辺に気をつけておいたほうがいい」
 このメールとクートリーゼ将軍との間に関係があるかどうかは不明だが、用心はしておくに超したことはない。
「うん」
 またこくりと頷いて、セルフィはそれからしばらく考えていたが、やがて大真面目な顔でスコールをじいっと見上げた。
「……あのね」
 一度眼を伏せて、それからまたスコールを見上げると言葉を続ける。
「思ったんだけど~、あたし、このお部屋にいない方がいいんじゃないのかな~?」
「…………」
 不意を突かれて、スコールは思わず沈黙してしまっていた。
 セルフィの言葉は、確かに正しい。
 サシュリナにもクートリーゼ将軍にも、セルフィが恋人だと明言できない以上、同じ部屋で彼女が寝起きしているということはもちろん知られてはまずい事項だ。
 事実、昨日スコールに令嬢の相手をするという『任務』を命じたシド学園長も、遠回しではあるがセルフィを自室に戻した方がいいといった類の言葉を口にしていた。
 だが……
「あたしはいいよ、別に。そ~んな、何週間も何ヶ月もいるってわけじゃないんでしょ~?」
 えへっと軽く笑ってセルフィが小首を傾げる。
 スコールは少し溜息をついた。
「……俺が嫌だ」
 ぷいと顔をそむけて呟くように言ったそれは、間違いなく本音。
 けれどそれだけではないことは、多分セルフィにもわかっているはずだった。
「でも」
 数秒間沈黙したセルフィが声をあげるのを手で押しとどめて、セルフィを抱いたまま身体を反転させる。どさりと勢いよく仰向けにひっくり返されたセルフィの上に覆い被さるようにして、きょとんとした顔の少女の瞳をのぞきこんだ。
「いいからあんたはここにいろ。どこにも行くな。わかったな」
「…………」
 ぽかんとしたようにスコールを見上げて、数秒間セルフィは絶句していたようだった。
 間近く視線を合わせたまま、やがて翠の瞳がかすかに潤み出すのを認めてスコールはかすかに笑う。
 頬を上気させて、セルフィもはにかんだように笑った。
「えへへ……やっぱスコールかっこいい~」
 少しはにかんだ幸せ全開の笑顔はとんでもなく可愛らしい。
 それを間近で見た途端、スコールの頭からあれこれ考えていた事象が全部すっ飛んでしまっても、まぁそれは仕方のないこと――だったのかも知れない。

***

 シャワーを浴びている間に、日課のマラソンにでも出ているかと思ったセルフィは、意外にもまだ部屋の中にいた。
 ベッドの真ん中でこてんと横たわっているセルフィに、一瞬心臓がひやりとしかけたが、すぐに眠っているだけだと自分に言い聞かせる。
 疲れて二度寝してしまったらしい。
 寝相が悪く、狭いシングルベッドでは一晩に何度も床に落ちるリノアと対照的に、団体生活が長かったおかげかセルフィは意外と寝相がいい。あまりに静かに眠っているので、本当に息をしているのか疑わしくなることも多い。
 ――そして、不安を覚えて真夜中に起こしてしまったことも、実は何度もある。
 トラビアから帰還してしばらくの間、確かに少々自分がナーバスになっていた自覚はあったが、さすがに熟睡中の少女を無理矢理起こしてしまった時は、自分はヤバいのではなかろうかと頭を抱えてしまったほどだ。
 別にセルフィはそれで怒ったりはしなかったが、やはり彼女の睡眠阻害をするのは良くないし、何より自分の精神の平穏にも良くないわけで、次善策として強引に抱いて眠ることにした。
 とりあえず抱いていれば、呼吸も鼓動も直接確認ができる。お互い安心、問題解決。
 なぜかセルフィは毎度毎度腕枕を外そうと努力してくれたりするが、彼女より後に眠ることにしたので問題もない。
「……ん……」
 ふいに小さく唸ってセルフィが寝返りを打った。
 パジャマ代わりにスコールのシャツを一枚身につけているだけなのだが、ボタンを2つしか留めていないため、寝返りを打った拍子にぺろんと腹が出る。
(……こら、風邪引くぞ)
 声に出すと起こしてしまうので、内心で呟きながらスコールはベッドに腰を下ろし、シャツの裾をそっと直してやりながら本格的に熟睡モードのセルフィの顔をのぞきこむ。
 スコールが一緒の時はほとんど動かず眠る少女も、ひとりでベッドを占領できる時は寝返りくらいは打つらしい。
 規則正しい寝息さえ確認できるなら、セルフィの寝顔を見るのは基本的には好きだった。
 あどけなくて子供っぽくて、はっきり言えば色気もへったくれもない寝顔だが、完全に安心しきって無防備に眠っている時の顔ときたら反則的に可愛いし、絶対的な信頼を寄せられているような気もして保護欲も満足する。
 初めの頃はこうじゃなかったなと、穏やかな寝息を数えながらふと思い返す。
 セルフィがこの部屋に来て数週間が経過するが、やっぱりはじめの一週間は眠りも浅くて、時々は夢を見て泣くことさえあった。
 スコールがいなくてもぐっすり眠れるようになったよとセルフィが笑って言ったのは次の二週間目で、三週間も過ぎる頃には体調も精神状態もすっかり安定して、まるくなって眠ることもほとんどなくなった。
 そして何より、元気で明るく、よく笑う。無理が透けて見える明るさではなく、邪気のなさに磨きのかかった、そんな無垢な明るさ。
 受けた深い傷のすべてを、セルフィは着実に自分の力に変えている。何度泣いてうずくまっても、最後は絶対自分に負けない。
 セルフィが立ち直ったのは、当然そんな彼女自身のしなやかな毅さ故だったが、しかしセルフィにとってここが最良の環境であることに間違いはない。ようやく望んだとおりのセルフィが傍にいるのに、その環境を変えるなんてスコールには絶対に許容できないことだった。
 他愛もなく平和に眠る少女の髪を指先で弄びながら、今日の彼女のスケジュールを思い出し、あとどれくらい寝かせてやれるか考える。
 セルフィを起こさなくてはならない時間までは、まだ少しあった。
 さてそれまでどうしようかと考えた時、ドアの警報システムが来客を告げた。
 ドア横の端末に眼を向ける。システム総入替えがあって以来インターホンは撤廃され、部屋の主に来訪を告げる際はIDカードをデコーダーに通す仕様になっている。端末が示しているIDは、ゲスト用の物だった。
(……ゲスト用……?)
 5秒ですうっと頭の芯が冷えた。慌てて眠っている少女の方へと視線を向ける。とにかく掛布を彼女にかぶせてカムフラージュして、端末に急いで向かった。
「……はい」
『レオン様、私会いに参りましたわ! 開けてくださいませ』
 ほらやっぱりな。
 もはや悟りの心境でスコールは天を仰ぐ。やはりここでマイクのみの応対だけで追い返すわけにもいかないのだろう。相手は何しろ、VIP待遇のお客様だ。気に入られたくはないが、下手に機嫌を損ねてもまずい。
 ちらりとベッドを見る。一応姿はちゃんと隠れていることを確認し、――クマのぬいぐるみがまだ隠れていないことに気づいて慌ててベッド下に押し込み、それからようやく気を取り直すとロックシステムを解除し、自動開閉システムから手動に切り替えてドアを半分だけ開いた。
「おはようございます、レオン様!」
 清楚な、けれど一目で高価であることがわかるワンピースに身を包んだ勘違い少女が、白い頬を紅潮させてスコールを見上げていた。
「………………何か?」
 辛うじて声が唇からすべり出る。自分でも驚くほど冷たい声を出したのだが、恋する少女にそんなものは通用しなかった。
「こちらがレオン様のお住まいなのですね! まぁ、なんてお狭いのでしょう……ご苦労なさったのですね」
 強引にスコールが押しとどめる扉を全開にしながら、サシュリナが涙ぐんだ。
 つい一年前まではこれよりさらに狭い部屋に、しかも多生徒と共有で住んでいたスコールとしては、いささか鼻白む思いがしないでもなかったが、問題はそんなことではなかった。
「サ、サシュリナ嬢……話なら、外で」
 どうにか身体を張ってベッドの方へ向けられる視線をブロックし、必死で少女を押しとどめる。サシュリナがぽっと頬を染めた。
「まあ、私でしたら大丈夫でしてよ。どれほど狭い部屋でありましても、サシュリナはレオン様と共にいられるだけで幸せなのです。どうぞ、お気遣いなさらないで」
 気遣ってほしいのは、こっちだ!!
 と、心の内で怒鳴りながら、スコールは必死で扉を閉めようと苦戦する。学園長直々に『お守り』を仰せつかっている以上、突き飛ばす訳にはいかない。しかもこの可憐なご令嬢では、その気がなくてもちょっと力をこめただけで、軽々吹っ飛んでいってしまいそうで、スコールはどう力を入れていいのかもわからない。擦り傷など作ろうものなら、即座に外交問題に発展する危険性もあるのだ。
 不毛な扉開閉戦は、唐突に終幕を迎えた。
「……あれ?」
 騒々しい物音にさすがに眼を覚ましたセルフィが、むくりとベッドの上に身を起こしてしまったのだ。
 サシュリナの琥珀色の瞳が大きく見開かれ、綺麗にルージュを引いた唇がぽかんと開いた瞬間、スコールは最悪の事態を迎えたことを理解していた。
「あ……」
 ドアの方を見た瞬間、セルフィも事態がのみこめたものの、今さらどうすることもできない。
 寝乱れたベッドの上、明らかに男物とわかるシャツ一枚。しかもボタンは上から2つめまで外れているし、素足は大腿まで露わという扇情的な姿のセルフィと、サシュリナの視線が、スコールの肩の上でばしりと交錯した。
「あ、貴女……貴女……」
 あまりの動揺と衝撃に、うまく言葉が出てこない。
 赤くなったり青くなったり黄色くなったりと忙しい令嬢に、スコールもセルフィも何をどうすればいいのか皆目わからず、ただただがきりと凍りついているだけだ。
(い、一体……一体……これは……これは何ですの……っ!?)
 清廉にして可憐なるガルバディアの令嬢に、眼に映った衝撃的な現実を受け入れることは到底不可能だった。
 絹を裂くような悲鳴を上げてから、冗談のように呆気なく気絶した令嬢を、スコールもボディガードもその時はただ呆然と、眺めていることしかできなかったのである。

***

「まぁ、起きたことは仕方ありませんが……」
 困った笑顔で自分を見上げる壮年の男に、スコールは仮面のような無表情をもって応えた。
 背が低くやや小太りの赤ベストを着用したこの男は、優しそうで穏やかな微笑を常にたたえているが、実はこの世で一番食えないオヤジなんじゃないかとスコールは密かに思ってやまない。
「昨晩お話した通り、少々複雑な事情が絡んでいますから。セルフィと貴方には申し訳ありませんが、しばらくは寮則を遵守して頂かないとならないでしょうね」
 ということはもちろん、男子生徒は女子寮に、女子生徒は男子寮に入ることまかりならぬという寮則を守れということで……早い話、セルフィは自分本来の部屋で生活しろと言っているわけだ。
 ガーデンではSeeDの自由恋愛はある程度黙認している。マスター派教師が幅を利かせていた時代からの伝統で、SeeDに関しては寮則を多少破ってもお目こぼしがある。戦闘行為を行う兵士がいかに心荒む職業かを熟知しているガーデンとしては、生徒同士の自由恋愛で荒んだ心を潤してもらえるならそれに越したことはないのである。
 戦地に赴く女性SeeDなどは体調管理の薬の服用が義務づけられているので、うっかり間違って出来ちゃった結婚をされてしまう心配もない。人材損失の危機さえ回避してくれるなら、あとはご自由にというスタンスなのだ。
 が、今回は事情が事情である。
 サシュリナの『お守り』が『任務』の二文字に置き換えられてしまっている現在、サシュリナに目撃された以上セルフィをスコールの部屋に置いておくわけにはどうしてもいかない。これも任務、というやつだ。
「とりあえず、令嬢の方は適当にごまかしておきましたので、貴方も発言にはくれぐれも慎重を心がけてください。
 ……これはセルフィのためでもありますから、是非がんばってくださいね」
 さりげなく牽制球まで投げてくる。
 こういうところが食えないのだとスコールは吐息をついた。
「……善処します」
 そう。スコールが最も避けたいのは、あのわがままお嬢の騒ぎに巻き込まれて、クートリーゼ将軍にセルフィの存在を認識されることだ。
 万が一クートリーゼ将軍が『伝説のSeeDの恋人』に興味を覚えてしまったら、どこでどんな形で、セルフィが持つ『遺産』のことが知れてしまうかもわからない。
(…………)
 SeeDの敬礼をし、学園長室を辞して、スコールはどっと溜息をつく。
 セルフィを守るためには仕方がないのだろうが……。
(同じガーデンにいて、触りたい時に触れもしないなんて生殺しもいいとこだ)
 憤然とそんなことを大真面目に考えて、スコールは携帯を取りだした。