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「科学読み物」「文化論」であり「自己啓発書」!? ノンフィクション『眠れる進化』吉川浩満さんの解説を特別公開!

コンピューターを駆使した最新の進化生物学が解き明かす、自然と文化に共通する、この世界の隠れたルールとは。話題のノンフィクション『眠れる進化──世界は革新イノベーションに満ちている』(アンドレアス・ワグナー、大田直子訳、本体2700円)が9月19日に発売になります。本書の「魅力」そして「活用法」について説いた、吉川浩満さんによる解説を特別に試し読み公開します!

『眠れる進化』アンドレアス・ワグナー

解説:吉川浩満(文筆家・編集者)

本書のテーマは自然と文化におけるイノベーションである。多数の興味深い事例と最先端の理論によってわれわれの通念を揺さぶり、世界を新たな視点から見つめなおすきっかけを与えてくれる知的冒険の書だ。

著者のアンドレアス・ワグナー(1967~)は、生命システムにおける頑強性(ロバストネス)と革新性(イノベーション)の研究で知られる進化生物学者である。チューリッヒ大学の教授であり、サンタフェ研究所などでも研究を行う。

既刊の邦訳書には『進化の謎を数学で解く』(垂水雄二訳、文藝春秋、2015年)がある。生物の遺伝子ネットワークにはイノベーションを生み出す無限の可能性が秘められていることをコンピューターと数学を駆使して示した快作だが、そのアイデアを新知見を盛り込みつつ全面的に再展開したのが本書『眠れる進化──世界は革新イノベーションに満ちている』である。生物の進化だけでなく、われわれ人間の社会において生じるイノベーションについて知るうえで必読の一冊といえるだろう。

以下、本書の魅力と活用法について私見を述べてみたい。

本書の魅力は、まず第一に、本書のメイントピックであり原題(Sleeping Beauties)にも記載されている「眠り姫」そのものにある。多くの生命形態が爆発的な成功を収める前にはきわめて長い休眠状態を経るという現象である。

冒頭の「草」の事例からして興味深い。草の繁栄ぶりは、いちどでも庭や空き地の管理をしたことのある人ならだれでも痛いほど知っていることだろう。その草が、6500万年以上前に誕生してから何千万年もの間、とうてい繁茂していたとは考えられない状態が続いたというのだ。草が現在のような成功を収めたのは、つい最近のこと(約2500万年前)なのである。そのような眠り姫がこの世界では決して珍しくないことを、本書は豊富な事例を挙げて論じていく。

この眠り姫現象がわれわれに迫るのは、イノベーションに対する見方の転換である。そしてこれが本書の二つめの魅力だ。

草がつい最近になって成功を収めたといっても、それは草が最近になって急にイノベーティブになったからではない。草は生き残る確率を高めるためのイノベーションを最初期からいくつも進化させていた。繁栄まで何千万年もかかったのは、周囲の環境とのマッチングによる。そのころになってようやく、世界が草に追いついたというわけである。

草の成功(の遅れ)という事例には、新しい生命形態についての深遠な真実が隠されていると著者はいう。それは、イノベーションは決して実力で成功するのではないということだ。新しい生命形態の価値は、それに固有の内的な質から生まれるのではない。成否の鍵を握るのは、その生命形態が生まれ落ちた世界なのである。

そしてその裏面にはもうひとつの真実がある。それは、成功とは創造者がコントロールできないものだということだ。本書が示すように、イノベーションは、われわれがそう思い込んでいるような稀有で貴重なものではない。実際にはイノベーションはきわめて容易で頻発する。眠り姫について知れば知るほど、難しいのは創造することではなく、創造してなおかつ成功することだということがわかってくるのである。

眠り姫が教えてくれる真実は、われわれがふだん当然のように用いているイノベーションという概念の再考を迫るものではないだろうか。見てみれば・考えてみれば確かにそうだ、と読者の多くは納得させられるのではないかと思う。

本書の三つめの、そして最大の魅力は、著者が自然界におけるイノベーションと人間の文化・技術におけるイノベーションを一貫した視点から考察する点にある。

著者は、コンピューターによるゲノム分析など最新の研究手法を駆使しながら、生物進化はいつでもどこでも起きていること、しかしその大半は眠り姫のように日の目を見ることなく休眠しつづけていることを示す。しかし、それだけではない。人間社会において車輪が何度も発明されたすえにようやく広まったように、人類が生み出した多くのイノベーションにも同様の法則が当てはまるという。大胆きわまりない主張であるが、自然と文化を一貫した視座のもとで考察する「新結合」が、本書最大の魅力といえよう。

以上のように本書は知的刺激あふれる一冊であり、それだけですでに十分なのだが、われわれの生活や仕事、社会にも活かすことのできそうな教訓を多く含んでいる。最後にこの点について触れたい。

まず、本書は現代のビジネスや技術開発にも応用可能な視点を提供してくれるだろう。たとえば、新しいテクノロジーやビジネスモデルが登場する際、その成功にはタイミングが鍵になると著者は強調する。多くの革新が適切なタイミングを逃したために成功しなかった事例を見ると、市場の状況やニーズを的確に把握することの重要性をあらためて思い知らされる。他方で、過去に失敗したアイデアや技術が、再び注目され成功する可能性もある。企業や組織が長期的な視点を持つことができれば、過去の失敗を新たな成功の種とすることができるかもしれない。

なお、この視点はビジネスにとどまらず、研究や教育、政策立案の場面でも有益であろう。本書から得られる教訓は、新しいアイデアだけでなく、過去の失敗や埋もれたアイデアに再び光を当てるための支援や助成を行うこともまた重要だということである。

本書はまた、個人の研究や創作、キャリア形成について考えるうえでもヒントを与えてくれる。本書を読んだ読者は、自分の中にある「眠り姫」を見つけ出し、それを育てていく気になるだろう。人には、過去に試みたが失敗したアイデアやプロジェクトが多かれ少なかれあるものである。それらを
再評価し、新しい環境や状況に適応させることで、眠り姫がついに目覚めることだっておおいにありうるのだ。

さらには、本書が紹介する数々の眠り姫に触れることで、読者は次のような当たり前のことを真に受けてみようと思うのではないだろうか。つまり、いまは成果が見えなくても、将来的に成功する可能性があることを念頭に置いて地道に活動を継続することの重要性である。そのような視点を持つことができれば、キャリアの中で遭遇するさまざまな挑戦や困難に対しても柔軟に対応することが可能になる。

本書は、すぐれた科学読み物であると同時に刺激的な文化論・社会論であり、さらには読者をエンパワーしてくれる自己啓発書でもあるという稀有な一冊である。

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■著者略歴
アンドレアス・ワグナー
(Andreas Wagner)
チューリッヒ大学進化生物学・環境学部の教授兼学科長。サンタフェ研究所外部教授。イェール大学で博士号を取得。生物進化におけるロバストネスとイノベーションが専門で、数学やコンピューターを使ったゲノム分析、生命システム分析を得意とする。他の著書に『パラドクスだらけの生命』『進化の謎を数学で解く』がある。

■訳者紹介
大田直子
(Naoko Ohta)
翻訳家。東京大学文学部社会心理学科卒。訳書にドーキンス『ドーキンスが語る飛翔全史』『神のいない世界の歩き方』、ホーキンス『脳は世界をどう見ているのか』、リドレー『進化は万能である』(共訳)、イーグルマン『あなたの脳のはなし』(以上早川書房刊)ほか多数。

【本書の概要】
『眠れる進化――世界は革新《イノベーション》に満ちている』
早川書房
著者:アンドレアス・ワグナー
訳者:大田直子
発売日:2024年9月19日
本体価格:2,700円(税抜)

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