1975年5月3日の監督就任会見(右)

 ≪1975年5月3日、ジョー・ルーツ監督の後任として、急きょ監督に≫

 チームの戦力はそう簡単には上がりません。それでも現場のトップが代わり、チーム内にあったもやもやした雰囲気が晴れたのも事実でした。次第にいい野球ができるようになっていったのです。

 投手は外木場義郎、佐伯和司、池谷公二郎が3本柱。打線は山本浩二、衣笠祥雄の両主砲にゲイル・ホプキンス、シェーンの外国人野手、三村敏之、トレード加入の大下剛史ら好打者がいました。新生カープは快進撃を見せました。4月27日にルーツが去った後の15試合を9勝4敗2分けとし、5月17日には首位へ。台風の目となりつつあったのです。

 ≪6月14~18日はシーズン初の5連敗で4位へ後退。19日のヤクルト戦(神宮)で敗れると勝率5割に後戻りするピンチを迎えた≫

 大きな節目でした。ローテーション通りなら中3日でエース外木場の登板日。しかし、疲れがたまる時期でもある。私は外木場の球に本来の切れがなくなっていると感じました。思い切って先発に指名したのは2軍にいた永本裕章投手。「何があっても責任は監督が取る」。その思いだけでした。

 試合前、主力打者に「今日は打ち勝ってくれ」とげきを飛ばしました。思いがけず、永本が抜てきに応えます。七回途中まで無失点に抑え、3―1で勝ちました。広島に戻り、万全の状態で外木場を投入。エースの好投もあり、引き分けを挟む4連勝。再び上昇気流に乗りました。

 その年の球宴で山本と衣笠は2打席連続アーチを放ちました。球宴で活躍すると自信が付き、後半も乗っていけるのです。期待通り、2人はチームの起爆剤に。「赤ヘル軍団」と言われ始めたのもその頃でした。

 それまでの2人は自己中心的なところがありました。自分さえ良ければいいという感じ。あの年は大下が引っ張ってくれたこともあり、協力する姿勢を見せてくれました。勝利の味が2人を結び付けたのです。

 ≪広島は9月だけで貯金10を稼ぎ、中日、阪神との争いから一歩抜け出す≫

 どれほど勝っても2位中日が追ってきました。何とか首位を守って10月を迎え、優勝までついに「あと1勝」。巨人と戦うため後楽園球場に乗り込みました。129試合目でした。(五反田康彦)

 古葉さんの「生きて」は2013年2月26日から3月19日まで朝刊で連載。肩書や表現は当時のままとしています。