かつては自由主義経済と民主主義を目指していたエリビラ・ナビウリナ Photo: Maksim Konstantinov / SOPA Images / LightRocket / Getty Images
Text by Kate de Pury
激動の時代に「自由主義経済」に魅せられる
エリビラ・ナビウリナは1963年、ヨーロッパロシアの東端の都市ウファで生まれた。そこは石油の町で、巨大な製油所で働く労働者の住宅が立ち並ぶ、典型的なソビエトの都市であった。公共施設の建物には「レーニンは永遠に生きる」といったスローガンが飾られていた。
ナビウリナはタタール人労働者の家庭の出身だ。父親は運転手で、母親は工場で働いていた。イスラム教徒のタタール人はロシアで最大のマイノリティだが、依然としてロシア文化の主流からは外れているとみなされている。勉強熱心だった10代の頃、ナビウリナはオペラや詩、特にフランスの作家ポール・ヴェルレーヌの作品を愛好した。
1980年代初頭に名門モスクワ大学に入学できたときが、彼女にとって大きな転換点だった。モスクワに到着した当時、このソ連最高レベルの大学における経済学のカリキュラムは、まだ統計と共産主義のイデオロギーに重点を置いていた。1985年、ナビウリナは共産党に入党したが、それは野心のある人なら誰もが通る道であった。
ところが変化の兆しが現れており、しかもそれは国のトップから起こっていた。若き新指導者ミハイル・ゴルバチョフは、ソ連が経済的な破綻の瀬戸際にいることを理解していた。そこで彼は側近たちに、市場経済への道筋を描くように頼んだ。その側近の一人が、ナビウリナの経済学の教授エフゲニー・ヤシンだったのだ。
ヤシンは経済の改革とともに政治の改革もおこなわなければならないと信じていた。ヤシンが思い描いた理想のロシアとは「開かれた市場を持つ現代国家、かつ権力の交替が起こる民主政治国家」だったと、ヤシンの伝記を書いたアンドレイ・コレスニコフは言う。共産主義体制下で禁止されていた考えが、いまや公然と議論されるようになったのだ。
ナビウリナはヤシンの友人であり同僚の経済学者であったヤロスラフ・クズミノフと知り合い、やがて結婚した(二人の間には息子が一人いる)。どこかの時点でナビウリナは共産党を抜け、ヤシンやクズミノフを中心に結成されたリベラル派経済学者のグループに加わった。そこには1990年代にロシアの国営産業の民営化を統括することになるアナトリー・チュバイスや、ナビウリナの同級生で親友となったヤシンの娘イリーナも含まれていた。
自由市場へ向かうロシアの初期の試みは傷をもたらした。ソビエト崩壊後のロシアの初代大統領ボリス・エリツィンは計画経済の解体を急いだ。政権の経済担当副首相イゴール・ガイダルは、移行を加速させるために「ショック療法」を開始した。
ガイダルは輸入に対する規制を撤廃し、国営産業の急速な民営化を命じた。そのような措置は新興のオリガルヒにとっては恩恵だったが、一般市民は政府の統制と補助金がなくなったことによる物価の急上昇に直面した。
ヤシンは経済の改革とともに政治の改革もおこなわなければならないと信じていた。ヤシンが思い描いた理想のロシアとは「開かれた市場を持つ現代国家、かつ権力の交替が起こる民主政治国家」だったと、ヤシンの伝記を書いたアンドレイ・コレスニコフは言う。共産主義体制下で禁止されていた考えが、いまや公然と議論されるようになったのだ。
ナビウリナはヤシンの友人であり同僚の経済学者であったヤロスラフ・クズミノフと知り合い、やがて結婚した(二人の間には息子が一人いる)。どこかの時点でナビウリナは共産党を抜け、ヤシンやクズミノフを中心に結成されたリベラル派経済学者のグループに加わった。そこには1990年代にロシアの国営産業の民営化を統括することになるアナトリー・チュバイスや、ナビウリナの同級生で親友となったヤシンの娘イリーナも含まれていた。
自由市場へ向かうロシアの初期の試みは傷をもたらした。ソビエト崩壊後のロシアの初代大統領ボリス・エリツィンは計画経済の解体を急いだ。政権の経済担当副首相イゴール・ガイダルは、移行を加速させるために「ショック療法」を開始した。
ガイダルは輸入に対する規制を撤廃し、国営産業の急速な民営化を命じた。そのような措置は新興のオリガルヒにとっては恩恵だったが、一般市民は政府の統制と補助金がなくなったことによる物価の急上昇に直面した。
1994年、ガイダルの人気がなくなるとエリツィンはヤシンを経済発展大臣に任命し、市場経済への移行を予定通り進めさせようとした。ナビウリナはこの指導教官のチームに加わった。
しかし、ショック療法の悪影響を止めるには手遅れだった。ハイパーインフレのサイクルが定着し、ルーブルは暴落し、1998年、ついにロシアは対外債務不履行に陥った。民主化によって新たに独立したメディアは、モスクワの凍える寒さのなか、歩道に横たわり持ち物を売ろうとする高齢の市民の悲惨な写真を報道した。
ヤシンは危機が最高潮に達すると解任され、ナビウリナも彼とともに政府を去った。
ナビウリナはここで貴重な教訓を学んだ。ロシアの改革には限界があるということだ。彼女は依然としてロシアには市場経済が必要だと考えていたが、既存のシステムを破壊するのではなく、作り直すことによってのみ市場経済は発展できると信じるようになった。
「彼女はロシアのシステムの歪みをよく理解し、それを受け入れることができたので、そのシステムの内部で働くのにとても適していました」とロシア専門家のヒルは言う。
しかし、ショック療法の悪影響を止めるには手遅れだった。ハイパーインフレのサイクルが定着し、ルーブルは暴落し、1998年、ついにロシアは対外債務不履行に陥った。民主化によって新たに独立したメディアは、モスクワの凍える寒さのなか、歩道に横たわり持ち物を売ろうとする高齢の市民の悲惨な写真を報道した。
ヤシンは危機が最高潮に達すると解任され、ナビウリナも彼とともに政府を去った。
ナビウリナはここで貴重な教訓を学んだ。ロシアの改革には限界があるということだ。彼女は依然としてロシアには市場経済が必要だと考えていたが、既存のシステムを破壊するのではなく、作り直すことによってのみ市場経済は発展できると信じるようになった。
「彼女はロシアのシステムの歪みをよく理解し、それを受け入れることができたので、そのシステムの内部で働くのにとても適していました」とロシア専門家のヒルは言う。
ロシアの政界で出世しつつあった元KGB職員もまた、1990年代の経済危機の展開を見守っていた。ナビウリナと同じようにその人、プーチンも、同じことを二度と繰り返さないと決意していた。
プーチンは1990年代初頭にサンクトペテルブルクで政治的駆け引きに明け暮れ、出世の機会を最大限に利用した。1997年、エリツィンの側近がプーチンを大統領府の役職に任命した。1999年には首相に昇格、そしてエリツィンが辞任すると大統領代行にまで登りつめた。
ナビウリナの周囲にいるリベラルな経済学者のなかには、この元KGB職員ならば現実的に同盟関係を結べる相手になると考える人もいた。1999年、その一人であったゲルマン・グレフは、自身のシンクタンクで研究者グループを結成した。そのグループの一員となったナビウリナは、大統領選に立候補していたプーチンの経済計画を作るように依頼された。
そうして、2000年が目前に迫るなか、大統領候補プーチンは自身のビジョンを発表した。彼は1990年代の経済的な惨状を容赦なく列挙し、投資と(強い国家によって管理される)市場改革を呼びかけた。
プーチンの演説は、混乱の時期に苦しんだ何百万人ものロシア人に共感された。直近のチェチェン戦争で煽った民族主義的な感情と相まって、プーチンは大統領選での勝利を確実にした。彼はグレフを経済発展貿易相に指名し、ナビウリナはその副大臣として政府の職に復帰した。
プーチン政権のなかで比較的若手だったにもかかわらず、ナビウリナはここで自身が有用であると証明したようだ。2007年にプーチンが内閣改造をおこなった際、いわゆるシロヴィキという治安・国防関係省庁出身のタカ派が優遇され、グレフは解任された。
初期プーチンとの利害の一致
プーチンは1990年代初頭にサンクトペテルブルクで政治的駆け引きに明け暮れ、出世の機会を最大限に利用した。1997年、エリツィンの側近がプーチンを大統領府の役職に任命した。1999年には首相に昇格、そしてエリツィンが辞任すると大統領代行にまで登りつめた。
ナビウリナの周囲にいるリベラルな経済学者のなかには、この元KGB職員ならば現実的に同盟関係を結べる相手になると考える人もいた。1999年、その一人であったゲルマン・グレフは、自身のシンクタンクで研究者グループを結成した。そのグループの一員となったナビウリナは、大統領選に立候補していたプーチンの経済計画を作るように依頼された。
そうして、2000年が目前に迫るなか、大統領候補プーチンは自身のビジョンを発表した。彼は1990年代の経済的な惨状を容赦なく列挙し、投資と(強い国家によって管理される)市場改革を呼びかけた。
プーチンの演説は、混乱の時期に苦しんだ何百万人ものロシア人に共感された。直近のチェチェン戦争で煽った民族主義的な感情と相まって、プーチンは大統領選での勝利を確実にした。彼はグレフを経済発展貿易相に指名し、ナビウリナはその副大臣として政府の職に復帰した。
プーチン政権のなかで比較的若手だったにもかかわらず、ナビウリナはここで自身が有用であると証明したようだ。2007年にプーチンが内閣改造をおこなった際、いわゆるシロヴィキという治安・国防関係省庁出身のタカ派が優遇され、グレフは解任された。
だが、このときナビウリナは上司と一緒に職を辞さなかった。ナビウリナがグレフの職を引き継いだのだ。これは彼女が本物の権力を得た初めての機会であり、ヒルによると、ナビウリナはそれに満足したという。
「ナビウリナは自分の仕事をとてもうまくこなすのが好きなのです。テクノクラートとして体制の内部にいるのが、彼女にとって適した環境なのでしょう」
プーチンの2期目は2008年に終わり、連続して次の任期を務めることは憲法上できなかった。そこで彼は首相になり、背後から権力を行使した。ナビウリナはプーチンとともに首相府の職についた。 そして2012年、プーチンはもう一度大統領選挙に立候補した。
そのときまでにロシアは根本から変化していた。カリスマ的な若い活動家アレクセイ・ナワリヌイに率いられた民主派の野党勢力ができており、彼らはプーチンの再選に対する抗議運動を組織した。大統領に復帰すると、プーチンは批判者を何人も逮捕した。
そのような状況で、プーチンに従って大統領府に戻るというナビウリナの選択は、経済の改革を目指したグループの旧友たちを仰天させた。ヤシンがかつて呼びかけた政治的な自由化を、プーチンが果たさないことは明らかだったからだ。ヤシンの娘イリーナは公然と野党の抗議を支持し、イリーナも父親もナビウリナとは疎遠になった。
「ナビウリナは自分の仕事をとてもうまくこなすのが好きなのです。テクノクラートとして体制の内部にいるのが、彼女にとって適した環境なのでしょう」
プーチンの2期目は2008年に終わり、連続して次の任期を務めることは憲法上できなかった。そこで彼は首相になり、背後から権力を行使した。ナビウリナはプーチンとともに首相府の職についた。 そして2012年、プーチンはもう一度大統領選挙に立候補した。
変節したプーチンにも信用された
そのときまでにロシアは根本から変化していた。カリスマ的な若い活動家アレクセイ・ナワリヌイに率いられた民主派の野党勢力ができており、彼らはプーチンの再選に対する抗議運動を組織した。大統領に復帰すると、プーチンは批判者を何人も逮捕した。
そのような状況で、プーチンに従って大統領府に戻るというナビウリナの選択は、経済の改革を目指したグループの旧友たちを仰天させた。ヤシンがかつて呼びかけた政治的な自由化を、プーチンが果たさないことは明らかだったからだ。ヤシンの娘イリーナは公然と野党の抗議を支持し、イリーナも父親もナビウリナとは疎遠になった。
「ナビウリナは過去13年間、プーチンと共に仕事をしています。これはもはや私たちの意見が一致していないことを示しています」と、ヤシンは2013年にブルームバーグの記者に対して述べている。
ナビウリナがプーチンと運命を共にすることを明確にした次の年、ロシア中央銀行の総裁セルゲイ・イグナティエフが退任した。プーチンは慣例に従い副総裁を次期総裁に格上げすると多くの人に思われていた。しかし、彼は総裁の職をナビウリナに与えた。
その決定は議論を呼んだ。ナビウリナは金融政策を策定した経験はほとんどなかった。そして彼女には、もともとの支持者がいたわけではなかった。オレグ・デリパスカのようなオリガルヒは、金融政策に規制を設けるナビウリナのアプローチは、自分たちが必要としている融資の自由な流れを阻害すると考えた。他方で保守派は、ナビウリナがもともと自由主義経済の派閥にいたことを気に入らなかった。
そのようななかで発表された、プーチンと就任したばかりのナビウリナの写真を見ると、インフレターゲットについて説明する彼女の話をプーチンが熱心に聞いてるように見える。すぐに明らかになるのだが、ナビウリナは唯一の重要な支持者であるプーチンの信用を得ていたのだ。(続く)
ナビウリナがプーチンと運命を共にすることを明確にした次の年、ロシア中央銀行の総裁セルゲイ・イグナティエフが退任した。プーチンは慣例に従い副総裁を次期総裁に格上げすると多くの人に思われていた。しかし、彼は総裁の職をナビウリナに与えた。
その決定は議論を呼んだ。ナビウリナは金融政策を策定した経験はほとんどなかった。そして彼女には、もともとの支持者がいたわけではなかった。オレグ・デリパスカのようなオリガルヒは、金融政策に規制を設けるナビウリナのアプローチは、自分たちが必要としている融資の自由な流れを阻害すると考えた。他方で保守派は、ナビウリナがもともと自由主義経済の派閥にいたことを気に入らなかった。
そのようななかで発表された、プーチンと就任したばかりのナビウリナの写真を見ると、インフレターゲットについて説明する彼女の話をプーチンが熱心に聞いてるように見える。すぐに明らかになるのだが、ナビウリナは唯一の重要な支持者であるプーチンの信用を得ていたのだ。(続く)
第三部では、自由主義を捨てた3期目以降のプーチン体制で金融政策のトップに就任したナビウリナの働きを見ていく。彼女を知る人のなかには、彼女は決して本心ではプーチンに同調していないと考える人もいる。