ナビウリナの「城」であるロシア中央銀行 Photo: Vlad Karkov / SOPA Images / LightRocket / Getty Images

1843マガジン(英国)

1843マガジン(英国)

Text by Kate de Pury

さまざまな解釈を呼ぶファッション


ロシア中央銀行の建物はクリーム色とベージュのネオルネサンス様式の宮殿で、最後の皇帝によって19世紀後期に建てられた。現在、中央銀行はほかのロシアの機関にはほとんどない、一定の独立性を享受しており、金利の設定と銀行の規制の権限を有している。

建物の周りを囲む錬鉄製のフェンスは、ナビウリナの帝国の国境を示すものだ。中央銀行の仕事に詳しい有識者によると、彼女はほとんどの時間を敷地内で過ごし、ヘアサロンや衣装室やドライクリーニングサービスを仕事場に設置しているという。

ナビウリナは決して洒落ているとは言えないが、見た目に気を使っており、彼女の服装は金融界や物好きなロシア人女性たちの詳しい考察の対象となっている。彼女は派手でけばけばしい服装は避け、「隠れ富裕層」的な服装を好む。

「初期の頃、彼女は田舎の会計士のような格好をしていました」とロシアのファッション業界の関係者は言う。 だが現在では、ナビウリナは超富裕層向けのデザイナー、 ロロ・ピアーナの控えめなデザインのスーツを買っているという。

そのスーツのさりげない魅力は、目を引くジュエリーによって引き立てられている。ナビウリナは金利に関する決定をブローチの種類によってほのめかしているようで、たとえば鷹を模した陶器製のブローチは、有識者から見ると彼女の決定をはっきり示すものだった。ウクライナ侵攻開始後、彼女は喪服のような黒い服を着ているのを頻繁に目撃されている。


謙虚だが厳しい上司


2013年に中央銀行の責任者に就任した後、彼女は中央銀行を最高レベルの経済学者たちが集まってくる職場に変えようとした。まず彼女は若く能力の高いチームを作った。その多くはデータ収集と分析の最新手法の導入に一役買った副総裁のクセニア・ユダエワのように、西側諸国で訓練を積んだ人たちだった。

多くの「賢く才能ある人々」がナビウリナに強い忠誠心を抱くようになったと、ウクライナ戦争開始直後に銀行を去った元同僚のアレクサンドラ・プロペンコは証言する。

「ナビウリナはたしかに、職場環境の有害性を減らすことに大きく貢献しました。彼女が率いる職場は、交流を重視し、完全にフラットではないにしても、垂直的ではありませんでした」

ある友人は、ナビウリナとほかの著名なロシア人経済学者たちの違いを以下のように指摘する。

「ナビウリナは謙虚で礼儀正しく、自己中心的ではありません」

ただ、彼女には厳しい面もある。ある関係者は「ナビウリナはみんなに恐れられていました。いつも笑顔だったけれども、鋼のような決意を持っていました」と回想する。

「彼女は鉄のエリビラとして知られ、屈強な男たちでさえ彼女のオフィスに入るのを恐れていました」と経済省の元同僚は語る。「彼女は弱い人間を好まないのです」

あるときナビウリナは「オフレコの」会合に招待されたジャーナリストたちに、副総裁の一人が即刻辞任すると言い渡した。ジャーナリストの一人によると、その副総裁もその場にいたのだが、驚いた様子だったという。ナビウリナは瞬きもせずに「それはもう決まったことです」と宣言した。

クリミア併合には動じず開放政策を貫く


このような大胆さと、知的な厳格さの組み合わせによって、ナビウリナは自信をもって中央銀行の政策を大幅に変更した。

ロシア中央銀行の過去の総裁たちはルーブルを守ろうとし、人為的にルーブルの価値を高く保っていた。ナビウリナはそれを自由に変動させるという計画を発表した。低金利の融資を維持するように求めるオリガルヒからの圧力には抵抗し、代わりに金利を高く保った。また、彼女は4年間で300もの銀行を閉鎖させたが、その多くは「疑わしい取引」、すなわちマネーロンダリングをやったからという理由であった。

そのような野心的な政策は銀行界を動揺させた。だが、プーチンはナビウリナがマクロ経済を安定させたことに満足していた。「ナビウリナの敵は、誰がナビウリナのバックにいるかよくわかっていた」と、ある関係者は回想する。

プーチンの同盟者と戦う際には、相手を選んだようだ。国営石油会社ロスネフチのイゴール・セチン会長は、中央銀行との蜜月関係が終わったはずだったにもかかわらず、中央銀行から非常に有利な条件でドル建て融資を受けることができた。

ナビウリナがルーブルの完全変動相場制導入を計画していた2014年、プーチンがクリミアを併合した。欧州と米国は制裁を課し、ロシアの大手銀行、エネルギー企業、防衛産業が融資を受けることが難しくなった。そのうえ、世界の原油価格下落とともに、ルーブルが下落しはじめた。

ロシア国民は自分たちの貯蓄の価値が下がっていくのを目の当たりにした。ナビウリナにとっては、銀行の準備金を使ってルーブルを支え、資本規制を課してロシア国民が外貨を買わないようにするのは簡単だったはずだ。だがそれは、彼女が発展させようとしてきた経済への信頼を揺るがすものだった。そこで彼女は当時の計画を貫き、ルーブルの変動相場制導入を承認した。予想通りルーブルは下落した。

主流の経済学者たちは、ナビウリナを無謀だと批判した。右翼の民族主義者は、銀行が「米国国務省」に支配されていると非難した。しかし彼女の冷静な賭けはうまくいき、2016年秋にはルーブルは価値を取り戻した。他方、インフレ率は彼女の目標である4%に向かって下がっていった。

そのため、国際的な称賛が寄せられた。2013年には権威ある雑誌「バンカー」によって、ナビウリナは欧州で最も優れた中央銀行総裁に選ばれた。

2018年、IMFは中央銀行に関する年次講演の講演者としてナビウリナを招いた。ナビウリナは流暢な英語で真剣に「市場経済の基礎を築き、マクロ経済の安定を達成するための戦い」について語った。世界の金融エリートたちは拍手喝采をした。プーチン大統領に近い立場にいることは気にならないようだった。彼らはナビウリナなら味方になってくれると期待していたのかもしれない。

「私は、彼女が善人で正しい側にいると思っていた。だが結果はご覧の通りだ」とある外交官は悔やんでいる。

意味深なビデオメッセージ


2022年2月にロシア軍がウクライナに侵攻してから1週間後、ナビウリナは中央銀行の職員にビデオメッセージを送った。広い大理石のロビーに一人立つナビウリナは青ざめて見えたが、落ち着いた様子で言葉を慎重に選んで話した。

「我が国の経済は、誰も望んでいないような極端でまったく異常な状況に陥っています」

そして彼女は職員に対し、政治的な意見の違いは忘れて、目の前の仕事に集中するように促した。

「私の目標は、一般の人々や企業の損失をできるだけ少なくすることです。みなさんにもそれを目指してほしいと思っています」

オンラインに流出したこのビデオは、ナビウリナの厳格だが共感を欠かさないリーダーシップのスタイルを垣間見ることができる、貴重な資料だ。

彼女の合理的な世界観がプーチンのウクライナに対する野望と共通するとは考えにくい。「彼女は心のなかでは民主主義、自由市場、競争を支持しているはずです」とある友人は言う。

戦争が始まる前に彼女がプーチンのところへ出向き、戦争がもたらすであろう経済的な損失を説明して戦争を思いとどまらせようとしたことは広く報道された。しかし彼女は公の場では、服装の地味な色合い以外で反対する気配をいっさい見せていない。

侵攻開始から数日間で、EUは2000億ユーロ(約34兆円)を超えるロシア中央銀行の資産を凍結し、西側諸国はロシアの銀行、エネルギー産業、防衛産業に幅広い制裁を課した。2022年2月28日月曜日の朝、ルーブルがドルに対して30%近く下落したことを受けて、ロシア人は預金を引き出すために列を作った。

ナビウリナは事態の沈静化を図るために 2014年におこなった巧みな戦略とはかけ離れた、異例の措置を講じなければならなかった。まず、彼女は金利を20%に引き上げた。これはあまりに大胆な措置だったので、ある中央銀行職員はその後警備が増強されたと回想している。

次にナビウリナとプーチンは資本規制を実施した。これはナビウリナが個人的に踏み越えたくなかったラインの一つで、大手エネルギー企業にドルでルーブルを買うことを義務づけ、ロシア国外への送金の大半を禁止するものだった。

ロシアを離れ、現在ではパリ政治学院で教える著名な経済学者セルゲイ・グリエフは「ナビウリナは強まる弾圧に支えられていた。ロシア国民は街頭に繰り出して抗議しなかった。なぜならそれは不可能だとわかっていたからだ」と分析する。

こうした措置の大半は最終的には撤回され、ある種の安定が達成された。ナビウリナが育ててきた経済は徐々に崩壊したが、彼女は悪いニュースを伝える際、前向きにはなれないにしても、平静さを装っていた。

毎月中継される記者会見で、ナビウリナは「予測不可能性」や「労働市場における不足」という言葉を使うが、戦争には言及しない。彼女の冷静で官僚的な性格はよく知られるようになり、ロシアのソーシャルメディアではナビウリナの写真の上に「完全なやらかしではなく『構造的転換』です」と書かれたミームが誕生した。

テクノクラートの悲しき宿命


ナビウリナは現在、かつて西側諸国の銀行界を驚かせたのと同じくらいの熱量で、ロシアの新たな状況に取り組んでいる。ワシントンDCに招待されることはなくなったかもしれないが、2023年5月にはテヘランでVIPゲストとして、深まるイランとの関係を強化するのに協力し、2024年5月にはプーチンの中国公式訪問に同行した。

ロシアの戦争の費用を管理するのは中央銀行ではなく財務省だ。経済学者のグリエフは、兵士や弾薬に国家の貯蓄が費やされており、1年かそこらでそれが尽きると、社会支出を削減せざるを得なくなると考えている。

「国民は不満に思うでしょうが、そこは警察が抑えるのでしょう」

ナビウリナの最近の主な仕事はインフレ抑制だ。彼女は2024年いっぱいは金利を16%に据え置くつもりだと述べている。これまでのところ、ナビウリナはロシアの家庭に深刻な経済的打撃を与えないようにしており、プーチンもナビウリナの金利政策を支持しているようだ。

しかし、元同僚のソニンによると、それには代償も伴う。ソニンはかつてナビウリナがうまく歌わせた中央銀行が、いまや「プーチンの望む方向へ進む兵士」の一人になってしまったと考えている。

ナビウリナの指導教官であったヤシンは2023年9月に死去した。彼はロシアの経済自由主義の基礎とみなされており、モスクワの高等経済大学で行われた追悼式には政界や学界の著名人が出席した。その式典でのナビウリナの写真を見ると、薔薇の花輪がついた棺の前で一人で物思いに耽っている。

ナビウリナは最近、2023年夏に中央銀行副総裁を辞任したユダエワのような志を同じくした同僚からも、ますます孤立しつつあるようだ。ある知人によると、ナビウリナはルーブルが暴落するなかで、批判から守るためにユダエワをやめさせたという。

ロシアの金融業界の関係者は、ナビウリナをシェイクスピアの悲劇の登場人物のようだと述べる。その性格ゆえに行動を止められなくなっているのだ。

「戦争の初日から、ナビウリナは自分の行動の結果を完全に理解していました。それでもなお、彼女は行動を続けています。まるで彼女は、患者が誰であろうと治療をする外科医のような行動原則を持っているようです」

プーチンの周囲には、ロシアが直面する異常な状況を切り抜けようとしているテクノクラートが、ナビウリナ以外にも何人かついている。たとえば、首相のミハイル・ミシュスチン、大統領府第一副長官のセルゲイ・キリエンコ、そして最近国防相に指名された経済学者のアンドレイ・ベロウソフだ。

おそらく彼らは、プーチンがウクライナに対して勝利を宣言し、戦争を終わらせ、ロシアの復興に取りかかるまで事態をなんとか収拾しようという計画なのだろう。

現実には、戦争がすぐに終わると予想する人はほとんどいない。経済学者のなかには、戦争が終結すればナビウリナが長きにわたって食い止めてきた経済の破綻が起こってしまうと考える人もいる。

ソニンは「非軍事化が始まれば大きな経済危機が起こる」と予想する。「軍需生産に従事する人は全員、職を失います。ソビエト崩壊のときのようなことが再び起こるでしょう」

プーチンの戦時体制を率いる銀行家にとって、最大の障壁は「平和」かもしれない。


1843マガジン(英国)

1843マガジン(英国)

おすすめの記事

注目の特集はこちら