アイスリンク仙台「羽生結弦様より頂戴いたしました多額の寄付金」どうして、ここまで利他の存在いられるのか…宮城『RE_PRAY』約束の地で、思う
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同じ「祈り」という命題の意味はある
宮城『Yuzuru Hanyu ICE STORY 2nd “RE_PRAY” TOUR』。
あの日、横浜で終わるはずが、追加公演としてこの地、宮城県セキスイハイムスーパーアリーナに還ってきた。
『羽生結弦 notte stellata 2024』と同じ祈りの、約束の地。
もちろん『RE_PRAY』はあくまでアイスストーリー、創作が意図せずともその人の内面を、姿勢を顕すことは当然としても、分けて考えるべきだが、それでも同じ「祈り」という命題の意味はあるのだと思う。
それでもふと、思う。
うんとシンプルに、思う。
あのセキスイハイムスーパーアリーナの原っぱで、だだっ広い仙台平野の風を、まだ少し冷たかった風を受けながら、思った。
羽生結弦という存在は、どうしてここまで利他の存在でいられるのか
羽生結弦という存在は、どうしてここまで利他の存在でいられるのか、と。
自分のために生きて、自分のための幸せを独り占めにする。成功者であろうとなかろうと、人とはそういうものだし、そうあっていいのだと、思う。
羽生結弦はそれがいくらでもできる身だ。
たとえばSNSを見れば、都心に住んでいる、高級車を乗り回している、高級時計を買った、億り人になった――虚実はともかく、自分のために生きて、自分のための幸せを独り占めにしたことを自慢する人がある。それを羨む人もいる。
それは好き好きだ。もちろん、どの成功も羽生結弦には造作もないことだろう。
それでも、彼は利他の存在でいる。
それができるのに、しない。
「羽生結弦様より頂戴いたしました多額の寄付金を使わせて頂く」
そういえば4月1日から、アイスリンク仙台は休業に入った。氷の張替えやフェンスの交換、そして機材の改修や増設のためだ。
アイスリンク仙台(加藤商会)はプレスリリースで2023年11月、こう発表した。
「本改修につきましては過日、羽生結弦様より頂戴いたしました多額の寄付金を使わせて頂くことをお伝えいたします。羽生様には、改めて厚く御礼を申し上げます。誠に有難うございました」
リンクもまた羽生結弦の何番目かのふるさとだ。震災、怖い思いもした。それでもこの東北の地で育ち、世界へ、時代へ、そして歴史の舞台へと羽ばたいた。
自分と同じようにこの街でフィギュアをやりたいと思う次の世代が一人でも多く生まれること期待しております
まごうこと無き成功者。それでも、彼は利他をやめない。
今回の改修にともなう休業には羽生結弦の寄付した5588万1272円があてられている。それ以前からの寄付は8733万406円、アイスリンク仙台だけで、これだけの寄付があった(産経新聞、2023年7月27日)。
言うまでもなく、これまでも寄付に限らず印税やボランティア、そして羽生結弦の活動とその成功による経済効果でふるさとに、日本に、いや世界に貢献してきた。何者になるかもわからない、年端もいかない(大人からすれば、という意味で)時代から。
普通はお金を自分のために使いたい、ましてお金のかかるフィギュアスケート競技、それでも羽生結弦は利他のために使った。そしてそれを誇るでなく、あたりまえのように使った。
それができる人、どれだけいるというのだろう。セキスイハイムスーパーアリーナの空に思った。
羽生結弦は宮城県ではアイスリンク仙台に続く通年型リンクとなるゼビオアリーナ仙台内に併設される予定のリンク設置に、こうコメントを寄せた。
「一人のスケーターとしてとてもうれしく思います(中略)仙台は多くのスケーターが育ってきましたが、練習環境はとても厳しい状況にあります。自分と同じようにこの街でフィギュアをやりたいと思う次の世代が一人でも多く生まれることを期待しております」(朝日新聞、2023年11月28日)。
10代から続けて億単位の寄付をしてきた人が、どうしてスケート場を独り占めしたがるというのだろう
あくまで「一人のスケーターとして」であった。そういう人だ。あたりまえの話だが、この羽生結弦の「あたりまえ」を捻じ曲げる人々がある。不思議な話だ。その虚構を孫引きで誰かと比べて「ビジネスライク」(女性セブン、2024年3月22日)と揶揄する記事もあった。
そもそもが「虚構」だが、これまで10代から続けて億単位の寄付をしてきた人が、どうしてスケート場を独り占めしたがるというのだろう。一選手、一演者に過ぎない彼、むしろそうであることにひたむきな彼が、それだけのために、それが多くの人々に喜ばれるからと命を削って滑り続ける彼が。
欲で美しくなど、なるはずがない。
先に「活動とその成功」と書いたが、羽生結弦の活動にともなう身体は常に限界を超えたまま、アイスショウの連続ならもう休んでも構わないはずだ。それでも彼は、世界中のアイスショウを見たい人がいる限り、続ける。追加公演をねじ込んでまで続ける。それもこの地、セキスイスーパーアリーナで。
また「成功」と簡単に書くが、成功するかはわからないのだ。これまでだってわからなかったはずだ。競技会時代から怪我のリスクはもちろん、興行という華やかで残酷な世界、失敗したら大変な損害を被る。私も出版社時代、アニメを中心にいくつかの作品やイベントに携わった経験があるが、失敗すれば損害が出る、責任問題もある。「銀盤の女王」オリンピアンによるアイスショウの先駆け、ソニア・ヘニーすら南米公演失敗による損害で興行から撤退した。
いまどんな人気者でも興行は厳しい。そしてみっともなくたって売る
「人気がない」「席が埋まらない」はどのジャンルのエンタメにもついてまわるが、先日あるミュージシャンの方がライブツアーのチケットが売れない、席が埋まらないとして来場を呼びかけた。
ネットニュースではSNSの声とやらを引いてこれを「みっともない」(J-CASTニュース、2024年4月4日)という見出しで扱われていたが、私はそう思わない。いまどんな人気者でも興行は厳しい。そしてみっともなくたって売る、それが座長の責任だ。プロの仕事だ。立派なことだ。
断っておくが、ソニア・ヘニーやそのミュージシャンをあげつらう目的はない。それほどまでに興行とは大変なのだ。映画でいえば20世紀フォックスは『クレオパトラ』の失敗で会社が傾いた。しかし当初は期待していなかった『サウンド・オブ・ミュージック』の成功で復活した。興行とは本当に残酷で、水物だ。中村流分家家元で日本舞踊家だった私の母は女剣劇、浅香光代の弟子(直門)でもあったが、豪放に見える浅香先生も席が埋まるかどうかをいつも気にしていた。
そうした「プロの流儀」は人それぞれだが、羽生結弦の興行がまるで努力しなくとも、いとも簡単に、当たり前のように成功する体、それどころか「本当にファンを思ってやっているのことなのか」(原文ママ)、「フィギュアスケートの規模を超えた「欲」」(日刊ゲンダイ、2022年12月)などと書く。疑問を超えて率直に嫌悪感を感じる。
それをやめても羽生結弦は羽生結弦だから。もう十分すぎるし、幸せであり続けて欲しい
それでも、それでも羽生結弦は利他をやめない。
何度も書いてきたし、何度も思ってきたが、何度書いたって、思ったっていいだろう。
私はそれをやめて欲しいと思うこともある。それをやめても羽生結弦は羽生結弦だから。もう十分すぎるし、幸せであり続けて欲しい。
でも、やめないだろうな。だって、またセキスイハイムスーパーアリーナに還って来ちゃうんだから。みんなとの約束のために、自分の時間を、身体をまた削っちゃうんだから。ジャージを着たって、グッチを着たって、羽生結弦はスケート好きな、あの日の羽生結弦のままだ。
『RE_PRAY』宮城。さて、私たちもまた「羽生結弦と共にあることのプロ」として興行を成功させようか。美しくて純粋で、人のことばっかり考える王子様には、私たちが必要なのだから。自惚れ? いやそれくらいの自意識なけりゃ、羽生結弦と歴史は創れませんって。
※引用は適宜、文中に記した。