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Happy NeWORLD
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彼が送ってきた本を、私はしばらくじっと眺め、ゆっくりと手に取った。
こういった自費出版の本を目にしたのは初めてで、思いのほかちゃんと作られていることに驚いた。本なんて、何年も買って読んでもいないけれど。書店で売られているものと変わらない。
表紙に亡き夫の名前だけが印刷されている。
大仰な感じを少し受ける。中のページをパラパラとめくる。
詩なのか、散文なのか、色々な文章が並んでいるようだ。
きっと、この中に私はいない。
私の知っている夫も。
彼が突然訪問してきたのは、夫の四十九日の法要が終わって、少し経った頃だった。
朝、隣の布団で夫は亡くなっていた。原因不明の突然死だった。
驚いたとの同時に、私はこんな日が訪れることをどこかで予期していたことに気づいて、冷静に対処していた。
それでも諸々の手続きに追われ、少し疲労を感じていた頃、彼が玄関のチャイムを鳴らした。
高価そうなスーツを着て、靴の手入れも行き届き、髪も綺麗にして、大きな声で挨拶してきた彼を一目見て、堅気ではなく遊び人だと判断した。どうしてなのかわからないが、それよりも夫に友人というものがいたことに静かに驚いた。生前に友人がいるという話は聞いたことがなかった。
「いやあ、ヤツとは高校の時にバンド組んでましてね。バンドと言っても、私とヤツの二人だけなんですが。ヤツの母親と私の母がたまたまバスで一緒になって、この度の訃報を聞きまして」
「わざわざありがとうございます。よかったら、ご焼香して頂けたら主人も喜びます」
私は無防備に彼を部屋に入れた。
お茶を出して、少しずつ話した。
「高校2年の時に、ヤツと同じクラスになりました。同じ帰宅部だったのでなんとなく仲良くなって、当時は貸しレコード屋というものがあって、そこに寄ったりしてました。ヤツは音楽や文学を独自の方法で何か面白いものを探してくるのに長けてましたよ。よく、色々なものを教えてくれました」
「そうだったんですか。家では音楽も聞かず、本も殆ど読んでなかったですが」
「ああ、そうなんですね。まあ、私も結局古いものを何度も聞いたり読んだりして、たいして進歩してないので同じようなもんでしょう」
そう言って、狭い我が家を彼はそっと見回した。
「あの机はヤツが使ってたものでしょうか」
「はい、そうです。週末、休みの時とかは何かノートに書きつけてたりしました。私はあまり興味がなく、何書いてるのかも知らないのですが」
「そのノート、よかったら見せて頂けたりしますか」
「ええ、かまわないですけど」
机の一番下の引き出しの中には、ノートが何冊もあった。数えてみたら22冊あり、それらをテーブルの上に運んだ。
彼は一冊ずつノートを丹念に見ていた。
「高校の時に組んでたバンドでは、彼が歌詞を書いていたんですよ。でも、彼は歌いたくないって言うし、私も下手なんで歌えないし。バンドは何回か練習スタジオに入っただけで、解散してしまいました。歌詞にはいい言葉があったなあって、今でもたまに思うんですよ。このノートにひたすら未完の詩や文章を書き連ねてあるのですが、原石のようなノートです。プロの編集者がうまくまとめ上げれば、ちょっとした本になりますよ。知り合いに出版社勤務の人間がいるので、一度あたってみます」
「そうなんですか。私にはわからない世界なので、お任せします」
そして彼に紙袋を渡し、彼はその中に全部のノートを入れて、急に意気揚々とした表情になり、帰る時に、何度も頭を下げていた。
仏壇に置いていった香典袋には、一万円札が一枚入っていた。
それから、ひと月に一度、彼が訪れるようになった。
夫の原稿はただ書き散らしていて、編集者がそれを見ても、どうまとめて良いのかわからなかったようだ。結局、彼がまとめて本という形にすることを決めた。そして、制作の進捗具合を報告しに来てくれるのだが、本にするということの意味も目的も私にはわからなく、ぼんやりと聞いていた。
「たしかにヤツの本を作ってみて、あちこちに配ったところで、反響などは期待してないです。皆無でも構いません。ただ、形にしていたら絶対いつか、誰かが必要とする時が来る。このままノートに書き殴って終わりで済む言葉ではないです」
彼は、この言葉を何度も繰り返した。
自費出版で本を作るのに幾ら掛かるのか見当もつかなかったが、幾らか用立てしようかと申し出ても、それはきっぱりと断ってきた。
「もちろん、奥さんのお心遣いは大変嬉しいですが、この本はヤツと高校時代にやってたバンドの続きで、きちんと落とし前をつけたいんです。だから、ヤツと二人だけでやらせてください。甘ったるい男のロマンみたいで、わかりにくい話と思いますが」
彼の気持ちがだんだん伝わって来た。彼は何の仕事をしているのかいっさい話さないけど、夜にやってきて、ワインを一本持って来てくれる。私は適当に、パスタやらチーズを用意するようになった。
夫は飲まないひとだったので、私も飲まなかった。彼が買ってきたワインを試しに口をつけてみたら美味しく感じて、それからは一緒に飲むようになった。そのワインが高いものか、安いものかわからない。安っぽくはないように感じた。
いよいよ後は印刷所にデータを入れて完成するという時は、彼も少し興奮していた。
「結局ひとりで全部仕上げるということは難しくて、最終的にはデザイナーの力を借りて、何とか形になりました。後は、本が送られてきて手に取るだけです。変なミスしてたらどうしようって思いますが、また、その時は作り直しますよ」
「ちょっとくらいのミスならいいじゃないですか。お金も掛かるだろうし」
「いや、この本は完璧にしたいんです。私は今まで、一度もまともな仕事をしたことがないんです。世間体には聞こえの良い企業に勤めてますけど、単なる歯車なんです。私がいなくなっても、すぐ代わりを見つければいいだけのこと。だけど、この本を作るのは私しか出来ない。それこそが心血を注げる仕事なんです」
彼は少し酔いが回って来たのか、目元が潤んでるように見えた。
「高校時代、ヤツと自転車で家に帰りながら、河原に向かって、世界をぶっ壊してやる!と叫んだものです。ヤツが先に言い出して、それから私も口にするようになって。若気の至りのようなものかもしれませんが、あの時は本気でそう思ってたんですね」
私は、彼に近寄り、ゆっくりと頭を抱いた。彼は勘違いしたのか、喉の奥で小さく甘いうめき声を発していた。
私は彼の胸ぐらをつかんで、一気に言葉を吐いた。
「世界をぶっ壊してやる? 一度叫んだ言葉は引っ込めるなよ! 今からやってみろよ、それが出来ないなら茶番で、本なんか作るんじゃねえよ!」
どうして、自分の中からそんな衝動的な言葉が出て来たのかわからなかった。生まれてきてから、ずっと蓋をしていた何かが開いてしまった。思考停止して、演技して生きているのが当たり前だと思ってきたのに。私も、酔っていたんだと思う。でも、その言葉は紛れもなく本心だった。
一瞬、しまったと思ったが、遊び人の彼はずっと上手だった。すっと私の口を唇で塞ぎ、お互いぎこちないまま鈍く悶えてる間に、私の服を全部脱がせていた。
「あんまり使い込んでないんだねえ」とわざと露悪的な声で言って、私の性器をじっくり見て、唾液をたっぷり出した舌で執拗に舐めたり吸ったりした。私は何度も絶頂を迎えたけど、今思うと、それは夢のなかの出来事か区別がつかなかった。
彼が送って来た本を、私はしばらくじっと眺め、ゆっくりと手に取った。
こういった自費出版の本を目にしたのは初めてで、思いのほかちゃんと作られていることに驚いた。本なんて、何年も買っても読んでもいないけれど。書店で売られているものと変わらない。
表紙に夫の名前だけが印刷されている。
大仰な感じを少し受ける。中のページをパラパラとめくる。
詩なのか、散文なのか、色々な文章が並んでいるようだ。
きっと、この中に私はいない。
私の知っている夫も。
本をゴミ箱にぶち込んだ。
とよたみちのり
1970年生まれ。1995年にTIME BOMBからパラダイス・ガラージ名義でCDデビュー。以後、ソロ名義含めて多くのアルバムを発表。単行本は2冊発表。
photo by 倉科直弘