羽生結弦をいついかなるときでも、「絶対に助けます」を、矜持として持ち続けたい…

日野百草 ファンしか知らない羽生結弦

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羽生結弦の「思い」に応えることに繋がる。それが「伝えたい思い」なのだろう

 「生きることを諦めない」という羽生結弦と、「生きることを諦めさせない」という救助隊の方々。立場は違えど、その「生きる」という共通点で結ばれ、私たちの「生きる」のための啓発となっている。

 それを真摯に受けとることこそ、羽生結弦の「思い」に応えることに繋がる。これもまた、羽生結弦の「伝えたい思い」なのだろうと思う。

 災害救助の専門部隊、警視庁特殊救助隊における訓練体験はクライマックス。羽生結弦は実際にロープを使って、山の斜面を滑落した人のところへアクセスする訓練に挑んだ。

 「大丈夫、いける」

大げさでなく「人間史における宝であること」を、こうして繰り返し、書かなければいけない

 実際の高さはテレビ越しに見るより明らかに高く感じるだろう。恐ろしい高さ。

 それにしても、彼は「羽生結弦」である。冬季オリンピック連覇の歴史に名を残すフィギュアスケーターであり、現在は身一つで稼ぐプロフェッショナル、世界中のファンが彼のパフォーマンスを待ち望む、誰からも知られ愛される存在だ。こういった危険な仕事を引き受けない、という選択肢もあるし、引き受けたとしても「これはNG」と避けることもできる。私も長く出版を中心としたエンタメ業界にいて、そういう現場やタレントとのやりとりは経験している。

 しかし羽生結弦は「伝えたい思い」のために挑む。もちろん彼の身体能力なら造作もないことかもしれないが、万が一はあり得る。それでも挑む、これが一貫した彼の矜持であることは、羽生結弦と共にあり続けた方々にとっては周知の事実だろうが、そう思わない、思えない残念な人々がある限り、大げさでなく「人間史における宝であること」を、こうして繰り返し、書かなければいけないと思っている。

 もちろん名だたる特殊救助隊、「何か強くなった気がします」と羽生結弦の言う通り準備は万全、下りる人に合わせて隊員のみなさんがロープを調整、羽生結弦は身体をロープにあずけながら的確に、無事に下りた。

羽生結弦のこれまでの「人々を信じる」という活動に共通するもの

 「体重のかけ方とかコツはいるんだなというのは、なんとなく途中からわかってきて」

 この羽生結弦の感想に対して警視庁特殊救助隊実施班長は、

 「ロープと隊員を信じてもらえれば」

 と答えた。これもまた、羽生結弦のこれまでの「人々を信じる」という活動、そして生き方に共通するものだろう。どんな天才も一人では限界がある、一人では生きられない、それを羽生結弦は身をもって、常に教えてくれる。

「大丈夫だよという声かけが、すごく安心感につながったなと」

 次の水害救助の訓練は、浸水した民家の2階に羽生結弦が取り残され、救助を待つという想定で行われた。

 「羽生さん、今から救助に向かいます。安心してください大丈夫ですよ」

 「まもなく対岸なのでもう少しがんばってください」

 この声掛けに、無事救出された羽生結弦はのちに「大丈夫だよという声かけが、すごく安心感につながったなと思っています」と語っている。

たくさんの人たちの「大丈夫だよ」が羽生結弦にはあった

 これも救助に限る話でなく、これまでもたくさんの人たちの、羽生結弦と共にある人たちの「大丈夫だよ」が羽生結弦にはあった。だからこその感性とその発露、羽生結弦というのは社会性の人であり、フィギュアスケーターとしてのみならず時代の人であり、歴史の人である証左のように思う。そうした人というのは、日ごろの発言にも多くの人々の心に共通する「なにか」を生む。そうした不可知な才能を「天命」と呼ぶ。

 「それでも「生きることを諦めない」ことが大事だと改めて思いました」

 スタジオでも語った、羽生結弦の「伝えたい思い」とは、災害という言葉の中にある「人間」と、その「思い」なのだろう。確かに「僕だから言えることと、僕にしか言えないことが、きっとある」(※1)という発言はその通りだ。そう、「生きることを諦めない」ということ。

 また、羽生結弦は藤井貴彦アナウンサーから降下訓練の着地について聞かれると、こう答えた。

どこか安心した。そして、あたたかかった

 「僕の場合は氷の上ですけれども、実際に降下する訓練では着地する技術っていうのがとても洗練されていて、熟練されているなと感じました」

 そして「僕らはなかなか減速することはできない」とフィギュアスケートと比較、怪我についても含め、アスリートの視点で明瞭に述べた。

 ちなみに「伝えたい思い」でスタジオといえばおなじみ藤井アナ、残念ながら「news every.」卒業が報じられたが、この方の人柄もまた、羽生結弦との番組の相乗効果を産んだのだろうと思う。

 テレビというのは不思議なもので、映された人の人間性は誤魔化すことができない。ある意味残酷で、とても怖い媒体だと思う。表情、目線、声、全体の雰囲気すべてを「偽る」ことは大変難しい。どこか「透けて」見えてしまう。

 私の印象でしかないかもしれないが、これまでも藤井アナと羽生結弦の二人が画面におさまると、どこか安心した。そして、あたたかかった。

羽生結弦をいついかなるときでも、「絶対に助けます」を、矜持として持ち続けたい

 もちろん、羽生結弦は藤井アナより「羽生さんには来年もご出演いただきます」とのことで、これからも「伝えたい思い」を文字通り、伝えてゆくのだろう。

 「絶対に、助けます」

 羽生結弦の「みなさんに伝えたい思いとかありますか」という問いかけに、班長の力強い言葉。頼もしくも誇らしい我が国の警視庁特殊救助隊の存在を改めて知ることができたと同時に、この「絶対に助けます」の言葉は胸に来た。

 羽生結弦のこの先の道のり、いつも「伝えたい思い」をもらってばかりの私たちも、救助隊の方々には及ばないまでも、羽生結弦をいついかなるときでも、「絶対に助けます」を、矜持として持ち続けたいとも思う。

 それにしても良質な番組、昨今はいろいろ言われてしまうテレビだが、羽生結弦という存在はこうした面でも時代の子、誹謗と冷笑のコンテンツの時代に、そうではない社会へのアップデートを図ることのできる存在なのかもしれない。

●参考

※1 マイナビニュース 『羽生結弦、『news every.』で被災地の思い伝える「僕にしか言えないことが、きっとある」』 2022年12月28日配信.

この記事の著者
日野百草

1972年、千葉県野田市生まれ。日本ペンクラブ会員。出版社勤務を経てフリーランス。国内外における社会問題、社会倫理のノンフィクションを中心に執筆。ロジスティクスや食料安全保障に関するルポルタージュ、コラムも手掛ける。2018年、評論「『砲車』は戦争を賛美したか 長谷川素逝と戦争俳句」で日本詩歌句随筆評論協会賞奨励賞を受賞。

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