「お疲れ様でした。記憶に残る十年を、ありがとう。」…ANAと羽生結弦、涙なしには語れない感動の物語”ANAにサポートしていただいて幸せです”

日野百草
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日野百草 ファンしか知らない羽生結弦

目次

興奮ぎみの19歳、まさにANAという親に祝われる息子のようだった

※前編から続く

 2013年に羽生結弦と所属契約を結んだANAは、同年12月25日、羽田空港で2014年のソチ五輪に向けた応援イベントを開いている。

 国内線第2ターミナル(2階出発ロビー)には羽生結弦と記念撮影ができるバーチャル2ショットコーナーがあった。それまでの携帯電話に代わって急速に普及したスマートフォン(スマホ)をとアプリを利用した企画で、当時のスマホといえば最新でもiPhone 5(S)やXperia Z1あたり。懐かしい機種だが、それにしても10年という時の流れは速い。

 そして2014年ソチ五輪。日本の男子フィギュアスケート界で初の金メダルを獲得した羽生結弦は凱旋帰国。ANA本社で径40センチの特製ケーキに迎えられた。「『すごい』という感動の言葉しか出てこないです」と興奮ぎみの19歳、まさにANAという育ての親に祝われる息子のようだった。「ANAを背負って金メダルを持っていることが誇らしい」と語る金メダリスト、ANAからすれば世界に冠たる「自慢の息子」ということか。

 またこの年はANAの客室乗務員、地上旅客スタッフ、ラウンジスタッフの制服が一新された年でもある。ANA伝統のトリトンブルーが取り入れられた服装で、羽生結弦もこの新制服のお披露目会に協力した。ソチSPで使われた『パリの散歩道』の曲とともにタラップを下りて右手を突き上げるお馴染みのポーズで登場、ダナ・キャラン、シンシア・ローリー出身のデザイナー、プラバル・グルンのデザインによる制服に対し、その「ブルー」の印象を「エレガントで上品」と強く語った。自身の衣装も「表現したい世界を、衣装でも表現できるように意識している」とフィギュアスケートの衣装芸術についても言及している。挑戦と変化、ANAのコンセプトと羽生結弦の姿勢はまさしくシンクロしていた。

「ただいまと言っていいんでしょうか」

 2018年、平昌五輪。羽生結弦は66年ぶりの冬季五輪男子フィギュアスケート連覇を果たした。ANAの社員も同社講堂に集まり、『FLY YUZU』とデザインされたタオルなどの応援グッズで観戦している。

 ちなみにANA、嬉しさのあまりかライバルであるJALの第2ターミナル税関前に「感動をありがとう」の横断幕を掲げた。当時の報道によれば揉めたそうだが、まさに「親バカ」(褒め言葉)である。

 ANA本社で羽生結弦は、

「金メダル。一番重いものを持って帰れて、本当によかったと思います。飛行機って、乗っている時は普通に離陸して、着陸して、当たり前ですけど、当たり前の成功には沢山の方々が、その当たり前のために働いて、その当たり前をサポートしていて、当たり前の成功のために尽力してくださる方々がいる。そういう会社の人間の一人として、成功を持って来れた。こういう会社(ANA)にサポートしていただいて幸せです」(抄出)

 と喜びを語った。五輪連覇の偉業の中でも働く現場に心をくだく、私たちの当たり前の日常を支える当たり前は当たり前ではないこと、当たり前の努力によって支えられていることを、羽生結弦という人間はよく知っている。どこまでも利他の人だ。私はこうした姿勢が、とても好きだ。畏敬せずにはいられない。

 祝勝会では「ただいまと言っていいんでしょうか」と語っている。所属というだけでない、まさに親元に帰った息子だった。

ときに潰してしまうようなスポンサーもあるなか、ANAはそうしなかった

 羽生結弦とANAの10年はこの他にも書ききれないほどにたくさん、たくさんの親子の思い出がある。ANAは決して羽生結弦を日ごろから引っ張り回したり、おおよそ競技やその選手に関係ないであろうバラエティなどに呼びつけたりせず、羽生結弦が世界に羽ばたくために尽くした。お金を出しているから、所属だからと不適当に利用して、ときに潰してしまうようなスポンサーもあるなか、ANAはそうしなかった。まさに「育ての親」だった。

 先に引いた『エースをねらえ!』の中で、宗方仁コーチは「人を育てる」ということをこう語っている。有名なセリフなので知っている方もいるかもしれない。

「愛情はある。育てる以上。だが、それだけだ。なんの下心もない。邪念があっては人は育てられない。そんなものが動いたらおしまいだ。娘を育てる父親に、なんの打算がある。育てて育てて、やがて他の男に渡してしまうその愛に、一体なんの打算がある」(※1)

同じ空の下でつながっている

 ストーリー上の男女(宗方仁と岡ひろみ)という下りを除き引いたが、ANAと羽生結弦はまさにそれだった。だから羽生結弦は羽ばたいた。ANAは親として送り出した。これからいくらでもドームやアリーナを一瞬で埋める男、羽生結弦を利用できるのに、それをしない、子どもの幸せだけを願う「親」だった。

 2020年、羽生結弦は9月20日の「空の日」に「私たちはどこにいても、同じ空の下、つながっています」とANAの公式アカウントで語っている。そう、親と子は離れても、同じ空の下でつながっている。いまもつながっている。ANAは快く、私たちの元へ羽生結弦を送り出してくれた。もう一度この言葉を、ANAに贈ろう。

「お疲れ様でした。記憶に残る十年を、ありがとう。」

※出典
山本鈴美香・著『エースをねらえ!』第3巻、ホーム社漫画文庫、発行:ホーム社、発売:集英社、2002年8月14日13刷、196頁。

この記事の著者
日野百草

1972年、千葉県野田市生まれ。日本ペンクラブ会員。出版社勤務を経てフリーランス。国内外における社会問題、社会倫理のノンフィクションを中心に執筆。ロジスティクスや食料安全保障に関するルポルタージュ、コラムも手掛ける。2018年、評論「『砲車』は戦争を賛美したか 長谷川素逝と戦争俳句」で日本詩歌句随筆評論協会賞奨励賞を受賞。

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