日々是コラムなり ~trifling beetleのブログ~

日々是コラムなり ~trifling beetleのブログ~

宅録ミュージシャン・trifling beetleの雑記帳&忘備録。
HP https://www.music-scene.jp/triflingbeetle/
歌詞サイト http://triflingbeetleblog.blog.fc2.com/

NEW !

 

 

 

 

 

生駒ちゃんじゃないよ、伊藤かりんである。

いや、かわゆくなったのお。

あごの整形をしたということも報告されていたが、いやいや、びっくりだ。

 

今でも将棋、指してる?

 

 

 

 

1979年~80年・点景

ダウンタウンブルース

 

 

 

1980年4月1日放送だったと思う。

母の郷里に里帰りしており、そこで見た。

叔父が酔っ払って、こんなもんを見るな!といちゃもんをつけてきたが無視して観ていた。

叔父は、いつもこうやって空気を読まずに水を差す、いけ好かない人間なのだ。

長らく反面教師にしてきたし、今もそうである。

何年か前に胃がんでくたばったけど、最後の最後まで金に執着するという醜い姿を見せていたという。

もう、地獄に落ちろや。

くたばった当時、こころからそう言いたかった。

 

さて、52回選抜高等学校野球大会はこの日は雨で中止。

前々日、新幹線の中、ラジオで帝京ー北陽を聞いていた。

優勝候補北陽がスクイズ失敗で敗退という波乱。

その試合のさなか、新幹線が北陽の校舎横を通っていたことも覚えている。

第3試合は鳴門と滝川。

最高の渦潮打線がいつ大爆発するのか、それが楽しみだったが、滝川の石本にあっけなく完封されてしまう。

秦も島田も雑賀も栗橋も凡打をただ重ねるだけ。

優勝候補の重圧に押しつぶされたのだろうか。

逆に滝川・石本には失くすものは何もない強みがあったとは、思う。

それが試合の重要な分岐に深く影響したのだ。

この時点での石本は滝川投手陣の中のワンオブゼムに過ぎなかった。

その後、報徳二年の金村、東洋大姫路の島沢を破り、夏にも連続出場し、広陵渡辺と投げ合い、評価を高めプロ入りし、近鉄屈指のクローザーとして化けてゆくわけだが。

 

閑話休題。

探偵物語の最終回は、なんとも言えない終わり方で、本当にもやもやした気がする。

その何年後かに、工藤ちゃんが傘をさして歩いていた表参道を歩くことになるとは、公園通りのパルコ横壁画の前に立つとは、この時は全く思っていなかった。

 

 

 

 

中国産シャインマスカットのまずいこと、まずいこと。

よー食わんわ、あんなん。

吐いたっちゅーねん。

農薬もてんこ盛りかもしれんしさ。

油断でけんな。

 

苗木だけ盗んで栽培しても、あのうまさは再現できないということだ。

栽培のための技術とかとセットでないと、あの味は再現できないとか。

愛情たっぷりかけておられるしね、日本の農家は。

いや、浅はかな行いだ(笑)。

パクったなら、なんか一つでも工夫してみな?

無理か...。

 

 

 

 

コロナの緊急事態宣言下での光景。

CAがボランティアで防護服づくりをしたという。

不謹慎だと思うが率直に感想を漏らすと、

もはや、戦時中の「千人針」だよな(笑)。

すんません。

 

 

 

 

 

 

隣の建物の屋上でタバコを吸う輩が多くてなんか嫌だ。

特に煙が吹き込んでくるわけでもなく、そこはいいのだが、うちのベランダとその屋上との位置関係が微妙なのだ。

屋上が2メートルぐらい上にある。

なのでこちらがベランダに出ていると、斜め上に複数の人間の視線がわさわさとあるのを、否が応でも感じ取ってしまうのだ。

どうやら屋上の喫煙スペースは狭いうえに、かなり多くの人間が喫煙者のようで、入れ代わり立ち代わりやってきては一服している。

喫煙者率、相当高くねーか。

そんなにストレスフルな会社なのか?

なんか、こちらが落ち着かなくて、本当にストレスフルで、うざいのである。

なんとかならないのか?

 

ちなみに以前「ホタル族」なんて揶揄されていたベランダ喫煙者は、近隣の副流煙問題なんかもあり、今ほとんどいない気がする。

喫煙者に対する仕打ちは、ちょっと異常だなとは思うが。

 

1966年で見ると男性喫煙率83.7%!

これが平成30年には約30%以下まで急降下したという。

約84%という数字は恐ろしい限りだが、刑事ドラマなんかでタバコを吸っていない俳優は、皆無だった気がするなぁ、今から思えば。

 

 

 

 

1979年~80年・点景

安東家でのレコ鑑賞会

 

 

 

学校が終わると、そそくさと安東家に集まるという日があった。

彼の家には、すごく音のいいステレオと、レコードが山ほどあったからだ。

週一くらいか。

毎回違うものを聞いていた。

彼の義理のお父さんがとんでもないレコードコレクター。

安東は素晴らしい環境を持っていたのだ。

さらにゴミ捨て場でストラトを拾ってきて儀理の親父に弦を張ってもらって利していた。

始めてみたエレキ、触ったのも初めて、興奮した。

安東はそれをおぼつかないまでも、アンプレスでなんとなく弾いて見せてくれた。

ナックのマイ・シャローナの、あの有名なギターソロの耳コピ。

たまげた。

 

洋楽が多かったけど、安東はこの頃からストーンズなんかを聞き漁り、札幌に引っ越してから本格的にギターを弾き始めて、バンドを組み、ヤマハポプコンに応募したりしていたという。

1980年代当時、全国どこの、ヤマハを取り扱っている大型店舗では、ヤマハのポプコンに応募しますというと、ただでデモテープを作ってくれていた。スタジオを使って、ちゃんとした録音機材を使ってである。

そのテープを使いまわすことが僕らの常識だった。

 

安東君は(当時は片石君)そのテープを札幌からわざわざ送ってくれたりもした。

札幌と京都で、ドアーズなんかについて長電話したこともある。

とんでもない電話代だったんだろうな。

 

 

 

 

太平洋戦争中、竹やり戦術に対して、水を差して批判した人たちがいたという。

「それは、B-29に届かない」

と、言って(笑)。

いや、そうやんな。

誰がどう考えても、届かんし、無駄やで、そんなん(笑)。

 

 

 

 

ロシア人、mixiを日本の巨大SNSと信じてサイバー攻撃仕掛けるらしい(笑)。

霞ヶ関と間違えて霞ヶ浦河川事務所サイバー攻撃を仕掛けた輩と同様か。

 

 

 

 

1979年~80年・点景

おやつは焼き鳥、買い食い

 

坂根の目をかいくぐり、トップセンターまでおやつの焼き鳥を買いに行くことが毎日のルーティンだった。

いやなんとも楽しいイベント。

ちなみにトップセンターの横の焼き鳥はらだの焼き鳥は、安くてほんまにうまかったのだ。

レバー、皮、砂ずりを食べられるようになったのは「はらだ」のおかげである。

 

 

 

三田佳子の「孝行息子」が逮捕されるたびに、なぜか思い出すこの人。

悪い人間じゃないねんけどなぁ。

 

なんちゅうか、こんな男の子供を産まされた彼女、地獄だな。

頑張ってくださいとしか言いようがない。

 

1期生は、正直、うざいと思っているんだろうな。

この子の未成年飲酒とかで紅白出場飛んだしね。

 

 

 

 

1979年暮れ、ミスタータイガース田淵幸一が西武にトレード。

漫画「がんばれ!!タブチくん!!」1巻の表紙が笑える。

 

 

 

ちなみにこの世紀のトレードは

阪神が田淵と古沢。

西武が真弓と、若菜、竹ノ内...と竹田和史という左腕の投手の2-4トレードだった。

 

 

 

 

解散の命令、躊躇しないでください!

 

誰が、どう考えても、この集団は宗教を隠れ蓑にした悪徳集団、銭ゲバだろうが。

破壊的カルト以外の何でもない。

 

そのうち被害を訴えている脱会信者とか、二世信者や家族の下に、桜田淳子がアポなしで来たりして。

「私の青い鳥」をハンディカラオケで歌いながらとか(笑)。

 

恐ろしい、えげつない集団やで。

橋田さんの元奥さんと名乗る信者の動画を流し、二世を10人くらい集めて会見場に出させる。

橋田さんが嘘をついているように仕向けている。

夫婦けんかがトラブルのすべての根源、理由だという風に誘導している。

小川さんのトラウマを刺激して黙らせようとしている。

ほんまかいな。

おぞましい。

 

早く解散させて社会的に殲滅しろ、こんな連中は。

これ以上被害者を出させるな。

最高裁判決を平気で無視して、こんなことをいつまでも平然と続けるんやったら、信教の自由なんて、こいつらには不要や。

正当な告発や抗議が弾圧いうんやったら、「弾圧」したったらええねん。

やれ、やれ!

 

いや、もう、確実にオウム以来のカルトだぜ。

どんだけおぞましい。

 

気をつけなきゃ、テロするよ、こいつら。

やるやろうな。

もう準備してるかも。

 

絶対に放置したらあかん。

勅使河原とか狂ってるやん。

目が行ってしもてるやん。

絶対目が笑わへん。

キチガイの目やで。

 

岸田さん、腰抜けかい??(笑)。

男をあげるのは今やで(笑)。

 

 
 

山口も長らく優勝から遠ざかっている。

決勝に進んだのは柳井が二回、下関商業が二回、防府商業、早鞆、そしてKKのPLとの宇部商業。

そして今年の下関国際。

このうち優勝したのは柳井、下関商業の各一回ずつ。

決勝までいかなかったが、南陽工業、岩国、西京も記憶に残るチームだった。

今後は桜ヶ丘、華陵、柳井学園なんかにも注目したい。
 
 

 

 

 

1979年~80年・点景

万引きで捕まった友人に

 

中学二年の頃、カセットテープにラジオからエアチェックした音源を録音するのがブームだった。

こぞっていいテープ、つまり価格高目のテープを購入して、録音していたのだが、かなり価格がかさむので、中学生には大変といえば大変だった。

自分は小遣いをためて対応していたと思うが、そうできない家庭の連れなんかもいて、そういう連れにはなんか残酷だったんじゃなかろうか、と思う。

安いものにすればそれなりに買えるのだが、いかんせん音質も、製品のレベルも相当低くなる。一番低いグレードのテープになると、何度目かの録音で、すぐに伸びてしまい、本当に使い物にならなかった。

グレードの幅は価格の幅をはるかに超えていたということか。

そういう背景もあり、連れが万引きに手を染めてしまった。

かなり裕福な家庭の子だったが、なぜなんだろうか?、相当複雑なものがあることは以前から知ってはいたが。

捕まえた大人に対して相当毒づいたりしたが、お前らも連れて行くぞと脅かされ、結局、私服警官に捕まって補導されてゆく連れをただただ、見送ることしかできなかった。

見捨てたのだろうか?

そうなんだろう。

万引きは隠せない事実なので、濡れ衣でもない限り、こちらに反論の余地は、無論ない。見捨てるもへちゃむくれもないことはよくわかっている。

ないことをわかっていたが、心が痛むというか、釈然としない感情を抱いたことを今も忘れていないのである。

なんか、平井智仁君には、本当に悪いことをした、見捨てた、という気が自分の中で、今も荒々しく呼吸して、そしてわずかな良心回路をいじめている。

どうしようもできなくて、助けてやれなくて、ごめん、智仁。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

カムイ外伝

 

26話:【十文字霞くづし】(じゅうもんじかすみくづし)

 

カムイを倒したと思った不動は、大頭に報告する。

しかし、大頭は信用せず、新たに追手を送る。

じつは、不動は大頭から命を受けた抜け忍の暗殺者だったのだ。

 

抜け忍集団の頭が、そのじつ、抜け忍の始末屋だったとは!!

部下も一人残らず殺した不動は小屋へもどってきた。

すると、そこにカムイが。

“生きていたのかカムイ”

“不動、おれは人を殺すのはきらいだ。だが、きさまだけは許さんぞ”─。

秘術をつくした戦いが展開される。

カムイの手裏剣がなくなった。

不動のムチがからみつく。

そのムチをきる。

刀を手にした二人。

宙に舞ったカムイ、その両手に二刀の刀が。

それまでのカムイの必殺技であった「夙流変移抜刀霞斬り」(しゅくりゅうへんいばっとうかすみぎり)は不動に覚えられてしまった。

 

そこで考えたのが、二刀による十文字霞くづしである。

カムイはサメを相手にわざをみがいていたのだ。

“ほざくなカムイ。わしに霞斬りはきかんぞ!”

ピンチをむかえたカムイに、不動の白刀がふりおろされた それより一瞬速く、カムイの十文字霞くづしが不動の両手のつけ根にくいこみ、斬り落とす。

不動の両腕は肩のつけ根から落ちた─。

 

十文字霞くづしで不動の両腕を切ったカムイは

“殺せ!!”と叫ぶ不動に、“簡単に死んでもらっては困る”とサメの群れる海中へ投げ入れる。

 

不動を生きながらサメに食わせ、仇をとったカムイは、半兵衛一家の墓標の前に月日貝をそなえる。

じっと目を閉じるカムイ。

 

“夜明けがくると、夜は泣きながら消えていく。おれも去っていこう。遠く、遠くへ…”

 

ふたたび追われるけもののごとく、カムイのはてしない標泊の旅が始まるのであった。「完」

 

 

 

 

 

1979年~80年・点景

学校で荒れる

 

夏休みが終わってから、11月にかけて、落ち着かない雰囲気がいつも漂っていた気がする。

いつの間にか、不意に、急に始まったのだ、あの空気感。

あの空気感は、いったいどこから来ていたんだろうか?

校舎も古く、それがなんか、あわただしさに拍車をかけていた気もする。

とにかく、なんか荒れていたし、自分も、それなりに荒れていた。

いつまでも続くことはないと思っていたし、わかってもいたんだけど。

完全にぐれる根性もなくて、なんか中途半端に不良ぶっている自分、今も大嫌いだ。

同級生を衆人監視の下ボコボコに殴りつけ、口の中を数10か所切るというけがを負わせ、親父とともに頭を下げに行ったこともあった。

帰りに喫茶店でなぜかホットオレンジジュースを頼みウェィトレスに怪訝そうな顔をされたのも記憶している。

あの時の親父のなんとも言えない困った表情も、痛いほど胸に焼き付いている。

 

 

 

 

 

 

 

 

思いは届きました。

おかえりなさい、慢心せず、これからも玉川節を炸裂させてください。

 

にしても、やせたな??

 

 

 

 

 

 

清川栄治

 

京都商業出身、広島東洋カープ、近鉄バッファローズ在籍。

非常に渋い投手だった。

京都が生んだ名投手沢村栄治と同じ名前を持つ。

高校も同じだ。

少年時代から体が小さく、小学校、中学校で整列するときはいつも前から2番目だったという

高校入学後体型は大型化。

自宅裏にあった京都商業高へ進学し、2年次に1978年夏の甲子園に出場

1回戦で県岐阜商を相手にリリーフで甲子園初登板するが、8回に逆転され2-3で惜敗。この試合はテレビ観戦していたのでよく覚えている。

1978年、PLが奇跡の逆転初優勝をした年である。

1979年は準々決勝で乙訓高に敗退

そのあとのエースが井口である。

 

 

高校卒業後は、大阪商業大学へ進学通算49試合に登板し24勝をあげる。ちなみに同期77イニング無失点のリーグ記録をつくったことのある下手投げ川原新治いる。

 

1983年ドラフト外広島東洋カープに入団。背番号は「48」。

 

入団後、上手投げからアンダー気味の変則サイドスローへ転向。変則派ながら奪三振数が投球イニング数を上回っており、自称「本格派投手」。中継ぎ投手(主にワンポイントリリーフ)として活躍後、近鉄移籍。

 

広島時代、1987年5月16日から7月2日まで29人連続で出塁を許さなかった。

また、登板106試合目にして初勝利。感想は、「とうとう勝ってしまった」だった

初登板から114試合連続敗戦なしの当時の日本プロ野球記録を保持。

 

 

1991年、シーズン途中に近鉄バファローズに移籍しここでも貴重な左のリリーフとして活躍。

1997年、438試合連続救援登板し当時の日本プロ野球記録を樹立した

先発したことは一度もなく、登板した438試合は全てリリーフのみだった。

職人気質の「記憶に残る」名投手である。438試合登板13勝10敗12セーブ

 

 

 

 

カムイ外伝

 

25話:【月日貝】(つきひがい)

 

抜け忍である自分にひたむきな愛情をよせるサヤカ。

月日貝─これをもっているといつかいっしょになれると、サヤカがくれた美しい貝をふところにしてカムイは悩む。

 

ある日、サメ殺しにでようとしたカムイに、不動は抜け忍の一人が危機にたっているので 自分といっしょに救出にいってほしいと頼む。

承知したカムイは不動と小さな島へいく。

十人の追手をかたづけ、もどる途中、救出した抜け忍がとつぜんカムイをおそった。

海に落ちたカムイは海中でサメにおそわれる。

海上からはなぜか不動の攻撃。

カメの腹にかくれて浜へたどり着いたカムイ。

 

ふところに手をやると、サヤカがくれた月日貝が二つに割れている。

胸さわぎがして半兵衛の家へかけつけると、一家は惨殺されていた。

虫の息のスガルを助け起こす。

スガルは“私のためにみんなが…だれも信じてはいけなかった”といって息絶える。

 

岩山にたって新しいわざを研究するカムイ。

“この仇は討ってやる。必ず…”と、カムイは叫ぶ。

 

 

 

 

 

1979年~80年・点景

アデランス坂根

 

生活指導で存在感をここぞと発揮する坂根という体育教師。

ひげにパンチパーマ。

ヤクザそのものである。

いかつい顔をして、眼光鋭く生徒ににらみを利かせる。

あのキャラがあったから少しでも抑止がかかっていた気もするし、何の役にも立っていなかった気もするし。

自分は何度かて首をひねり上げられた気がする。たいしてことでもないことが理由で。

今ならとんでもない暴力教師として、すべてをはく奪されたあげく、社会のごみとして処分されうるに値する存在に他ならない。

昭和50年代って、こういう先生が普通にいたのだ。

卒業して何年かたって、後輩から聞いた話だが、あのパンチ頭は実はアデランスだったという(笑)。

そうカツラ、ズラ、だったと。

そういう噂は絶えなかったのだが、だれも事実確認できなかった。

年がら年中いつも同じように巻かれていて、よほどこまめな手入れを施しているんだなと、感心することしきり。

それでも経年劣化がありそうなものなのに、3か月たってもほぼ変わらない。

水泳の時間にも変わらない。

なので、地毛だろう、と釈然としないまでも、なんとなく納得していた。

そこが、違和感だらけといえばそうだったんだけど、そんなものをまじまじと見つめていたら、それこそどんな因縁&体罰を加えられるかわからない。

常に言いがかりを探して爪を研いでいる靭なのである。

引っ張ってみたりとか、恐ろしくて確認なんて、絶対にできない。

昼休みには常に校門の周辺で見張っていた坂根。

こいつの監視をどうやってくぐって校外に買い出しに行くか、毎日がヒリヒリした戦争で、それはそれで面白かった。見つかったり捕まったら大変なことになる。なので絶対に捕まったり見つかるわけにはいかないというあの究極のスリル。

 

 

 

 

 

19日午前8時から放送された「羽鳥慎一モーニングショー」での玉川徹氏の発言は以下の通り。

 

 

おはようございます。今回の私の事実誤認のコメントにより、ご迷惑をおかけした電通および菅前総理大臣に対し、改めておわび申し上げます。このような事実に基づかない発言をテレビでしてしまったということ、それは私の慢心とおごりがあったからだと反省いたしました。申し訳ございませんでした。

謹慎の10日間、私は事実確認の大切さ、テレビで発言することの責任の重さを考え続けました。そして、事実確認こそが報道の根幹であり、その原点に立ち返るべきだと考えました。これまで私はスタジオでさまざまなニュースに対しコメントを続けてきましたが、これからは現場に足を運び、取材をし、事実確認をして報告する、その基本にもう一度立ち返るべきだと考えました。そして、その結果は、この「羽鳥慎一モーニングショー」でお伝えする。そういう風な考えに、私は今回、至りました。

この間、報道局幹部とも話し合いを続け、このような私の考えを理解してもらいました。視聴者の皆さまにもご理解をいただければと感じます。今後は、このような形で仕事を続けて参りますが、ご支援の程、よろしくお願いいたします。

 

玉川さんお帰りなさい。

これからも小さくまとまらずに、どんどん暴れておくんなまし!

 

 

 

 

 

 

こういうエピソードを読んだ。

 

駅で修学旅行か何かと思しき児童の集団が見られた。

その先頭で先生が叫んでいた。

「水が飲みたくなったら、勝手に飲んでいいのか!」

すごい物言いである。

 

たぶん誰か一人が、のどが渇いたので飲んだんでしょうな。

そのための水分、水筒だろうと思うが、教育現場では違うのだ。

 

先生は、飲んでくださいという指示を出してもいないのに、「自己判断で、勝手に」飲んだ人を、糾弾しているんだろうか。

みんな一緒主義、同調圧力、出る杭を打つ、自主性がなく軍隊的、部活中での水分補給禁止。

 

色々な懐かしい、もしくは現在進行中な単語が次々浮かんでくるエピソードだ。

結局、この国で、まったく変わらない、改まっていないことは山ほどあるんでしょうな。

どうでもええけど。

 

その後、先生の「はい飲んでください」という掛け声で一斉にみんな水分補給し始めたという。

 

おぞましい光景。

 

 

 

カムイ外伝

 

24話:【鮫殺人】(さめごろしにん)

 

スガルとカムイを助けた不動とその一味は、サメ殺しを専門とする渡り衆だった。

カムイや抜け忍の半兵衛とその一家(妻スガル、美しい長女サヤカ、おませな女の子の次女ツグミ、 いたずらざかりの長男ゲンタ、よちよち歩きの三女ゴマメ)を乗せた不動の船はある村へ着く。

浜辺に出没するサメ退治を、その村の村長から頼まれたのだ。

 

だが、不動らのサメ殺しの腕を見ていたカムイは、彼らがただのサメ殺しとは思えなかった。

いったい、なにものだろう。

浜辺にたたずむカムイ。

その前に全裸となってあらわれたサヤカ。

カムイが抜け忍という事実を知らずカムイに好意をもってしまう。

サヤカは、はじめてカムイをみたときから心ひかれていたのだ。

カムイのお嫁さんになるという。

とまどうカムイ。

サヤカは月と日がひとつになるという月日貝をカムイに渡すのだった。

愛の証しとして─。

“カムイ、その貝をだいじにもっていてね。だってこの貝をべつべつにもっていると、きっと一つになろうとするんだよ”

そんな娘のサヤカをスガル(母親)は心配するが…。

 

 

 

とつじょ、飛んできた手裏剣、カムイの前に黒装束の男たちがあらわれる。

変り身で難をのがれたカムイ。

─何者?おそいかかる手裏剣の雨。

たくみにかわすカムイ。

“カムイ、みごとだ”黒装束の男たちは覆面をとる。

不動たちだ!!

じつは彼らもおなじ抜け忍だったのだ。

仲間になることをさそわれ、カムイはうなずく。

 

 

 

 

 

1979年~80年・点景

食卓のない家

1985年11月2日(土)公開

 

1965年頃から世界情勢や政府のあり方に反対する学生デモ運動が盛んになり首都圏大学を揺るがしていた。

東大の入学試験が執り行われなかったり、デモで大勢の学生たちが検挙されたりした。

火炎瓶、バリケード封鎖、自衛隊との衝突、催涙弾。

その時代の一つの重大な点景だった。

過激な活動がおさまりかけた1971年から72年にかけての冬、世界同時革命を標榜する1つの学生集団連合赤軍による凄惨な仲間粛清の事件が起こり、単純な学生運動とは桁が違う事件に日本中が震撼。

5人の学生が浅間山の別荘の夫婦を人質に警察と闘い警察官1名が亡くなり学生は逮捕された事件である

その後の調べで南アルプスの山中で30数名いた仲間内での彼らのリンチ大量殺人事件が明るみに出た。

なかには身ごもった女性仲間を木に縛り付け胎児ともども殺害した事実もあった。

 

この事件は、共産主義思想の、一つのピークと言われている。

この後、急速に衰退していくからだ。

共産主義は、恐ろしい、と。

 

小説「食卓のない家」、およびそれをもとにした映画は、70年代の連合赤軍が起こした一連のリンチ殺人事件をバックボーンにしているものだ。

 

 

八ヶ岳山荘事件(あさま山荘事件がモチーフ)を起こした、その連合赤軍のひとりを息子に持つ父親主人公である。

 

名を「鬼童子」という。なんともやばそうな名前だ。

その他、近年行方不明説がささやかれている真野あずさ、尾崎豊のアルバム「壊れた扉から」のレコーディングにこそっと参加していたという、何とも珍妙なうわさがある(笑)竹本孝之が出演。

 

 

 

息子役は「暗黒の一重瞼」とたけしに揶揄されていた中井貴一が演じている。

姉役は貴恵。

姉弟共演を果たしているわけだ。

 

物語は、2月、小雨が降る中、鬼童子信之が旅先の那智の滝で香苗と出会うところから始まる。滝に行く前に立ち寄った「お告らせお婆」(霊媒師)でも見かけたこの若い女性と、滝でも出会い、香苗の方から信之に「また会いますね」と声をかけてきたのだった。旅行者として出会った二人は、いくつか言葉を交わして別れる。

 

社会、家族、個人、家庭、様々な要素が絡み合いテーマを織りなす物語だ。

タイトル「食卓のない家」だが、崩壊してしまった家族の物語を描いているだけではない

 

この小説内ではアンナ・カーレントの有名な言葉が引用されている。

「幸福な家庭は一様に幸福であるが、不幸な家庭は様々に不幸である」

 

 

玉川徹さんは、よほど信頼できるし、信用に値する。

そら口は悪く、脇が甘いかもしれない、炎上するのに止めない頑固さもあるだろう。

それでもよほど信用も信頼もできるんだよな、このひと。

裏が見えないところが一番。不器用な人なんだよ。

 

19日に更なる謝罪と説明を求めた、そつない羽鳥よりも、よっぽど。

同じ理由でひろゆきも、ホリエモンも、勝間和代も信頼できる。

ゆたぽんのオトンは信頼も信用もできない。ゆたぽんもだ。

小林よしのりは微妙。

山口真由子とか問題外やで。

 

 

 

 

 

 

 

月日貝

 

 

 

童謡詩人の金子みすずさんの詩にも詠われている「月日貝」。

表側が夕陽のような朱色裏側がお月様のような薄黄色。

 

おもな産地は山陰日本海、萩や長門市の仙崎沖の砂地で主に底引き網で漁獲されるという

ただ、あまり大量に獲れる貝ではなく、萩の産地でも週に数回見かける程度。

希少な貝である

味は帆立貝に似ていて、ほのかな甘みも特徴。

刺身、コキール酒蒸しがいいとのこと。

検索すると鹿児島日置市産が多く出てくる。有名どころなのだろうか?

 

 

 

 

1979年~80年・点景

POP MUSIC

 

初めて全米1位を獲得したテクノ・ポップ。

 Mはイギリスのミュージシャン、ロビン・スコットによる音楽ユニット。

シンセ・ポップ/テクノ・ポップの黎明期に活躍しました。

ポップ・ミューヂック」はピコピコ系サウンドにあわせてシャバダバ系の女性コーラスとテキトーなラップがうまく混ざった作品。

“どんな人でもポップ・ミュージックと思える曲”を狙って仕上げたのだとか。

全米1位となったほか世界各国でチャート1位を獲得し、大ヒットしました。

 

世界で150万枚以上を売り上げた怪作

 

収録アルバム:New York–London–Paris–Munich

・デビュー・アルバム
・リリース:1979年5月
・収録曲
1.  "Pop Muzik(ポップ・ミューヂック)"
2.  "Woman Make Man"
3.  "Moderne Man/Satisfy Your Lust"
4.  "Made in Munich"
5.  "Moonlight and Muzak"
6.  "That's the Way the Money Goes(金は天下のまわりもの)"
7.  "Cowboys and Indians"
8.  "Unite Your Nation"

 

 

 

 

オマージュ

 

甲斐バンド“東京の一夜”

東京の一夜はこの町で過ごす一年のよう

東京の一夜はあなたの顔から微笑みさえ消してしまう

 

10CC“パリの一夜”

パリで過ごす一夜は他の国で過ごす一年のよう

パリで過ごす一夜はあなたの綺麗な顔から微笑みを消してしまう

 

 

甲斐バンド“観覧車’82”

お前はいま家の前 椅子に座り外を見る 生きる事を呪うように 

悲しみ宿る目で 夜の果てを見ている

B・スプリングスティーン“レーシング イン ザ ストリート”

彼女は家のポーチに座っている しかし彼女の美しい夢のすべては破れ 

生まれた事を呪う目を持って 夜の中を一人で見つめている

 

 

甲斐バンド“ナイト・ウェイブ”

つかの間の喜びだとしても 寄せてくる

波に落ちていく二つの木の葉 闇に漂うそれは夢のよう 

長く寂しい夜の向こう彼方に流され消えゆくものか 

ナイト ウェイブ

 

ロキシーミュージック“アバロン”

夜に落ちる木の葉が それはしばしの悦びだった夜に漂う夢にように 

長く寂しい夜の向こうに 寄せては返す波のうねりの

永遠にマジック・ウェイブ

 

 

 

1979年~80年・点景

大追跡

 

 

オープニングは横浜の街中を疾走する映像に被せて、「ルパン三世」でおなじみの大野雄二さんのドラマティックなテーマ曲、そして森山周一郎さんの渋いナレーション。

 

「悪がはびこる犯罪都市に集められた五人の刑事達、遊撃捜査班。それは確実に検挙率を上げなければ廃止される特殊セクションである。彼らの行くところに正義は無い、感傷は無い、栄光も無い。あるのはただ、孤立無援な悪との闘いである。」

 

寄せ集めのはみ出し刑事の特殊部隊「遊撃捜査班」が、ヨコハマを舞台に派手な銃撃戦やカーチェイスを繰り広げる刑事モノ。

 

大都会パート2と3の間のつなぎとして制作、個性豊かでカッコ良すぎる出演者と、ハードアクションに加えてそれまでの刑事ドラマにはないコミカルなやり取りで最高視聴率20%と大人気を博した。

その後の松田優作「探偵物語」、そして「俺たちは天使だ」「プロハンター」「あぶない刑事」につながる作品と相成るわけである

 

 

 

 

 

 

玉川さん辞めるって噂がネットに流されているけど。

玉川さんが出ないモーニングショーに用はありません。

他のチャンネルをリサーチしておこう。

 

 

 

生駒VS天理の奈良大会決勝「再戦」

7月の決勝は生駒が新型コロナウイルスの影響で主力を含む12選手を欠き、21―0で天理が勝利。練習試合(7回制)は好ゲームに。3―2で天理が勝った。試合後は両チームの選手たちがマウンドに集まり、それぞれの喜びを爆発させた。

 

生駒0000020|2

天理001002×|3

 

高校野球って本当にいいね、と心から思った。

こういう粋な出来事は久しぶりだったし。

この結果を見る限り、アクシデントがなければ、生駒、甲子園行っていたかもしれないね。

 

 

 

 

1979年~80年・点景

ざわざわ

 

夏は終わり、秋が深まり、クラスの雰囲気が何となく殺伐としており、みんな、それぞれに、それぞれのカタチでイライラしていたっぽい。

ざわざわが止まらない。

自分は何だろう?

家が落ち着かないというのもあったけど、それ以上に大人に対してなんか腹が立つというか。

思春期の典型的な中二病か。

まんまと、その空気感に、染まってしまった。

罪のないクラスメートを殴りつけたり、暴れたり、なんかそういう態度が自分でも嫌で仕方なかった。

「むかつく」という発言を、1年の時に大変お世話になった元担任の社会科の先生に「あなたまで...」と悲しまれてしまい、堪えたことを覚えている。

担任の雑賀は本当に嫌いだったけど、加藤先生は、そんなじゃなかったから、だから、なおさらという感じで。

 

 

 

 

 

1979年~80年・点景

インキンとスニーカーの頃

 

とにかく担任の雑賀を、ほとんどすべてのクラスメートが毛嫌いしていた。

そもそも教師としての資質に極端に欠けているのではなかろうか?

美術という担当強化から考えても、とても絵や彫刻をたしなむ人には思えない。

そう、アーチスト臭とか、まったくないのである。

本当に、美術教師なのか?

 

授業はほぼ1年間、美術史のテキストをやってゆくというもの。

雑賀がテキストを読み上げるのみ。

我々はそれをじっと聞いているのみ。

なんのこっちゃ。

 

テストも年3回。 ペーパーである。

その他、水彩画やデッサンを数回やって、2年の美術は終わった。

あんなに無益な授業は、本当になかったし、よく1年間も、続けられたもんだな。

 

その雑賀は、インキンたむしで有名だった。

最初はしゃれのつもりか、自分がタムシチンキやったか、コザックやったか、薬で治療していることを自虐的に語って笑いを取っていたが、そのうちたむしが感染性の伝染病だということがわかってくるにつれて、みんな距離を置くようになった。

 

授業中にポケットに入れた手でごそごそと股間を搔いていたり、たむし治療薬のあの独特の匂いがプンプンしていたり。

手をつかまれたりしたらパニック!!

たむしというものを初めて知ったのも、雑賀だった。

 

そして、悪いけど、いわゆる脂分の腐ったような加齢臭がとってもきつかった。

いや、あの加齢臭の匂い、いまだに記憶にインプットされてるんだよな。

 

その雑賀、ナント、アディダスのスニーカーを履いて毎日出勤していた。

理由は、

「クラスの悪ガキどもを追いかけるために、革靴ではちょっと、ね」

こういう一つ一つが、見事に積み重なってゆき、毛嫌いに拍車をかけていることに、本人は気が付かなかったのだろうか?

かわいそうだが、女子だけでなく、男子にも総スカンを喰らうなんて、あの学年で雑賀だけだったのではなかろうか??

 

翌年、なんかよー知らんけど、宇治の中学に志願して移動された。

その年、数名がたむしに感染(笑)。

いや、これ、嘘のようなマジな話です。

どうやって感染したんだろうか?

皮膚感染?やはり。

いや、どうなんだろうか。

雑賀の呪いかもしれない。

あるいは、置き土産に報復していきやがったとか。

あの陰険なおっさんのことだ、それもありうるな。

 

兎にも角にも、たむしチンキを塗る羽目になった俺たち(笑)。