1995年に告発された水戸事件は、福祉を食い物にした後味の悪い事件と言っていい。
世間の知的障がい者に対する無理解が、こうした事件を放置し長引かせる結果にもなった。
情状酌量の余地もない被告に対して、執行猶予の判決を出した。
結局、証拠不十分、時効といった理由が大きな足かせであった。
その経緯を以下で森はな絵氏が説明する。
森氏の引用は第23回目となる。
【引用はじめ】
知的障がい者との共生社会の実現
森 は な 絵
www.f.waseda.jp/k_okabe/semi-theses/11hanae_mori.pdf
1.7 障がい者人権問題
水戸事件は、知的障がい者を20数人雇用している水戸市内の段ボール会社が障がい者に支払った賃金を水戸公共職業安定所に水増しして報告し、国から不正受給をしていた事件である。
また当時社長であった赤須正夫は従業員に対し、長年虐待を日常的に行っていたことが同時に発覚した。
どのような虐待だったかというと、素手で殴る・蹴るといった生易しいものではなく、金属の棒、角材、野球のバット、木の椅子等々を使った殴打であり、重傷を負わせた。
また、従業員に十分な食事を与えず、それで空腹になった従業員に大量のタバスコをかけた食事を無理やり食べさせ、満腹感を感じなかった従業員には腐りかけたバナナを大量に食べさせ「こいつらはバカだから何でも食べる」と言ってせせら笑 っていた。
さらに寮に住んでいた女性従業員に性的暴行も加えていたことが後になって発 覚した。
被害者と家族が申し出た被害数は14名、20数件にも及んだのにも関わらず、 「知的障害者」では事件にならないという警察と検察の前提的かつ差別的な捜査の前に、 雇用助成金詐取(詐欺罪)と暴行2件・傷害1件しか起訴されなかった。
その他、性的虐待を含む数々の虐待事件は、「時効」や「嫌疑不十分」を理由として不起訴処分とされた。
そして1997年、被害者の訴えも届かず、赤須に執行猶予付きの判決が下された。
【引用おわり】
知的障がい者の供述能力が信頼性に欠ける。裁判では、そのことを問題にする。
警察の誘導尋問によって供述内容も変わってくる。
そうなれば、証拠不十分となってしまう。
虐待により障がい者たちは、被告の名前を聞いただけで恐怖に怯えたというのだ。
フラッシュバックによって怯え落ち着かなくなる。精神も肉体もひどく傷つけられたことに対して、法は不平等そのものだった。
ここで問題なのは、法というより法の執行者の障がい者に対する無理解からくる偏見こそ問題なのだ。
(ケー)
世間の知的障がい者に対する無理解が、こうした事件を放置し長引かせる結果にもなった。
情状酌量の余地もない被告に対して、執行猶予の判決を出した。
結局、証拠不十分、時効といった理由が大きな足かせであった。
その経緯を以下で森はな絵氏が説明する。
森氏の引用は第23回目となる。
【引用はじめ】
知的障がい者との共生社会の実現
森 は な 絵
www.f.waseda.jp/k_okabe/semi-theses/11hanae_mori.pdf
1.7 障がい者人権問題
水戸事件は、知的障がい者を20数人雇用している水戸市内の段ボール会社が障がい者に支払った賃金を水戸公共職業安定所に水増しして報告し、国から不正受給をしていた事件である。
また当時社長であった赤須正夫は従業員に対し、長年虐待を日常的に行っていたことが同時に発覚した。
どのような虐待だったかというと、素手で殴る・蹴るといった生易しいものではなく、金属の棒、角材、野球のバット、木の椅子等々を使った殴打であり、重傷を負わせた。
また、従業員に十分な食事を与えず、それで空腹になった従業員に大量のタバスコをかけた食事を無理やり食べさせ、満腹感を感じなかった従業員には腐りかけたバナナを大量に食べさせ「こいつらはバカだから何でも食べる」と言ってせせら笑 っていた。
さらに寮に住んでいた女性従業員に性的暴行も加えていたことが後になって発 覚した。
被害者と家族が申し出た被害数は14名、20数件にも及んだのにも関わらず、 「知的障害者」では事件にならないという警察と検察の前提的かつ差別的な捜査の前に、 雇用助成金詐取(詐欺罪)と暴行2件・傷害1件しか起訴されなかった。
その他、性的虐待を含む数々の虐待事件は、「時効」や「嫌疑不十分」を理由として不起訴処分とされた。
そして1997年、被害者の訴えも届かず、赤須に執行猶予付きの判決が下された。
【引用おわり】
知的障がい者の供述能力が信頼性に欠ける。裁判では、そのことを問題にする。
警察の誘導尋問によって供述内容も変わってくる。
そうなれば、証拠不十分となってしまう。
虐待により障がい者たちは、被告の名前を聞いただけで恐怖に怯えたというのだ。
フラッシュバックによって怯え落ち着かなくなる。精神も肉体もひどく傷つけられたことに対して、法は不平等そのものだった。
ここで問題なのは、法というより法の執行者の障がい者に対する無理解からくる偏見こそ問題なのだ。
(ケー)