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続・みやぎ野球史再発掘
あだ名の縁、日系2世の活躍
戦前戦後にかけて、多くの日系2世選手がプロ野球で活躍した。若林忠志(法政大―阪神)、与那嶺要(巨人)などが有名だ。
1940(昭和15)年に仙台一中(現・仙台一高)が17年ぶりに東北予選を突破し、甲子園に出場した際のエース吉江英四郎もカナダ生まれの2世だ。
小学校高学年で帰国し、東二番丁小に編入すると、ついたあだ名はなぜか「アメリカ」。運動能力抜群で学校対抗リレーのアンカーを任され、20メートルもの差を逆転して優勝をさらうほどだった。進学した仙台一中では各運動部に目をつけられたが、あだ名で勘違いされ、自然と野球部入りとなったという。
吉江は、当時としては大柄の178センチ。長身から投げ下ろす豪速球のエースとして、打っては4番としてチームを牽引(けんいん)した。
しかし県予選が始まる頃になり、吉江は慢性の下痢で体調を崩してしまう。アイスキャンディーの食べ過ぎが原因とも言われている。試合中もたびたび下痢止めの注射を打って耐え、ナインも継投と好守で危機をしのぎ、県予選を勝ち上がった。東北大会では吉江の体調も戻り、甲子園進出を決めた(甲子園では千葉商に0―7で敗退)。
吉江は早稲田大に進んだ後、仙台に戻り、終戦直後は広瀬クラブ(一中OBチーム)の投手として活躍。さらに、プロ入りして東急(北海道日本ハムの前身)や巨人で投げた。プロ引退後は大昭和製紙(静岡県旧吉原市)に所属し、都市対抗野球大会で優勝。晩年はカナダで過ごした。
あの一件以来、アイスキャンディーは食べなかったという。
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