神埼記念総合病院は大混乱に陥っていた。



 何せ『外科医』が人気芸能人を拉致したうえに監禁していたのだ。



 おまけに警護していたSPの1人は死亡し、もう1人も重体。



 さらに『犯人』は女子高生を長年ストーキングし、私物などを盗んでいた変態。



 病院のイメージダウンは避けられない。



 天野は「『神埼』はもうダメかもしれないな」と感じていた。



橋田在昌

勇二くん……。
今回ばかりは、君を守れないかもしれないな……。



 『神埼』に駆けつけた橋田が、青ざめた表情で告げた。


天野勇二

何を言っているんだ。
橋田さんが俺を守ってくれたことがあったのか?

橋田在昌

あ、あるよ!
私は君の知らないところで、それなりに頑張っていたんだよ!

だけど、今回はさすがにやり過ぎだ……。
せめて先に言ってくれれば、対処できることもあったかもしれないのに……。

天野勇二

無茶を言わないでくれ。
通報したら前島は殺されていた。
俺の判断がベストだったんだ。

橋田在昌

そうは言っても、上はそのように判断しない。
不起訴になるように頑張ってはみるが、期待はしないでくれよ……。

天野勇二

それは残念だ。
これでも手加減したのに。
まぁ、その時は橋田さんが俺たちに協力してくれたことを、洗いざらい喋るしかないだろうな。


 天野がヘラヘラ笑いながら橋田の肩を叩く。


 橋田は心底嫌そうに天野を見つめた。


 なんてクソ野郎なのだろう。


 完全に刑事を脅している。


 これまでの情なんて何ひとつ存在しない。


 この世界にここまでの極悪人がいるのだろうか。


 橋田は諦めたように言った。


橋田在昌

……わかったよ。
勇二くんと出会ったのが、私の運の尽きだったんだ……。
できる限りのことをする。
だから、私のことは内密にしてくれ……!

天野勇二

それは結果次第だな。
期待しているぜ橋田さん。
ところで、俺はこのまま警察署に連行されるのか?

橋田在昌

そうなるね。
恐らく長い事情聴取になるだろう。

天野勇二

ならば、少しだけ時間をくれ。
兄と話したいんだ。



 天野の願いを橋田は渋々受け入れた。


 下手すればこのまま勾留されるかもしれない。


 兄と話す時間ぐらいは恵んであげよう、と思ったのだ。



天野勇二

……ゆう兄ちゃん。
具合はどうだ?


 病室に入り声をかける。


 勇一はベッドの上で弟の到着を待っていた。


神埼勇一

……勇二。
話は聞いたよ。
望月を捕らえたんだね。


 天野は肩をすくめながら頷いた。


 今日の勇一は調子が良さそうだ。


 意思のある瞳で天野を見上げている。


天野勇二

ああ、全て終わったよ。
徹底的に潰してやった。
だが、あまり褒められた手段ではなかった。

神埼勇一

らしいね。
母が怒っていたよ。
胡桃を危険な目に遭わせ、怪我もさせたと。

天野勇二

そうなんだ。
胡桃が頑固でさ。
どうしても自分が望月を「殴りたい」と主張したんだ。
しかも残念だけど、それが最適解だった。
胡桃の願いを叶えるしかなかったよ。


 勇一は小さく息を吐いた。


神埼勇一

そうか……。
でも勇二は、僕の願いを叶えてはくれなかったね。
初めから望月を殺すつもりはなかったんだろう?


 天野は肩をすくめながら頷いた。


天野勇二

その通りさ。
『殺意』なんてものを振りかざしても、望月を倒すことはできない。
俺はそのことを知っていた。
ゆう兄ちゃんには悪いことをしたね。


 勇一はゆっくり首を横に振った。


神埼勇一

いや、それが正しいよ。
あの時の僕は正常な判断ができていなかった。
だけど悔しいね。
『嘱託殺人』で望月を立件するのは難しいだろう。



 天野は神妙な表情で頷いた。


 望月には間違いなく実刑が下るだろう。


 胡桃を殺害しようとした罪。


 私物を盗んだ罪。


 SPを殺害した罪。


 前島と川口を拉致監禁した罪。


 無期懲役が宣告されても不思議ではない。


 しかし、『嘱託殺人』の罪が宣告される可能性は低い。


 被害者はもう亡くなっており、ほとんどの証拠も存在しないからだ。



天野勇二

その点は心残りだけど、覚悟はしていたよ。
今は結果だけを受け止めようと思っている。
望月という『殺人犯』を刑務所に閉じ込めることができた。
それだけで満足するしかない。

神埼勇一

そうだな……。
僕がもっとしっかりしていれば、望月と鈴本さんを止めることができたかもしれないのに。

天野勇二

そんなことは考えなくていい。
ゆう兄ちゃんは身体を治すことだけを考えてくれ。
俺も大人になった。
ゆう兄ちゃんが退院したら、酒を飲んだりしてみたいよ。


 勇一はじっと天野を見つめた。


 その頬が一瞬だけ緩んだように、天野は感じた。


神埼勇一

勇二と酒か……。
もうそんな年になったんだな。

天野勇二

ああ、俺は結構強いんだぜ。
ゆう兄ちゃんはどうなんだ?

神埼勇一

僕もそれなりに飲めたよ。
あまり好きではなかったけどね。

天野勇二

意外だな。
俺がザルだから、神埼の血筋は『酒飲み』なんじゃないかと思っていたよ。

神埼勇一

ならば僕は母に似たのだろう。
楽しみだな。
早く退院したいものだ。


 天野は優しげな微笑を浮かべながら、兄の顔を見つめた。


 今日は本当に調子が良さそうだ。


 長い間、待ち続けた兄との会話。


 昨日はぎくしゃくしたものを感じたが、今日は自然に話すことができる。


 そのことが天野は嬉しかった。


神埼勇一

……勇二。
実はね、僕は嘘を吐いていたことがある。

天野勇二

ほう?
それはなんだ?

神埼勇一

昨日、僕は言っただろう。
勇二にとって『尊敬される兄』でありたかったと。
それが叶わなくなったから、勇二と向き合うことは避けていたと。

天野勇二

ああ、言っていたな。

神埼勇一

あれは僕の正直な気持ちではない。
本音を言えば、僕は勇二を憎んでいたんだ。


 天野はじっと勇一を見つめた。


 今日は仕草ライアーサインが見当たらない。


 勇一の横顔に嘘の気配は存在していない。


神埼勇一

……いや、憎むという感情だけでは足りない。
妬んでいたよ。
僕は長男という責務を背負っているのに、勇二にはそれがなかった。
勇二がいつも自由に見えて羨ましかったんだ。

天野勇二

…………

神埼勇一

それに勇二は、僕よりも優秀だった。
きっと頼もしい青年になるだろうと確信していた。
だからこそ、向き合うことができなかった。
僕が勇二から逃げていたのは、そんな負の感情が強すぎたからなんだ。


 勇一が強く弟の顔を見つめる。


神埼勇一

改めて謝罪されてくれ。
僕を許してほしい。
最低だった兄のことを、許してくれないか。

天野勇二

ゆう兄……。


 天野は軽く息を吐いた。


 鼻筋を握り、込み上がってくるものを堪える。


 やがて首を横に振りながら言った。


天野勇二

それは俺だって同じだよ。
ゆう兄ちゃんを恨んだこともある。
あんなに優秀な兄がいなければ、俺はもっと楽に生きられたんじゃないか。
そんなことを何度も考えた。

神埼勇一

そうか……。

天野勇二

だけど、それ以上にゆう兄ちゃんには感謝している。
ゆう兄ちゃんの言葉があったから、俺は変わることができた。
変えてはいけないものを守ることもできた。
そして、自分自身の『本質』に名前をつけることもできたんだ。

神埼勇一

本質か……。
それが『天才クソ野郎』なんだな。

天野勇二

そういうことさ。
どんな人生を歩んだとしても、俺の中には常に『天才クソ野郎』がある。
大学を卒業して新しい『何か』に変わったとしても、俺の本質は変わることがない。


 天野は真摯な眼差しで勇一を見つめた。


 この言葉が勇一に届くように。


 そう願いながら言葉を吐き出す。


天野勇二

ゆう兄ちゃん……。
過去をやり直すことはできない。
だけど、過去を取り戻すことはできる。
今を変えていくことで、どれだけ失った過去でも取り戻すことができるはずなんだ。

神埼勇一

過去を、取り戻す……。

天野勇二

それはきっと辛いことだろう。
それでも今を変えるんだ。
真実から目を背けてはいけない。
その行為はゆう兄ちゃんを永遠に苦しめる。
俺はそんな姿を見たくない。
ゆう兄ちゃんを信じているからこそ、今を変えてほしいんだ。



 天野は勇一の瞳を強く見つめた。


 無表情な瞳の奥に、微かな驚愕が垣間見える。


 震え出す唇。


 青ざめていく頬。


 勇一はぽつりと呟いた。



神埼勇一

勇二……。
まさか、気づいていたのか……?



 天野は静かに頷いた。



天野勇二

そうだ。
言ってなかったが、ゆう兄ちゃんは嘘を吐く時に『軽く唇を噛む』という癖がある。
最初は俺に関する言葉だけが『嘘』なのではないかと思っていた。
だが違った。
『そのあとの言葉の全てが嘘』だったんだ。

神埼勇一

そんな……癖が……。

天野勇二

決定的な証拠もあった。
ゆう兄ちゃんの『病院服』だ。
神埼の監視カメラも調べてみたが、ゆう兄ちゃんの病院服は綺麗なままだった。

……いや、あまりに綺麗すぎた。
本来は少し汚れていたはずなんだ。
ゆう兄ちゃんも言っていたが『尻もち』をついただろう?
それで汚れたはずなんだよ。



 勇一は「ぎゅっ」とシーツを握りしめた。


 カタカタと震える指先。


 天野はもう兄の前から立ち去りたかった。


 このように兄を責めることはしたくない。


 兄を傷つけることだけはしたくない。


 それでも言葉を吐き出した。



天野勇二

『自首』しよう。
俺はゆう兄ちゃんを『殺人犯』として突き出したくない。
俺と一緒に警察署に行くんだ。



 勇一は両手で頭を覆った。


 もう身体中が震えている。


 天野は心を鬼にして言った。



天野勇二

もう一度言うよ。
過去をやり直すことはできない。
だけど、過去を取り戻すことはできる。

俺は本当は、望月もそう思っていたんじゃないかと考えている。
望月が俺に暴言を吐いたあの時……。
きっと望月は完全に壊れたのさ。
自らの『親友』であり『見本』でもあった兄が消失した。
そして実の母親が現れ、凶行に手を染めるようになった……。

神埼勇一

…………

天野勇二

なぜなら、望月は一度も「ゆう兄が鈴本を殺した」とは言わなかったんだよ。
まぁ、自分が殺したとも言わなかったけどね。

これは推測でしかないが、鈴本に襲われた時、ゆう兄ちゃんは身を守るために鈴本を刺したんじゃないか?
望月はその後に現れた。
そして、ゆう兄ちゃんを守るための偽装工作を施した……。



 天野が大きく息を吐く。


 望月の偽装工作。


 考えられるのは『病院服』を新調したこと。


 『凶器』を誤魔化すためにメスを奥深くまで突き刺したこと。


 足跡を消したこと。


 もしかすると『毛髪』を残したことも意図的だったのかもしれない。



天野勇二

(望月が胡桃に求婚した時……。あいつは自らが逮捕される可能性が高いことを悟っていた。もう時間がない。その前に胡桃との結婚だけは、果たしたいと考えたのだろう……)



 天野が嫌そうに息を吐いた時。


 勇一が唸るような声で言った。



神埼勇一

どうして、勇二は、そこまでわかるんだ……。
まるで、全てを見ていたかのようだ……。

天野勇二

ただの帰納法きのうほうによる推測さ。
別に難しい話じゃない。

神埼勇一

ありえない……。
どこで、気づいたんだ……。

天野勇二

ゆう兄ちゃんと河川敷で話した時だ。
あの時の違和感がどうしても拭えなかった。
ゆう兄ちゃんが望月を殺そうとする理由も、納得できなかったんだ。

神埼勇一

ああ…………。


 勇一は苦しげに顔を歪めた。


神埼勇一

僕は……怖かったんだ……。
なぜ望月が、僕を庇ったのか……。
まるで理解できなかった……。
望月に会って、問い詰めなければ、どうにかなってしまいそうだった……。

天野勇二

それで病院を脱走して望月を探したのか。
しかし見つからない。
薬も切れてしまう。
その前に俺と接触を試みた。
そんなところだよな。

神埼勇一

ああ……。
そうだ……。
許してくれ勇二……。
卑怯な僕を許してくれ……。
本当に……すまなかった……。



 病室に勇一の嗚咽が響く。


 天野はその肩を抱きながら言った。



天野勇二

ゆう兄ちゃん……。
昨日、俺が言っただろう?

俺はゆう兄ちゃんの全てを肯定する。
どれだけ『悪』の道を走ったとしても、必ず追いついてぶん殴って道を正してやる。
ゆう兄ちゃんはいつだって、俺の自慢の兄貴だから。



 天野は勇一の肩を抱き続けた。


 勇一が泣き止み、落ち着きを取り戻し、共に警察署へ向かうまで。


 自慢の兄の肩を抱き続けていた。






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つばこ

お兄ちゃん……。
それはダメなんだよお兄ちゃん……。
 
そんなこんなで天才クソ野郎の事件簿も残り1話となりました。
次回は「天クソ編」の後日談です。
どんな結末を迎えるのか、ぜひ見届けていただければ幸いです。

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コメント 13件

  • 腰ガッタガタ

    望月の罪の中に「鈴本殺害」がなくて、なんでなんだろうって読んでたけど…そういうことだったのか…

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  • べっちん

    望月が偽装工作をしたのは、自分にとって何らかのメリットを感じたからだよね。
    相手を庇うサイコパスは、自分のプラスになると判断した場合のみ。
    勇一兄は、黒幕じゃなかったのか…

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  • LAMP

    (´TωT`)

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  • konbu

    終わっちゃう…ただのロリコンやばいサイコパスやと思ってた望月がまさかゆうにいちゃんを助けてた…?一応親友と思ってたん…?なんにせよすごいな…つばこさん(´∀`)

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  • ゆう

    んー、、、色々出てきてない事実?謎?がある気がするけどどうなのかな、最後拾われるのかどきどき

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