それは望月と勇一が高校生の頃だった。



 勇一に招かれ、望月は『神埼家』に訪れていた。



 勇一に「期末試験の勉強をしよう」と誘われたのだ。



 そこで望月は胡桃と出会った。



天野桃子

……あっ、勇一。
ちょうど良かった。



 神埼家に入ると、母親の桃子が慌てた様子で言った。



天野桃子

しばらく桃香と胡桃を見てて。
トラブルがあって研究所に行かなくちゃいけないの。

神埼勇一

わかった。
帰ってくるのは夜になる?

天野桃子

たぶんね。
桃香の熱はだいぶ下がったけど、もし悪化するような医者を呼びなさい。
夕飯は適当に出前を頼んで。
それじゃ任せたわよ。



 桃子が自宅を飛び出していく姿を、望月は小首を傾げながら眺めていた。


 勇一に『妹』がいることは知っている。


 確か4歳の女の子だ。


 しかし、部屋には赤子の姿があった。



望月蒼真

勇一くん……。
この赤ん坊は誰だい?
預かっているのかな。

神埼勇一

彼女は『胡桃』だよ。
僕の妹なんだ。

望月蒼真

妹?
それはおかしいね。
おばさんの子供ではないだろう。



 望月がそう言うのも無理はなかった。


 先月も神埼家を訪れたが、こんな赤子は存在しなかった。


 桃子が妊娠していた気配もない。


 勇一はしばし困ったように黙り込んでいたが、



神埼勇一

まぁ、望月くんだったら話しても構わないか。
胡桃は『養子』なんだ。
とある事情があって、家に迎えることになったんだよ。

望月蒼真

養子……?

神埼勇一

誰にも言わないでくれ。
もちろん胡桃にも。
中学生になる頃には打ち明けるつもりだが、それまで実の『妹』として育てたい。
両親とそう決めたんだよ。

望月蒼真

ふぅん……。
そうなのか。



 望月は無表情で胡桃を眺めた。


 なぜ『養子』を取ることになったのか。


 どんな経緯で胡桃を迎えたのか。


 普通であれば気になって質問してしまうものだ。


 しかし、望月はその辺りの事情を尋ねようとはしなかった。


 理由は単純だ。


 望月は『そんなこと』に興味がなかったのだ。



望月蒼真

(こんな裕福な家に迎えられるとは、幸運な娘だな)



 抱いたのはその程度のことだけ。


 当時から望月は他人に興味がなかった。


 むしろ『感情』そのものが欠損していたといえるだろう。


 『喜怒哀楽』といった感情が理解できない。


 他人がそんなものに振り回されていることも理解できない。


 なぜ人間は『小説』や『漫画』といった虚実きょじつを見て楽しむことができるのか。


 なぜ笑ったり、涙を流したり、怒りを覚えたりすることができるのか。


 そんなことが何ひとつ理解できなかった。



望月蒼真

(『養子』か。ある意味、僕と似ているな。しかもこの娘は『生まれた育った家庭』の記憶を持たない。羨ましい話だ……)



 しかし、望月は胡桃に僅かな興味を抱いた。


 『孤児』や『捨て子』は見たことがあるが、『養子』に出会ったのは初めてのこと。


 自身との共通点が、望月の興味を引いたのかもしれない。



神埼勇一

悪いのだが、少し胡桃を見ていてくれないか?
桃香が朝から熱を出して寝込んでいてね。
様子を見に行きたいんだ。

望月蒼真

ああ、構わないよ。
勇一くんも大変だな。



 望月は笑って答えた。


 これは『偽り』の表情だ。


 勇一の模倣であり、見様見真似で浮かべている笑顔に過ぎない。



神埼勇一

すまないな。
試験勉強をするはずだったのに、こんなことを頼んでしまって。



 2階に上がっていく勇一を見送り、望月は胡桃を眺めた。


 ベビーベッドに寝かされている小さな生命いのち


 真ん丸のつぶらな瞳が、どこか不思議そうに望月を見上げている。



望月蒼真

なんて脆弱な姿なんだ。
人間とはこんなに弱い生き物なのか。



 望月はそっと手を伸ばした。


 胡桃の喉元を掴み上げる。


 繊細で温かい柔肌。


 少しでも力を込めれば首の骨はへし折れ、冷めた肉塊に変わるだろう。



望月蒼真

…………



 望月は冷めた表情で息を吐いた。


 今自分は、ひとつの生命いのちを支配している。


 その事実は望月に奇妙な満足感を与えた。


 どんな娯楽を見ても楽しめない。


 悲しむことも、怒ることもできない。


 他人に興味を抱くこともできない。


 同級生が夢中になっている「恋愛」という行為も理解できない。


 しかしただひとつだけ、例外があった。



望月蒼真

(……やはり、僕は異常者なのだろう)



 生命を支配すること。


 奪い去ること。


 無残に解体すること。


 なぜかそんな行為に『快楽』や『満足感』を抱いてしまう。


 赤子の首に指先をかけているだけで、空洞だと感じていた心が満たされていくようだ。


 『犬』や『猫』などの小動物を絞め殺す度に感じるのだ。


 自分は、今、確かに生きていると。



望月蒼真

(赤子か……。これを殺したら、僕は何かを感じるだろうか?)



 胡桃はまっすぐ望月を見上げている。


 ビー玉のように澄んだ瞳。


 無表情な望月の顔が映し出されている。






神埼胡桃

……きゃはは……






 ふいに、胡桃が笑った。


 ニコニコと満面の笑みを浮かべて、自らの首元に伸びる望月の指を掴む。


 ぎゅっと握られる指先。


 まるで何かを引き寄せるように。


 それにすがるように。


 望月の指先を力強く握った。






神埼胡桃

えへへへ……






 嬉しそうに笑っている。


 絞め殺されようとしているのに。


 息苦しさを覚えて泣き出してもいいのに。


 純粋無垢な笑顔を浮かべて、望月の顔だけを見つめている。


 ビー玉に映る望月の顔が、驚愕きょうがくに変わった。



望月蒼真

……ああ……。



 望月は顔を歪めながら胡桃を見つめた。



 首元から手を離し、胡桃の柔らかい頭を撫でる。



 髪の毛は産毛のようで、どんな生物よりも柔らかい。



 撫でる度に、心の奥底に温もりが落ちていく。



 それは初めて覚えた『感情』だった。



 人間も、小動物も、虫けらも、望月にとっては同じ『生命』だったのに。



 彼女のことが愛おしい。



 その『生命』を構成する全てが、愛おしくてたまらなかった。



望月蒼真

そうだったのか……。
胡桃ちゃん。
教えてくれてありがとう。
これが『愛』なんだね。



 望月はぎこちなく顔を歪めた。



 それが『笑顔』であることに、この時は気づかなかった。



望月蒼真

君は僕に出会うために、生まれてきたんだ。
だからこそ『養子』として神埼の家にやって来た。
僕を理解し、全てを受け止め、人生を捧げる……。
そして、いつか僕に殺されるために……。



 信じられないほどの心地よい感情が胸に広がっていく。



 快楽という名の海に落とされたかのようだ。



 これは『恋』であり、『慈愛』であり、『純愛』だ。



 望月は胡桃と出会うことで、初めて『人間』になることができたのだ。





















前島悠子

あ、あの……。
望月さん?
寝ちゃったんですか……?



 前島は恐る恐る声をかけた。


 勝手に自分のことを語り出したかと思えば、突然、瞼を閉じて黙り込んでしまった。


 眠っているようには見えない。



望月蒼真

……うん?



 望月が気怠げに前島を見つめた。


 まるでそこに前島と川口がいることを、完全に忘れていたかのようだ。



望月蒼真

なんでもない。
君たちも眠るといい。
明日は早いからね。



 そう言って、また瞼を閉じた。


 そのまま眠るつもりなのだろうか。


 前島は唖然としながら川口にささやいた。


前島悠子

ど、どうしますか?
あれ、ガチで寝るつもりですよ。
どういう神経してるんですかね?

川口由紀恵

わかんないわよ……。
でも、逃げるのは難しいだろうし……。

前島悠子

私たちが寝込みを襲えば倒せる……。

……いや、無理そうですね……。
あのSPさんを瞬殺する人に、勝てる気がしないですね。
このまま師匠と合流するのを、待つしかないんですかね……。


 前島と川口はため息を吐きながら、ソファで眠る望月を眺めていた。





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つばこ

あーーーキモイキモイキモい!!!
なぜ勇一くんはこんなキモいヤツの正体を見破れなかったんですかね!
次回は天野くん登場します!!

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コメント 13件

  • ぷよぷよ

    望月、とんでもなく気持ち悪いけど、ある種の「被害者」だよな

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  • Demurrer

    気持ち悪っ!望月の中では人間の醜さしかないようですね。死体を見ている人達はこういう気持ちなのかな?

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  • みぃ

    望月が生まれ持ったものや育った境遇を考えると何とも哀れというかなんというか
    まぁイカレてるのは変わりないんですが

    首を絞めても手を握り返して笑う胡桃ちゃんが
    はじめて真の意味で自分を「受け入れてくれた」とでも思ったんかな
    しょうがねーだろ赤ちゃんなんだから(

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  • ユタ

    うわぁ…

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  • phenyl

    過去一きもい奴見たかも

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