神埼勇一

勇二……。
ずっと隠していたことがある。
僕はね、人を殺したんだよ。




 天野は唇を噛みしめながら勇一を見つめた。



 真っ先に脳裏のうりに浮かんだのは、鈴本の刺殺体。



 人形のように倒れていた、血まみれの死体だ。



天野勇二

『人を殺した』……。
それは、鈴本のことか?



 かすれた声で尋ねる。


 勇一は小さく首を横に振った。


神埼勇一

鈴本さんのことではない。
だけど、彼女も僕が殺したようなものだ。
僕と関わることがなければ、彼女が死ぬこともなかった。

天野勇二

何を言うんだ。
そんなワケ……。



 天野はごくりと生唾を飲み込んだ。


 ここで勇一の言葉を否定するべきではない。


 まだ勇一の心はおぼろげで弱々しい。


 それでも懸命に何かを語ろうとしている。


 それを否定してしまったら、勇一の心が再び閉ざされてしまうのではないか。


 天野はそんな気がした。



天野勇二

……わかった。
教えてくれ。
俺は聞きたい。
ゆう兄ちゃんが何を言っても、俺は全て肯定する。



 勇一は無表情で天野を見つめた。


 先ほどから勇一の表情は変わらない。


 能面のように固まったままだ。


 まるで感情の全てが抜け落ちているかのようだと、天野は感じた。



神埼勇一

きっと勇二は知らないだろう。
今から約10年前……。
僕は『神埼』の研修医だった。


 ぽつりぽつりと、勇一が言葉を吐き出す。


神埼勇一

おこがましい話だが、僕は自分自身が秀でていることを自覚していた。
一流の教育を受け、一流の大学に進み、父の跡を継ぎ、たくさんの命を救う。
あの頃の目標は、医師会のトップに立つこと。
それが必然であり、僕の『運命』だと信じていた。


 どこか苦しげに瞳を細める。


神埼勇一

しかし……。
それは勘違いだった。
僕程度の人間が通用するほど、医療という世界は甘くない。
おごりもあったのだと思う。
僕はね、自らの誤った判断で、救急搬送された患者を死なせてしまったんだ。

天野勇二

なんだって……?


 天野は驚いて勇一を見つめた。


天野勇二

嘘だろ?
そんな話、聞いたことがないぞ。

神埼勇一

それも当然だろう。
父が揉み消したんだ。

天野勇二

お、親父が……!?

神埼勇一

カルテを改ざんし、遺族には避けることのできない『病死』だったと説明したんだ。
『医療ミス』である事実も伏せた。
それでも死亡時画像病理診断オートプシー・イメージング『病理解剖』を求められれば、真実は明らかになっただろう。


 勇一は拳を握りながら空を見上げた。


神埼勇一

今でも、あの時のことを夢に見るよ。
僕は遺族を説得したんだ。

剖検ぼうけんは患者や遺族を苦しめる行為でもある。
遺体を傷つけずに送ってあげたほうがいい。


そのように説得したんだよ。
『遺族に寄り添う理解ある医師』という表情を浮かべてね……。


 天野は呆然と勇一を見つめた。


 勇一は『医療ミス』隠蔽いんぺいするため、遺族が『病理解剖』を望まないように仕向けたというのだ。


 絶対に許される行為ではない。


 勇一はちらりと天野を見ると、


神埼勇一

これでも、勇二は僕を肯定できるかい?
とても肯定できないだろう。
少なくとも、僕は自分を許せなかった。
それでも父に従い事実を隠蔽した。

僕は怖かったんだ。
これまで必死に積み上げてきたものが一瞬で崩れ落ちてしまう。
そのことが怖かったんだよ……。

天野勇二

…………


 天野は何も言葉を発することができなかった。


 勇一はまた空を見上げて言った。


神埼勇一

あれから僕は自分を保てなくなってしまった。

人を死なせたこと。
父に『借り』を作ってしまったこと。
周囲の期待が失望に変わったこと。
命を救うことに価値を見出していたのに、それを叶えられなかったこと。
そして、自分の身が可愛いあまりに、外道とも呼べる行為に手を染めたこと……。

ずっと張り詰めていた何かが、音をたてて砕け散るのを感じた。



 天野は苦しげに勇一を見つめた。


 その出来事が『きっかけ』となり、勇一の心は壊れてしまった。


 優秀であることを求められ続け、期待以上の結果を残すことが当たり前。


 勇一は常にそんな重圧プレッシャーの中で生きていた。


 限界まで張り詰めていた心。


 それが『罪』を犯すことにより、崩壊してしまったというのだ。


 勇一は小さく息を吐くと、天野の顔を見つめた。



神埼勇一

勇二は気づいていただろう。
僕はずっと、勇二と向き合うことを避けていた。

天野勇二

…………

神埼勇一

長い時を経て、僕は徐々に自分を取り戻した。
それでも勇二とは向き合えなかった。
勇二の期待に応えられなかったことが、何よりも苦しかったんだ……。

天野勇二

逃げていた……。
なぜ、逃げていたんだ……?


 青ざめながら天野が尋ねる。


 勇一は軽く唇を噛むと、苦しげに言葉を吐き出した。


神埼勇一

僕はずっと、勇二にとって『尊敬される兄』でありたかった……。
弟の失望した表情を見るのが、何よりも辛かった。
だから、勇二と向き合うことができなかった。
僕は、ずっと、勇二から逃げていたんだ……。


 天野は驚愕の表情で勇一を見つめた。


 勇一は瞼を閉じ、軽く頭を下げた。


神埼勇一

辛い思いをさせてすまなかった。
卑怯で臆病な人間だと罵ってくれ。
本当に、すまなかった……。



 天野は呆然と震える兄の顔を見つめた。


 微かに震えている指先。


 青白く痩せた頬。


 瞳の焦点はぼんやりしており、その存在さえもおぼろげに感じる。


 それは自分の知っている兄の姿ではなかった。



天野勇二

(なぜだ……。なぜなんだゆう兄……)



 心の中で問いかける。



天野勇二

(なぜ俺に、そんな『嘘』を吐くんだ……?)



 長い年月は、互いの姿や中身を、大きく変えてしまっていた。


 感情が死んだかのような勇一の表情。


 しかし天野は知っている。


 かつての勇一の浮かべていた嘘を吐く時の仕草ライアーサインを知っている。



天野勇二

(ゆう兄は『何か』を隠している。全てを打ち明けているように見えるのに……。)



 人は『嘘』を吐く時、それを誤魔化すための仕草ライアーサインを無意識にとってしまう。


 『軽く唇を噛む』


 それが勇一の仕草ライアーサインだった。



天野勇二

(……いや、そんなはずがない。偶然だろう。『ライアーサイン』は成長するに従って変化する。今のゆう兄が嘘を吐くはずがない。嘘を吐く理由もないはずだ……)



 天野は大きく息を吐いた。


 些細な『嘘』なんてどうでもいい。


 ましてや勇一は罪悪感に囚われている。


 自らを誤魔化すために、無意識に『嘘』を吐いてもそれほど不思議ではない。


 天野は何度か深呼吸すると、



天野勇二

……ゆう兄ちゃん。
あんたは勘違いしている。



 疑念を振り払うように言葉を吐き出した。



天野勇二

俺はゆう兄ちゃんに、期待なんかしたことないぜ。
立派な人間であってほしいなんて、そう願ったこともない。
それがなぜだか、わからないのか?



 懸命に言葉を続ける。



天野勇二

いつもゆう兄ちゃんは、俺を迎えに来てくれたじゃないか。
ありのままの俺を見てくれた。
俺を励まし、俺が悪いことをすれば叱り、俺に正しい道を示してくれた。
だから尊敬できる兄貴だった。
俺はずっと、ゆう兄ちゃんに感謝していたんだ。



 勇一は瞳を細めた。


 どこか眩しげに弟の姿を見つめている。



天野勇二

例え『罪』を犯しても。
人として道を誤っても。
俺はゆう兄ちゃんから受けた『恩』を忘れない。

ゆう兄ちゃんが『悪』の道を走ったとしても、俺は必ず追いついてみせる。
そしてぶん殴って道を正してやるさ。
あんたはいつだって、俺の自慢の兄貴だからだ。



 天野の言葉を聞き、勇一の口元が緩んだ。


 何かを喜んだのか。


 それとも呆れたのか。


 ほんの僅かな微笑を浮かべた。


 しかし、それは一瞬のことだった。



神埼勇一

……そうか。
僕は許されないことをしたのに、それでも『自慢の兄貴』だと、そう言ってくれるのか。

天野勇二

ああ、当たり前さ。

神埼勇一

僕は自分の犯した『罪』だけでなく、勇二からも逃げていた。
兄弟の資格があるだろうか。

天野勇二

『資格』なんか知ったことか。
あんたが何を言っても、俺の認識は変わらないぜ。



 勇一は小さく息を吐いた。


 夕陽の落ちた夜空を見上げる。


 天野はその横顔を見ながら言った。



天野勇二

……いや、今はそんなこと言うべきじゃない。
俺のほうこそ、すまなかった。
何も気づけなかった。
何もできなかった。
ゆう兄ちゃんの苦しみを、俺は理解すべきだったのに……。



 天野は苦しげに肩を落とした。


 こんな言葉は無意味だ。


 勇一の心に届くことはない。


 何度告げたとしても、誰かが救われることはない。


 そう理解していても、天野は謝罪の言葉を呟くしかなかった。



天野勇二

あの頃の俺は、ゆう兄ちゃんが抱えていたものを、何ひとつ理解していなかった……。
本当にごめん。
俺がもっとしっかりしていれば……。

神埼勇一

いや、いいんだよ。
勇二が謝ることじゃない。
悪いのは僕なんだ。



 謝罪を断ち切るかのように勇一が言った。


 瞼を閉じて息を吐く。



神埼勇一

……聞いてくれてありがとう。
最後にどうしても、勇二にこのことを告げたかった。
もう悔いはない。

天野勇二

お、おい……。
待ってくれ!


 天野は慌てて叫んだ。


 勇一が天野に背を向け、立ち去ろうとしたからだ。


天野勇二

どこに行くんだ?
『最後』って、どういう意味なんだよ?


 勇一の歩みは止まらない。


 天野はその背中を追いかけながら言った。


天野勇二

もう知っていると思うが……。
ゆう兄ちゃんは警察に追われてる。
ゆう兄ちゃんが鈴本を殺したと疑われているんだ。


 天野は勇一の腕を掴んだ。


 筋肉が落ちて細くなった腕。


 昔は世界で一番たくましい腕だと感じたのに。


神埼勇一

ああ……。
それも当然だろうな。

天野勇二

今は警察に行くべきだ。
『逃亡』と見なされるぞ。
ゆう兄ちゃんが鈴本を殺したワケじゃないんだろ?
鈴本とは何があったんだよ?


 勇一は答えない。


 何かを確かめるかのように、自らを掴む天野の右手を見つめている。


神埼勇一

……頼む。
勇二、見逃してくれ。


 やがて、ぽつりと呟いた。


神埼勇一

僕は望月に会いに行く。
彼をこの手で、殺すつもりだ。

天野勇二

な、なんだって……!?



 天野は驚いて勇一を見つめた。



天野勇二

何バカなことを言ってるんだ!?
なぜ望月を殺す!?

神埼勇一

…………

天野勇二

答えろよ!
望月と何があったんだ!?
俺がそんなことを聞いて、黙って見逃すとでも思うのか!?



 勇一は無表情で天野を見つめた。


 鬼気迫る弟の表情。


 勇一は軽く息を吐くと、



神埼勇一

勇二……。
お前は成長したな。
思っていた通りだ。



 首を横に振りながら、勇一は強い声で言った。



神埼勇一

だけど、これは僕の『罪』でもある。
償わなければならない。
僕は知っていたんだよ。
望月と鈴本さんが嘱託しょくたく殺人』を行っていたことを。
気づいていたのに、それを見逃していたんだ。






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つばこ

医療従事者はホント大変ですよね。
ちょっとした仕事のミスが生き死にに関わったりするのですから。
それはもしかすると、お兄ちゃんにとってただ一度のミスや挫折だったのかもしれませんね。
 
今回は外科医がサイコパスロリコンだったり、看護師がメスで襲ってきたり、おまけに医療ミスもあったりしてとんでもないことになってますが、つばこは医療従事者の皆さまを超絶リスペクトしてます。
いつも本当にありがとうございます!
みんな怪我や事故に気をつけて自粛しよう!
comicoノベルを全作品読んでたらたぶん時間は潰せるぞぅ!!
 
そんなこんなで今週はもう1話あります!
いつも応援やコメント、本当にありがとうございます!(∩´∀`)∩ワーイ

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コメント 6件

  • emer

    天野くんの心は凍結していたのかもしれない
    ゆう兄ちゃんは天野くんが唯一甘えていた存在に等しい
    それがいなくなってしまった、抱いた感情をさらけ出せる相手がいなくなって、そして伝えたかった言葉を二度と伝えられないかもしれなかった
    だから当時のことを思い出さないように、けれど必要があればそっくりそのまま思い出せるように、伝えたい言葉を伝えるために心は凍結されたのかもしれない

    ふと、そう思ったので書き込みに来ました
    読んでて泣きました

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  • べっちん

    兄ちゃん、もういいよ。苦しまないで。
    あとは、天才クソ野郎に全て任せたらいい。
    そしたら全てうまくいくよ、きっと。

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  • ユタ

    天野さん…あんた心があるぜ…

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  • 神楽

    勇一兄ちゃんの嘘は一体何なのか?
    もしかして、医療ミスは実は父親からの命令で行われた嘱託殺人だったとか?
    つまり、天野くんの父親の病院は表向きは安楽死等を禁止しているけど、裏では高額の依頼料と引き換えに嘱託殺人を行っていて父親が指示を出して、勇一兄ちゃんと望月の二人が実行犯をやる形を取っていたとか?
    だから、勇一兄ちゃんの嘘はミスじゃなくて故意的な殺人だった事と実は父親が黒幕だった事の二つなのでは?

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  • 四鈴

    天野くんに心がないなんてやっぱり嘘じゃん…。
    人が今必要としている言葉を紡ぎ出せる才能の塊じゃん……。

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