これまで1話しか登場していない少年時代の天野くん。
あれだけ傍若無人なクソ野郎でも、幼くて可愛い子供時代があったんですね。
彼はとても恵まれた環境で生まれ育っており、天野くん自身も「自分が不幸である」とは思っていません。
しかし、それは比較するようなものではないんですよね。
お兄ちゃんはいったい何に悩み、どんなきっかけで心を壊してしまったのか……。
次話も読んでいただければ幸いです。
いつも応援やコメント、本当にありがとうございます!(`・ω・´)ゞ
少年時代の天野は、様々な悩みを抱いていた。
父親はいくつかの病院を経営する医者で、母親は製薬会社の所長。
裕福な家庭に生まれ育ち、
しかし、それでも天野は孤独だった。
両親は仕事ばかりに熱心で、あまり子供たちに関心を向けない。
おまけに兄は『神童』と呼ばれるほどの天才児。
あまりに優秀すぎたため、天野は事あるごとに比較されていた。
兄が当たり前にできたことが、自分にはできない。
どれだけ努力を積み重ねても、兄に追いつくことができない。
「兄の邪魔をするな」
「兄を優先しろ」
「兄を見習え」
「兄に負担をかけるな」
「兄が不自由しないように妹たちの面倒を見ろ」
それが少年時代の天野に求められていたことだった。
テストで100点を取っても、徒競走で1番になっても、友人から『天才』と持ち上げられても、家に帰れば兄の『付属品』でしかない。
両親には『ありのままの自分自身』を見てほしかった。
そして何よりも
幼き日の天野は自覚していなかったが、両親に甘えたかったのだ。
天野勇二
……ちくしょう。
なんで、俺ばっかり……。
どうしても我慢できなくなった時。
天野は近所の河川敷に、夜遅くまで佇んでいた。
ささやかな『家出』という名の反抗。
居場所を感じられない家を飛び出し、兄への劣等感や妹たちの世話から解放されたかったのだ。
神埼勇一
……勇二。
そろそろ、家に帰ろう。
夜になると、いつも勇一が迎えに来てくれた。
神埼勇一
桃香や胡桃が寂しがっている。
そろそろお風呂に入れてあげないと。
勇二がいないと泣いてしまうよ。
天野勇二
桃香と胡桃は、天野にとって唯一の救いだった。
時折、
『兄の付属品』ではなく、『ただの兄』として自分を見てくれる。
もし2人がいなければ、今の天野は存在しなかっただろう。
天野勇二
……やだよ。
ゆう兄ちゃんやお母さんが風呂に入れてよ。
俺だって、やりたいことがあるんだ。
そっぽを向きながら告げる。
当時の勇一は「勉強が忙しい」という理由で、妹たちの世話を免除されていた。
勇一は軽く唇を噛むと、呆れたように微笑んだ。
神埼勇一
そうだな……。
でも、勇二のほうが上手じゃないか。
僕には勇二の真似はできないよ。
天野勇二
よく言うよ。
ゆう兄ちゃんにできないことなんかない。
それは事実だった。
勇一は何事もそつなくこなしてしまう。
妹たちだって、勇一のことが大好きだった。
天野勇二
俺はゆう兄ちゃんほど、立派な人間じゃない。
みんな言うじゃないか。
俺はゆう兄ちゃんの出来損ないだって……。
ゆう兄ちゃんが当たり前にできることが、俺にとっては精一杯なんだ。
雑草を引きちぎりながら言葉を重ねる。
天野勇二
勉強だって、運動だって、ゆう兄ちゃんには敵わない。
俺はゆう兄ちゃんにはなれない。
だから、父さんだって、俺のことを見てくれないんだ……。
苦しげに言葉を吐き出す。
自分が『付属品』であることも辛かったが、天野をより苦しめていたのは、「兄が尊敬できる存在」であったこと。
兄は何も悪くない。
いつも正しく、模範であり、何よりも優しかった。
優秀であることを鼻にかけず、自分のような手のかかる弟の面倒もよく見てくれた。
『付属品』でもなく、ありのままの個人として扱ってくれた。
だからこそ、天野は勇一に心をさらけ出すことができたのだ。
神埼勇一
大丈夫さ。
僕は信じてる。
勇二は僕よりも立派な人間になる。
父さんだって、いつか気づいてくれるはずだ。
天野の肩に手を起きながら、言葉を続ける。
神埼勇一
それでも、どうしても辛いことがあったら……。
この言葉を呟くといい。
天野勇二
神埼勇一
ただの言葉じゃない。
僕は『魔法の言葉』だと思ってる。
きっと、全てうまくいく。
どんなことだって、自分にかかれば、全てうまくいく……。
まるで天野の胸の奥に押し込むように、勇一はその言葉を呟いた。
神埼勇一
辛くてたまらない時。
悲しくてやるせない時。
何をやってもうまくいかない時……。
この言葉を呟くんだ。
天野勇二
それって……。
聞いたことある。
ゆう兄ちゃんの口癖だろ。
神埼勇一
そうだね。
よく呟くようにしている。
天野勇二
神埼勇一
もちろんあるさ。
勇二はマザーテレサの名言を知っているかい?
『思考』が『言葉』になり、『言葉』が『行動』になり、やがてそれは『性格』や『運命』に変わっていく。
天野勇二
うん……。
知ってるよ。
伝記を読んだから。
神埼勇一
僕は逆だと思ってる。
本当に辛い時は、前向きな『思考』を生み出すことが難しい。
だから『言葉』から始めるんだ。
『言葉』はいつか、自分の『運命』を変えるほどの『思考』を生み出す。
そう考えているんだよ。
天野は勇一の顔を見上げた。
兄は優しく微笑みながら、自分だけを見つめている。
それがどこか悲しげに見えたのは気のせいだろうか。
勇一はもう一度、天野の胸の奥に向かって言った。
神埼勇一
勇二にかかれば、全てうまくいく。
僕は勇二の全てを肯定する。
勇二だったら何があっても大丈夫だと、僕は本気で思っているよ。
神埼勇一
来てくれて、ありがとう。
勇二はこの場所を覚えていたんだな。
夏風が勇一の言葉を揺らしている。
天野は遠い昔の記憶を振り払いながら言った。
天野勇二
忘れるはずがないさ。
ここは俺の『特等席』だったんだぜ。
湿った風に吹かれながら微笑む。
天野勇二
あの頃は『家出』をすることが恥ずかしくてさ。
誰も来ない場所を探したんだ。
よくその辺りに座って、日が落ちるのを見ていたよ。
なぜ俺があんなことをしていたのか、ゆう兄ちゃんは知っていたんだろう?
勇一は何も答えない。
無表情で天野を見つめるだけだ。
昔はもっと表情豊かに語りかけてくれたのに。
天野はどこか寂しげに言葉を紡いだ。
天野勇二
俺はゆう兄ちゃんに、迎えに来てほしかったんだ。
つまりは甘えていたのさ。
ゆう兄ちゃんが来てくれること。
それで自分の存在が認められたような気がした。
まったく手のかかる弟だよな。
呆れたように唇を歪める。
勇一はゆっくり首を横に振った。
神埼勇一
そんなことはない。
僕の配慮が足らなかった。
勇二に色々なことを抱えさせてしまい、本当にすまなかったと思っている。
天野勇二
やめてくれ。
ゆう兄ちゃんが謝ることじゃない。
悪いのは両親だ。
天野はため息を吐きながら勇一を見つめた。
兄弟の間には、ぎこちない空気が流れている。
何せ10年ぶりに交わす会話なのだ。
当時は中学生で、今は大学生。
あの頃の自分がどのように兄と接していたのか、しっかりと思い出すことができない。
天野勇二
(きっとそれは、ゆう兄ちゃんも同じだろうな……)
夕焼けに染まる勇一の横顔を見つめる。
勇一はシンプルだが、真新しい衣服に身を包んでいる。
『病院着』ではない。
どこかで衣服を購入し、着替えているのだ。
天野は気まずい沈黙を埋めるように言った。
天野勇二
ゆう兄ちゃんは忘れたと思うけど……。
俺はここで大事なことを教わった。
「きっと全てうまくいく」
そう呟くことで、自分の『思考』や『行動』を変えることができる。
あれは今も忘れてないよ。
ゆう兄ちゃんの口癖だったよな。
勇一が小さく頷く。
神埼勇一
『全てうまくいく』か……。
覚えているよ。
僕もずっと、そう考えていた。
勇二に言った通りだ。
何があったとしても、その言葉を呟いて願い続けていれば、必ず状況は好転する……。
天野から視線を逸し、暮れゆく空を見つめる。
神埼勇一
……だけど、現実は違った。
僕には『決定的なもの』が欠けていたんだ。
弱い人間だった。
『運命』に翻弄されるだけの無力な存在だった。
だからこそ、何年も入院することになった……。
天野は慌てて言った。
天野勇二
それは違うさ。
弱いとか、無力とか、そういう問題じゃない。
神埼勇一
似たようなものだよ。
僕は幼い頃から、ずっと自分を偽っていた。
そのことに疲れてしまったんだ。
勇二と向き合うことも、立ち上がることも、何もかもが面倒になってしまった。
天野は緊張を覚えながら勇一を見つめた。
顔色は青白く、指先は微かに震えている。
記憶の中にある勇一は、こんな弱々しい人間ではなかった。
きっとまだ、勇一の心は快復していないのだろう。
天野勇二
……ゆう兄ちゃん。
無理をすることはない。
病院に戻ろう。
天野が慎重に声をかける。
勇一は静かに首を横に振った。
神埼勇一
いや、聞いてくれ。
勇二に話しておきたい。
きっと、訊きたいこともあるはずだ。
天野勇二
それは……。
別に後でも構わないさ。
神埼勇一
もう後回しにはしたくない。
これが最後になるかもしれないからね。
天野勇二
さ、最後……?
それって、どういう意味だ……?
天野が訝しげに尋ねる。
勇一はそこで長く息を吐いた。
まるで心の中の何かを整えるように。
そして、天野を見つめて言った。
神埼勇一
勇二……。
ずっと隠していたことがある。
僕はね、人を殺したんだよ。
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これまで1話しか登場していない少年時代の天野くん。
あれだけ傍若無人なクソ野郎でも、幼くて可愛い子供時代があったんですね。
彼はとても恵まれた環境で生まれ育っており、天野くん自身も「自分が不幸である」とは思っていません。
しかし、それは比較するようなものではないんですよね。
お兄ちゃんはいったい何に悩み、どんなきっかけで心を壊してしまったのか……。
次話も読んでいただければ幸いです。
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