天野桃子

勇一が鈴本さんを殺した……。

警察はそう考えてるの。
殺人事件の『容疑者』として、勇一を指名手配してるのよ……。



 天野の隣で「ごとん」という音が響いた。



 胡桃の腰が抜け、その場に膝から崩れ落ちたのだ。



 青ざめながら口元を押さえている。



天野胡桃

嘘……。
ゆう兄ちゃんが、鈴本さんを殺した……?
そんなの、嘘だよね……?



 震える声で呟く。


 桃香は拳を握りながら叫んだ。



天野桃香

何かの間違いに決まってるよ!
ゆう兄がそんなことするはずない!
私、絶対に信じないからね!

天野桃子

私だって信じられないわよ!
でも警察はそう言ってるの!
勇一は帰って来てないの!?
連絡はなかった!?



 姉妹が揃って首を横に振る。


 天野は忌々いまいましげに壊れたスマホを睨みつけた。


 大きく息を吐きながら、パニックに陥っている家族を見つめる。



天野勇二

(……落ち着け。今度こそ冷静になるんだ。焦っても状況は好転しない)



 何度も深呼吸して思考を整理する。


 確かに鈴本の手首には微かな皮下出血ひかしゅっけつの痕跡があった。


 強く掴まれたことを示す生活反応せいかつはんのうだ。


 痕跡の大きさから見て、手首を掴んだのは『男性』で間違いない。



天野勇二

(手首に『指紋』が残っていたのであれば、犯人として疑われて当然だ。しかも兄は行方不明。警察は「逃亡している」と判断する。これは『全国指名手配』されるのも時間の問題だな……)



 恐らく警察は総力をあげて勇一を探している。


 できることならば、警察より早く見つけ出したい。


 勇一が犯人とは思いたくない。


 事実だとも思えない。


 しかし、もし本当に勇一が鈴本を殺害したのであれば……。


 天野は舌打ちしながら言った。



天野勇二

状況は把握した。
俺はゆう兄を探す。
母さんは警察に行ってくれ。


 桃子はすがるように天野を見上げた。


 頼もしい息子だ。


 この状況でも冷静に最善手を探している。


 桃子は頷きながら言った。


天野桃子

……わかった。
勇一がどこにいるのか、当てがあるの?

天野勇二

いや、ないな。
それでも警察よりは、ゆう兄の行動パターンを推測できる。
できれば警察に逮捕される前に捕まえて、直接事情を聞きたい。

天野桃子

そうね……。
私も勇一から事情を聞きたい。
こんなの、何かの間違いに決まってるもの……。

天野勇二

桃香と胡桃は自宅で待機だ。
しっかり施錠しておけ。
兄以外の誰が訪ねてきても対応するな。
警察も無視しろ。
薄情だとは思うが、伊藤も自宅に招き入れるんじゃない。


 桃香が青ざめながら尋ねる。


天野桃香

警察や伊藤さんもダメなの?
このあと、大和くんや桃太郎も来る予定になってるんだけど……。

天野勇二

連絡して断ってくれ。
ゆう兄がここに立ち寄るかもしれない。
その場合、第三者がいるのは不都合でしかないんだ。
伊藤にも迷惑をかけてしまう。

天野桃香

そ、そっか……。
わかった。
私から電話しておく。

天野勇二

もし望月が現れたら無視しろ。
あいつは口が達者だ。
警察のフリをして近づくかもしれない。

天野桃香

だから警察も無視か……。
わかったよ。
望月はできればぶん殴ってやりたいけど我慢する。


 桃香が憎々しげに頷く。


 桃子は訝しげに尋ねた。


天野桃子

望月くん?
どうして彼を無視するの?
彼なら勇一の居場所に心当たりがあるかもしれない。
協力を仰ぐべきじゃない?

天野勇二

事情があるんだ。
桃香よ、手短に説明してやってくれ。

天野桃香

わかった。
お母さん、冷静に聞いてね。
どうやらあいつは、とんでもないロリコンみたいで……。


 天野は胡桃に向き直った。


 しゃがみ込む胡桃を抱えてソファに座らせる。


天野勇二

胡桃よ。
お前は絶対に外に出るな。
辛いとは思うが自宅で待機してくれ。
わかったな。


 胡桃が震えながら頷く。


天野胡桃

ちい兄ちゃんは、大丈夫なの……?
頭を打ってるんでしょ?
また望月が現れたら、どうするつもりなの……?

天野勇二

相手にしないさ。
今はそれどころじゃない。
そしてひとつ頼みがある。


 自らの壊れたスマホを取り出しながら言葉を続ける。


天野勇二

お前のスマホを貸してくれ。
警察や涼太たちと連絡を取り合う必要があるんだ。
望月からお前のスマホに連絡が入る可能性も高いしな。


 胡桃は迷ったような表情を浮かべたが、素直に自らのスマホを差し出した。


天野胡桃

いいよ……。
でも、LINEは見ないでね。
写真もできれば見ないで。

天野勇二

わかってるさ。
お前のプライベートに干渉はしない。

天野胡桃

それじゃ、パスコードは……。


 胡桃からスマホを受け取ると、天野は素早く立ち上がった。


 桃子の様子を伺うと、


天野桃子

……嘘でしょ?
ありえない……。
彼が胡桃に、そんなことを……!?


 桃香から望月に関する話を聞いたのだろう。


 驚愕きょうがく憤怒ふんぬの表情を浮かべている。


 天野は軽く息を吐きながら桃子に言った。


天野勇二

信じられないとは思うが……。
そういうワケなんだ。
母さんも望月との接触は避けてくれ。

天野桃子

ええ……。
もしかしてあなた、それで望月くんを嫌ってたの?
前から様子がおかしいとは思ってたんだけど……。

天野勇二

そういうワケじゃない。
だが、その件は後回しにしよう。
今はゆう兄を探すことを優先してくれ。

天野桃子

そうね……。
ああもうなんなのよ……。
なんでこんなことに……。

天野勇二

俺は胡桃のスマホを持ち歩く。
何かあれば電話してくれ。



 天野はそこまで言うと『天野家』を飛び出した。


 勇一はどこにいるのか。


 それが何よりも気になるが、チームメンバーの動向も気になる。


 天野は駆けながら涼太に電話をかけた。



佐伯涼太

……胡桃ちゃん!?
涼太だよ!
どうしたの!?
そっちは大丈夫!?



 涼太はすぐに出た。


 これは胡桃のスマホからの入電。


 何かあったのではないかと動揺しているのだ。


天野勇二

胡桃ではない。
勇二だ。

佐伯涼太

ああっ!
勇二だぁ!
電話待ってたよ!
何があったのさ!?

天野勇二

望月と争った際に、スマホを壊してしまってな。
しばらくこのスマホを携帯する。
何かあればこっちに連絡を入れてくれ。


 スマホの向こうで涼太が大きく息を吐く。


佐伯涼太

心配したよぉ……。
やっぱり望月と会ってたんだね。
喧嘩になったの?

天野勇二

ああ、うまく乗せられてな。
あいつは今も健在だった。
殺してやろうと思ったが、返り討ちにあってしまった。


 舌打ちしながら望月との対決を語る。


 涼太は呆然としながら言った。


佐伯涼太

……マジで?
勇二がガチンコで敗北したの?
あの人、どんだけ強いのよ……。

天野勇二

恐らく俺様の格闘スタイルを研究していたんだ。
手も足も出なかった。
無様な姿を晒したよ。
胡桃が援護してくれなければ、絞め落とされていたな。

佐伯涼太

ひぃぃ……!
想像できないんだけど!
望月が強いとは聞いてたけど、そこまでなんだ……!
『メス』や『スタンガン』を使ってもダメだったの?

天野勇二

『スタンガン』は携行していなかったが、『メス』は使った。
それでも少し躊躇ちゅうちょしてしまってな。
完全に殺すつもりだったが、迷いを吹っ切れなかったのだろう。
殺意を全開にするのも難しいものだな。

佐伯涼太

いや、それでいいよ。
そんな『殺人鬼』みたいなこと考えなくていい。
幼馴染は平和主義者であってほしいよ。


 ため息を吐きながら涼太が言葉を続ける。


佐伯涼太

それよりさ、色々報告したいことがあるんだ。
『真由子』さんや望月のこともあるんだけど……。
お兄さんのことは聞いた?

天野勇二

ああ、聞いたよ。
病院を抜け出したらしいな。
しかも鈴本を殺した『容疑者』として追われている。

佐伯涼太

そうなの。
テレビやネットニュースでも報じられてる。
まだ『実名』は出てない。
でも、被害者の友人の『指紋』が死体から発見されたこと。
その人が入院中だったこと。
今は行方不明になってること。
事件に関与してる可能性が高いってことまで報道されてるんだ。


 天野は嫌そうに唇を噛んだ。


天野勇二

それはまずいな……。
実名報道されるのも時間の問題か。

佐伯涼太

うん……。
まだ鈴本さんを殺害した『凶器』は判明してない。
この状況は「凶器を持ち歩いてる殺人犯が逃亡している」とも言えるんだ。
お兄さんが殺したとは思えないけど、大ピンチであることは間違いないよ。

天野勇二

そうだな……。
俺は今から兄を探す。
無実だと信じてはいるが、事情を聞かなければ気がすまない。

佐伯涼太

だよね。
そっちに専念してよ。
僕も何かあれば手伝うから。

天野勇二

『真由子』の家はどうだった?
『K』は現れたのか?

佐伯涼太

『K』は姿を見せなかった。
残念なことに『真由子』さんにも会えなかったよ。
それとね、コトちゃんと牧瀬さんがとんでもないものを見つけてさ……。



 涼太は怯えながら望月邸の状況を告げた。


 望月が『胡桃の私物』を収集していたなんて、天野が聞けばどうなるのか。


 きっと怒り狂うだろう。


 これ以上ないほどキレるだろう。



天野勇二

なんだと……!
あの変態ヤロウ……!
そんなものを盗んでいたのか……!



 予想は的中した。


 天野は獣のような咆哮をあげている。


 涼太は「ですよね」と思いながら言った。


佐伯涼太

もうコトちゃんには通報してもらった。
望月は『窃盗罪』で逮捕されるはず。
たぶん結構なニュースになるから、社会的にも抹殺されるよ。
病院もクビになるだろうね。

天野勇二

それは歓迎すべき話だが……。
許せんな。
絶対に許せん。
やはり殺すべきだった。
それを先に聞いていれば、本気で頸動脈を切り裂いてやったのによ。

佐伯涼太

まぁ……。
そうだよね。
気持ちはわかるよ。
ただできればね、僕としては殺さないで捕まえてほしいな。
『半殺し』程度に済ませて。
『3/4殺し』でもいいけど。


 ため息を吐きながら言葉を続ける。


佐伯涼太

望月はどうも『胡桃ちゃんとの結婚』を考えてるみたいなんだ。
イカれた妄想なのかもしれないけど、それがちょっと気になるのよ。
もしかすると、胡桃ちゃんは望月に「気があるようなこと」を言ってたのかな?

天野勇二

ああ、俺もそれが気になった。
望月は完全に『胡桃に愛されている』と思い込んでいた。
しかし、胡桃にはそんな覚えがない。
交際していたことはなく、色目を使ったような覚えもない。
つまり……。


 舌打ちしながら吐き捨てる。


天野勇二

『クレランボー症候群しょうこうぐんだよ。
「相手に愛されている」と錯覚する妄想性障害。
サイコパス気質のストーカーが抱きやすい被愛妄想エロトマニアとも呼ばれる精神障害さ。





この作品が気に入ったら「応援!」

応援ありがとう!

728

つばこ

どんどん行きますよ!
もう締切ギリギリだから作コメは省略しますね!
思えばこの6年間、ずっとギリギリで生きてきました!
いつも応援やコメント、本当にありがとうございまーーーす!!!!

この作品が気に入ったら読者になろう!

コメント 8件

  • ちょぱ

    初めて聞いた!ストーカー殺人しちゃう人とかはこの病気だったりするのかな?病気でも大犯罪だけど…

    通報

  • ひつじ

    もう終わっていく…私の楽しみが…

    通報

  • べっちん

    初めて聞く症候群。つばこ先生、博識ですね!
    それにしても、そんな都合のいい障害のお陰で、勝手に好かれたり憎まれたりするんだったら、ほんとたまらん話だわ。

    通報

  • min

    妄想性障害…そんな障害あるんやな初知り

    通報

  • mikko

    ギリギリでも作者コメを省くことにひと言断りを入れてくださるつばこさんが、大好きです。

    通報

関連お知らせ

オトナ限定comicoに移動しますか?
刺激が強い作品が掲載されています。

  • OK