前島は震えながらその顔を見つめた。



 スマホの写真でしか見たことがないが、間違いない。



 涼やかな笑みを浮かべる男。



 天野の宿敵、望月蒼真もちづきそうまだった。




前島悠子

(も、望月だ……! ほ、ほ、本当に、私の前に現れた! どうしよう……!)



 望月との距離は約10メートル。



 この日の前島は、顔を隠すような『変装道具』を持っていない。



 装着しているのはマスクだけ。



 帽子とサングラスも用意すべきだった。



前島悠子

(なんでここに望月が……? まさか、私のことを『ストーキング』してたの……?)



 いつから尾行されていたのか。


 どこで張り込んでいたのか。


 まったく気づかなかった。


 望月は前島のスケジュールを把握しているのだろうか。



前島悠子

(……いや、そんなのありえない。ただの偶然だよ。ここはスルーしよう。望月に気づかないフリをして通り過ぎないと……)



 軽めの深呼吸をひとつ。


 動悸どうきをなだめながら頷く。


 前島は望月から視線を逸らし、素知らぬ顔で『いちょう通り』を歩いた。


 しかし、それは無意味だった。



望月蒼真

……おや?
あなたはもしかして……。
前島悠子さん?



 2人がすれ違う直前。


 望月が前島に声をかけた。


 前島の肩が「ビクッ」と震える。



望月蒼真

うわぁ、本当に前島さんだ。
嬉しいなぁ。
僕はあなたのファンなんです。
新曲の『あなたしか勝たん』も買いました。
こんなところでお会いできるなんて光栄です。



 望月が爽やかに語りかける。


 前島は顔を引きつらせながらその顔を見上げた。


 フレンドリーかつ、警戒心を抱かせない声色。


 声の調子も穏やか。


 全身から『魅力的な人間である』というオーラを放っている。



前島悠子

(こ、怖っ……! 何この人!? 『いい人』そうで怖すぎるんだけど……!)



 もし天野から望月の話を聞いていなければ、前島は「いつも応援ありがとうございます」と、自慢の純真無垢じゅんしんむくな営業スマイルを浮かべていただろう。


 握手ぐらいなら応じても良いかもしれない。


 それほど望月の印象が良いのだ。


 だからこそ、前島は怖かった。


前島悠子

……?
人違いです。
失礼しますね。


 前島はそそくさと頭を下げた。


 小走りで望月から離れる。


望月蒼真

あれ?
おかしいなぁ。
前島さんですよね?
とぼけないでくださいよ。


 望月が涼しげな笑みを浮かべて、前島の背中に声をかける。


望月蒼真

恐らくご存知だと思いますが……。
僕は望月蒼真といいます。
あなたが交際している勇二くんの古い友人ですよ。
僕は彼のお兄さんである勇一くんの幼馴染でして。
勇二くんが生まれる前からの付き合いなんです。


 前島は背中をゾワゾワさせながら、その声を聞いた。


 声が遠ざからないので、望月は自分を追いかけているのだろう。


 しかも当然のように名前を名乗った。


 自らの正体を隠すことなく接触しようと試みている。


望月蒼真

ねぇ前島さん。
聞きたくないですか?
赤ん坊だった頃の勇二くんの話。
写真もあるんですよ。
今では野蛮な『天才クソ野郎』になりましたが、幼い頃は天使のように可愛らしい少年でした。
ほら、見てください。
これは勇二くんの七五三しちごさんの時の写真です。


 前島は唇を噛み締めた。


 なんて強烈な誘惑の言葉だろう。


 とても見たい。


 赤ん坊や七五三の天野を見たい。


 そもそも昔の写真なんて、天野から見せられたことがない。


前島悠子

(いや……。絶対に振り返っちゃいけない。この人は怪しすぎる。どこかにタクシー停まってないかな……)


 残念ながらタクシーの姿は見当たらない。


 前島は小走りで『いちょう通り』を歩いた。


 このまま望月を振り切り、大通りに出るしかない。


 望月はその気配を察したのか、前島の足を止める決定的な言葉を吐いた。


望月蒼真

残念だなぁ。
前島さんとはお話したいことがあったのに。
僕はあなたの知らない『恋人』の正体を知っているんです。
できればあなたに教えたかったな。
例えば『勇二くんの本当の名前』なんかをね。

前島悠子

…………えっ?



 それは完全に予想外の言葉だった。


 前島の歩みが遅くなり、ゆっくり静止する。


 背後から望月の勝ち誇ったような声が響いた。



望月蒼真

ふふっ……。
やはり知りませんか。
勇二くんは秘密主義者だからなぁ。
それでも恋人に隠しているとは驚きました。
きっと彼は他にも、あなたに隠していることがあるんでしょうね。



 前島は震えながら硬直した自らの身体を見つめた。


 立ち止まるべきではない。


 望月と接触すべきではない。


 「警戒しろ」と告げていた天野の命令に従うべきだ。


 頭の中ではそんな声が鳴り響いている。


 しかし……



前島悠子

……本当の、名前……?
それって、どういう意味ですか……?



 前島はゆっくり振り返った。


 望月を見上げながら尋ねる。


 スマートで涼しげな笑みを浮かべる長身の男。


 望月は朗らかな表情で言った。


望月蒼真

良かった。
ようやく立ち止まってくれましたね。
初めまして。
前島悠子さん。

前島悠子

…………

望月蒼真

その表情を見る限り、僕のことは知っているんですね。
まぁ、それもそうか。
あなたは何度か『神埼記念総合病院』に訪れたことがある。

最初は勇一くんのお見舞いに。
他には柏田麻紀かしわだまきさんというアイドルを救うための『罠』を仕掛けるために。
その時に僕のことを見かけたんでしょう。
そういうことにしておきますよ。


 望月の瞳が「すっ」と細くなる。


 涼しげな笑顔から放たれる妙な威圧感。


 前島は思わず鞄を両手で構えた。


 中には暴漢退治用の『催涙スプレー』が入っている。


 いざとなればこれを噴射するしかない。


 望月は両手を広げながら言った。


望月蒼真

そんなに警戒する必要はありません。
ここは人通りの多い場所であり、あちこちに『監視カメラ』が設置されています。
しかもあなたは有名人。
僕が愚か者でない限り、あなたに手を出そうだなんて考えません。


 前島は妙な不快感を覚えた。


 穏やかな口調なのに、あえてしゃくに障る言い回しを選んでいるように感じる。


 前島は言い返すように言葉を吐いた。


前島悠子

……そうですか。
まるで脅しですね。
あなたが『愚か者』であれば私に手を出す。
そう言いたいんですかね。

望月蒼真

あははっ……。
いやだな。
変な捉え方をしないでください。

前島悠子

それともあれですかね。
人通りの少ない場所なら手を出せると、私を挑発しているんですか?

望月蒼真

やめてくださいよ。
そんなの考えたこともない。
僕はあなたのファンです。
誤解しないでください。

前島悠子

『ファン』と名乗れば、なんでも許されるワケじゃないんです。
そんなことより教えてください。
師匠の本名って…………


 望月はそこで右手を持ち上げた。


 前島の額を指さしている。


 何かあったのかと思い、前島の言葉が止まった。


望月蒼真

ここでお会いできたのも何かのえんだ。
前島さんにひとつ、頼み事があるんです。
勇二くんに伝言をお願いできませんでしょうか?



 その言葉を聞き、前島は心底嫌そうに顔を歪めた。


 「指先を額に向ける」という意味深な動作。


 それだけで前島の言葉をさえぎり、自らが発言する機会ターンを盗んだ。


 「黙れ」「話を聞け」といった言葉を使わずに、指先ひとつで前島をコントロールしてみせたのだ。


 さり気ないが、実に効果的な仕草パワーポイント


 前島は戦慄せんりつを覚えた。


 望月は「人を支配するすべを熟知している。


 そのように感じたのだ。



望月蒼真

僕は勇二くんに……。
……いや、正確に言えば、勇二くんたちに危害を加えるつもりはありません。
むしろ僕は、彼らと仲良くなりたいんです。



 その言葉に前島は違和感を覚えた。


 望月は『彼ら』と言った。


 『彼』ではなく、『彼ら』と。


 それはいったい誰のことを示しているのだろう。


望月蒼真

お伝えしたいのは本当にそれだけ。
どうか敵意がないことを理解してほしいんです。
だけど、せっかくだからこれも渡しておこうかな。


 懐に手を伸ばし、薄手の名刺入れとペンを取り出す。


 名刺の裏に何かを走り書きした。


望月蒼真

受け取ってください。
僕の名刺です。
裏にあるのはプライベートの番号。
もし聞きたいことがあれば、いつでも電話してください。
あなたが知りたいことを全てお伝えしますよ。
きっと勇二くんの妹さんに聞くより、効率的に情報を集められるんじゃないかな。

前島悠子

……ッ!



 前島の背中を冷たいものが流れた。


 身体中の血液が凍るような悪寒おかんだ。


 望月は桃香や胡桃と『女子会』を開催していたことを知っている。


 しかも、自分が望月の情報を探ろうとしていたことも掴んでいる。


 これは恐怖以外の何者でもない。


 天野が言っていた「まるで兄のストーカーのような男だと感じた」という言葉が、脳裏を駆け巡っていた。



前島悠子

……は、はぁ?
なんの話ですかね?
意味がわからないんですけど。
でもまぁ、名刺ぐらいは、受け取っておきましょうか……。


 精一杯とぼけながら、望月の名刺を受け取る。


 望月はなぜか優しげに微笑むと、


望月蒼真

だから怯える必要はありません。
僕はあなたの敵ではない。
今のところはね。
でもまぁ、そろそろお別れしましょう。
あまり若い女性を怖がらせるものではないですから。


 キザったらしく微笑み、前島に背を向けた。


 軽く手を振っている。


 このまま立ち去ってくれるのだろうか。


 これだけのために、自分に声をかけたのだろうか。


 そこで前島は重要なことを思い出した。



前島悠子

……ま、待ってください!
まだ聞いてません!
師匠の『本当の名前』って、どういうことなんですか!?



 望月がくるりと振り返った。


 まるでダンスのターンを刻むような軽快な動作。


 涼しげな笑みを浮かべながら言った。



望月蒼真

神埼勇二かんざきゆうじ
それが彼の本名なんですよ。

前島悠子

えっ?
か、かんざき……?
『天野』じゃなくて……?

望月蒼真

そうです。
勇二くんが高校を卒業する頃、彼の両親は離婚したんですよ。
それ以来、勇二くんの家庭は2つに分かれた。

勇一くんと勇二くんは『神埼家』に。
桃香ちゃんと胡桃ちゃんは『天野家』に。
つまり、彼の本当の名字は『天野』ではない。
『神埼』なんですよ。


 前島は瞳をぱちくりさせながら望月を見つめた。


前島悠子

師匠の本当の名字が『神埼』……?
で、でも、師匠は大学で、みんなから『天野』って……。

望月蒼真

勇二くんは父親に反発しているんです。
だからこそあえて母方の姓である『天野』を名乗っている。
もしくは彼はなかなかのシスコンですから、大好きな妹たちと名字が分かれるのが寂しかったのかもしれませんね。

前島悠子

ああ……。
そういうこと、ですか……。

望月蒼真

不思議に思いませんでしたか?
高校時代までに知り合った勇二くんの友人たちは、彼を『天野』とは呼ばなかったはずです。
なぜなら、みんな『天野』なんて名字を知らないのだから。
むしろ『神埼勇二』という名で、彼のことを認識していたはずですよ。



 前島は納得したように頷いた。


 言われてみればに落ちる点が多い。


 天野が実家のことを『天野の家』と、どこか他人行儀に呼ぶ癖も気になっていたのだ。


 天野の古い知人たちも、みんな天野のことを『勇二』と呼んでいた。


(詳しくは『彼を上手に星の王子様にする方法』などを参照)



前島悠子

だけど……。
それが何か?
名字が違うことに、何か意味があったりするんですか……?


 前島が訝しげに尋ねる。


 望月はおどけたように肩をすくめた。


望月蒼真

さぁ?
もし意味があるとすれば、2点だけじゃないかな。

前島悠子

に、2点……?

望月蒼真

ひとつは勇二くんの正しいイニシャルは『Y・A』ではなく、『Y・K』であること。
『A』ではない。
『K』なんですよ。

前島悠子

は、はぁ……。


 前島は小首を傾げた。


 そんなの当たり前ではないか。


 なぜわざわざ強調したのだろう。


 望月はどこか涼しげに微笑むと、


望月蒼真

そしてもうひとつは……。
君が足を止めてくれた。
それだけですよ。


 指先をパチリと鳴らし、前島に背を向けた。


 もう会話は終わったとばかりに、『いちょう通り』をスタスタと歩いていく。



前島悠子

……んん?



 前島が眉根まゆねを寄せながら望月を見つめる。


 どんどん遠ざかっていく望月の背中。


 そこで前島はようやく、望月の意図に気づいた。



前島悠子

ま、まさか……。
そういうことなんですか?

私を逃さないために、足を止めさせるために、私が気になりそうなことを言った……。

それだけなんですか?
つまりは、ただの『ブラフ』だったワケですか……?



 前島の頬が「ヒクヒク」と痙攣している。


 なんてことはない。


 望月は「それっぽいこと」を言って、前島の興味を引いただけなのだ。


 まるで『ナンパ師』が使う安いテクニックのように。


 前島はげんなりと肩を落とすと、



前島悠子

はぁ……。
望月の人間性はよくわかんないけど……。
これだけはわかった。
あれは師匠と馬が合わない。
絶対に合わないだろうなぁ……。



 と呟き、呆れたようにため息を吐いていた。






この作品が気に入ったら「応援!」

応援ありがとう!

757

つばこ

天野くんの『本当の名字』ですが、これは当初からずーーーっと仕込ませていたネタのひとつです。
大したものでもないんですけど、結構仕込むのに苦労したんですよ。。。
是非とも過去エピソードを読み返していただき、「うわ、高校以前に知り合った天野くんのダチはみんな『勇二』って呼んでる!誰も『天野』って呼んでない!」なんて思っていただければ幸いです。
本当はもっといい感じの場面(ミステリーの叙述トリックとか)で使うつもりだったんですが、comicoノベル終わっちゃいますからね……。
こんなことならもっと早く使えばよかったぜ(´∀`*)ウフフ
 
そんなこんなで前島ちゃんは無事に生き延びました!
もう望月は何を考えてんのかさっぱりですね!
とにかくいつも応援やコメント、本当にありがとうございます!(*´ω`*)

この作品が気に入ったら読者になろう!

コメント 22件

  • ぴちKH

    胡桃誘拐事件の【K】がもしかして勇一とか・・・?
    なんてね。
    そんなわけないかぁ。

    通報

  • MeG

    望月の仕草を表現する文章を読んでいて、あれ、これって…天野くんみたいじゃない?って思った
    それに何の意味があるのか、つばこさんが何を仕込んでるのかわからないけど…
    そろそろ涼太くん恋しくなってきたので先読みます。
    でも終わるのつらい

    通報

  • ユタ

    名字ィ……さすがにそれは気づかなかった…

    通報

  • Ron

    イニシャルのKを強調するのがなんでかがわからなかったけど読み返してると胡桃を拉致った犯行グループのリーダーがKだったから強調してるのかな? とにかく続きが気になって仕方がないですよ!

    通報

  • ニル

    わかんなかった…

    通報

関連お知らせ

オトナ限定comicoに移動しますか?
刺激が強い作品が掲載されています。

  • OK