対峙たいじする天野と椎名。



 2人の顔を眺めながら、涼太がぽつりと呟いた。



佐伯涼太

ねぇ勇二。
僕は喉が乾いちゃった。
ただのサイダーでも飲んでくる。

天野勇二

ああ、すまんな。

佐伯涼太

はぁぁ……。
あんな無害そうな女性が真犯人なんて……。
後味悪いなぁ……。


 涼太がため息を吐きながらその場を離れていく。


 椎名はその背中を眺めながら、小さく呟いた。


椎名善晴

嶺井歩美さんのことは、私としても気になっておりました。
しかし、過去に逮捕した時には、ここまでコンピュータには精通している女性ではありませんでしたよ。
まさか彼女がここまで高度な再犯に及んだとは……。
いやはや、人とはわからないものです。

天野勇二

そうか?
あんたの娘も、孤独と時代によって『スーパーハッカー』に成長した。
あの女も似たようなものじゃないのか?


 両腕をポケットに入れ、天野はふてぶてしく椎名を見下した。


天野勇二

まぁ、それはどうでもいい。
俺様は今度こそ、あんたの依頼を達成した。
依頼通りに『真犯人』を突き出してやったんだ。
今度はあんたが俺の依頼……。
……いや、正確には姫子の依頼を受ける番だ。


 姫子の依頼とは、


真犯人を電脳学博士として逮捕して欲しい』


 というものだ。


 IOC幹部のテロ襲撃を中止する条件として、椎名に提示している。


椎名善晴

確かに、ここまでは、そのように動いておりました。


 椎名は黒ぶちのメガネを直しながら、柔らかい笑みを浮かべた。


椎名善晴

ですが……。
その依頼は、ここで反故ほごにさせていただきます。


 天野をじっと見上げる。


椎名善晴

姫子の願いは残念ながら叶うことがないでしょう。
まず『爆弾』の郵送ルート。
この追跡が難航しておりまして、恐らく突き止めることができません。
未解決事件として終わるでしょう。
警察としても、解決できない事件など追いたくはございません。


 天野は無表情のまま、椎名の言葉を聞いている。 


椎名善晴

さらに『銃撃』
こちらの足取りも追えておりません。
現場に残された拳銃を調べたところ、中国から流れてきた可能性が高いのですが、どこの組織が持っていた物なのか不明でございます。
どれだけ指紋しもん痕跡こんせきを調べても、実行犯に辿りつくことは困難。
これも警察としては調べるだけ時間の無駄でしょう。


 椎名はゆっくりと言葉を続ける。


椎名善晴

涼太くんへの『暴行』ですが、彼の姿を見る限り、思ったより軽傷のようですね。
彼が被害届を取り下げ、大事にならないと願えば、誰も本腰を入れて捜査をすることがないでしょう。


 小さな笑みを浮かべて、天野は続きを促した。


天野勇二

『トロイカード』のばら撒きはどうなんだ?
あれは問題じゃないのか?

椎名善晴

困ったことに、カードに入ったトロイプログラム。
PCに差し込んだ程度では起動できないように処理されておりました。
これでは実被害が発生いたしません。
これもCSPが放り出せば、未解決事件として処理されるでしょう。

天野勇二

『毒殺』はどうだ?
前島は毒を飲まされたぞ?

椎名善晴

これは、ただのCSPの推測なのですが……。


 椎名も小さな笑みを浮かべ、意地悪く天野を見上げる。


椎名善晴

そもそも前島さんは軽症です。
そして前島さんも芸能事務所も、この事件を大事にするつもりはないでしょう。

実のところ、『毒殺』の被害届は出されていないのですよ。
おまけに全ての被害届を取り下げ、嘆願書たんがんしょまで出されるのではないかと推測しております。
これはCSPとしては困る事態になるでしょうねぇ。
全ての事件を捜査するのが困難でございます。


 天野は楽しそうに手を叩いた。


 それが天野の望んでいたシナリオだ。


天野勇二

上出来だ。
それでいいんだ。
俺としても被害届を出すつもりはない。
殺人未遂さつじんみすいなんか消してやってくれ。

椎名善晴

天野くんがそう言うのであれば、歩美さんに殺意はなかったのでしょう。
そのように処理いたします。

しかし……。
刃物を持ち出すとは、彼女も愚かなことをされました。
天野くんとしては、幸いだったのかもしれませんが。

天野勇二

幸いなんかではない。
あの女、まさか刃物を持ってきやがるとは……。


 天野は呆れたように息を吐いた。


 拳銃を持った相手を制するには、刃物ほどの凶器が必要と考えたのだろう。


 それだけ歩美も必死だった。


 そこまで追い込んでしまったことを、天野は少し悔やんでいた。


天野勇二

まぁ、済んだことは仕方ない。
あとは警察に任せるよ。
あの女から、どうやって決定的証拠自供を引きずり出すのか。
検察と作戦を練るんだな。

椎名善晴

ええ、ここからが本番となります。
しかし先ほどお伝えした通り、『電脳学博士』として立件することは難しいでしょう。

天野勇二

『電脳学博士』の正体は、未だに闇の中というワケか。
おまけにほとんどの罪が消え、未解決事件となる可能性が高い。
正体を知っているのは、あんたと高尾だけ。
さて、最終的にはどうするんだ?

椎名善晴

私が取るべき行動は決まっております。


 そう言うと、椎名は真摯しんしな眼差しで天野を見つめた。


椎名善晴

この私のキャリアをかけて……。
黙認、そして、揉み消しましょう。


 その姿を見て、天野は思わず吹き出してしまった。


 姫子は自分の発言を信じてもらう時に、前髪をかき分けて瞳を見せる癖がある。


 この父親もそっくりだ。


天野勇二

クックックッ……。
やはり、よく似ている。
血筋は争えないな。


 天野は大きく伸びをした。


 欠伸を噛み殺しながら到着ロビーを眺める。


 もうIOCの幹部たちは、成田空港を後にしたのだろう。


 マスコミや野次馬の姿が消え去り、到着ロビーは平穏に満ちている。


天野勇二

その言葉を信じてやろう。
どうせ嘆願書がいくつも出され、被害届も取り下げられれば、被害者の存在しない『電脳学博士』の罪は小さくなる。
そして『真犯人』が逮捕された以上、『電脳学博士』がこの世に現れることもないだろう。
検挙率を求める警察としても、追いかけたくはないだろうな。

椎名善晴

ええ、捜査本部も閉じることになるでしょう。
私も全ての事件が忘れ去られるように動きますよ。

天野勇二

今のあんたの瞳であれば信用できる。
キャリアを投げ捨てる覚悟に満ちた瞳だ。
桜田門で再会した時とは別人のようだぜ。
証拠品のひとつやふたつ、上手く揉み消してくれそうだ。
やはり娘から説教させたのが正解だったな。

椎名善晴

やはり、あれも天野くんの差し金でしたか。

天野勇二

いや、姫子が志願したんだ。
まぁ、俺もそのようにさせるつもりだった。
姫子の動機を認識させるには、それが最適解だろうと考えたよ。

椎名善晴

あの制裁は心底こたえました。
あれほどの恐怖に包まれたのは、恐らく人生で二度目だったかと思われます。

天野勇二

ほう?
一度目はなんだ?
気になるな。


 椎名は少し迷っていたが、静かに口を開いた。


椎名善晴

天野くんにも一度お伝えしましたが……。
私は人生で一度、激しく怒りを覚えたことがございます。
それはこの、私自身に対してなのです。


 数年前の話だ。


 まだ姫子が14歳の頃だった。


椎名善晴

あの子が右目に怪我を負い、視力を失うことになったのは……。
私の過ちによるものだったのです。


 椎名は目を細め、かつての情けない自分の姿を思い出していた。


椎名善晴

当時の私は、仕事ばかりに追われ、妻との関係は冷め切っておりました。
毎日のように言い争いを繰り返しておりましたよ。
今思えば、私は妻が願うように、夫としての自分を変えることができなかったのです。
本当に情けない男でした。
しかもある日、苛立いらだちのあまり、思わず目の前にあった茶碗を投げてしまったのです。


 妻との言い争いが嫌になり、椎名は思わず茶碗を投げつけた。


 それは壁に向けて投げたつもりだった。


 茶碗が壁に当たる音を聞き、もう何もかもが駄目だ、全てがうまくいかない、そんな失望感が椎名の中に広がっていた。


 そして小さな娘の悲鳴が上がり、それが決定打になった。


椎名善晴

茶碗の破片が跳ね返り、言い争いを覗いていた、姫子の右目に突き刺さったのです。
あの時の苦しそうな姫子の姿。
失望と怒りに燃えた妻の視線。
自分が仕出かした愚かな過ち。
姫子の右目の視力が消失し、私は自分自身をこれ以上ないほど責めたものです。

天野勇二

それで離婚か……。
当然だろうな。
親権が母親に移ったのも当たり前の話だ。

椎名善晴

その通りです。
こんな愚かな父のもとで育てるべきではありません。

ずっと、私は自分への怒りと失望感がございました。
もし、人が人である故に過ちを犯したとしても、この過ちだけは一生許されることがないだろうと、そう思っておりました。


 椎名はそっと天野を見上げた。


椎名善晴

あの子はどんどん口数の少ない娘になり、いつも孤独のまま……。
全て、私の愚かな過ちのためです。
ずっと姫子には嫌われている、心の底では憎まれている、それが当然だと、そんな罪悪感がいつまでも心に残っておりました。


 その罪悪感を、天野は知らない内に、椎名の中から少し消していた。


椎名善晴

それが姫子は……。
本当に姫子は、私が思っていた以上の、優しく、立派な女性に育っておりました……。

私のことを憎んでいない……。
その言葉にどれだけ救われたことでしょう。
私はずっと、過ちから許されることも、娘と向き合うことも、全てから逃げていた、最低の父親だったのに……。
あれほど嬉しいことは、本当に初めてでございました。


 そっと右手を天野に差し出す。


椎名善晴

天野くん、君のおかげです。
君がいなければ、娘のことを理解できず、過ちから逃げ続け、この生涯を終えたことでしょう。

私は何があろうとも、君の味方になります。
それで組織を追われ、懲戒免職になろうが、そんなものは何も惜しくございません。
あの姫子の言葉以上に、私にとって価値のあるものはないのです。


 天野は小さく唇を歪めた。


 軽い笑みを浮かべたまま頷き、力強く椎名の右手を握った。


天野勇二

そうだ。
その言葉が聞きたかった。
やはり父親とは、そうあってほしいものだ。


 天才クソ野郎とCSPの切れ者は、力強く手を握り合い、今度こそ同じ方向を目指していた。


 それは『電脳学博士』による、完全なる事件の終息を示していた。





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つばこ

あれだけ「電脳学博士」として暴れ回ったのに、完全犯罪として逃げ切りましたね!
しかも、ただでさえ逮捕困難なのに、CSPの警視を抱き込むという離れ業も決めてます!
恐ろしい子ですよ天野くんは!
 
そんなこんなで「トロイ編」も次回の後日談でラスト!
クライマックスには出番のなかった姫ちゃんですが、とびきりカワイイ挿絵を用意してます!
ご期待ください!
 
ではでは、いつも応援やコメント、本当にありがとうございます!ヾ(*´∀`*)ノ

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コメント 19件

  • LAMP

    「「完  全  犯  罪」」

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  • ユタ

    これこそ、天才クソ野郎の天野様ですわ!!
    事件解決だけでなく、父子の問題も解決なんて、「この俺にかかれば全て上手くいく」は伊達じゃないね。

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  • mugi

    面白かった

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  • 種市

    やるねぇさすが天野くん

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  • ちょぱ

    姫ちゃんなかなか悲しいエピソード…親も後悔しかないよね

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