都内にある私立大学。



 学生食堂の2階テラス席。



 ここは『天才クソ野郎』こと、天野勇二の特等席だ。



 その日、天野は1人の訪問者の話を聴きながら、呆れたように笑っていた。



天野勇二

あっはっはっ。
なんだそりゃ。
藤原ふじわら『感謝』の言葉を告げただと?
お前は変わっているな。
そんなこと言う必要もないのによ。



 天野の前には二宮の姿。


 照れ臭そうに頭をかいている。


二宮翔太

それ、樹さんにも言われました。
「感謝する前に殴れ」とも言われましたよ。

天野勇二

当然だろうな。
樹は藤原に言い寄られ、心底迷惑していたからなぁ。

二宮翔太

ああ……。
『セクハラ』のことですね。

天野勇二

そうだ。
まぁ、それがお前なりの『ケジメ』だというならば、良い行動だったと思うぜ。
拳を叩き込めなかったのは残念だが、藤原の自尊心はバキバキにへし折られたことだろう。

二宮翔太

そうですかねぇ……。
僕としては、そんなつもりじゃなかったんですけど……。


 二宮が苦笑しながら『包み』を差し出す。


 今日はこれを天野に手渡すために、テラスへやって来たのだ。


二宮翔太

3個しかないんですけど、良かったら召し上がってください。
天野さんの大好きな越智おちさんのみかんですよ。


 天野の瞳がギラリときらめく。


 舌舐めずりをしながら『みかん』を見つめた。


天野勇二

クックックッ……。
わざわざすまないな。
大学まで配達してもらうとは。

二宮翔太

いいんですよ。
ちょっと近くに用事がありましたから。
それに樹熟きじゅくらしいんです。
すぐに腐ってしまうので、早めにお渡ししたかったんですよ。


 二宮が持ってきたのは『越智柑橘農園』甘平かんぺいだ。


 一般には流通していない超希少みかん。


 農家が二宮のために送ってくれたので、お裾分すそわけをしているのだ。


 二宮は苦笑しながら言った。


二宮翔太

だけど、山下やましたから天野さんの話を聞いた時は驚きましたよ。
大学じゃ有名人らしいじゃないですか。
アイドルの前島悠子まえしまゆうこさんとの噂があったり、殺人事件を解決したこともあったとか……。

天野勇二

ああ、そのことか。
どれもくだらない噂だよ。

二宮翔太

本当ですか?
山下は

「あの人を忘れるとかありえないって…!」

なんて言って、結構落ち込んでたんですけど。

天野勇二

フフッ……。
きっと誰かと勘違いしているのだろう。
俺はただの医学生だよ。


 天野は気障キザったらしく微笑みながら『甘平』を手にとった。


 太陽にかざしながら、果実の輝きを眺めている。


 まるで見惚みとれているかのような表情だ。


二宮翔太

(本当に天野さんはみかんが好きなんだな。この顔がメディアに出れば、間違いなく人気者になるんだけど……)


 そんなことを考えていると。


 誰かがテラスの階段を勢いよく駆け上がって来た。


 長身の男がテラスに現れる。



佐伯涼太

やっほー!
勇二、久しぶり!


……って、あれれ?
お客さん?
うちの大学のパイセンかな?



 派手な茶髪の男性だ。


 全身がチャラチャラしている。


 二宮はその顔に見覚えがあった。


二宮翔太

あっ……!
あなたは確か、病院に来てくれた人ですよね!?

佐伯涼太

ふぇっ?
病院……?

……ああ、あれか!


 涼太が「ぽん」と両手を叩く。


佐伯涼太

入院してたパイセンだ!
話は聞いてますよ!
勇二が出てる『ふるのう』の記事も読みました!
ディレクターなんですよね!?


 揉み手をこすりながら近づく。


 ヘラヘラとこびを売るような笑みを浮かべている。


佐伯涼太

いやぁ、退院おめでとうございます。
あのぉ、僕ってばもうすぐ就活しゅうかつを始めたりするんですけどぉ。
パイセンから『人事』に紹介していただく……みたいなコネってありませんかぁ?

二宮翔太

えっ?
OB訪問とか、インターンのことですか?

佐伯涼太

そうそう!
そんなヤツ!
『ふるのう』の母体って『株式会社ファイバーエージェンシー』なんですよね!?
超一流企業じゃないですか!
僕ちゃん就職したいなぁ。
パイセンの会社に就職したいなぁ。

二宮翔太

うーん……。
どうですかね……。
僕は新卒なんで、人事に紹介するほどのコネを持ってないんですよ。

佐伯涼太

そこをなんとか!
パイセンは優秀って聞いてますし!
どうかお願いします!


 困惑する二宮を尻目に、天野は早速『甘平』を頬張っていた。


 満足気に舌鼓したつづみを打っている。


天野勇二

ほう……。
『甘平』も美味だな。
濃厚だが爽やかな甘味とほのかな酸味のマリアージュ。
べにまどんな』より好みかもしれん。
まったく『越智』のみかんはレベルが違うな。

佐伯涼太

ねぇ、勇二からもパイセンにお願いしてよぉ。
僕ちゃんはフツーに一流企業に就職したいんだよぉ。
みかんなんか食べてないでさぁ。

天野勇二

うるさい。
少し黙ってろ。
これは『越智』のみかんだぞ。
ほとんどが宮内庁御用達くないちょうごようたし
一般人は買うこともできんのだ。


 涼太は驚いてみかんを見つめた。


佐伯涼太

マジで?
そんなに貴重なみかんなの?

天野勇二

そうさ。
俺があらゆる手段を使っても入手できなかった。
それほどの品だよ。
これを『ふるのう』で取り扱うと聞いた時は耳を疑ったな。

佐伯涼太

ふーん。
そりゃゴイスーだね。

天野勇二

まったく藤原も見る目がなかったよ。
この貴重さを理解せず、あっさり二宮を企画から外しやがって。
『越智』との取引が消えたと告げても、アイツは動こうとしなかったからな。


 今度は二宮が驚いて天野を見つめた。


二宮翔太

越智さんとの取引が消えた?
そ、それって、どういうことですか?

天野勇二

なんだ?
聞いてないのか?
『越智』はな、

「お前が担当じゃないなら『ふるのう』にみかんを提供したくない」

と、ゴネたんだよ。

二宮翔太

ええっ!?
越智さんが!?
ほ、本当ですか!?


 二宮が仰天ぎょうてんして尋ねる。


 そんな話は聞いてない。


 天野は肩をすくめながら言った。


天野勇二

まぁ、それも当然の行動さ。
『越智』のみかんは超希少なんだ。
それでもお前の顔を立てるために『ふるのう』と契約した。
お前がいないのであれば、契約を継続させる理由はないだろう?

二宮翔太

確かに、そうですけど……。

天野勇二

ところが藤原は何も手を打たなかった。
アイツは『越智柑橘農園』というブランドの価値を理解していなかったのさ。
別に契約破棄になったところで、『ふるのう』の痛手にはならないと考えていたんだ。


 涼太がため息を吐きながら口を挟む。


佐伯涼太

それが勇二にとっては大問題だったのね。
どうせその『みかん』を食べるために、『ふるのう』からのオファーを受けたんでしょ?

天野勇二

その通りだ。
俺様はどうしても『越智』のみかんが食べたかった。
二宮を復帰させる以外にみかんを食べる方法はない。
まったく苦労したものだよ。



 二宮は呆然としながら天野を見つめた。


 心の中で「まさか…」と呟く。


 いや、まさか。


 まさか、そういうことなのだろうか。



二宮翔太

あ、あの……。
まさかとは思うんですけど……。

天野さんが僕を『ふるのう』に復帰させたのは……。
いや、そもそも僕のお見舞いに来てくれたり、色々とアドバイスして励ましてくれたのは……。



 もう半笑いになりながら尋ねた。



二宮翔太

『越智さんのみかんを食べるため』だったんですか……?

……いや、まさか。
まさかなぁ……。
そ、そんなことないですよねぇ……?



 震えながら尋ねる。


 二宮としては半分冗談のつもりだった。


 しかし、天野は、



天野勇二

ああ、そうだ。
みかんを食べるためさ。



 あっさりと頷いてしまった。



天野勇二

むしろ……。
それ以外に何かあるのか?



 そんなことまで言い出した。


 二宮は愕然がくぜんとしながら天野を見つめた。


 思わず立ち上がる。


 震えながら叫んだ。



二宮翔太

み、みかんのため!?
本当にみかんのため、だったんですか!?
そんなことのために、うちの社長を動かしたりしたんですか!?



 天野は舌打ちしながら口を開いた。



天野勇二

『そんなこと』だと?
バカなことを言うな。
『越智柑橘農園』のみかんだぞ?
金を出せば買えるような代物じゃないんだ。
社長を操って手に入るなら安いものだよ。



 二宮は顔を歪めながら天野を見つめた。


 もう身体の震えが止まらない。


 確かに『越智柑橘農園』のみかんは希少だ。


 希少だけれども。



二宮翔太

いや、そうかもしれませんけど……!
いくらなんでも、普通あそこまでしますか!?
藤原さんを異動させるなんて……!
僕のことだって、すごく励ましてくれたじゃないですか!?



 テラスに二宮の絶叫がこだまする。


 涼太は「あちゃぁ…」と顔を覆い。


 天野は小首を傾げながら二宮を見上げている。


 二宮は頭をかきむしりながら、なおも叫んだ。



二宮翔太

僕はすごく嬉しかったんですよ!?
天野さんが励ましてくれて、色々アドバイスをしてくれたから、仕事にも復帰できたんです!
僕のことを認めてくれてるって、ずっとそう思ってたのに!



 天野は呆れたように手を叩いた。


 爽やかに微笑み、困惑する二宮に語りかける。



天野勇二

二宮よ。
何を叫んでいるんだ。
だから言ったじゃないか。

俺はお前を高く評価している。
お前なら『きっとすべてうまくいく』と。


『越智』のみかんを入手できるヤツなんて、お前以外に存在しないんだぜ。
本当にお前と出会えて良かった。
感謝しているよ。

二宮翔太

え、え、えぇぇ……。



 二宮はがっくりと椅子に座り込んだ。


 もう『ぐうの音』も出ない。


 この人はどこまでも規格外の『みかんの王子様』だ。


 本当にみかんのことしか考えていなかったんだ。


 落ち込む二宮に涼太がささやいた。



佐伯涼太

あのねパイセン……。
このクソ野郎は、こういう男なんですよ。
みかんのことになるとフツーじゃないの。
たぶんパイセンから見たら、すっごく『いい人』に見えたと思いますけど……。


 苦笑しながら首を横に振る。


佐伯涼太

それを信じちゃダメですよ。
このクソ野郎はね、基本的に『悪魔』だと思ってたほうがいいですから。



 二宮は納得したように頷いた。


 自分が『ふるのう』から異動してしまうと、超希少なみかんが食べられない。


 だから天野は二宮を復帰させるために奔放ほんぽうしたのだ。


 『みかん』のために。


 ただ、それだけのために。


 それで邪魔な藤原を追放するよう、社長はもちろんのこと、樹と山下まで動かしたのだ。



二宮翔太

……はっ! そうだ!
樹さん……!
それじゃ、樹さんにも僕を復帰させるよう、交渉したりしたんですか!?

天野勇二

ああ、樹は容易たやすくコントロールできたよ。
『医者』『医学生』との『合コン』を持ちかけてやったのさ。
それで一撃だったな。


 天野は「クックックッ…」と悪い笑みを浮かべた。


天野勇二

俺は医者なんかにロクな男はいないと忠告したんだが、アイツはどうも『玉の輿』が大好物のようでなぁ。
先週はうちの大学のOBと……

……おっと、これは言うべきではなかったな。
聞かなかったことにしてくれ。



 二宮の脳内で、様々なことが一本の線でつながった。


 若干不自然だった樹の態度。


 いつか山下が口走った『医者との合コン』


 しかも最近の樹は金曜の夜になると、やけにめかし込むのだ。


 どこかの『桜を見る会』にでも参加するのだろうか、と思うぐらい着飾きかざるのだ。



二宮翔太

あ、あ、あはは……。
そ、そういうことだったんですかぁ……。



 二宮は呆れたように笑った。


 もう笑うしかない。


 おかしくてしょうがない。



二宮翔太

そっかぁ……。
みかんのため、だったんだ。
また『視点』が変わりましたよ……。



 笑いを飲み込み、深くため息を吐く。


 肩を落としながら『みかん』を頬張る天野を眺めた。


 なんて変わった人なのだろう。


 みかんのために、そこまでするなんて。


 この人を常識に当てはめてはいけない。


 むしろなぜ、常識なんかに当てはめていたのだろう。


 そんなことを考えていると、二宮のスマホが鳴った。


 会社からの着信だ。



二宮翔太

……はい、二宮です。

樹莉乃

二宮ニノ
樹だけど。
まだ会社に戻らないかな?
ちょっと緊急で相談したいことがあるんだよね。

二宮翔太

あっ、すみません。
30分ほどで戻れます。

樹莉乃

わかった。
気をつけて帰っておいで。


 電話を切り、天野たちに頭を下げる。


二宮翔太

すみません。
僕は会社に戻りますね。

えっと、その……。
色々と、ありがとうございました……。

佐伯涼太

もう行っちゃうんですかぁ?
やっぱり一流企業は忙しいですね。

天野勇二

達者でな。
また『越智』のみかんが手に入ったら教えてくれ。

二宮翔太

は、はい……。



 小走りでテラスを駆け下り、キャンパスを抜けて大学を出る。


 タクシーを捕まえて渋谷しぶやへ。


 車内で先ほどの天野の言葉を思い出し、二宮は小さく微笑んだ。


 みかんのために、あそこまでするとは。


 本当に規格外の『王子様』だ。



二宮翔太

(だけど……。そんな事情があっても、感謝の気持ちは変わらないな)



 二宮は小さく微笑んだ。


 自分のためにしてくれた行動ではなかった。


 大好きな『みかん』のためだった。


 それが不思議とさっぱりした清々すがすがしいものに感じる。


 まるで甘いみかんの中にある、わずかな酸味のように。



二宮翔太

どんな事情があっても、僕は天野さんのおかげで変わることができた……。
最後に『もうひとつの視点』まで教えてくれるなんて、むしろあの人らしいじゃないか。



 そんな呟きを乗せながらタクシーが渋谷に到着。


 渋谷東口の陸橋りっきょうを歩きながら、ここ1ヶ月のことを振り返る。


 激動の1ヶ月だった。


 ここで天野さんと缶コーヒーを飲んだこと。


 藤原さんに自分の気持ちを叩きつけたこと。


 それで心に残っていた『わだかまり』を捨てたこと。


 なんだか遠い昔のことのような気がする。


 二宮は空を見上げた。







二宮翔太

ああ……。
青空だ……。
ここが東京でも、空は青いんだよな。



 いつも空の色は変わらない。


 ここが渋谷でも。


 愛媛えひめ故郷ふるさとでも。


 どんなに苦しい状況だったとしても。


 それを乗り越えた後でも。


 当たり前のように空は青いんだ。



二宮翔太

これから何が起きても……。
きっと、すべてうまくいく。
僕はたくさんの視点で、世界を見ていけるんだ。



 二宮は爽やかに微笑んだ。


 心に広がる晴れ晴れとした青を感じながら。


 挫折ざせつや、憎しみや、葛藤かっとうを乗り越えて。


 きっと自分はどこまでも歩いていけるだろうと、二宮は思った。








(おしまい)




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つばこ

ご愛読いただきありがとうございました。
何かひとつでも心に残るものがあれば幸いです。
 
二宮視点の物語はここまで。
普段とはちょっと違った雰囲気のエピソードになりましたが、これはこれで楽しんでいただけたら幸いです。
いったい樹は誰と合コンしたんですかねぇ(´∀`*)ウフフ
 
 
さてさて、皆さまは『彼女を上手に名探偵にする方法』を覚えておりますでしょうか。
次回はあのエピソードに登場した「美人探偵コトちゃん」からの依頼が舞い込みます。
彼女の依頼により、今まで明かされていなかったひとつの衝撃的事実が明かされることになります。
これは連載当初からずっと忍ばせていた伏線のひとつ。
驚きながら読んでいただけたら嬉しいです。
 
それでは次週土曜日、
『彼女が上手にお散歩する方法』
にてお会いしましょう。
 
つばこでした!ヾ(*´∀`*)ノ

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コメント 33件

  • ぷよぷよ

    星の王子様編と並んで、この話が個人的に好きな回のツートップ

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  • みやこ

    何だろう、作者さんのサラリーマンだったときの想いがこもってるからかな?いつもとまた違ったとても良いエピソードだった。心に染みた!

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  • 神谷蒼空

    なんかぐっときた…。
    頑張ろ…

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  • 一紋次

    今回の話は自分の心にも何が刺さる様な話でした。
    もっと早くこの話を見てたらもっと前向きになれたのかなって感じました!
    天才クソ野郎を世に放ってくれて本当にありがとうございます!

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  • はの

    てっきり、缶コーヒーのおごりが変形依頼的な扱いされてるのかと思ってた。

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