天野勇二

実に残念だ。
さすがに食べるべきじゃない。
全て捨てたほうがいいだろう。




 天野は落胆したように言った。


 こごえるほどの冷たい声。


 何かに失望したような。


 激しい怒りを抑え込んでいるような。


 複雑な感情がにじみ出ている。



藤原雄大

お、おい……。
どうした?
本当に食べられないのか?



 藤原も動揺を隠しきれない。


 樹は細かく『みかん』をチェックし、諦めたように言った。



樹莉乃

……無理ですね。
これは使えません。
撮影もできませんし、食べていただくのもちょっと……。



 藤原は青ざめながらみかんを見つめた。


 ほとんどの個体にカビが生えている。


 まだ表面が綺麗なみかんも存在するが、『みかんの王子様』に献上すべきではないだろう。



二宮翔太

そんな……。
届いた時は、ちゃんとしてたのに……。



 二宮の頭は真っ白だ。


 これは致命的なミスだ。


 天野になんと言って詫びればいいのか。


 何も言葉が浮かんで来ない。



天野勇二

……どれ、もう一度見せてくれ。


 天野が再びダンボールを覗き込んだ。


 包装やダンボールの外観などを調べる。


 『みかん』もひとつひとつ手に取り、皮の状態を確かめる。


 苦笑しながら言った。


天野勇二

まぁ、無理すれば食べられないこともないか……。
『西之香』は全滅だが、『愛媛Queenスプラッシュ』はいけるだろう。

せっかく仕入れてくれた高級みかんだ。
捨てるのはもったいないな。
これで実食会を始めよう。

藤原雄大

い、いや……!
そんな訳にはいきません!


 藤原が慌てて頭を下げた。


藤原雄大

誠に申し訳ございません!
私たちの管理不足です。
本日の交通費などは報酬に上乗せしますので、実食会は別日に改めさせていただけませんでしょうか……!?


 低姿勢で謝罪。


 土下座せんばかりの勢いだ。


天野勇二

別にこれでも構わないぜ。
『みかん』のカビは『青カビ』がほとんど。
食べてもそれほどの害はない。

藤原雄大

い、いえ、とんでもないです!
こんなものを天野さんに提供することはできません……!


 振り絞るように謝罪の言葉を吐き出す。


藤原雄大

これは私共の失態です。
私自身も『みかん』の管理を怠り、二宮に正しい管理方法を指示できておりませんでした。
心よりお詫び申し上げます。


 樹と山下、一呼吸遅れて二宮も頭を下げた。


 藤原が頭を下げながら二宮を睨みつける。


 殺すような視線だ。


 二宮は慌てて口を開いた。


二宮翔太

す、すみません……。
せっかく、天野さんにお越しいただいたのに……。
なんとお詫びすればいいのか……。
本当に申し訳ございませんでした……!


 身体を震わせながら言葉を続ける。


二宮翔太

すぐに新しい『みかん』を発注します!
天野さんの予定に合わせますので、もう一度、実食会をさせてください……!
どうかお願いします……!

樹莉乃

私からもお願いします。
またご足労いただくのではなく、天野さんのご都合の良い場所まで出向きます。
どうかもう一度、よろしくお願いします……!


 樹も二宮をフォローするように頭を下げる。


 天野は頭をかきながら言った。


天野勇二

いや、別にそこまで責任を感じる必要はない。
そもそも『みかん』とは傷みやすい果実なんだ。
また機会を設けてくれるならそれで構わないさ。
頭を上げてくれ。


 二宮は恐る恐る頭を上げた。


 天野は爽やかに微笑んでいる。


天野勇二

二宮よ。
あまり気にするな。
お前ほどの『みかん好き』が見逃したんだ。
きっとごく僅かな傷が入っており、そこからカビが広がったのだろう。
うっかり『みかん』を腐らせるなんて、俺だって経験したことがあるものさ。

二宮翔太

は、はい……。
ありがとうございます……。
本当に、申し訳ございませんでした……。

天野勇二

2週間後なら時間が作れる。
次の実食会の予定を決めようじゃないか。


 手帳を取り出し、軽やかに告げている。


 それを見て藤原は胸を撫で下ろした。


藤原雄大

お心遣い、感謝いたします。
全ての責任は私にあります。
今回の企画は新人の二宮に任せており、私の管理が行き届いておりませんでした。
むしろ彼に任せるのは、まだ早かったのかもしれません……。
重ね重ね、お詫び申し上げます。



 二宮は唇を噛み締めながらその言葉を聞いた。


 『責任は自分にある』と言いながらも、これでは『全て二宮が悪い』と告げているようなものだ。


 何もそんなことを言わなくてもいいのに。



二宮翔太

(……いや、でも藤原さんの言う通りだ。こんな失態、ありえない。僕は絶対にしてはいけないミスをしたんだ……)



 二宮の膝が震えている。


 この後、藤原からどんな叱責しっせきを受けるのか。


 また激しく怒られるだろう。


 恐怖が二宮の全身を支配している。



樹莉乃

……二宮ニノ
しっかりして。


 樹が小声でささやいた。


樹莉乃

実食会の予定を決めなさい。
もうあんたは子供じゃないの。
今は『ふるのう』の代表として胸を張りなさい。

二宮翔太

は、はい……!


 二宮は慌てて手帳を取り出した。


 必死に恐怖を振り払い、天野とスケジュールの打ち合わせに入る。


 その様子を藤原は険しい表情で睨みつけていた。





 その日の打ち合わせはそこで終了。


 ロビーで天野を見送り、『みかん』の入ったダンボールを会議室からオフィスに戻す。


 その間、二宮は一言も発することができなかった。



山下佐介

な、なぁ二宮ニノ……。
その、なんていうか……。


 山下がおずおずと声をかけた。


山下佐介

……ご、ごめんな。
俺も『みかん』のチェックを手伝えば良かった……。
気が回らなかったよ……。

二宮翔太

……ううん。
山下が謝ることじゃない。
僕が悪いんだ。



 静かに呟き、ダンボールの中の『みかん』を眺める。


 自分のせいでダメにしてしまった。


 農家が懸命に育てた果実なのに。


 収穫するまでどれだけの苦労を重ねるのか、自分はよく理解していたはずなのに。



藤原雄大

おい二宮……!
こっち来い!



 藤原の怒号が響いた。



藤原雄大

本当によぉ……!
お前はなんであんなくだらないミスができんだよ!?
俺に恥をかかせやがって!



 オフィスの空気が一気に張り詰める。


 二宮は青ざめながら藤原のデスクに向かった。


 震えながら頭を下げる。



二宮翔太

すみませんでした……!
藤原さんにご迷惑をおかけし、本当に、申し訳ございません……!

藤原雄大

ああ、迷惑だよ!
お前はどんだけ使えねぇんだ!?
なんでちゃんと『みかん』をチェックしなかったんだよ!?

あれは会社の金で購入したんだぞ!
無駄金使わせるんじゃねぇ!
これがどれだけの損失になるのか、理解してんだろうな!?



 まぶたを閉じて叱責しっせきを受け止める。


 完全に自分のミスだった。


 『みかん』がオフィスに届いたのは数日前のこと。


 到着した時に中身を確かめ、ちゃんと希望の品種が届いているのか調べている。


 しかし、ひとつひとつの個体を細かくチェックした覚えがない。


 恐らくどこかに『腐ったみかん』が紛れ込んでいたのだ。



二宮翔太

(『みかん』は傷みやすいって……。ひとつにカビが生えたら、すぐ他にも伝染するって……。そんなこと常識なのに……!)



 愛媛育ちであり、『みかん好き』でもある二宮は、『みかん』の取り扱い方を熟知している。


 全ての個体を調べ、傷が入っていないか。


 カビが発生していないか。


 細かく調べる必要があった。


 それを怠った理由は明白。


 多忙のあまり、確認がおざなりになっていたのだ。



二宮翔太

すみません……!
本当に、すみませんでした……!
自分がちゃんと、みかんの確認をしてませんでした……!
藤原さんにご迷惑をおかけし、本当にすみません……!



 青ざめながら謝罪の言葉を吐き出す。


 もう「すみません」としか言葉が出てこない。


 藤原は呆れたように言い放った。



藤原雄大

もうお前の謝罪は聞き飽きたんだよ!
何度も何度もくだらねぇミスをしやがって……!
頭下げる俺の身にもなれよ!

自分の甘い仕事でチームが迷惑するってわからねぇのか!?
それがわからねぇなら会社を辞めちまえ!
お前みたいな『やる気のないヤツ』と仕事なんかしたくねぇんだよ!



 怒号どごうが豪雨のように降り注ぐ。


 二宮は拳を握りながらそれを受け止めた。


 きっと周囲の社員たちも呆れているだろう。


 なんて使えない新人だと、嘲笑ちょうしょうしているのだろう。



藤原雄大

まだ俺とか社内の人間に迷惑かけるんだったらいいんだよ。
だけどな、外部の人間に迷惑をかけるな。
あんなミスしてたら誰も仕事してくれなくなるぞ。

お前のミスは俺のミスであり、うちの会社の失態になるんだ。
お前は俺と会社の顔に泥を塗りたいのか?
違うよなぁ?
違うのはバカなお前でもわかってんだよな!?
どうなんだ答えろよ!



 怒号が二宮の脳を揺らしている。


 平衡へいこう感覚がおぼろげだ。


 自分が真っ直ぐ立っているのか。


 それさえ定かではない。


 懸命に言葉を吐き出した。



二宮翔太

は、はい……。
わかってます……。
自分の行動が、会社に迷惑をかけるって、わかってます……!

藤原雄大

だったらちゃんとやれよ!

いつまで学生気分だ!?
もう『ごめんなさい』で済まされる年齢じゃねぇんだよ!

あれが『王子様』だから許してもらったけどな、どこかの社長だったらもう取り引き終わってんぞ!?
そしたらお前『クビ』だからな!



 解雇クビという言葉が二宮を殴りつける。


 最近の二宮が最も恐れている言葉だ。


 藤原は吐き捨てるように言った。



藤原雄大

お前みたいな新卒の『正社員』なんて、あっさりクビになるんだぞ!?
それがイヤならマジメに仕事するか、その辺の窓から勝手に飛び降りろ!
使えないゴミに金を出すなら死んでもらった方がマシだ!
うちは一流企業だけどな、ゴミを雇う余裕はねぇんだよ!



 叱責が稲妻のように二宮の身体を貫いた。


 『使えないゴミ』


 『死んでもらった方がマシ』


 自らの存在を全否定する言葉。


 身体の震えが止まらない。


 二宮の瞳に涙がにじんだ。



二宮翔太

(くそっ……。泣くな。こんなことで泣いてたまるか)



 深く頭を下げたまま、袖口で目元を拭う。



二宮翔太

(だけど、本当にその通りだ……。僕は何の役にも立ってない。ゴミそのものだ……)



 自分ほど怒られている同期なんて聞いたことがない。


 それだけ使えない人間なのだろう。


 会社が『死んだほうがマシ』と考えるのも当然だ。




樹莉乃

……藤原さぁん。
ごめんなさい。
ちょっとだけいいですかぁ?


 突然、樹が割り込んだ。


藤原雄大

……ああん?
なんだ?
今はちょっと手が離せないぞ。

樹莉乃

それはもちろんわかってますよぉ。
でもでも、藤原さんにチェックしてほしいタスクがいっぱいあるんです。
この『使えないポンコツ』にはあとで厳しく言っておきますので、私のことも構ってくれませんかぁ?
藤原さんがいないと心細いんですよぉ。


 甘えるように藤原の腕を引っ張る。


 藤原は舌打ちしながら言った。


藤原雄大

しょうがねぇなぁ……。
別に俺がいなくても大丈夫じゃないのか?

樹莉乃

そんなことないですよ。
藤原さんがいないと仕事回りませんって。
ていうかぁ、藤原さんだけがいればそれで十分みたいな?
ちょっとこれ見てください。
夏野菜の商品ページなんですけど。

藤原雄大

ったく……。
俺には手のかかる部下しかいねぇのかよ……。



 樹が藤原を自らのデスクに連れて行く。


 頭を下げている二宮は放置。


 誰も声をかけようとしない。


 二宮はゆっくり天井を見上げた。



二宮翔太

(あぁ……。もうダメだ……。これは本当にクビだ……)



 込み上がってくる涙をこらえる。


 全身を駆け巡る絶望感。


 せっかく憧れの一流企業に就職できたのに。


 もっと頑張らなければいけないのに。


 もっと、もっと。



山下佐介

……なぁ、二宮ニノ……。
大丈夫か……?



 山下が恐る恐る声をかけた。


山下佐介

なんていうか、その、大丈夫だろ……?
天野さんは許してくれたし……。
藤原さんも頭に血が上ってるだけだと思うからさ……。


 目元を拭いながら山下を見る。


 不安げな表情だ。


 心から二宮のことを心配しているのだろう。


二宮翔太

……うん。
そうだね。

だけど、もうダメだ。
これクビだよ。
僕はそれだけのことをやらかしたんだ。

山下佐介

クビって……!
そんなことないって。
なんで『みかん』を腐らせただけでクビになるんだよ。

二宮翔太

いや、わかるんだ。
僕はそれだけ使えない人間なんだ。


 山下のあわれむような優しさが痛い。


 二宮は唇を噛み締めながらデスクに向かった。


 山下が驚いたように尋ねる。


山下佐介

お、おい……。
すぐ仕事するのか?
ちょっと休んでもいいんじゃないか……?

二宮翔太

休めないよ。
今日中にやらなくちゃいけないことがあるし。

山下佐介

だけどさ……。

二宮翔太

僕は大丈夫。
もう平気だから。
山下も仕事に戻りなよ。

山下佐介

あ、ああ……。


 二宮は顔を歪めながらPCを睨みつけた。


 例え明日クビになっても、今できることをやらなければ。


 それで少しでも自分への無力感を取り払いたい。


 そんな二宮の姿を、山下は不安げに見つめていた。





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つばこ

実を言いますと、私はもうこの回を書くのが辛くて辛くて…(´;ω;`)
かつて私が若手の会社員だった頃、とにかくムカつく上司がいたんですよ。
もう何度も空を見上げましたね。
涙がこぼれないように。
こんなヤツに泣かされてたまるか、と思いながら。
 
しかも結局、私は上司と折り合いがつかず、逃げるように会社を辞めたんです。
心も身体もボロボロでした。
人生もう終わったな、とか思いました。
 
そんなズタボロ時代に書き始めたのが、この『天才クソ野郎の事件簿』という物語。
そして、今週の水曜日から新章の連載がスタートした『ちょっと変わった黒魔術を紹介します』という抱腹絶倒のお下品ラブコメディでした!
「人間とは限界に追い込まれるとこんな物語が出てくるのかぁ」と思いながら読みましょう!
めちゃめちゃハマるか、速攻で離脱か、どちらかひとつ!
水曜日のcomicoノベルをチェックだ!(いつの間にか宣伝)

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コメント 32件

  • hihihi

    二宮くん辛いな…
    そして樹さんさりげなく優秀で優しい!こんなに良い先輩いるのがせめてもの救いだね

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  • nao

    いくら何でも言い過ぎだよ。
    同期の子がいい人達で良かった

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  • 逢恋

    ごめんなさい。
    大切な物語だと分かってはいるんですが、人が怒られてるの凄く感化されやすいので少し読み飛ばしました??
    この先いい展開が待っててほしいなぁ。

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  • カボルイス世ハピ天クソ契約

    天クソも黒魔術も、どっちも読んでるけど落差が凄すぎる 笑
    とても同じ時期に同じ作者が書いた作品とは思えないなぁ…w

    つばこさんみたいにこんな素晴らしい物語を書ける人が、まるで二宮のように失敗して怒られて…ってしてたと思うと…
    なんだかそれだけで、人は合う場所合わない場所があって才能の活かし方次第だからゴミなんてことはないなぁと勇気をもらえるな。

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  • ほりこん

    藤原さん唇噛んでたのは笑いそうになってたからじゃ…?二宮くん報われてくれー

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