天野が桃太郎と出会ったのは、約10年前のこと。



 当時の天野は小学生。


 その日は妹たちと一緒に河川敷の公園にいた。


 下の妹である胡桃くるみがどうしてもとせがむので、『おままごと』をしていたのだ。



桃香

……ねぇ、ちい兄ちゃん。
あそこにワンちゃんがいるよ。



 上の妹である桃香ももかが、川に流れている木箱を指さした。


 箱の中で震えていた1匹の子犬。


 それが『桃太郎』だった。




天野勇二

桃太郎よ。
覚えてるか?
俺様が川に飛び込み、お前を助けてやったんだぜ。
あんなに愛くるしいお前を捨てるなんて、世の中にはイカれたクズがいるものだ。



 きっと桃太郎は天野の話なんか聞いていないのだろう。


 今は天野の愛車である真っ赤なポルシェの助手席に座り、舌を出しながら車窓の景色を眺めている。



天野勇二

あの時は、桃香と胡桃が泣いて、大変だったな……。



 天野は苦笑した。


 犬を川から引き上げた後、桃香と胡桃は「うちで飼いたい」と主張した。


 しかし、困ったことに両親は大の動物嫌い。


 子供たちの願い事を却下し、「保健所に連れて行け」と怒鳴りつけた。



 当時の天野では、両親を説得することができなかった。


 仕方なく里親を探すことになった。


 その名乗りをあげてくれたのが、運転手である伊藤だったのだ。



天野勇二

ほら、見えてきた。
あれがお前の新しい『家族候補』だ。



 天野の家に到着した。


 家の前には桃香ももか胡桃くるみが立っている。


 事前に電話をして「今から家に行くぞ」と伝えておいたのだ。



天野胡桃

ちい兄ちゃん!
久しぶり!

……あっ!
桃太郎だ!
本当に来てくれたんだね!



 下の妹、中学3年生の胡桃が嬉しそうに助手席に駆け寄る。


 長い黒髪の似合う美少女だ。


天野胡桃

よしよし、桃太郎?
私のこと覚えてる?
胡桃おねーさんだよぉ。

桃太郎

ワンッ!


 桃太郎は元気よく尻尾を振った。


 さすがに胡桃のことは覚えているようだ。


 伊藤が桃太郎を引き取った後、天野たちは何度も伊藤の家を訪れ、桃太郎と遊んだりしていたのだ。


天野勇二

桃香よ。
母さんは家にいるのか?


 上の妹である桃香に尋ねる。


 現在は高校2年生。


 勝ち気な瞳が天野そっくりだ。


天野桃香

うん。
リビングでちい兄を待ってる。
桃太郎のことも言ってあるよ。

天野勇二

母さんの反応はどうだ?


 桃香はげんなりと顔を歪めた。


天野桃香

もうサイアク。
すっごく不機嫌。
桃太郎の話をしてからピクリとも笑わないの。

天野勇二

やはり飼うことに反対なのか?

天野桃香

それがよくわかんなくて。
胡桃と一緒にお願いしたんだけど、イエスともノーとも言ってくれないの。
まずはちい兄が来るのを待つってさ。


 天野と桃香は深いため息を吐いた。


天野勇二

これまでペットを飼いたいと、ねだったことはあるのか?

天野桃香

あるよ。
家は広いし、私も胡桃も動物は好きだし。


 桃香は肩をすくめた。


天野桃香

でも昔と変わんない。
お母さんは絶対に許してくれないの。
犬でも猫でもインコでもハリネズミでもイヤだって。

天野勇二

動物嫌いは治ってないか……。
さて、どうするかな。


 天野は胡桃と桃太郎を見た。


 胡桃は「よしよし」と桃太郎を抱きしめ、桃太郎も尻尾をぶんぶん振り回している。


天野勇二

どうだ胡桃よ。
桃太郎を飼いたいか?


 胡桃は即答した。


天野胡桃

飼いたい!
桃太郎のこと大好きだもん!

天野勇二

だが、そいつは老犬だ。
長く生きられるワケではない。


 天野は諭すように言った。


天野勇二

それに犬の世話は大変だ。
生き物を飼うとは、その命に関する責任を負うということ。
胡桃にはその覚悟があるか?
例えば雨の日や雪の日でも、桃太郎が望むなら散歩に連れて行くことができるかな?


 胡桃は思わず「うっ」と黙り込んだ。


 その隣に桃香が立ち、元気良く手を挙げる。


天野桃香

私はあるよ。
桃太郎を見つけたのは私だもん。
それに伊藤のおじさまは身体の具合が良くないんでしょ?

天野勇二

まだなんとも言えないが……。
まぁ、そう考えていいだろう。


 桃香は切なげに目を伏せた。


天野桃香

それって、伊藤さんに何かあったら、桃太郎は誰かに引き取られるかもしれない……。
最悪の場合、殺されちゃうってことだよね。

天野勇二

ああ、そうだな。

天野桃香

そんなのイヤだよ。
私が最後まで面倒をみたい。
それが伊藤のおじさまへの恩返しになると思うし。


 桃香の瞳は決意に満ちている。


 胡桃も姉の横顔を見つめ、「私もがんばる!」と拳を握った。


 天野はそれぞれの表情を確かめ満足気に頷いた。


天野勇二

いいだろう。
あとは母さんの説得だ。
なにせ、犬とは金のかかる生き物だからな……。


 妹たちが飼いたいと主張しても、母親が了承しなくては話にならない。


 天野は桃太郎を庭につなぎ、天野の家に入った。


天野勇二

母さん、久しぶりだな。


 リビングのテーブルに母親である桃子ももこがいた。


 しかめっ面を浮かべている。


 かなり険しい表情だ。


 部屋中に険悪な空気が漂っている。


天野勇二

話は聞いたな。
伊藤の具合が悪いそうだ。
ここが良くないらしい。


 自らの左胸を指さす。


天野勇二

来週から2週間ほど検査入院するとのことだ。
まずはその間、桃太郎の面倒をみてほしいと頼まれたよ。


 桃子は鋭い瞳で天野を睨んでいる。


天野勇二

母さんが動物嫌いなのは知っている。
だが、桃香と胡桃がしっかり世話してくれるさ。
この家で飼ってくれないか?


 天野の両隣に桃香と胡桃が立ち、「お母さんお願い!」「しっかり面倒みるから!」と追撃を飛ばす。


 桃子は静かに口を開いた。


天野桃子

……勇二は何をするの?
犬の世話を私たちに押しつけて、自分は何もしないつもりじゃないでしょうね?

天野勇二

もちろん俺も世話をする。
なるべくこの家に来るようにするよ。
散歩だって行くさ。

天野桃子

今でさえ滅多にこの家に来ないじゃない。
わざわざ犬のために来るとは思えないけど。


 桃子はかなり不機嫌な様子だ。


 まず息子が家に立ち寄らないことを非難し始めた。


 天野は「母さんらしい攻め方だな」と思いながら言った。


天野勇二

ならば、週の半分は来ると約束しよう。
それでいいだろう?


 胡桃が嬉しそうに言った。


天野胡桃

そんなに来てくれるの!?
やったぁ!
良かったねお母さん!

天野桃香

男手がいるのは助かるもんね。
ちい兄がいてくれると心強いなぁ。


 桃香と胡桃が『賛成の旗』を振り回す。


 桃子は娘たちをギロリと睨んだ。


天野桃子

犬を飼うとなれば、一番に面倒をみるのは桃香と胡桃なのよ。
勇二に世話を押しつけるなら賛成しません。

天野胡桃

も、もちろん面倒みるよ!
散歩も連れてく!

天野桃香

ちい兄に押しつけたりしない!
私が飼いたいの!

天野桃子

どうだか……。
きちんと勉強しない。
家の手伝いもしない。
そんなあなたたちが犬の面倒をみれるの?

私は絶対に世話なんかしないわよ。
犬なんて絶対にイヤ。
餌だってあげたりしません。


 桃子はキッパリ言い放った。


 桃香は「うぐっ」と口ごもり、慌てて天野にささやいた。


天野桃香

ど、どうしよう……。
やっぱりお母さん、犬が嫌いみたいだね……。

天野勇二

母さんは若い頃から製薬会社で働いているからな。
新薬開発のため、動物実験を繰り返しているはずだ。
情が移るのがイヤなのさ。

天野桃香

そっかぁ……。
どうやって説得すればいいかな?

天野勇二

まだ勝機はある。
母さんはこちらの『覚悟』を試しているんだ。
諦めずに主張しろ。

天野桃香

わかった!


 桃香はコクンと頷き、桃子に向き直った。


天野桃香

ちゃんと勉強するし、家の手伝いもする!
ちゃんとする!
だからお願い!
桃太郎が知らない人に引き取られるなんてイヤだよ!
お母さんに迷惑かけないようにするから!


 桃香の訴えを聞き、桃子は「はぁ……」とため息を吐いた。


 じっと息子と娘たちの顔を見つめる。


天野桃子

……いいわ。
じゃあロジカルにいきましょう。
『取引』よ。
どうしても犬を飼いたいというなら、私の条件を飲みなさい。

天野桃香

ど、どんな条件なの?

天野桃子

それを聞く前に「条件を飲む」と約束して。
私は本当にペットなんか飼いたくないの。
それを押し通そうとしているのだから、あなたたちも私の言い分を飲むのがスジってものじゃない?


 兄妹たちは困惑して互いの顔を見つめた。


 母はどんな条件を出すのだろう。


 しかし、それを飲まなければ話が進みそうにない。


 天野は諦めて言った。


天野勇二

いいだろう。
条件を飲もう。
母さんの望みはなんだ。

天野桃子

それぞれに2つ。
条件を提示します。


 桃子はまず胡桃を見た。


天野桃子

まず胡桃。
あなたが一番に犬の散歩をしなさい。
勇二や桃香よりあなたのほうが時間に余裕があるの。
構わないわね?

天野胡桃

う、うん!
もちろん!
胡桃がちゃんと散歩させる!

天野桃子

それともうひとつ。
出したものはきちんとしまうこと。
どうして漫画本とかパンツとか靴下を出しっぱなしにするの。
だらしがない癖を治しなさい。
そのまま大人になったら困るのは自分なのよ。

天野胡桃

は、はい……。
ごめんなさい……。


 胡桃が恥ずかしそうに肩を落とす。


 桃子は桃香を見た。


天野桃子

桃香は犬の健康面に気を使いなさい。
元々はあなたが拾った犬だけど、今は伊藤さんの飼い犬なの。
失礼があったら許しません。

天野桃香

わ、わかった!
食事に気をつけるし、病院とかにも連れて行く!

天野桃子

それともうひとつ。
ちゃんと毎日勉強しなさい。
私はもう学校の先生から「桃香ちゃんは宿題をよく忘れるんですよね」なんて小言は聞きたくないから。
わかったわね?

天野桃香

は、はい……。
すみませんでした……。


 桃香が涙目で肩を落とす。


 桃子は天野を見た。


天野桃子

勇二は週3日で構わないから、家に顔を出すようにして。
何かしてほしいことはないけど、男手があると色々助かるから。

天野勇二

ああ、いいだろう。

天野桃子

それともうひとつ。
あなたに紹介したい人がいるのよ。



 桃子はそこで「にっこり」と笑みを浮かべた。


 先ほどまでの険しい表情を一変させている。


 どこか楽しげに言った。



天野桃子

先方にあなたの写真を見せたら、えらく気に入ってくれたのよ。
顔がいい男は得するわね。
今度、お食事なんてどうかしら?



 桃子は机の下から1枚の写真を取り出した。


 映っているのは品の良さそうな20代の女性。


 なぜか着物姿だ。


 まるで『お見合い写真』のようだ。


 天野はそれを見て「くそっ……。やられた。『犬を飼いたくない』というポーズはこのための布石ブラフだったのか……!」と、天をあおいだ。



天野桃子

できれば3人ほど紹介したいの。

こちらはヨツビシの重役のお嬢様でしょ。
こちらはヤマイ製作所のご令嬢
特にお勧めなのがアマテラス製薬の会長の娘さんね。
あなたと同い年なの。
話も合いそうよねぇ。

私の顔を立てると思って、全員と会ってくれるわよね?



 机の上にどんどん写真が並ぶ。


 桃子は息子の引きつった顔を見ると、小首を傾げながら言った。



天野桃子

……あら?
不満?
じゃあちょっと年上だけど、電力会社の副社長の娘さんが……


 天野は慌てて言った。


天野勇二

わかった!
会うよ!
会えばいいんだろうが!


いつも俺を逆玉ぎゃくたまに乗せようと企みやがって!
だが、乗るかどうか、それは俺が決めることだからな!

天野桃子

大丈夫。
私は信じてるから。
自慢の息子が、私の顔に泥を塗ることはないって。


 桃子は余裕たっぷりの笑みを浮かべた。


 さすがクソ野郎の母親だ。


 天野は頭をかきむしりながら言った。


天野勇二

ちくしょう……。
じゃあこれで取引は成立だな?
桃太郎を飼うことを許してくれるんだな!?

天野桃子

仕方ないわね。
あなたたちがそこまで言うなら、母親としては了承するしかないわ。


 桃子はしみじみと言った。


天野桃子

それに伊藤さんには、昔からお世話になっていることだし。
あの人の頼みじゃ断れないわね。
しっかり面倒をみてあげなさい。



 天野はその言葉を聞き、自らの判断が甘かったことを悟った。


 桃子は初めから伊藤のために了承するつもりだったのだ。



天野勇二

くそっ……!
なんてことだ。
この俺様をハメやがって……!



 天野はがっくりと肩を落とした。


 2人の妹たちは「あはは…」と苦笑し、兄の肩をポンポン叩いて慰めていた。





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つばこ

天野くんのお母さんは「息子を玉の輿に乗せたい」と考えているようで、チャンスがあれば良家のお嬢さんを紹介してくることがあります。
過去にはややこしい事件に発展したこともありました。
詳しくは『彼と上手にお付き合いする方法』をお読みいただければ幸いです。
 
ちなみにこの後、天野くんは何人かのお嬢様と会ったりするのですが、今回は「犬を捨てる方法」のエピソードなので割愛します!
もう世間知らずのお嬢様に振り回されるのはお腹いっぱい!
ではでは、いつも応援やコメント、本当にありがとうございます!∠( ゚д゚)/

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コメント 53件

  • ハヤ

    やっぱり「母は強し」だなぁσ(^◇^;)

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  • 焼きましゅまろ

    ブラフでもいいから前島さんち付き合ってるって言って、、、いや、付き合ってるって言ったら週刊誌に乗るか、好きな人がいるって言って!それでその場を乗り越えよう。もしくはドタキャンしよwww

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  • さ。

    流石クソ野郎のお母様だなぁ

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  • たまご

    さすがお母様…

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  • るるるるる

    少し時間が経ったので書き込みます。新薬開発のために仕方ないというのはわかるのですが……。いつか動物実験がこの世から無くなりますように。

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