天野はタバコの煙とため息を吐き出しながら言った。



天野勇二

……却下だ。
なぜ俺様がそんなことをしなければならない。
お断りだな。



 その回答は涼太としても想定内だったのだろう。


 揉み手をこすりながら告げる。


佐伯涼太

まぁまぁまぁ。
つれないこと言わないでよぉ。
百合香ちゃんは物心ついてから一度も泣いたことがないんだよ?

天野勇二

同情はするよ。
だが、別に無理して泣く必要もないさ。

佐伯涼太

だけどさぁ。
百合香ちゃんはとってもカワイイでしょ?
そんな子の願いを却下なんてドイヒーじゃんかぁ。
夏蜜柑丸漬なつみかんまるづけだって用意したのにぃ。


 天野はチラリと机の上に置かれた『夏蜜柑丸漬なつみかんまるづけ』を見た。


天野勇二

……報酬は魅力的だ。
だが、乗り気になれんな。
お前は単細胞バカだから気軽に受けちまったが、俺様から見ればかなりの難問なんもんだ。
簡単に受ける気にはなれないね。

平泉百合香

えっ……?


 平泉が驚いたように目を丸くする。


 その反応を横目で見ながら、涼太が尋ねた。


佐伯涼太

やっぱり……難しい?
勇二が『難問』とか言うなんて相当だよね。

天野勇二

ああ、難問さ。
そもそも『泣くことができない』とは、どこまでの範囲を示しているんだ?
ここから見る限り『基礎分泌きそぶんぴつ』は問題ないように感じる。
反射性分泌はんしゃせいぶんぴつ』はどうなんだ?



 天野が尋ね返すと、涼太と平泉は困ったように顔を見合わせた。



佐伯涼太

……えっとぉ?
なにそれ?
僕でも理解できる日本語でプリーズしていい?

天野勇二

チッ……。
お前は『涙活の達人』じゃないのか。
泣くこと……。
つまり『涙』には3つの種類があるんだよ。


 呆れたように言葉を続ける。


天野勇二

基礎分泌きそぶんぴつ
反射性分泌はんしゃせいぶんぴつ
情動性分泌じょうどうせいぶんぴつ

これらの3種類だ。

瞳は角膜かくまくを保護するために一定量の涙を分泌ぶんぴつしている。
それが基礎分泌きそぶんぴつだ。
これは涙道るいどうを通って鼻に抜けるため、まぶたから溢れ出ることはない。


 偉そうに自らの瞳を指さす。


天野勇二

反射性分泌はんしゃせいぶんぴつはゴミなどの異物が入った時に出す涙のことだ。
平泉といったな。
君は玉ねぎを切る時、涙は出ないのか?


 平泉は困ったように首を横に振った。


平泉百合香

わ、私……。
お料理したことないんです……。
ごめんなさい……。

天野勇二

ならば今度、玉ねぎを5個ぐらいみじん切りにしてみろ。
とはいえ、恐らく君が気にしているのは情動性分泌じょうどうせいぶんぴつだと思うがな。


 涼太が頷いて尋ねる。


佐伯涼太

それは感動とか悲しみによる涙ってこと?

天野勇二

そうだ。
『感情によって引き起こされる涙』を『情動性分泌』と分類している。
今のところ、この涙を流す生物は『人間』だけしかいない。

佐伯涼太

マジで?
前に『ゾウさんが悲しくて泣いた』なんてニュースを観たことあるけど。

天野勇二

それらのほとんどはデタラメさ。
『情動性分泌』と呼べる涙を流すのは人間だけ、というのが定説だ。
もちろん時代が進歩すれば定説も変わるかもしれない。
だが、今のところは

『泣くこと』は人間だけの特権である。

というべきだろうな。

佐伯涼太

へぇ……。
涙も色々あるんだねぇ……。

平泉百合香

本当ですね……。
天野さんはお詳しいんですね……。



 涼太と平泉は感心したように頷き、パチパチと小さく拍手までしている。


 天野はイライラしながら涼太に言った。



天野勇二

こんな基本も知らねぇのに「泣かせてみせる」と大口を叩いたのか。
さてはお前。
平泉を病院に連れて行ってないな。

佐伯涼太

えっ?
びょ、病院!?
そ、それは、心療内科しんりょうないかとか?

天野勇二

違う。
なぜ『情動性分泌』に問題があるのか。
その原因も大きく3つに分類できる。

心の問題。
脳の問題。
そして身体の問題だ。

例えば『身体の問題』なら、こんなものがある。


 天野は嫌そうに言葉を続けた。


天野勇二

自己免疫疾患じこめんえきしっかんのひとつ、『シェーグレン症候群』だ。
眼乾燥症ドライアイ口腔乾燥症ドライマウスの原因となり、場合によっては臓器までダメにしちまう厄介な難病さ。

この症状のひとつに『どれだけ感情が揺さぶられても泣けない』というものがある。
涙を分泌することができなくなっちまうんだ。


 平泉は思わず口を開いた。


平泉百合香

そ、それ、私の症状です!
すごく悲しいのに、涙が出ないんです!


 天野は「ほう?」と呟き、平泉を睨みつけた。


天野勇二

それなら『眼科』へ行け。
大きな病院で検査を受けることも勧めるね。

涙とは目の表面を乾燥などから守り、酸素や栄養を供給するために存在しているんだ。
日常生活に支障をきたす問題になりかねないぞ。



 そう言って涼太を睨みつける。


 鋭い瞳が「その程度も考えなかったのか。この単細胞バカが」と責めている。


 涼太は「あはは……」と乾いた笑みを浮かべた。



佐伯涼太

か、か、考えてなかったなぁ……。
メンタルの問題かなぁ、とは思ったんだけど……。

天野勇二

そう考えるのも理解できるが、まず病院に行くことを勧めろ。
どうせお前はそんなことを全く考えず、何度か『涙活るいかつコンパ』とやらに連れ出したのだろう?

佐伯涼太

うぐぅ……!
そ、その通りでございます……。

天野勇二

そのどれもが空振り。
お前は焦ったはずだ。
約束したのに泣かすことができない。
お前は女になると妙に義理堅くなるからな。
悩む女を途中で見捨てて放り出すなんて、自らのポリシーに反する。

佐伯涼太

おおっ……!
そこまで読んじゃう……!

天野勇二

だが、もう打つ手は見つからない。
そこで夏蜜柑丸漬なつみかんまるづけを持って俺様を訪ねた。


 涼太は「お手上げ」とばかりに両手を広げた。


佐伯涼太

勇二ってば話が早くて助かるよ。
マジでその通り。
それじゃ『依頼成立』ってことでいいよね?

天野勇二

いや、まだ依頼を受けるとは……。

佐伯涼太

そんなのダーメ!
いっぱい説教したくせに、そんな冷たい却下はダメだよ!


とりま勇二のコネが利く病院なんかを紹介してほしいんだけどさぁ……。


 平泉が慌てて涼太の袖を掴んだ。


平泉百合香

あ、い、いや……。
その、やっぱり……。
いいです……。

佐伯涼太

え?
なにが?

平泉百合香

病院だなんて……。
そこまで、大げさにしなくてもいいですから……。


 随分と恐縮している。


 何かを恐れているかのような表情だ。


 涼太は軽い口調で言った。


佐伯涼太

大丈夫だよ。
『専門家』が病院に行け、って勧めてくれたんだ。
それに言うほど大げさでもないよね。

平泉百合香

で、でもぉ……。
泣けないことだけで、検査を受けるなんて……。
病院の検査って怖いですし……。



 天野はタバコの煙を吐き出しながら平泉の顔を見つめた。


 この男は瞳を見るだけで、ある程度の心理を読んでしまう。


 特に『嘘』を見破るのは得意分野だ。



天野勇二

(……この女、嘘をいてやがる……)



 天野は小首を傾げた。



天野勇二

(病院が怖いのではない。何か『別のこと』を恐れてやがる。何を恐れているんだ? 少し気になるな……)



 天野はチラリと涼太を見た。


 アイコンタクトで「もっと押せ」と告げる。


 涼太は小さく頷き、平泉に声をかけた。



佐伯涼太

平気だよぉ。
怖がることなんて何もないって。
むしろ『涙活るいかつコンパ』より病院で調べてもらったほうが健康的ともいえるし。

平泉百合香

そ、そうですか……?
でも、お金がかかりますし……。

佐伯涼太

それも心配しないで。
あのクソ野郎は医者のボンボンなんだ。
検査費用ぐらい無料タダにしてくれる……よね?


 天野はあっさり首を横に振った。


天野勇二

うちは眼科なんて揃えてない。
知り合いの病院は紹介できるが、さすがに無料とまではいかないな。

佐伯涼太

うぇぇ……。
マジか。
それって高い?

天野勇二

少しは安くしてやる。
数千円程度でおさまるさ。
君だって保険証ぐらいは持っているだろう?


 天野が尋ねると、平泉の顔色が変わった。


平泉百合香

も、持ってますけど……。
私はお母さんの扶養ふように入ってるんです……!

それって、あれですよね……!?

どこの病院に行ったか、お母さんにわかってしまうんですよね……!?


 完全に血の気が失せ、真っ青な顔で尋ねている。


 天野は腕組みをしながら言った。


天野勇二

確かにわかってしまうが……。
何か問題なのか?

平泉百合香

も、問題ですよ!
お母さんが心配するじゃないですか!?

天野勇二

なぜだ?
君の母親は検査を受けただけで激怒するのか?

平泉百合香

激怒まではしませんけど、きっと理由を訊かれます!
泣けないから病院に行ったなんて言えません……!

そんなの……!

絶対にダメです!


 涼太が慌ててフォローに入った。


佐伯涼太

わ、わかったよ。
無理強いはしない。
お母さんに心配かけちゃ悪いよね。


 チラリと天野の顔を見る。


 アイコンタクトが「それに触れるのはNG。ワケは後で話す」と告げている。


 天野は肩をすくめながら言った。


天野勇二

ならば仕方ない。
特別サービスだ。
俺様のコネがある総合病院を紹介しよう。
眼科は専門じゃないが、ある程度の検査は可能だ。

平泉百合香

で、でも、病院は……!

天野勇二

気にするな。
費用は俺様と涼太が出す。
親御さんには話が行かないように処理してやる。
それならいいだろう?
それにな……。


 偉そうに言葉を紡ぐ。


天野勇二

俺様は医学生なんだ。
俺様から見れば『泣けない』という症状に対して処方するのは『涙活るいかつコンパ』じゃない。
検査だ。
大げさでもなく、ごくごく当たり前の行為さ。
これが常識なんだと認識を改めてくれ。

平泉百合香

そ、そうなんですか……?



 困ったように涼太、そして天野の顔を見る。


 そこまで世話になって良いのだろうか。


 そんな表情だ。


 涼太はダメ押しするように言った。



佐伯涼太

良かったね。
これで問題はクリアになった。
検査費用ぐらい僕たちに任せてよ。

平泉百合香

でもぉ……。
悪いですよ……。
出会ったばかりなのに……。
さっきは依頼を受けたくないって、言ってたし……。

天野勇二

まぁ、そうだな。
正直、乗り気はしていない。

平泉百合香

それなら……。
どうしてここまで、親切にしてくれるんですか……?


 天野は呆れたように笑った。


天野勇二

親切だと?
君は勘違いをしているな。
俺様は真性のクソ野郎だ。
親切だなんて言われると虫酸むしずが走るぜ。

平泉百合香

じゃあ……。
ど、どうして……?

天野勇二

決まっているだろう?


 天野は偉そうに指先をひるがえし、テーブルの上に置かれた夏蜜柑丸漬なつみかんまるづけを手に取った。


 そして気障キザったらしく言い放った。



天野勇二

俺様は『みかん』が好きなのさ。





 平泉の検査はその日のうちに済ませることになった。


 場所は『神崎かんざき記念総合病院』。


 天野の兄が入院しており、いくつかの事件の舞台にもなった場所だ。



 平泉が受ける検査は『生検せいけん』『口腔検査こうくうけんさ』『血液検査』と多岐たきにわたった。


 天野と涼太は喫煙所で検査が終わるのを待っていた。




天野勇二

なるほどね……。
父親の葬式でも泣くことができなかった……。
それで『涙活』に興味を抱いたワケか……。



 天野はタバコを吸いながら涼太の話を聞いていた。



佐伯涼太

そういうこと。
たぶん百合香ちゃん、お母さんに『泣けないことで悩んでる』って言ってないんだよ。
知られたくないんだろうね。

天野勇二

それで検査のことを隠したかったのか。

佐伯涼太

お母さんを悲しませたくないんだろうねぇ。
優しい娘だよね。


 天野はギロリと涼太を睨んだ。


天野勇二

違うな。
あの娘は単細胞バカじゃない。
そこに『原因』があるのだと察してやがる。
そして、お前もそう考えたな?

佐伯涼太

なんのことぉ?
僕ちゃん単細胞バカだからよくわかんないなぁ。


 ヘラヘラと軽薄な笑みを浮かべている。


 天野は吐き捨てるように言った。


天野勇二

あの娘は『シェーグレン症候群』でもなければ、ドライアイをこじらせているワケでもないだろう。
俺様が見る限りアスペルガー症候群などの『ASD自閉症スペクトラム』でもない。

佐伯涼太

それって……。
身体の問題でもなければ、脳の問題でもない、ってことだよね。

天野勇二

そうだ。
発達障害かもしれないが違うだろう。
俺様の目はそう告げている。

佐伯涼太

となれば……。
残るは、ここだね。



 涼太が自らの心臓を指さす。


 『心の問題』だ、と告げているのだ。


 天野は静かに頷いた。



天野勇二

ああ、そうだろう。
恐らく AC アダルトチルドレンだ。
機能不全家庭で育ち、何らかの理由で『泣くこと』という感情が欠如している……。



 舌打ちしながら涼太を睨みつける。


天野勇二

お前……。
それを把握はあくした上で、あえて俺様の前に連れて来たな?


 涼太は舌をぺろりと出した。


佐伯涼太

やっぱり勇二ってゴイスー。
そこまで読んじゃうかぁ。
マジでその通りでございます。

天野勇二

チッ……。
それなら最初から言えよ。
絶対に却下してやったのに。

佐伯涼太

それじゃ依頼を受けてくれないもの。
もしマジで『AC』なら、勇二の意見を聞きたいと思うのがフツーだよ。
だって……。


 涼太は苦笑しながら言った。



佐伯涼太

昔の勇二も、似たようなことで悩んでたからさ。



 天野が嫌そうに顔を背ける。


 そして、深いため息を吐き出した。




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つばこ

いつかのエピソードで天野くんが「笑うことは人間だけに与えられた特権」なんてことを言ってましたが、「泣くこと」も人間だけに与えられた特権のようです。
まぁ、それらは表情でコミュニケーションをはかる人間ゆえの進化なのかな、とも思うのですが、本当はもっと違う理由があるといいなぁ、なんて私は考えます。
端的に言ってしまえば、「笑うこと」と「泣くこと」って、実は同じことなんじゃないかなって。
 
まずは天野くんが「泣けないこと」をしっかり重く考えてくれたこと。
それがつばことしては嬉しく思います。
泣くのも辛いけど、泣けないのも辛いですから。
泣けることって、ある意味では幸せなことかもしれないなぁ、とか思うのです。
 
ではでは、いつも応援やコメント、本当にありがとうございます!( ー`дー´)キリッ

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コメント 54件

  • ピカルディの3度

    そっか、確かに家庭が原因ではあるけど、母親の方が原因の線が大きかった可能性もあるのか

    過去に問題を抱える現実の人も、似たパターンありそうだね
    いじめ受けてた子が心を閉ざした本当の原因が加害者じゃなくて、支援せずに放置してた家族の方だったとか

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  • にうに

    父親じゃなくて本当の病原は母親にある…?
    結構深い話になりそう。

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  • 佐倉真実

    やっぱり医学的見地からかぁ。確かにそれがベターだけど、それだけでは解決できそうにないですね…?(´・ω・)

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  • チュパカブラ

    きた!天野くんの過去が見れる!!!やっほい!

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  • めう

    まじでたまねぎ言っててびっくり

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