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「殿村ー! 野球しようぜー!」


 土曜日の朝、聞き慣れたうるさい声で目が覚め、窓から顔を出すと、思った通り杉内が外にいて、同じセリフを繰り返した。


「殿村ー! 野球しようぜー!」

「なんだよ、ナカジマ」

「誰だよ、ナカジマって!」


 いいから準備しろ、とナカジマが俺を急かす。やることもないので、寝間着から着替えると引っ張り出したグラブを持って自転車にまたがった。


「朝から何で野球?」

「この時間しか無理なんだって」

「何の話だよ」


 携帯を見ると、朝の九時前。小学校に行くらしく、俺は杉内のあとに従って自転車をこいだ。


 あくびをしたり、まだ眠い目をこすっていると、到着した小学校のグラウンドには、雛形と内之倉さん、本間と彩陽とすーちゃん。たくさん揃っていた。


「野球? このメンツで? できる?」

「できるできないじゃねえ。やるんだ!」

「何で熱いんだよおまえ。俺との温度差ちょっとくらいは感じてくれよ」


 校門のところに自転車を止めると、すーちゃんが真っ先に俺に気づいた。


「りゅーくん、りゅーくん、きたぁ!」

「はいはい、来ましたよー、本間も彩陽もいるんだな」


 てこてこてこ、と走ってきたすーちゃんを抱っこすると、彩陽と本間がやってきた。


「先輩、おはようございます」

「野球できるの、本間。彩陽も」

「うーん? ノリでできるんじゃないかなって」


 あはは、と彩陽は笑う。運動神経抜群で、カラテゴリラの異名を持つ彩陽のことだ。こいつは、ノリでこなしちゃうタイプなんだろうな。


「わたし、先輩に手取り足取り教えてほしくって」

「本間ちゃん、今日はそういうの要らないから」

「どうしてですかっ。そういうのって何ですか」


 むう、と本間が膨れていた。


「りゅ……殿村くん、おはよう」

「おう、おはよう」


 雛形に挨拶を返し、内之倉さんにも会釈をすると、うん、とうなずいた。


「すぎっちが、元々計画してたんだよ。今日の草野球」


 そうなのか、と目をやると、杉内は大きくうなずいた。


「なんか楽しそうだろ」

「まあ、うん」


 催しの説明を受けている間に、雛形は俺に抱き着いて離れないすーちゃんを剥がそうと必死だった。


「涼花、邪魔になるでしょ」

「すーか、じゃましない!」

「何で自信満々なの……!」


 雛形家ではよく見る光景は、みんなにとっては新鮮だったらしく、本間と杉内と内之倉さんが笑った。


「とりあえずおまえがピッチャーな」


 半ば押しつけられたけど、一番まともなのが俺だろうし拒否する理由も見つからなかったので、俺は小さなマウンドに立った。


「この距離なら、大丈夫だと思って」


 杉内なりに配慮してくれたらしい。確かに、小学生用の距離なら山なりボールでもちゃんと投げられそうだ。


 すーちゃんに降りてもらい、彩陽に預けた。


「すーちゃん、兄ちゃんがこれからカッコいいところ見せるんだって」

「みるー!」


 すーちゃんの目がキラキラと輝いている。


「栞の妹って……死ぬほど可愛いね……」


 内之倉さんがすーちゃんに目を奪われていたけど、雛形は苦笑していた。

 みんなが持っているグラブは、杉内がソフトボール部から余っているものを借りてきたものらしい。それぞれがグラウンドに散ったあたりで、杉内が打席に入った。


「ふ……ふふ……ふーっはっはっは! ついにこの日がきた! 中学時代はまるで手も足も出なかったけど、今日という今日はケチョンケチョンにしてやる!」


 うわぁ、小物。


「まともに投げられない俺をケチョンケチョンにして楽しいか?」

「楽しいね!」


 いい性格してるなこいつ。


「杉内先輩、カッコ悪いですね……」と本間。

「セリフ超雑魚じゃん」と彩陽。

「すぎっち……」と内之倉さんも呆れた様子だった。


「バッター打ってこーい」と何事もなかったかのように、雛形が声を出す。

「ぱっぱー、たってこい?」とすーちゃんが首をかしげていた。


 一球投げると、軽々と打った杉内が走り出す。


 打球を捕った彩陽がビュン、と送球する。


「はーっはっはっは! 殿村の球なんて造作もな――うぎゃ!?」


 彩陽の送球がドフンッ、と杉内に直撃した。


「やった! アウトだ」


 投げ当てアウト!?


「ね、兄ちゃん、これでいいんだよね?」

「ああ。杉内にはこれでいいぞ」


「待てぇぇぇぇぇい!」


 威勢よく突っ込んだものの、よよよ、と倒れた杉内。うう、アザになってる……と涙目だった。軟球とはいえ、直撃すると結構痛いからな。


 続く彩陽に内之倉さんや雛形、スポーツ女子たちには、俺の山なりボールはちょうどよかったらしく、みんな上手く打ち返した。

 順番が回ってきた本間が打席に立つ。


「先輩、ゆっくりお願いします♡」

「元々ゆっくりにしか投げられねえから」

「早い男は、嫌われるんですよ先輩」

「本間ちゃん、そういうキャラ、マジで要らないから」

「キャラって言わないでくださいっ。これガチよりのガチですから」


 何で杉内は本間に厳しいんだよ。

 俺の投げたボールを「えい」とかけ声とともに振った本間。当たると、きゃーきゃーとその場で喜んでいた。

 俺の番に打順が回ると、杉内がマウンドに立った。


「適当に投げるから打ってくれ」

「わかった」


 とか言いながら本気で投げる杉内の球を俺はあっさりと打ち返した。


「チッ」


 舌打ちされた。


 中々の飛距離になった打球は、ゴン、と校舎の窓ガラスに当たった。

 ガラスを割ることがなくてよかったけど……あそこって、俺の記憶が正しかったら職員室だったような……。

 休日出勤なんてしてる生真面目な先生がいませんように。


 俺が祈っていると人影が見え、カラカラと勢いよく窓が開いた。


「おい――! 誰だ君たち! 何してる――!」


 しんとしたグラウンドには、先生らしき大人の声がよく響いた。あの声……この前、俺と雛形を追いかけてきたあの先生だ。


「なあ杉内」

「ん?」

「あの先生、怒ってないか?」

「奇遇だな。オレもそうじゃないかって思ってたんだ」

「何であの先生、あんなに怒ってるんだろうな」

「そりゃあおまえ……許可取らずに勝手に野球してるからだろ」

「許可取ってねえの?」

「だってオレの母校でも何でもないし。やっぱ、許可って要るんだな?」

「そりゃあ、要るでしょうよ、杉内さん」

「改めて訊くけど、グラウンドって勝手に使っちゃダメなん?」


 令和に生きる人間の発言とは思えねえ。


「てか殿村、おまえが謝れよ。ボールぶつけたんだし」

「いや、そもそも許可取ってないおまえが悪いんだろ」


 どこの高校生だ君たち――という大声に、彩陽が「絶対やばいじゃんっ。逃げろっ」とすーちゃんを抱えて走り出した。


 先生の姿が消えると、勝手口の扉を開けて職員室から出てくる。


「す――杉内、説明頼んだぞ!」

「無理無理! オレ、そういうの向いてないから」


 俺は自分のグラブを持って、自転車へと急ぐ。緊急事態を察した内之倉さんも本間も雛形もそそくさとグラウンドを出ようと小走りで駆ける。


 自転車にまたがると、雛形がさっと荷台に座った。

 鍵をかけてない杉内の自転車には、内之倉さんがハンドルを握って、その後ろには本間が乗った。


「ちょ! それオレの自転車!」


 慌てる杉内の後ろでは、激走する先生がその姿を大きくしていた。


「――じゃ、あとで連絡するってことで!」


 うん、と内之倉さんがうなずき、俺たちは二手に分かれて逃走を開始した。


「二人乗りするな――! 待ちなさい、そこの男子!」


 杉内……尊い犠牲だった。


 心の中で祈りを奉げていると、自分の自転車のほうを杉内は追いかけはじめ、どうにか先生から逃げきった。杉内の逃げ足、死ぬほど速ぇ。


 一部始終を静かに見守っていた雛形は、後ろでくすくすと笑い声をこぼしはじめた。

 俺も思わず笑ってしまった。


「また……怒られるところだった」


 吐息混じりの笑いをこぼしながら雛形が言った。堪えきれなくなり、弾けるような声を響かせた。


「あはは。何でまた、同じ先生なの」

「知らねえよそんなこと」


 俺も笑った。


「部活がお昼からだから、それで午前中ってことになって」


 雛形の腕は乗ったときからずっと俺の腰に巻かれていた。


「ああ、それで」


 道理で朝早いわけだ。


「夕方までには終わると思うから……終わったら、隆之介の家、行ってもいい?」


 どきり、として、また変なことを想像してしまう自分がいた。

 返事はイエスだった。


「相談、またしたいから……」


「おう」と「うん」の間くらいの妙な声を出す。


 雛形の好きな人は、俺かもしれないし、そうじゃないかもしれない――。


 最近よく考えるけど、もう、誰でもいいような気がしてきた。

 そう思うと同時に、そいつがもし俺だったらいいな、とはっきり自覚するようになっていた。


 たぶん俺は、雛形のことが好きなんだ。

 好きだったのか、好きになったのか、好きになっていたのかは、もうわからないけど、ようやく自覚した。


「あ。メッセージ来た。隆之介の家集合になった」

「何で俺んちなんだよ」


 愚痴を言うと、雛形がまた笑った。

今回で1章完結です。



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