胙豆

胙豆

傲慢さに屠られ、その肉を空虚に捧げられる。


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日記を更新する。

 

今回はいつもの小さなトピックについて色々言っていくやつをやっていく…つもりだったけれど、一つ目のトピックで文字数が規定量を越えたので、一つの記事に成型することにする。

 

今回は悪魔について。

 

悪魔という存在がキリスト教とかで語られたり、なんだか未開の地域の部族が悪魔を信じてそれを払うおまじないをしたりというドキュメンタリーがあったりで、悪魔という概念を知らないという人はほとんどいないと思う。

 

その悪魔なんだけれど、僕が知る限り、インドや中東世界ではその存在についての記述を確認できる一方で、古代中国では悪魔なんて出てこないという事情がある。

 

そのような悪魔について、僕は所詮、西洋やインドにしか存在しない、人類にとって決して普遍的ではない文化なのだろうと考えている。

 

一応、古代ギリシアでもダイモーンという悪魔のような概念がある…というか、このダイモーンが後のデーモンという言葉になるんだけど、そういう発想は古代中国では確認できていない。

 

もっとも、今のところ確認できていないだけで、未知のテキストに言及があるかもしれないけれど。

 

さて。

 

古代世界の色々な地域の悪魔について書いていくのだけれど、まずは一番少しく触れる古代ギリシアのダイモーンについてから言及していく。

 

ダイモーンてのはアレですね、『ソクラテスの弁明』に出て来ますね。

 

 

大学生の時に一番初めにこれを読んだ記憶があるけれど、一切内容覚えてないんだよなぁ…。

 

ここで言うダイモーンというのはソクラテスっておっさんが言っている神の声のようなもので、ニュアンス的には神のお告げで、ただそんなものは当時のギリシアの風習だと異端だったから、ソクラテスは裁判を受ける羽目になって、そこで死刑になっていて、その弁明がこの『ソクラテスの弁明』になる。

 

あんま覚えてないけど、若者を堕落させた罪とダイモーンを信仰している罪で弾劾を受けたという話だったと思う。

 

後にこのダイモーンはキリスト教に受け入れられて、キリスト教の神ではない違う何か、違う悪しきもののことをデーモンと呼ぶようになったという流れで良いと思う。

 

結構、古代ギリシアの本を読んでいると、キリスト教で見られる振る舞いが古代ギリシアに存在している場合があって、キリスト教は古代ギリシアの学説をその教説として取り入れている部分がある。

 

まぁ、神学とかは古代ギリシアのプラトンやアリストテレスの学説を教説に取り入れていたりしていて、そもそも新約の聖書の中に、ギリシア人が書いたものと思しきそれがいくらかある。

 

偶然、パラパラとめくってそれを読んだだけだから、なんというテキストかは覚えてないけれど、「あ、これ書いたのギリシア人だな」と思うようなやつが新約の方にあったのを覚えている。

 

ガリレオ・ガリレイの逸話の中で、ピサの斜塔から鉄の玉と木で出来た玉を同時に落下させて、その落ちる速度が一緒だということを実証して見せたという話を僕は小学生の時に漫画の偉人の本で読んだことがあった。

 

当時はなんでそんなことをしてるのか一切分かってなかったけれど、あれは当時の一般的な理解だった、アリストテレスの学説である重いものは早く落ちるという学説を否定するためにやったものだと僕はここ数年でやっと知ることになった。

 

アリストテレスは重いものの方が早く落ちると本気で考えていたようで、その話は彼の『天体論』で言及されている。

 

 

ガリレオはそれが間違っていると色々やってて理解して、それを証明するためにピサの斜塔からものを同時に落としたという話らしい。

 

そのようなギリシア由来の情報はかなりあって、神学もその影響下にあって、アウグスティヌスとかは新プラトン主義のプロティノスの影響を受けていたりするらしい。(Wikipedia情報)

 

ともかく、西洋的な悪魔、つまりデーモンは古代ギリシアにその由来があるということは確かだけれど、『ソクラテスの弁明』の時点での言及を見る限り、この時点では僕らが知る悪魔と同じものではないという理解で良いと思う。

 

…と思って実際に『ソクラテスの弁明』の言及を引用しようと思ったけど、なんか本が見つかんないから良いや。

 

この前、一緒に収録されている『クリトン』の方を読んだから奥の方に仕舞い込んであるということはないはずなんだけどねー。

 

ちなみに、『クリトン』の感想はと言うと、こんなガバガバ理論に大学生の時の僕は反論を思いつかなかったのか…と怖気を覚えた以上の何かはありませんでした。(小学生並みの感想)

 

ダイモーンに関しては、ギリシア哲学の伝統として、ある出来事が正しいと思えるのは神がそう告げているからと判断しているようなこともある。

 

ギリシアだとある事柄が何故正しいかを説明するときに、ゼウスがそうお創りになられたからという説明をする場合がある。

 

そういう風な説明をする場合、普通だったらゼウスとかそういう名前を使うところを、ソクラテスはダイモーンだなんて聞きなれない言葉を使ったせいで、異教の神を信じていると判断されて裁判を受けることになって、その弁明で碌な問答をしなかったから死刑宣告を受けたという感じで良いと思う。(うろ覚え)

 

だから、あくまで神聖な存在で、ただその名前が当時のギリシアの神々の名前ではないという話であって、邪悪な存在で人々を誘惑したり堕落させたりする存在ではないという感じになってくると思う。

 

古代ギリシアに関してはあんまり詳しくないからこれ以上恥を晒さないように話を切り上げるけれど、聖書に出てくる悪魔はまぁ、僕らが知っている悪魔という話で良いと思う。

 

その悪魔をギリシア語に翻訳するに際して、ダイモーンというギリシア語の概念が当てはめられて、後のデーモンになるという話で、ダイモーンは悪魔と無関係ではないけれど、僕らが知っている悪魔ではないよなと思う。

 

一方で、『ルカによる福音書』あたりでしっかり人間を堕落させる存在としての悪魔が出てきている。

 

「4:2荒野を四十日のあいだ御霊にひきまわされて、悪魔の試みにあわれた。そのあいだ何も食べず、その日数がつきると、空腹になられた。

(中略)

4:5それから、悪魔はイエスを高い所へ連れて行き、またたくまに世界のすべての国々を見せて

4:6言った、「これらの国々の権威と栄華とをみんな、あなたにあげましょう。それらはわたしに任せられていて、だれでも好きな人にあげてよいのですから。

4:7それで、もしあなたがわたしの前にひざまずくなら、これを全部あなたのものにしてあげましょう」。

4:8イエスは答えて言われた、「『主なるあなたの神を拝し、ただ神にのみ仕えよ』と書いてある」。(Wikisouce:「ルカによる福音書」より)」

 

…まぁ聖書は福音書の一つを高校生の時に読んだきりで、それ以降は所々しか読んでいないから、悪魔がこういう風に出てきているという以上のことは分からないのだけれど。

 

こういう悪魔がいつから中東世界にあって、どのように悪魔という概念が理解されていたのかとかはちょっと分からない。

 

なんか、超自然的な悪い存在という認識はシュメールの時代には既にあって、そのためのおまじないなどはあった様子があるけれど、その事について書かれた原典訳のテキストを読んだことがないので、その辺りについては分からない。

 

ただ、新約聖書の上の文章が書かれた時点では存在していただろうとは僕は思う。

 

旧約聖書の方だと軽く調べた限り、サタンの言及はあっても誘惑するような悪魔の言及はない様子がある。

 

一方で古代インドにも悪魔という概念はあって、仏典にも悪魔は登場していて、悪魔と仏陀やその弟子が対話するという経典は実際何個かあるし、この記事を書くために今さっきその中の一つを読んでいた。

 

「 そのとき尊者マハーモッガラーナは空き地で経行していた。ちょうどそのとき、魔パーピマンは尊者マハーモッガラーナの腹のなかに入り込み、下腹部に至った。尊者マハーモッガラーナは、「わたしの腹は臨月に至ったように重苦しいが、なぜだろう」と考えた。そこで尊者マハーモッガラーナは経行をやめて、部屋に入り、設けられている座にすわった。すわって尊者マハーモッガラーナは一人で注意深く思いを凝らした。尊者マハーモッガラーナは魔パーピマンが下腹部に至っているのを見た。見て魔パーピマンにいった。

 「パーピマンよ、出てきなさい。パーピマンよ、出てきなさい。如来や如来の弟子を困らせてはいけない。長いあいだあなたに不利益と苦しみをもたらすことを行ってはならない」と。(中村元監修 『原始仏典 第五巻 中部経典Ⅱ』 「マーラタッジャニーヤ・スッタ」 春秋社 2004年 p.119)」

 

ここで目連(モッガラーナ)が「長いあいだあなたに不利益と苦しみをもたらすことを行ってはならない」と言っているのは、修行者や大成者に悪さをする悪魔は地獄に落ちて1000年も苦しみに苛まれると分かっているから、そのような目を見ないように、修行者の妨害はやめなさいという意味です。

 

なんか、目連さんの前世は悪魔で、今妨害しに来ているパーピマンさんの叔父で、前世のときに修行の大成者に嫌がらせしたら地獄に落ちて1000年くらい苦しんだらしいっすよ?(同上p.126)

 

目連さんは母親が餓鬼道に落ちて亡者として苦しんでいるという話が小部経典の『ペータヴァットゥ』にあって、なんか悪い方向で設定盛られ過ぎてて普通に可哀そうだと思った。(小学生並みの感想)

 

目連さんを妨害しに来ているのはパーピマンさんだけれども、他にはナムチという悪魔が仏陀の修行を妨害しに来ている話もある。

 

『スッタニパータ』にその話はあって、この本はこの前ブックオフで110円でまた買って手元に復帰したので今度はちゃんと引用しましょうね。

 

「四二五 ネーランジャラー河の畔にあって、安穏を得るために、つとめはげみ専心し、努力して瞑想していたわたくしに、
四二六 悪魔ナムチはいたわりのことばを発しつつ近づいて来ていった、「あなたは痩せてして、顔色も悪い。あなたの死が近づいた。
四二七 あなたが死なないで生きられる見込みは、千に一つの割合だ。きみよ、生きよ。生きたほうがよい。命があってこそ諸々の善行をもなすこともできるのだ。
四二八 あなたがヴェーダ学生としての清らかな行いをなし、聖火にに供物をささげてこそ、多くの功徳を積むことができる。(苦行に)つとめはげんだところで、何になろう。
四二九 つとめはげむ道は、行きがたく、行いがたく、達しがたい」と。
四三〇 かの悪魔がこのように語ったときに、ブッダは次のように告げた。
「怠け者の親族よ、悪しき者よ。汝は(世間の)善業を求めてここに来たのだが、
四三一 わたしはその(世間の)善業を求める必要は微塵もない。悪魔は善業の功徳を求める人々にこそ語るがよい。
四三二 わたしには信念があり、努力があり、また知慧がある。このように専心しているわたしくしに、汝はどうして生命をたもつことを尋ねるのか?
四三三 (はげみから起る)この風は、河水の流れも涸らすであろう。ひたすら専心しているわが身の血がどうして涸渇しないであろうか。
四三四 (身体の)血が涸れたならば、胆汁も痰も涸れるであろう。肉が落ちると、心はますます澄んでくる。わが念いと智慧と統一した心とはますます安立するに至る。(中村元訳 『ブッダのことば(スッタニパータ)』 岩波文庫 1958年 pp.74-75)」

 

…まぁ引用したと言っても、この前のように全文を無断転載しているサイトからコピペして、お手元の本を確かめて、細かい違いを元の本の記述に直したり、出版年とページ数を確かめて出典を確かにしただけなんだけど。

 

ともかく、このように悪魔が仏陀に囁きかけるという話が仏教にはある。

 

多分なんだけど、キリスト教の悪魔の誘惑ってのはこの仏教の悪魔の誘惑が由来なんだよな。

 

以前言及したけれども、キリスト教が出来たくらいのユダヤ教教団では仏教のような戒律を持ったエッセネ派などの集団がいて、当時のユダヤ世界にインド的なものが侵入していたらしいという僕の見解がある。

 

フラウィウス・ヨセフスの『ユダヤ戦記』あたりにエッセネ派の風習についての言及があって、それを読む限り、どうやら当時のユダヤ社会にはインド人的なミームが訪れていたらしいと読み取れる記述がある。

 

禁欲的で、戒律があって、その戒律も大体仏教と似たようなもので、人里離れたところに修行者だけで集住していたりする。

 

だから、『ルカによる福音書』などに見れる悪魔による誘惑は、実際、インド由来で具体的には今さっき引用した『スッタニパータ』のやり取りが元なのではないかと思う。

 

仏陀が行った修業は絶食の修行で、その話は中部経典の『マハー・サッチャカ・スッタ』に言及がある。

 

「 アッギヴェッサナよ、わたしはこのように思ったのです。『さあ、わたしは完全な断食を試みてはどうか』と。

(中略)

 たとえば、その小食ゆえに、わたしの手足はまるでアーシーティカ草の節か、カーラ草の節のように、ちょうどそのようになりました。また、その小食ゆえに、わたしの臀部はまるでラクダの足のように、ちょどそのようになりました。また、その小食ゆえに、わたしの背骨はまるで紡錘をたばねたごとくでこぼこに、ちょうどそのようになりました。また、その小食ゆえに、わたしの肋骨はまるでいまにもつぶれそうな古い家の垂木のように、ちょうどそのようになりました。また、その小食ゆえに、わたしの眼窩は落ちくぼみ、目だけが光るのが、まるで深い井戸の底の水が光るように、ちょうどそのようになりました。また、その小食ゆえに、わたしの頭皮はまるで熟さぬうちに切り取られて、熱風で萎びたひょうたんのように、ちょうどそのようになりました。(中村元監修 『原始仏典 第六巻 中部経典Ⅰ』 「マハー・サッチャカ・スッタ」 春秋社 2004年 pp.546-547)」

 

『スッタニパータ』ではネーランジャラー河の畔で瞑想していた時の話としているけれど、一方で、今引用した『マハー・サッチャカ・スッタ』もネーランジャラー河の近くでの話だから、同じ苦行の話という設定という理解で良いと思う。

 

「四二五 ネーランジャラー河の畔にあって、安穏を得るために、つとめはげみ専心し、努力して瞑想していたわたくしに、
四二六 悪魔ナムチはいたわりのことばを発しつつ近づいて来ていった(同上『スッタニパータ』)」

 

「 アッギヴェッサナよ、そのようにして、わたしはなにかしら善なるものをたずね、無上にして優れた静寂の道を求めながら、マガダ国中を、順次に遊行して、ウルヴェーラーのセーナー村に入りました。そこでわたしは見ました。美しい大地の領域を。また、清らかな森林を、澄んで流れる河(ネーランジャラー河)を、楽しく快い川岸を、辺り一帯に托鉢できる村落を見ました。

(中略)

 そこで、わたしは、アッギヴェッサナよ、ここは努力するのにふさわしい場所である、と〔思って〕そのまま座ったのです〕」(同上『マハー・サッチャカ・スッタ』p.540)」

 

最後の〔〕の頭の部分が見当たらないけれど、それは原文ママで、翻訳者サイドのミスだから僕の責任では、ないです。

 

まぁともかく、仏陀が修行中に悪魔が誘惑してきたという話が原始仏典には書かれているということは確かだと思う。

 

そして、『ルカによる福音書』でも悪魔が来たときにイエスは何も食べていない。

 

「4:2荒野を四十日のあいだ御霊にひきまわされて、悪魔の試みにあわれた。そのあいだ何も食べず、その日数がつきると、空腹になられた。(同上)」

 

そうとすると絶食の状態のときに悪魔が来て誘惑をしてきたというのは『ルカによる福音書』も『スッタニパータ』も同じで、このような場合、僕はどちらかがどちらかを参考にしていると判断する。

 

要するに、仏教かキリスト教がこの逸話を先に持っていて、あとから持ってなかった方がその逸話を自身の宗教に取り入れたのだろうという話になる。

 

仏典の成立時期なんて分からないけれども、アショーカ王というインドの王の碑文に仏教の話があって、彼は紀元前200年代を生きた人だからその時点で仏教は存在していたはずで、『スッタニパータ』は仏教の経典の中で最古層とされているという事情がある以上、過剰に疑心暗鬼にならない限り、紀元前に既に先の文章は存在していたと判断して良いのではないかと思う。

 

一方で『ルカによる福音書』の成立は紀元後だから、そうとすると仏教の方が時系列的に先行している以上、僕は仏教の情報がキリスト教に流れて、悪魔が断食修行中に誘惑してきて、開祖がその誘惑を正論で以って返すという一連のくだりが書かれることになったのではないかと思う。

 

まぁそうと言えども、大乗仏教のテキストにはキリスト教の影響が見れる場合があるから、どっちもどっちというか、持ちつ持たれつというのが実際らしい。

 

…数珠とか、原始仏典で見たことないし、ユダヤ教やキリスト教では存在しているから、普通そういうのは中東由来だと思う。

 

映画の『プライベートライアン』でも最初の海岸でユダヤ教徒のアメリカ兵が震えながら数珠握ってたよね。

 

そして、仏教やキリスト教で見られるような悪魔の文化は古代中国では…まぁ、ないっすよね…。

 

そもそも、悪魔の"魔"という漢字自体が古来存在しておらず、仏教が入ってきたに際して、その概念を表現するために作られたという話を僕は聞いたことがある。(参考)

 

塔とかも似たような話で、ストゥーパ(仏塔)を表現する漢字がなかったから、仏教が伝来した際に作られたと僕は記憶している。

 

ストゥーパは土づくりで、塔という漢字には土という部首がある理由はそれ由来だとかなんとか。

 

そのように古代中国では魔という概念自体が存在していないらしくて、悪魔が先秦のテキストの中で出てくるということはない様子があって、僕は少なくとも出会ったことがない。

 

悪霊は『墨子』に出てくるのだけれど、死者の霊を神と同一視するのは中国の文化なので、仏教やキリスト教の悪魔とは関係ないと思う。

 

その『墨子』の言及にしたところで、僕らの知っている悪霊とは少し様子が違う。

 

えーと、鬼神というのは死者の霊の事です。

 

「 いま、鬼神の存在を否定する論者は主張する。『なるほど、天下じゅうに鬼神の姿を見たり聞いたりしたという者は、数えきれないほど多い。しかし、いったい、だれが真に鬼神の存在するか否かを見たり聞いたりしたであろうか』」 これに対し、わが師、墨先生は言われる。「もし、多くの人が見、多くの人がともに聞いた好例を挙げるとすれば、昔の社伯のごときは、まさしくそれに当たる。周の宣王はその臣の社伯を殺したが、社伯に別に罪はなかった。そこで、社伯は恨めしそうに言い残した。『わが君の手にかかって死んでいくが、私にはもともと罪はないのだ。もし死者に魂がないというならば、それまでの話だが、もし死んでも心があるならば、三年以上経たずして必ずやわが君におもいしらせてくれよう』 そののち三年経ったある日、周の宣王は諸侯を集めて圃田で狩りをした。狩りの車が数百台、お供の集が数千人、さしもの広い郊野が車と人とで満ち満ちた。そのまっ昼間、折しもあれ、社伯が白馬に引かせた白い車に乗って現れた。朱の衣冠のいでたち、朱弓を手に執り、朱矢をさしはさみ、周の宣王を追いかけると見る間に、車で逃げる先王をひょうと射た。矢は先王の心臓を貫き、勢い余って背骨をくじいた。先王は車中にのけぞり、やがて弓袋に伏して息絶えた。(渡辺卓他訳 『全釈漢文大系 18 墨子 上』 集英社 1971年 pp.462-463)」

 

この文章自体は、墨家の宗派の人の中で幽霊を信じている人がいて、みんなは信じてないけどこういう風なエピソードがあるから、幽霊は本当に居るんだもん!って言っているだけの話になる。

 

まぁ現在でも幽霊の存在をマジに信じている人や、マジに見たと言い張る人もいて、そういう人は古代中国にも居たし、当時は科学的な知識も現在のようにはなかったから、否定しようにも出来なかったという事情から、この文章を書いた人はマジに幽霊を信じていたのだろうと僕は思う。

 

この周の宣王は歴史書である『史記』にも言及があるけれど、特に鬼神の話やその最後については書かれていない。

 

まぁ『史記』の著者である司馬遷が、鬼神が復讐に来る逸話を荒唐無稽と判断して自身が書いた史書では採用しなかったのだろうと僕は思う。

 

ともかく、実際、『墨子』に言及のある鬼神のエピソードは悪霊が出たと処理できる内容ではある一方で、仏教やキリスト教で見た悪魔とは違う概念だし、悪魔という発想は普遍的ではないという理解で良いと思う。

 

だから、悪魔付きや悪魔祓いなどというものは人類普遍の振る舞いということはなくて、悪魔に憑りつかれて苦しんでいるような西欧文化圏の人は、ちょっと宗教に熱心すぎて思い込みの力でそうなっただけであったり、統合失調症や脳の疾患などの病理を悪魔の仕業と思い込んで、悪魔という概念に結び付けているだけという話になってくると思う。

 

もし、悪魔という概念が普遍的なそれであったならば、古代中国でその記述が確認できるはずであって、それが確認でいない以上、所詮はミームというか、文化でしかないのだろうと僕は思う。

 

実際、何処の世界でも起きうる話であるならば、遠く離れた地域でも同じように記述が見られて、それは以前言及した白い尿の話から分かる。

 

フィラリアという感染症があって、この感染症は蚊を媒介とする寄生虫によって発生するけれども、その症状の中に白濁した尿が出るというそれがある。

 

寄生虫がリンパ節に住み着いて、そのせいでリンパが体内で滞るようになって、それが尿として出てきて尿が白濁するという話らしい。

 

古代中国の出土文献の『五十二病方』や『武威漢代医簡』の中に白濁した尿という病状についての言及があって、一方で白濁尿は古代ギリシアのヒポクラテスの著作の中にも言及がある。

 

 

 

 

このことは人間という生物はフィラリアやそれに類似した感染症にかかったり、リンパに何か異常をきたすと白濁した尿を出すという形質を持っているから可能な記述であって、人間という生物は概ねそのような形質を持っているからそのようなことが可能になる。

 

一方で悪魔などというものはそのような形質と違って、中東やインドで見られても、古代中国では見ることが出来ない以上、所詮は文化依存の判断で、人類にとって普遍的な"何か"ではないのだろうなと僕は思う。

 

だから、いわゆる未開の地域の神話や文化の説明の中に登場する悪魔という概念に僕は甚だ懐疑的で、おそらくは西洋人が悪魔ではないものを悪魔と勝手に勘違いして、悪魔ということにして色々言及しているだけなのだと思う。

 

もし、古代中国で鬼神から身を守るおまじいの話があったならば、それは悪魔から身を守るまじないと翻訳されるはずで、けれども、それは古代中国の実情と合致しているわけではない。

 

実際、『独断』には鬼神を払う儀礼の話があって、この話を翻訳しようとした場合、悪魔祓いと翻訳される可能性はある。

 

「 帝顓頊には三人の男子があったが、生まれ落ちるとすぐに死んで鬼となった。その一人は江水にいてこれを瘟鬼という。その一人は若水にいてこれを魍魎という。その一人は宮室のあちこちにいて、しばしば子供を驚かす。

 そこで方相氏に命じて、黄金の目の四つある仮面をつけ、熊の毛皮をかぶり、黒い布に赤い裳(もすそ)の装束をつけ、戈を執り楯を掲げさせる。そして常に年の終わりの十二月、多くの郎党や童児をしたがえて追儺を行い、宮中くまなく捜し求めて、悪外の鬼を駆り立てるのである。桃の弓に棘の矢をもち、土の鼓を叩いて矢を放つ。さらに赤丸の五穀を撒いて、疾病と厄禍を除こうとするのである。(福井重雅訳『訳注西京雑記・独断』) 東方書店 2000年 p.265)」

 

このような話を翻訳するに際して、悪魔祓いという語は深く考えなければ適当であって、けれども、古代中国に存在したのは悪魔ではなく人に害を成す場合がある幽霊、すなわち鬼神であって、決して悪魔という概念ではない。

 

『独断』の話は悪魔と処理することは可能と言えども、先の『墨子』の復讐する鬼神は悪魔とは呼べなくて、けれども、両方とも鬼神という同じ概念の話で、悪魔と翻訳するとニュアンスに問題が出てくる。

 

この古代中国の鬼神の文化を理解するには、日本の平将門の悪霊の話と同じだと考えれば大体あっていると思う。

 

鬼神の中で、子孫が居てそれを祀る人がある場合は神で、そうではない場合は鬼と言って、その鬼が人に悪を成す場合があるから、子孫の代わりに鎮撫するという話で、大体、平将門が祀られているのも同じ理由というか、中国のこの文化が日本に来ただけと考えた方が良いと思う。

 

結局、この平将門にしてもこの文化を良く知らない西欧人が翻訳した場合、悪魔を鎮めるための石碑があるという話になってしまうのであって、やはり、文化人類学とか神話学に出てくる悪魔は信用できないなと思ってしまう。

 

細かいニュアンスは現地のテキストを実際に読んでみなければ分からないことも多くて、僕はそのような"誤解"を避けるために、原典訳のテキストをわざわざ読んでいる部分もある。

 

まぁそれでも、目的はそのようなことが知りたいからではなくて、人間という生物の生来的な形質がどれなのかを確かにすることにあるのだけれど。

 

そんな感じです。

 

では。

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