『ひょうごを前に進めよう』
私の原点にある思い、そして決意です。
令和の新時代、コロナ禍により、私たちの社会は激動しています。
この変革の時代、大きな行政の舵取りには、これまでにはない新しい発想や手法が求められます。
そして、変化のスピードに対応できる、やわらかい考え方と力強い動きが欠かせません。
これまでの兵庫県は安定を第一に考えられてきました。
震災からの復興をはじめ、数々の困難を乗り越えていくためには必要だったことです。
しかし、いよいよやってくる新しい時代。
この兵庫を覆う、
皆さまが何となく感じている停滞感や閉塞感から脱するために、
まさに今、新しい世代のリーダーが求められているのではないでしょうか。
私は、生まれ育った兵庫県に尽くすことを誓い、これまでキャリアを積んできました。
そして今、まさにこのタイミングだからこそ、すべてをかけて挑戦することを決意しました。
安定した兵庫の良さを生かしつつ、果敢に前に進めていく『躍動の県政』を実現する。
これが、さいとう元彦の決意です。
私とともに、ひょうごを前に進めましょう。
まずはじめに、
新型コロナウイルス感染症に対応していただく医療従事者の方々に心から感謝を申し上げるとともに、
お亡くなりになられた方々へ衷心よりお悔やみ申し上げます。
新型コロナウイルス感染症対策は、今後もますます必要です。
新規感染者は留まることなく、変異株などの猛威は引き続きやってきます。
さいとう元彦は、大阪府庁でのコロナ対応経験を活かし、
新型コロナウイルス感染症対策、医療提供体制やワクチン接種体制の確保などを進め、コロナから「県民の命」を守ります。
加えて、決して忘れてはならないのが、県民の暮らしです。
コロナ禍により大きなダメージを受けています。
特に、経済・雇用、子育て世帯、学生、高齢者への影響は、見過ごすことができません。
・県内の地場産業、飲食業、観光業など、中小零細企業への支援
・女性、若者、高齢者の非正規雇用者などへの雇用対策
・子育て世帯の孤立化の防止
・経済的に困窮する高校生や大学生への支援
・高齢者の孤立化の阻止
など、新型コロナウイルスから、県民の暮らしを守ります。
私は、衝撃を受けました。
「2020年、兵庫県、人口転出全国ワースト」という見出しの記事。
どうして、魅力あるひょうごから、人が出ていってしまうのだろう。
正直そう思いました。
兵庫県を見回る中で、いろんな人から声をかけられました。
「兵庫を、もっと前に進む、ワクワクする兵庫にしてほしい」と。
大阪府はどんどん変わっています。
北側のうめきた再開発、インバウンドの復調傾向、2025関西万博…。
関西における、大阪へのヒト・モノ・投資の一極集中は確実に進んでいると、3年間の大阪府庁勤務で実感しました。
これから、間違いなく関西の時代がやってきます。
2025関西万博を皮切りに、国際金融都市誘致、ライフサイエンス活性化など、
兵庫と大阪がちゃんと連携し、関西のダブルエンジンとして機能することが重要です。
これが、関西全体を盛り上げ、日本の活性化にもつながります。
そのため、兵庫にたくさん存在する『宝物たち』を2025万博で世界中の人たちに知ってもらうため、
県内各地の現場を「フィールドパビリオン」にして、夢洲にくる世界中の人たちを兵庫に誘います。
また、関西随一の食糧生産県である兵庫の役割は、極めて重要です。
安全安心な食品のブランド化を図るとともに、ケミカルシューズ製造業や丹波焼など、
県内各地の地場産業を元気にして、地域社会や雇用、暮らしの活性化につなげます。
さらに、ポストコロナの新しい社会は、兵庫にとって大チャンスの時代です。
大都市の過密を分散され、地域に目を向ける住民が増えていきます。
「住んでみたい」「住みやすい」「住み続けたい」と感じられる兵庫の魅力を発信し、実現させます。
同時に、障害のある方々が日本で一番旅行しやすい、活躍できる地域となり、
高齢者や外国人など多様な人たちを受け入れる社会、ホスピタリティあふれる地域を目指します。
私の公務員人生の原点は、「3年間の佐渡市勤務」です。
過疎・離島・中山間地など条件不利地の県民生活を守ること。
県民生活の安定、地場産業の発展、地域コミュニティ、伝統文化を大切に守ります。
さいとう元彦は、ひょうごの魅力・ポテンシャルを生かし、ひょうごを再生・成長させ、「躍動する」県にします。
『創造的復興』、これは、災害以前よりも発展的な復興をめざすことを意味します。
阪神淡路大震災に見舞われた本県でうまれたこの言葉は、東日本大震災、熊本地震に引き継がれました。
そして今では、国連防災会議やSDGSにおいても使用され、世界的な概念になっています。
つらい災害から立ち直ったひょうごだからこそ、備えている思い。 コロナ禍のいま、まさに「コロナからの創造的復興」を目指し、よりよい社会にすることを目指します。
そのために、さいとう元彦は、
・コロナ禍における新たなビジネス創出・挑戦する機運の創造
・大都市の過密を分散する流れに乗り、住んで、働いて、地域にとけ込みやすい兵庫の創造
・官民のデジタル化を加速させ、分散型県土が抱える地理的・時間的制約を無くし、新たなイノベーションを創造
・すべてを官でやるのではなく、民間の力を借りて、社会課題の解決を目指す「公民連携」を強力に推進
・これからの時代に合った行政運営のための女性副知事の登用など女性職員の幹部登用を積極的に促進
など、ポストコロナの新しい社会を創造していきます。
兵庫の魅力・ポテンシャルを生かし、兵庫を再生して成長させるためには、投資が必要です。
そのためには財源が必要です。
けれども、兵庫には、お金がほとんどありません。
貯金(財政調整基金)がたった29億円しかない。
これは、人口500万以上の規模の都市では、全国最低です。
どうしてこんなに少ないのでしょうか。
もちろん、震災で生じた借金の返済の影響もあるのかもしれません。
けれども、長い県政の歴史、時代のニーズに合わない事業や、やめられない事業や慣行。
ゼロベースで検証する必要があると考えます。
さいとう元彦は、ひょうごのこどもたちの未来への投資のため、徹底した行財政改革、財政基盤の再構築を行います。
もちろん、そのためにはまず、自らの身を処することが重要です。
・知事の給与・退職金のカット
・公用車センチュリーの即座の廃止
・長時間レクの廃止など、知事業務のあり方の見直し
を何よりもまず進めます。
齋藤 元彦(さいとう もとひこ)
1977年生まれ。兵庫県神戸市須磨区出身。
神戸市立若宮小学校/愛光学園中・高等学校/東京大学経済学部卒。
卒業後、総務省に入省。省内勤務をはじめ、新潟県佐渡市、福島県飯舘村、宮城県庁、大阪府庁と数々の地方自治を経験。
時代の最前線に身を置いて磨いた経験と感覚を基に、兵庫県政を志す。
家族は妻と息子。趣味は読書、ジョギング、寺社巡り。大河ドラマやお笑い番組にも精通している。
平成14年 4月 総務省入省
平成14年10月 三重県庁 ≪北川県政下で初めての地方勤務≫
平成15年 9月 総務省 大臣官房総務課
平成17年 4月 同 自治財政局 公営企業課 地域企業経営企画室
平成18年 4月 同 内閣官房副長官補付(内政) ≪官邸会議対応に従事≫
平成20年 4月 佐渡市 企画財政部長 ※22.4~総合政策監 ≪がんばる地方応援プログラム若手職員派遣一期生≫
平成23年 4月 総務省 大臣官房企画課 課長補佐
内閣官房副長官補付 ≪飯舘村政府現地対策室へ派遣、全村避難後の防犯体制構築≫
平成23年 9月 同 大臣官房秘書課秘書専門官 ≪総務大臣政務官秘書官≫
平成24年12月 同 自治財政局 地域自立応援課 課長補佐 ≪定住自立圏構想、地域おこし協力隊の担当≫
平成25年 7月 宮城県 総務部 市町村課長 ≪沿岸市町のマンパワー不足の確保≫
平成26年 4月 同 財政課長 ≪東日本大震災の復旧・復興事業の予算編成≫
平成28年 4月 総務省 自治税務局 都道府県税課 課長補佐
平成29年 7月 同 都道府県税課 理事官
平成30年 4月 大阪府 財務部 財政課長 ≪大阪北部地震、台風21号、新型コロナ対応の予算編成≫
令和 3年 3月 大阪府・総務省退職
私は、昭和52年(1977年)兵庫県神戸市須磨区で生まれました。
実家は、祖父が長田区と須磨区でケミカルシューズ製造業を営んでおり、私は靴屋の子供でした。
小さい頃から、祖父が経営の厳しさ・大変さについて話しているのを耳にしました。
その記憶が積み重なり、「地場産業を大切にしたい」と思ったことが、私が政治を志す原点になっています。
小学校は、神戸市立若宮小学校に通いました。
当時住んでいた衣掛町は、須磨海岸や須磨水族園が近い、アットホームな地域でした。
小学校を卒業し、愛媛県松山市の愛光学園中学校に入学しました。
なぜ松山に…と思われますが、実は、私立中学入試で第一志望であった六甲中学校を受験したのですが……。
親元を離れ、中高6年間の寮生活。
「大変だったね」と、よく言われますが、実は本当に楽しい6年間でした。
寮生活を共にした同級生は「生涯の友」となり、今でも年に数回、神戸で集まっています。
三宮の予備校で1年間、浪人生活を過ごした後、東京大学経済学部に入学。
初めての東京でのひとり暮らしは、気ままに暮らし、あまり授業に出席しない日々でした。そして、案の定、駒場留年。
「このままでは駄目だ」、そう思った矢先、平成不況で、親の家計が急変しました。
一時は在学継続をあきらめかけたのですが、育英会の奨学金に救われました。
ここで初めて、セーフティーネットの重要性に気づき、行政、そして政治の道に進むことを考えはじめました。
進むべき道が見え、国家公務員を目指すことに。
試験勉強スタートが遅かったので、猛勉強し、なんとか試験に合格しました。
そして、面接が進み、官庁訪問へ。
いろいろ見る中で「地方自治を司る総務省もおもしろそうだ」と思い、相談してみました。
すると、祖父はこう言うのです。
「名前の『元彦』は、元兵庫県知事の『金井元彦』さんから命名した」と。
前述のとおり祖父は、戦後、長田でケミカルシューズ製造業を創業しました。ちょうど黎明期です。
会社の経営、業界の方向性を決めていくにあたり、
地域の産業の発展、県民の生活・雇用の安定化のためには、
地方自治の重要性、首長の役割の大きさを実感していたとのことでした。
初めて知った名前の由来とこれまでの人生経験が重なり、私は総務省を選ぶことを決めました。
地方自治の道を志し、いずれ、兵庫のために尽くすことが、入省時に抱いた目標と夢でした。
総務省は地方公共団体での勤務がキャリアの大半を占めます。
私は入省後、総務省等での仕事をこなしつつ、
三重県庁を駆け出しに、新潟県佐渡市役所、福島県飯舘村、宮城県庁、そして大阪府庁と様々な自治体で経験を積んできました。
新潟県佐渡市では、新潟港からカーフェリーで2時間半かけて到着できる全国有数の大規模離島で、初めて管理職を3年間勤めました。
トキ放鳥や佐渡金山の世界遺産登録に向けた取組みとともに、
離島での暮らしの生命線である航路・空路など地域公共交通や、
10市町村から一島一市へと市町村合併後の新しい市での経験は、大変貴重なものになりました。
何より、島民との距離が近く様々な交流を通じたおつきあいは、一生の宝物となっています。 福島県飯舘村では、東日本大震災での原発事故対応が強く記憶に残っています。
原発事故により、飯舘村は全村避難に指定されました。
私は、政府現地対策室の一員として、村に緊急派遣されました。
避難日までの限られた時間の中、当時の菅野典雄村長や村職員とともに、全村避難後の防犯システムづくりを行いました。
その流れで勤務することになった宮城県。
東日本大震災からの復旧・復興が本格化する中での着任でした。
村井嘉浩知事の下、創造的復興に向けた予算運営や、全国からの応援職員の確保などに奔走しました。
特に、私の実家が、前述のとおり神戸の地場産業を営み、阪神淡路大震災で被災したことも重なって、
被災地の地場産業(水産加工業や酒造業など)の復興に向けた支援に注力しました。
そして、最後の3年間は大阪府庁に勤務しました。
言うまでもなく、大阪は東京と並ぶ関西随一の大都市です。
大きな都市で財政部局を中心に行政経験が得られたことは大きな糧となりました。
大阪北部地震、台風21号、そして、今回の新型コロナウイルス感染症など、
様々な困難な場面に出合う中、当時の松井一郎知事、吉村洋文知事の下、多くの予算編成に携わりました。
知事の、リスクを恐れず挑戦する姿勢、情報発信力など、多くのことを学びました。
総務省入省後の数々の経験。
それは、ポストコロナ、少子高齢化や過疎化が進行し、財政状況も厳しくなるという、
非常に困難で不確実な時代に対峙しても、
兵庫のあるべき姿を導く力を培っていくことができたと思っています。