85話 おっさんと少女、おやつタイムを楽しむ ~ゴロゴロ林檎のアップルパイと暑い日に最高レモン水~
町を出て3時間。
青々とした空の上には、夏の太陽が燦々と輝いている。
俺は額に滲んだ汗を拭いつつ、吹き抜ける風に目を細めた。
馬車の幌のおかげで日陰にいられることがありがたい。
なにせこの暑さだ。
もし歩きの旅だったら、相当体力を奪われて、ラビやカトリには耐えられなかっただろう。
そんなラビは、馬車の後ろから楽しそうに景色を眺めている。
カトリはおそらく18歳くらいだろうが、年の離れたラビの面倒をよく見てくれた。
「カトリおねえちゃん、あっちにはミルトンっていう街があるんだよ。綺麗なお姉さんたちがたくさんいて、楽しいところなの」
「そうなんだ! いいなあ、ラビちゃん。お父さんと色んな町を見て回ったんだねえ。私は田舎から出てきた時に、乗合馬車で移動したっきり旅なんてしたことないんだ」
カトリのそんな発言を聞き、おやっと思った。
「たまには実家に帰ったりはしないのか?」
「はい。いまはまだ帰れません。私は家を飛び出してきた身ですから。家族に心配をかけているからこそ、一人前になれるまで顔を見せられないんです!」
その気持ちは分からなくもない。
俺も同じ立場で母に不義理をしてしまったからな……。
昔の自分を見ているような複雑な気持ちだ。
「家族は心配しているんじゃないか?」
「ええ。だからこそ、私が棟梁になって建てた家の話を聞かせたいんです。そしたらきっと安心するでしょう?」
「じゃあお姉ちゃん、もうすぐ帰れるね」
ラビがカトリに向かい、ニコッと微笑みかける。
「エイハブおじさんの宿を作ってくれるんだもん。カトリおねえちゃん、お父さんやお母さんと自信を持って会えるよね……!」
「……!」
ラビの発言を聞き、カトリはハッとしたような顔になった。
「そう、ですよね。初めての仕事を任せていただいて、なんだか現実感がなかったですけど……」
戸惑っていたカトリの顔に、誇らしげな笑顔が浮かぶ。
その瞳がキラキラと輝きを帯びた。
「実現できるように私頑張りますっ! ありがとう、ラビちゃん! ダグラスさん!」
こんなふうに夢に向かって一生懸命な少女と話すことは、きっとラビにとっても良い影響を与えるだろう。
「ねえお父さん。エイハブおじさんの新しい宿が完成するの、楽しみだね」
「ああ、そうだな」
返事をして改めてラビを見ると、いつの間にか前髪が汗でおでこにはりついていた。
ラビ本人もくすぐったそうだ。
「ちょっと待った、ラビ。前髪をあげておこう」
前髪を一つに束ねて、頭のてっぺんでリボンでくくってやる。
丸みのあるおでこが際立って、これはこれで愛らしい。
「ありがとう、お父さん!」
嬉しそうに笑うラビに俺も笑顔になるが、汗をあまりかいているのは心配だ。
「喉乾いてないか?」
「乾いたかも……」
「よし、じゃあいいものがあるぞ」
実はラビたちには秘密で、とっておきのおやつを用意しておいたのだ。
幌馬車の奥に隠しておいた箱の中、氷の塊を入れて冷やしておいたそれを取ってくる。
蓋をしたガラス瓶の中には、輪切りのレモンを浮かべた透明な液体が入っている。
「お父さん、これなあに?」
「レモン水ですか?」
ラビとカトリが同時に身を乗り出して尋ねてくる。
こうしていると歳の離れた姉妹みたいにも見えた。
「まあふたりとも飲んでみろ」
俺は瓶の蓋を開け、ラビとカトリに一本ずつ渡してやった。
きんきんに冷えた瓶を手に、少女たちが「つめたーい!」とうれしそうな声を上げる。
「いただきます……!」
そう言ってラビが瓶に口をつける。
喉がこくこくと動いたあと、ラビの瞳に驚きと喜びの輝きが宿った。
「ごっきゅごっきゅごっきゅ……!」
小さな両手で瓶を抱えて夢中で飲んでいる姿が愛らしい。
隣でそれを見ていたカトリも、ラビにつられたように一気飲みをはじめた。
ふたりとも、全然瓶を離そうとしないので笑ってしまった。
半分ぐらいまで一気飲みをした後、ようやく口を離したラビは、うれしそうに俺の顔を見上げてきた。
「おいしい……! お父さん、これなあに?」
「レモン水に、ひとつまみの塩と蜂蜜を混ぜているんだ。栄養もあるし、汗をかいたときの水分補給にいいんだぞ」
「ふあーおいしいです! ダグラスさんってなんでもできるんですね!」
夢中でレモン水を飲んでいたラビだったが、不意にすんすんと鼻を動かし始めた。
「あれ……。他にも美味しそうな匂いがする……」
「え? そんな匂いしますか?」
カトリが不思議そうに首を傾げる。俺は思わず吹き出してしまった。
「ぷっ……ははっ。ラビの鼻は美味しいものに敏感だな」
「美味しいものすきだもん……」
ああ、知ってるよ。
だからそんなおまえを喜ばせたくて、これを用意してきたんだ。
赤くなってもじもじしているラビに向かい、俺はもうひとつの箱を取り出してみせた。
「匂いの正体はこれだよ」
白い箱に赤いリボンのかかったラッピング。
見覚えがあったのか、ラビが目を丸くした。
「こ、これってもしかしてっ……!?」
ラビには珍しいほどの大きな声だ。俺は眦が下がるのを感じつつ箱を渡してやった。
嬉しそうなラビを見ているだけで、こちらまで幸せな気持ちになる。
「開けてごらん」
ラビが急いでリボンを解き、箱を開ける。現れたのは――。
「わああ!!」
「あーっ! こ、これはーっ! 有名なケーキ屋さんのアップルパイじゃないですかー!」
喜びで言葉を失ってしまったラビの代わりに、カトリが正解を口にした。
そうこれは、ラビがダイアナに勧められた店のアップルパイだ。
一度、ラビへの手土産に買ったものの、アランの一件のどさくさで、あの時はとうとうラビの口に入らなかった。
しかも、エイハブのお見舞い用に焼き菓子を買いに行ったとき買ってやろうとしたら、ラビは首をフルフルと横に振って断ったのだ。
『今日はエイハブおじさんのためのお買い物だから……』
自分たちで別に買う分には問題ないだろうと言ったけれど、ラビが頷くことはなかった。
きっとラビなりの矜持があったのだろう。
食べたがっていたのは知っていたから、今朝、馬車を頼みに行ったついでに買ってきておいたのだった。
「カットアップルパイだから、このまま切らずに食べられるぞ。零さないように気を付けるんだ。ほら、カトリも遠慮しないで食ってくれ」
「え!? 私ももらっていいんですか!?」
「もちろんだ。美味いものはみんなで食べなくてはな」
「わあ! ありがとうございますっ! じゅるり」
「おねえちゃん、よだれが……!」
「あっ、いけない。ついつい……」
慌てて涎を拭うカトリを見守りながら、俺とラビは声を上げて笑った。
さあ、それでは食べてみるか。
3人で顔を見合わせて、「いただきます」と言ってから、一口目を頬張った。
サクサクッ、じゅわああ……。
……う、うまい……!
冷えていてもさくさくした触感がまったく失われていない。
そこに感動した直後やってくるバターの風味と甘いリンゴジャムの香り。
パイ生地の中に入っている林檎はゴロゴロと大きく食べごたえがある。
口の中で噛み砕いた瞬間、じゅわっと果汁が滲んで頬がとろけそうになった。
「ふわあああ……おいひい……っ」
ほっぺたを押さえてそう呟いたラビ。
カトリも同じポーズでうんうんと頷いている。
「本当にっ! こんなに美味しいアップルパイ初めてですう!」
「このアップルパイは知っていたんだろう? 食べたことがなかったのか?」
「カツカツの生活だから、普段のパンを食べるのも精一杯で……甘いものなんて久しぶりです!」
美味しい美味しいと言い合いながらアップルパイを頬張る二人を見て、俺は無意識にほうっと息を吐いていた。
ラビとこうして美味しいものを食べて、幸福な時間を過ごすのも久しぶりな気がする。
眠っているアランのことや、『豚の夜鳴き亭』の再建に関することで、最近色々とばたついていたからな。
まだ問題は残っているが、こうして美味いものでも食べてみんなで笑っていられれば、大抵の苦難はなんとかなるものだ。
そう思って青空を見上げると、乾いた風が俺の汗ばんだ髪を優しく揺らしていった。