92話 おっさんと少女、建前を楽しむ
地鎮祭から数日。
天候にも恵まれたため施工作業は順調に進み、基礎が完成した。
そしていよいよ今日は建前だ。
まず棟梁であるカトリが作成した番付表という組立手順書をもとに、軸組を行っていく。
この作業には助っ人として鳶職たちの手を借りた。
俺やルーイたち親子も、単純な力仕事はできるだけ手伝わせてもらい、総出で作業にあたる。
そうして午前中のうちになんとか屋根まで作り終えた。
「おお……だいぶ進んだ実感があるな……」
柱や梁によって骨組が出来上がると、ぐっと建物らしくなってきた。
作業が順調だとわかって嬉しい。
「午後からは建前の中でもメインのイベントが待っていますよ!」
「ねえ、カトリお姉ちゃん。たてまえってなあに?」
まだ小さいラビが建前という言葉を聞いたことがないのは当然だ。
「そういえば俺も建前という言葉が具体的にどんなことを指すのか、しっかり理解できていないな」
「ふふっ。それではご説明しますね!簡単に言うと、地鎮祭が儀式なら、建前は無事に棟が上がったことを祝う場なんです」
カトリはそう言って、今回も分かりやすく説明してくれた。
「神の御使いなどは呼ばれず、場を仕切るのは棟梁となります」
「お。それじゃあ今日の主役はカトリだな」
「いえ、それが……建前の日、屋根の上には女性が上がってはいけないことになっていて……」
カトリが照れくさそうに眉を下げる。
女性であることをカトリが恥ずかしく思うことなんて何もない。
俺がエイハブのほうを見ると、彼もはっきりと頷き返してくれた。
「カトリちゃん。改めて俺からも頼むよ。男も女も関係ない。建前の指揮はあんたがやってくれ」
「エイハブさん……」
いいのだろうかという表情で、カトリが俺を振り返る。
「この現場の棟梁はカトリ、おまえだろう?」
「ダグラスさん……」
カトリは目を潤ませたあと、「はい!」と元気良く頷いた。
さすがに屋根の上は危ないので、ラビやダイアナは下で待っていることになった。
それにこのあと、彼女たちには楽しみが待っている。
でもそれはまだもう少し先だ。
棟木を引き上げ、打ち付ける作業も、建前の儀礼のひとつとして行われる。
ちなみに棟木というのは、屋根の一番高い場所に用いられる木のことだ。
棟木が無事に渡されたあとは、屋根の上に用意された祭壇に、棟梁がお供え物を祭る。
そして施主から順に精霊への祈りを捧げていった。
それから皆で乾杯。
「次はいよいよ、建前の中で一番盛り上がる場面ですよ!」
いよいよ子供達も参加できる。
これから今日の日を祝うため、銭や菓子が職人たちの手で、屋根の上からばらまかれる。
付近の住人たちも建前をやっていると聞きつけて、わらわらと集まってきた。
これは盛大なお祝いになりそうだ。
「エイハブの宿屋が戻ってくるんだって?」
「みんなでお祝いしなくちゃね!」
そんなふうに顔なじみたちが会話を交わしているのが聞こえてくる。
みんなワクワクした顔をしている。
エイハブの宿屋がどれほど地域に愛されていたかを改めて実感させられた。
「ではみなさん、これを持ってください!」
屋根の上に上がった俺たちに、カトリが菓子類の入った箱を渡してくれる。
「お菓子やお餅を、下の人たちに向かって投げて下さいね!」
「ばらまくような感じでいのか?」
「はい! 幸せをおすそわけする感じでお願いします!」
俺たちは頷き、屋根の上にそれぞれ立つ。
すると――。
「む。ラビ!」
箱を持ったまま下を見ると、集まった人々の後ろの方にラビがいた。
俺と目が合うとにこっと笑い、手を振ってくれる。
ようし、待ってろラビ!
俺がこの手で幸せを降らせたいと思う相手は、当然ながらあの子ただひとりだ。
「それじゃあいきますよー!」
カトリの掛け声が開始の合図となる。
俺はラビの方に向かってせっせと菓子を投げた。
もちろん当たってしまわないよう、細心の注意を払いながらコントロールする。
よし、いまだラビ! 足元、足元だぞ!
菓子は狙った通り、ラビの近くに落ちる。
しかしラビはわたわたと慌てているせいか、なかなか拾えないでいた。
それでも時々手にすることができると、ぱあっと笑顔が咲き誇る。
そして掴んだお菓子を、俺のほうに振って見せてくれた。
うんうんそうか。
嬉しいのか。
何度だって喜ばせてやりたくて、ひたすらラビの近くに菓子を降らせた。
「おいダグラス、おまえ、ラビちゃんにばっかり!」
「はっはっは、知るもんか。ほーらラビ、受け取れ!」
「まったくおまえは。世間を騒がす英雄だってのに、娘が絡むと単なる親バカなおっさんだな」
「英雄なんて呼ばれるより、親バカと呼ばれるほうがよっぽどいい」
軽口を叩きあいながら、俺たちは菓子を配り続けた。
◇◇◇
やがてすべての菓子や銭を配り終えたところで、建前の祝いも終了となった。
「いやあ、いい建前だなあ」
「きっと素晴らしい宿が建つんだろうね。楽しみにしているよ」
そう言いながらエイハブと握手をして、近所の人たちが帰っていく。
集まった人々も楽しんでくれたようでよかった。
ラビはスカートに拾ったお菓子を広げて、俺に見せてくれた。
「お父さん、こんなにいっぱいとれたの」
「よかったなラビ。でもいっぺんに食べると虫歯になるから、少しずつにするんだぞ」
「はーい!」
みんな満たされた顔をしている。
地域の人たちに幸福を配り、職人と施主との間に信頼関係をもたらす。
建前というイベントが執り行われる理由が本当の意味でわかった気がする。
そんなことをぼんやり思っていると、俺の鼻先を湿った風が吹き抜けていった。
つられるように顔を上げれば、西の空に入道雲が育ちはじめている。
「じきに雨が降るな」
「え? ほんとですか!」
「カトリちゃん、ダグラスの天気予報は外れたことがないんだ。一日遅れていなくてよかったなあ」
みんなでよかったよかったと喜び合う。
まさかその翌日、とんでもない事件が起こるなんて。
このときには誰一人予想していなかった。