悪夢の始まり
ボスって大抵第二形態とか第三形態がありますよね。
カインであったものが討伐され、漸く騒ぎが落ち着き始める。
恐らく、あの炭のようになった塊がカインの馴れの果てなのでしょう。
何故、彼がどうやってこの場に紛れ込んだのかはわかりません。確か、彼はレナリアに同調しており、その心酔ぶりを危険視されて監視されていたはず。
どうやって監視の魔法使いや兵士の視線を潜り抜けたのでしょうか。
キシュタリアやミカエリスはてきぱきと指示を出し、事態の収束に急いでいます。国王陛下や王妃殿下たちは、壊した壁からようやく外に避難できるようになりました。フォルトゥナ公爵がきびきびと先導しつつ、周囲に檄を飛ばしております。
私の不安に気づいたのか、お父様はずっと御傍に居てくださいます。
嬉しい、お父様が傍に居てくださる。その事実だけで嬉しくて、にこにこしているとお父様が困ったよう微笑んだ。そして頭を撫でてくださる。それだけで表情筋がさらにふにゃけるのが分かった。
いやですわ。わたくし、淑女のつもりでしたがこうもだらしなく顔が緩みっぱなしです。
いけないと頬に手を当てて、自らを律しようとします。ですがやっぱり顔がーっ!
むにむにと顔を押して、しゃっきりとした表情に切り替えようとします。ですが、お父様を見た瞬間へらりとしてしまう。
うう……ダメ令嬢……ヒキニートしていて社交を疎かにしまくったツケが。
普通、淑女というものは感情を悟られないように基本笑みを湛えつつ言葉と機転で社交界を渡り歩く―――らしい。
なんだかクリフトフ髭オジサマが時折、こちらをもの言いたげにチラチラとみては上半身をうようよ動かしている。あれに似ている。音に反応して動く玩具。
お父様は義兄のはずの髭オジサマを一瞥し、私を隠すようにマントの中に囲った。
クリフトフ伯父様が凄まじい顔芸を披露した。え、なにすごい。ナイスミドルが入り始めたイケオジが顔面崩壊。
お父様が「見てはいけないよ」というので、頷いで別方向へ顔を向ける。
すると、目に入るのはやはり黒い炭の塊。元人間であったもの。
カインは何を思い、あの姿になったのだろう。あのような異形となっていても、私への殺意をたぎらせていた。断片的に濁った音でレナリアを呼ぶ声が聞こえてきたから、彼を裏で糸引いていたのは彼女なのだろう。
自称ヒロインさんは異様なほどわたくしに憎悪を燃やしている。
以前、襲撃されたときは散々偽アルベルだの悪役令嬢だのと言われましたわ。
元祖はそうかもしれませんが、現実のアルベルティーナはヒキニートではありますが悪の華ではありませんわ。現実はダメ幼女扱いです。過保護な保護者が沢山いますので、うっかりバブバブしてオギャリシャスしてしまわないよう気を張っております。
既に人の形状すら残っていない消し炭のようなものを、兵士たちは恐々と突いています。
突いた傍からボロボロと零れ落ちていく様子からして、かなり脆いのでしょう。
呼ばれた魔法使いらしき人たちが、騎士たちと検分をしています。
どうやら、とりあえずは運ぶことになったそうです。
そうですわよね、いつまでも謁見の間に置いていいものではございませんわ。
わたくしは、油断をしていました。
消し炭のようになった襲撃者。活気の戻り始めた周囲。傍に居てくださるお父様。
ぼとと、と何かが連なるように落ちる音がした。
鈍く重さのある音。何かと思い振り向けば、目のない鯰と蛇を合わせたような何かの頭のようなものが転がっていた。
そして、ぱたぱたと地面を軽く叩くような音をたどれば赤いものが見えた。それはお父様の足元に真紅の水たまりを小さく作っている。
嫌な予感と恐怖、そして抗いがたい何かを感じてその先をたどった。
お父様の腕に噛み付く、落ちていた何かと同じもの。
「お、とう……さま……お父様!!!」
「来るな、アルベル」
駆け寄ろうとすると、今までにない程鋭い視線で睨まれた。
お父様にそんな目で見られたことがなく、足がすくんでしまう。
「命令だ。下がれ」
お父様の腕にぎちぎぢ、と嫌な音を立てながら化け物の頭が喰いついている。既に首が切られているのに、妄執じみたものを感じた。
お父様の額に、髪が張り付いている。汗をかいているのだ。眉根をきつく寄せ、苦悶を浮かべるお父様。
あの、お父様が。痛みを感じている。今、わたくしの目の前で怪我を負っている。
お父様がいつになく厳しい言葉で私を突き放す――そんな事実すらどうでも良くなるほど頭が真っ白になっていく。
自分の中で大切なモノがガラガラと崩れ、もしくは木っ端微塵になっていくような気がした。はくはくと、意味もない空気が口から洩れる。その時肩を掴まれグイッと後ろに引かれる。
「アルベル、離れて! 父様!」
焦燥も激しく顔色を真っ青にしながらキシュタリアが駆け寄る。
「今からこれを封殺する。埒があかないからな」
「封殺する前に腕を」
「今更切り落としても遅い。私ごと始末しろ。今、これの私の魔力とこれの魔力を強制凝結させる術式を組み入れている」
「―――は?」
「これは乗っ取った素体によって、能力が変化するからな。私の力を喰らったこれを、お前たちで始末できるか?
呪いの感染や増殖は封じて、できうる限り弱体化はしてやる」
唖然として立ち尽くすキシュタリアに、舌打ちしそうなほど不機嫌なお父様が淡々と指示をする。
まるで作業のようにあっさりとしているけれど、お父様は?
お父様はそれでは死んでしまうのではないのですか?
「お父様? おやめ下さい。お願いです。お父様、嫌です。お願いです。何を仰っているのですか……っ」
震える声で、お父様に縋ろうとするけれど足に力が入らない。へたり込んだまま、無様にお父様を見つめることしかできない。
お父様の腕が不自然に隆起している。服の下で腕が奇妙にうごめいている。
キシュタリアが魔力を帯びた手で、蠢く腕に触れるがバチリと魔力をはじけさせて退いた。
「無駄だ。私でどうにもならぬものが、お前如きにどうにかなるものか。お前まで魔物になったら迷惑だ」
「相変わらず父様は手厳しいですね。嫌ですよ、アルベルが悲しむ顔はもう十分です」
「これは光魔法や聖魔法と呼ばれる系統のものでしかどうにもならない。それ以外は、精々小手先騙しにしかならん」
「だけど!」
「くどい。どうにもならないモノに拘って、優先順位を履き違えるな」
お父様の首元に黒いものが浮き出る。血管のようなそれは、ゆっくりと顔の方へ向かっている。
突き放すようにキシュタリアを叱責するお父様。唇を噛み締め食らいつくようにお父様を睨むキシュタリア。その顔には父を慮る、やりきれない感情が滲んでいる。
「………判りました。それが父様の判断であれば従います」
ややあって目を伏せ、項垂れたキシュタリア。了承を伝える声。ぎこちなく、少し低い声は少し震えていた。そして、お父様から数歩下がる。
お父様がそれを静かに認めると、ややあって私の方を見た。
先ほどは違い柔らかい眼差しが、いつものようなアクアブルーがこちらを見つめている。
「アルベル」
「お父様、お願いです。お父様……いい子にします。なんでも、いうことに従います。
お願いです。お父様……私から、お父様をとらないで。奪わないで……お願いです」
死なないで。いなくならないで。あきらめないで。
なんていえばいいの?
「すまないね、アルベル……どうか」
いやいやと駄々をこねるように頭を振るわたくしに、困ったような笑みを浮かべる。
私にだけ向けられる、優しい笑み。
だけど、お父様の腕は不気味にうごめいている。役目を失ったのか、噛み付いていたそれはずるりと落ちた。べちゃりと泥のようになって床に落ちた。
お父様は微笑んでいる。いつものように。だけれど、その手には透明な愛剣が握られている。
「幸せに。アルベルティーナ……私の最愛の娘。幸せになりなさい――ただ一つ、それが私の望みだよ」
それを最後にお父様は自らの首を切り落とした。
音も無く切り落とされる腕前は、間違いなくお父様が一流の使い手だと理解する。
ごろりと無造作に転がる、お父様の首。ぐらりと傾ぐ首なしの胴体。だが、しぶきを上げることの無い遺体が、異常性を物語る。太い血管が数多と通った首を切り落とせば、当然であるが夥しい血が流れるはずだ。
血液は出ない。その代わりに、黒く濁った液体のようなものがごぼりとあふれ出た。
それはあっという間にお父様の体を包み形容しがたい音を立てていく。
恐ろしいのに、悍ましいのに目が離せない。
ややあって現れたのは首のない四つ足のような生き物。見た目は鞣した皮のような、柔らかいエナメルにも似た質感をもったなにか。そもそも、生き物といっていいのかも怪しい。
お父様を殺め、お父様を殺した呪物の果て。近くに、ミイラのような何かが転がっていた――あれは全てを吸い取られたカイン・ドルイットなのだろうか。それとも犠牲になったほかの誰かだろうか。
それは叩きつけるように腕? 前脚のようなものを床に叩きつけた。大理石のあった場所は無残にも砕かれ、瓦礫と破片が飛び散る。
その衝撃で、無造作に転がっていたお父様の首が動く。慌てて駆け寄って、首を抱き込む。唯一、呪いの取り込まれなかったお父様の御遺体。
「お父様、お父様……っ」
すっかり小さくなってしまったお父様。その首に縋るように床に座り込んだ。
自分の周囲に大きく影が差した。
ぼんやりとして顔を上げると、お父様をとりこんだ呪物の魔物がいた。
「あ……」
無意識に、腕の中の首を抱きしめる。
不思議と、怖くはなかった。それよりも、お父様を喪った事実を受け入れられない。
そのとき、巨大な氷柱が黒い魔物を飲み込んだ。それだけでなく、追い打つようにさらに大きな氷の礫が当たり魔物を氷漬けにしていく。
「アルベル! なんて無茶を!」
「……きしゅ、たりあ?」
顔色を真っ青にさせたキシュタリアが、私をあっさりと抱え上げた。
そして地面を凍り付かせながら、氷に乗って魔物との距離を取る。その間も、氷柱はますます大きくなっていく。
だが、その氷を突き破って魔物は出てきた。
だが、表面は凍り付いて巻き込まれたのか体液のようなものをまき散らし、痛みに悶えるように我武者羅に手足を叩きつけていた。
あまりに暴れすぎて床が一部抜け、べちゃりと無様に床を転がる。あまり知能は高くないようだ。
「やっぱり外皮が相当脆い……これなら残りの戦力でも倒せる……!」
「たおす……? お父様は? おとうさま、どうしちゃうの?」
「アルベル、これは父様の御遺志でもある……ごめんね」
そういうと、いつの間にか隣にいたのはクリフトフ伯父さま。彼も戦いに巻き込まれたのか、左手から血を流している。ジブリールが駆け寄って、わたくしにポーションを飲ませようとする。
衝撃が大きすぎて立ち直れない私を預けると、軽く頬を撫でた。そして踵を返すと魔物と対峙する。
魔物はフォルトゥナ公爵の戦斧と、ミカエリスの炎を帯びたミスリルの剣に苦戦していた。
やはり、先ほどより余程動きが悪い。べちゃべちゃと何かをまき散らしながら必死に応戦しているが、いくつもの攻撃を受けた形跡がある。
足元から、お父様をとりこんだあの魔物の動きが伝わってくる。だが、先ほどの縦横無尽で不気味な動きはすっかり鈍くなっている。精彩を欠いているというべきか。
あれがお父様。
お父様の体であったもの。
目の前でまざまざと変質する様を見ていたというのに、理解するのを拒む自分がいる。
手の中で冷たく小さくなったもう一人のお父様は、薄らと空いた瞼から青いアクアブルーの瞳が見える。そこには叡智も生命の輝きもなく、いつになく虚ろだ。
大きな武器が振るわれるたびに、魔物が暴れるたびに、強力な魔法が放たれるたびに謁見の間はその衝撃を物語るように揺れる。
お父様が退治されてしまう。魔物として、処分されてしまう。
「……やめて、やめて。お父様を」
「お姉様……っ」
「アルベルティーナ、もうあれはグレイルではない。あいつの肉体を乗っ取り、魔力の残滓を啜って暴れる化け物だ」
そういって伯父さまは口を噤む。だが、その手はけして私がお父様に駆け寄らないようにしっかりと押さえている。
「再生能力も、呪詛の感染もない――完封しているな。分野外の魔法でもあれだけ扱えるとは、流石というべきか」
ぽつり、と落とした伯父様の言葉は褒めているが苦々し気だ。そして「あいつ以外にはできない手段だな」と目を伏せた。
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